精神的な観点について社会を語る

このQ&Aのポイント
  • 精神的な観点について社会を語る人はいますか?その意見は個人的であり、一般化できないと思います。
  • 精神的な観点から社会を論じることはできますが、宗教のようなもので一般化はできません。
  • 政治的な問題や労働観に関連して精神的な観点を語ることもありますが、個人的な感覚であり、多くの人に当てはまるとは限りません。
回答を見る
  • ベストアンサー

精神的な観点についてこうあるべきだと社会を語る人いませんか?それはどう

精神的な観点についてこうあるべきだと社会を語る人いませんか?それはどうなんでしょう。 *以下で例として挙げた意見は実際の会話をもとにした例です。その意見が正しいかどうか、私の考えがどうであるかは全く別であるとします。 例えば、日本の問題や今後の課題という議論があるとします。 「最近ではニートなど甘ったれた人が増えた。人が働かなくなるとこのままでは日本の国力が・・・」というのは労働と国力という目に見えるものを語っていて政治的な話だと思います。 しかし、「額に汗を流してお金を稼ぐという美徳意識が失われてきた。これは問題だ」と精神面から語るのは政治の話でしょうか?個人的な感覚であり、多くの人が持っていたとしてもこうあるべきだと言う事は出来ないのでは無いでしょうか。 もう一つ別の例を挙げます。 若者達(私もですが)の努力観の調査(どの程度報われるかと考えているかというもの)について「駄目になったな」という感想を言ったとします。 これも考え方が逆で、若者の努力観がどうであるかより、若者が実際に何を目標にしてどのような努力をし、何を得ているかを語らなければならないのでは無いでしょうか。 駄目になったなというのはそれから言って欲しいものです。 精神の話というのは別に否定はしません。 ただ宗教のようなものでそれは一般化できないと思います。だからその観点でこうあるべきだと社会を論じる、または問題視するというのはどうでしょうか? ただ私は若干合理性を求めすぎる傾向があるかもしれない為、実際のところこの質問にどう感想を持たれるか良く分かりません。

noname#118709
noname#118709

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#120325
noname#120325
回答No.6

やー、思うんですがー。世の中のことって、全部、突き詰めれば「感情論」なんじゃないかなー。 >日本の問題や今後の課題という議論があるとします。 >「額に汗を流してお金を稼ぐという美徳意識が失われてきた。これは問題だ」 >と精神面から語るのは政治の話でしょうか? あなたは、日本の問題や今後の課題は、「政治」で解決されるもので、精神論では解決できない、という暗黙の前提があるものとみなしてますよねー。でもでも、それって本当にそうなんでしょーか。実は、政治で「も」解決できるということであって、政治でなくても解決できる道はあるのかも知れませんよー。 例えばですがー。昭和30~40年ごろの高度成長期ってのがありますねー。池田首相が所得倍増計画とかいって、日本がどんどん上向いていた時代。あれは、「政治の力」で実現できたものでしょーかねー。私は思うんですがー、あの頃、誰が首相になってどういう政策をしていても、たいして変わらなかったんじゃないかなー。つまり、「政治なんて、別に大失敗さえしなければどうでもよかった」んじゃないか、とねー。 あの急激な成長を支えたのは、政治じゃなくて、日本中の人々の「精神」であり「感情」であったと思うんですよー。終戦で廃墟となった日本を、なんとかして立ち直らせるんだ、死ぬ気で働け!とゆー精神論で、日本は立ち直ったんじゃないかなー。もちろん、さまざまな技術力などが背景にあったのは確かですけどー、でもでもその技術も、実はそれを生み出した人たちの「精神的な力」による部分が実は大きかったんじゃないかなー。 あるいは、学生運動とかありましたねー。日本中が揺れましたー。あれ、一見すると政治活動に見えますけど、実は一人ひとりの「感情のはけ口」としての動きが大きな波になったとゆーことじゃないのかなー。つまり、あれは政治じゃなくて「感情の産物」じゃないか、とねー。 今の若者うんぬんとゆーのも、ねー。確かに今の若い世代は大変ですけどー、でもでもそんな中で成功を勝ち取っている人もいますねー。その違いは何かなー。同じよーに努力していても、最後のあと一歩のところで諦めてダメな人と、頑張り抜いて成功する人の違い、それはなんでしょーねー。 どんなものも、表層的には「論理的な考え」とか「政治力」とか「国際的ななんたらかんたら」とか「才能」とか「能力」とか、いろんなものの力で実現されるのですけどねー、実はそれらの力が発揮できるのは、「感情」の力じゃないのかなー。例えば、同じ才能、同じ能力、同じ環境の人間が2人いたとしても、一人はそれを発揮して大きなことができたけれど、もう一人はただ才能があるだけの無力な人で終わってしまう、とゆーことありますねー。その違いはなんでしょーか。それは、やっぱり「精神的な力」じゃないのかなー。 政治、大切です。今も中国とごちゃごちゃなってますねー。日本は弱腰ですねー。中国、強いですねー。それは、日本と中国の政治家の能力の差でしょーか。いえいえ、実は「精神力」の差じゃないかなー。中国の「たとえどんな悪影響が国際的に巻き起ころうがやるときゃやるぞ」とゆーケツをまくった強烈な態度に、軟弱な日本の政治家の腰が砕けたのかもー。その違いは、政治的外交的テクニックの差ではなく、実は両者の精神力の違いだったと思いませんかー? 表面的には、さまざまな能力や考えの差に見えるものも、実はそれを支えているのはその人の精神力であったりすること、ありませんかー。人間は、論理では動かないのです-。どんな人も、つまるところ感情で動いているのです-。 どのような考えであれ、ただ考えるだけ、机上の空論で終わりなのと、それを実行すること、その差はその人の「精神力」の違いかも知れない。そー思いませんかー? だとすると、この世のさまざまなことは、つまるところ「人の内面的な力」によって動いているといっていいんじゃないのかなー。 あ、私ゃ別に「精神力でなんでも解決できる」とかゆーわけじゃないですよー。政治、経済、さまざまなものは大切ですよー。ただ、どんなに立派な考えも、「ただ考えただけで終わり」じゃ、無意味ですよねー。それを実現できるかどうかは、その人の精神力の差かも知れない。とすると、世の中のさまざまなことは精神力に支えられているのかも知れない。ならば、合理性うんぬんだけでなく、そこに人間の内面的な力も交えて考えることは意味あることじゃないか、とゆーことでしたー。ではでは~。

