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”普通選挙 ”による代表者選出、これらは現在の国の危機、また将来の災害

”普通選挙 ”による代表者選出、これらは現在の国の危機、また将来の災害に対して何の解決策、効力、対策も有していないのではないか? 『  統治するとは、先を見通すことである。したがって、何も見通せない為政者は統治者として失格である。  それでは、なぜ為政者は無能なのか。それは、かれらが民主主義という方法で選出されて、その地位についたからである。全面的民主主義は、選挙民の知能の程度というものを全く考慮にいれていない。そこでは、一人のアインシュタインの声は、愚昧な連中の声に消されてしまう。なぜなら、アインシュタインよりは、愚昧な連中の方が人数が多いからである。 つまり私たちは、愚昧の独裁の下に置かれているのだ。このような独裁がもたらしうる結果を知るには、私たちのまわりを見渡すだけで十分である。  この粗雑な民主主義は「平均政治」でしかありえない。というのも、平均的知性を持った人びとが、必然的に最多数派となってしまうからである。「天才政治」とは、選択的民主主義により、現在行われているような超エリート校でより勉学に励んだ人びとにではなく、平均を越える知性を有する人びとに権力を与えるものである。だから、技術者の中だけではなく、労働者や農民の中にも天才は存在する。手遅れにならないうちに人類の運命を引き受けねばならないのは、まさにこうした人たちなのである。  人類を今も進歩させ、また常に進歩させてきた唯一の人びとに、権力を与える時である。それは、統治している時に、自分たちに何ができるかを示す機会をすべて持っていた、筋骨たくましい乱暴者や有産者、専門知識人、政治家、軍人のいずれでもない。そうではなくて、それは、自分たちに何ができるかを示す機会を全く持つことができずにきた唯一の人びと、すなわち天才たちである!  現在、人が民主主義と呼んでいるものは、実際は平均政治にすぎない。というのは、最も人数が多いのは、平均的知性を持った人びとであり、したがって、かれらの決定が投票のさいに勝利を得るからである。  非常に良く作られたテストのおかげで、ガウス曲線(1)を見てもらえばわかるように(注・貼っていない)、実際の人口のうち、わずか0.5パーセントがきわめて優秀、すなわち天才である。しかし、こうした天才たちの声は、同じく0.5パーセントを占める白痴的な人たちの声によって、投票の際に相殺されてしまうのだ!  優秀な人たちはわずか二パーセントしかおらず、かれらの声も、同じく二パーセントを占める知恵遅れの人たちの声によって相殺されてしまうのだ!  平均より十~三十パーセント高い知性を持つ人たち、つまり「平均以上」の人たちは、人口の二十五パーセントを占めているが、かれらの意見もやはり、同じく人口の二十五パーセントを占め、平均より十~三十パーセント低い知性を持つ人たち、つまり「平均以下」の人たちの意見によって相殺されてしまう。  結局、平均的知性を持つ人たち、つまり平均的な人たちが、投票の際に決定を下すことになる。なにしろ、かれらは四十五パーセントもいるのだから。以上、民主主義のこのような形態が、実際は平均政治にすぎないことの理由である。(ラエル著) 』

noname#119214
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  • 政治
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  • hekiyu
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回答No.1

民主制というのは、一般には民意を反映する体制の ことだ、と言われています。 しかし、例えば、経済政策です。 インタゲ(インフレターゲット)の是非なんて 専門家の間でも争いがある政策について 民意を反映したらどうなるのでしょうか。 外交だって同じです。 ろくな情報も持っていない市民の意思を反映 なんかしたら、とんでも無い結果を招来しかね ません。 更に、市民というのは、自分の、しかも目先の 利益しか念頭にありません。 だから、子供手当てとか農業補助で簡単に釣られて しまいます。 このように考えると、民主制というのは、権力者が 市民をいじめるのが困難なところに意義があるだけ だと思いますよ。 だから、国家の危難とか将来を民主制で決めるのは 危険です。

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