noname#118709
質問者

お礼

おお。なるほど。やはりここが私のズレだったわけですね。 ありがとうございます。

その他の回答 (6)

noname#139942
noname#139942
回答No.7

社会問題や政治の話題というのは、実はすごく敷居が低いのだと思います。政策論として、あるいは学問として語ることができる一方で、特に知識が無い人でも、思ったこと感じたことをそのまま言うことが正当化される雰囲気があります。これは、恐らく一人一票の投票権に代表されるように政治を語る資格として国民は平等であるという考え方が背景にあるのだと思います。経済の話になるともう少し敷居が上がって、知識がないと発言しにくい雰囲気がある気がします。 こうした敷居の低さというのは、もちろん誰もが発言できて民主的であるという点ですばらしいのですが、一方で、知識がないことや、問題に対する意識が低いことを正当化しやすくしている恐れがあります。この質問はこういった問題意識に基づくのかなと思いました。 たとえばこのサイトでは、がっつりと政策論を語りたい人や感情論・印象論だけ言いたい人、その中間の人が混在しているので、いかにして話の方向性を自分の興味の範疇に持っていくかというのは質問者の力量次第ではないかと思います。 ちなみに、酒の席などで政治の話題になり感情論や印象論に流れていったようなときはコミュニケーションと割り切ってしまった方がいいでしょうね。要はTPOに応じてということで。

noname#118709
質問者

お礼

ありがとうございます。 なるほどハードルが下がったわけですか。身近になったというのは良いことですね。 私も知識が多いわけではないのですが、根拠は挙げます、挙げられないものはあくまでも私の感情です。 その根拠というものが私が「具体的な影響かデータだ」というモノの事なので、私に対して否定的な見方をすれば 「頭でっかちな人(私)が情報に凝り固まって口うるさい事を言っている」と言えるのかもしれません。 質問者次第というのもそうかもしれませんね。 具体的な影響についてお願いしますと言えば良いのかもしれません。 コミュニケーション・・もそうですね。 そういう場で根拠は何ですかと一々やることもありませんね。野球チームはドコが一番だよなあ位の意味でしょうね。

  • cucumber-y
  • ベストアンサー率17% (1847/10423)
回答No.5

それはネットで精神論について述べていたわけですね。 そこに合理性を求めるのは小学校の道徳の時間に「お父さんお母さんを大切にしましょう」と言っている教師に対し「少子高齢化社会で親を大切にして得るメリットを具体的に出せ」と言っているようなものではないでしょうか。 ネット内で見るべきURLを見失ったのではないですか。

noname#118709
質問者

お礼

ネット内でのお話であり、私はその方のそこでの発言は全て見ました。 つまり、人間生活は感情抜きで語れるものではないため、質問文の様な議論は当然だという事ですね。 分かりやすくしてくださりありがとうございます。

  • vansancan
  • ベストアンサー率23% (341/1422)
回答No.4

>精神的な観点についてこうあるべきだと社会を語る人いませんか?それはどうなんでしょう。 とてもいいことだと思います。 存分に語って欲しいです。 それに対しての違った見方、意見、反論等あれば、それをお互いが言い合えれば、 よりよい状況が生まれる可能性がある。 日本人ってディベートが苦手だとか言われる。 いろんな考え方、思想を持った人たちが意見を言い合い、受け入れあう。 それが下手だとか言われている。 それを、「若造だから。」とか、「年長者の意見は反論せずに聞け。」とか 考える人たちがいるから、質問者様のような意見が出るのだと思う。 因みに、私の意見ならば、 >「額に汗を流してお金を稼ぐという美徳意識が失われてきた。これは問題だ」 これは精神論とは思えません。どちらかと言えば道徳論。だと思います。 額に汗をかかずにお金を稼ごうとした投資家達が起こしたのが、あのリーマンショックだからだと思います。世界中が酷い目にあいましたし。 >若者達(私もですが)の努力観の調査(どの程度報われるかと考えているかというもの)について「駄目になったな」という感想を言ったとします。 これは精神論とかいうよりも、日本の現代社会の副産物だと思っています。 今の日本や社会、政治が努力をすれば報われるところを見せなくてはいけないと思います。 頑張っても報われない現実ばかりをみせられてしまっては。。 ですから、「駄目になったな。」ではなく、「駄目にしてしまったな。」だと思います。

noname#118709
質問者

お礼

ありがとうございます。 つまり私が口うるさい事を言わずに、皆で自由に語るべきだという事ですね。 道徳論と精神論が違う・・私はうっかりしていました。 そういえば先日海外の番組のドキュメンタリーを見ました。先進国の若者が貧しい国での食糧生産の現場で労働をする内容ですが、出ていた人がそれでものの見方が変わったというような内容を言っていました。 私は非感情的な部分ばかりを強調する面があるのかもしれませんが、そういう部分が無いと人間は誤るのかも知れません。 「駄目にしてしまったな。」という観点についても気づきませんでした。 そうであるなら実際に目に見える問題を語っていたのでしょうかね。

  • cucumber-y
  • ベストアンサー率17% (1847/10423)
回答No.3

正直な感想 なにかのきっかけで年長者から説教された若者が、その場で上手く言い返せなかった屁理屈を公開して「みんな、僕は間違ってないよね」と同意を求めているよう。 「」に至る経過が分からなければ、本当のところは分かりません。 誰かの発言の一部だけを切り取って「これは誤っている」と同意を求めようとする手法はマスコミが情報操作目的によく行いますが、それと近いものを感じました。 >これも考え方が逆で、若者の努力観がどうであるかより、若者が実際に何を目標にしてどのような努力をし、何を得ているかを語らなければならないのでは無いでしょうか。 100万人の『若者達』がいれば目標も努力も得たものも100万通りありますが、何年かけて論じるのでしょう。 合理的とは感じません。

noname#118709
質問者

お礼

ありがとうございます。 抽象的で分かりにくいのでもう少し具体的にお願いできますか? 一番の疑問は人間の精神性を語るのに善悪があるのか、社会的意味があるのかという事です。 政治や社会なら目に見える利益で語らないと意味が無いと思うのですが、cucumber-yさんは精神を語る発言にどのような意味があるとお考えですか。 >100万人の『若者達』がいれば目標も努力も得たものも100万通りありますが、何年かけて論じるのでしょう。 勿論数字という社会的に一番重視されるモノで語るでしょう。それはアンケートなどですが、 努力観のアンケートよりは十分役に立つと思いますがどうでしょう。 「」に至る経過については、後者に関してはなんとなく覚えています。 大学生が日本は努力が報われないと考えているというアンケートについての発言です。 社会的利益ではなく精神面について論じていました。これが私にとって奇妙に感じられます。 私は精神面については人それぞれとしか答えが出せません。 だからこうあるべきだという論は不思議に感じるのです。

noname#118709
質問者

補足

ネットでの出来事でしたが、切り取っているのではなく本当に精神面しか語られなかったのです。 国力、安全、健康問題、本人の人生、金銭問題、本当に書かれていませんでした。 実際には精神について語っていたのではなく私が分からなかっただけなのでしょうか。

回答No.2

私は、つい先日45歳に為りましたが、22~23年前、某大手の飲食系で働いていました。どうにも売り上げが出来ずに四苦八苦していたら、当時「地区長」との役職の人の台詞、今でも忘れません。『お前ら、気合がたんねぇんだよ!!気合が!!』です。気合で売り上げ上がるなら、【WSW】敗戦国にはなりません・・・。時の流れ移り変わりに、ついていけない(私も含め)役立たずです。『武士は喰わねど高楊枝』『苦労は買ってでも・・』『貧乏は美徳』・・・。人其々、皆、同じでは無いです。まして『無駄』は、有りません!!!その人は無駄と考え、思ってもそれに感化されなくていいんです。 【『コギトエルゴスム』】(すいません、スペルが解らないもので・・・。)

noname#118709
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • sak_sak
  • ベストアンサー率20% (112/548)
回答No.1

第3次産業に携わる人間の方が所得が多くなるような社会だったら 「額に汗を流してお金を稼ぐ」ことは馬鹿馬鹿しく思えるでしょう。 また教育によっても、人の考え方は変化すると思います。 したがって精神論と思えるようなことも長い目で見れば、 政治によってコントロール可能なのかもしれません。 ですから、政治と無関係と言えなくもないように思います。 しかし、一般的にそのような発言をするのは 私には、あまり深く物事を考えていない人のようにも見えます。 (私も精神論ばかりで方法論を語らない人間がきらいだからかも) 「国民をその精神構造にするためにどういう政治にしたら良いか」を その人に語らせるべきでしょう。

noname#118709
質問者

お礼

ありがとうございます。

関連するQ&A

  • 法社会学について

    1.あなたの身近に起きた法的「もめごと」を1,2件選び、その過程を法社会学の観点から記述、分析しなさい 2.現代日本における政治的、社会的対立であって、法的論点を含む事例を1つ選び、その原因、展開、結果を法社会学の観点から記述、分析しなさい という小論文の問題をしていたのですが、全然分からず質問しました。上記の問題の具体例などを教えて下さい。お願いします。

  • 1.若者が政治に携わらないのば社会に興味がないでは

    1.若者が政治に携わらないのば社会に興味がないではなく、昔は娯楽がなかったので政治に携わる事が多くの人がしていたに過ぎず、そして政治に携わればあわよくば異性にモテる事が出来たのてファションショ的な意味合いでやっていたに過ぎなかっただけでは? 2.皆さまは何故若者は政治に参加しないと思われますでしょうか? 社会カテゴリー皆さまの ご回答のほど、 お待ちしております。

  • 精神保健福祉士と社会福祉士、両方とったほうがよい?

     私は、昨年度大学を卒業した社会人です。  精神保健福祉士として働きたいと思い、来春から専門学校に行こうと考えています。そこで、現場に詳しい方にお尋ねしたいのですが、精神保健福祉士として働く場合、社会福祉士の資格もあった方がよいのでしょうか。この2つの業務は重なるところも多いようなので・・・。  就職という観点と、実際の仕事内容という観点で、それぞれどのように影響があるのか(もしくはないのか)を、お教えいただけないでしょうか。よろしくお願いします。

  • 人はどうやったら精神的にタフになれるんでしょうか?

    生きていくうえで失敗や努力が水の泡になることなど あると思います。 プライベートでのゴタゴタやリストラ、仕事がうまくいかないなど 悩み事は尽きないと思います。 皆さんはどのようにそのような困難に対処しているのでしょうか? 精神的にタフというのは上記のような問題に立ち向かって解決できる人間だと思うのです。 私は一応解決するためには~~する、と決めて努力はするのですが 結果が出るまでにくじけてしまったりお酒に逃げたりなど努力は継続するのですが、時々疲れて腐ってしまいます。 皆さんは仕事の上で腐ったり、自暴自棄になったりしないのでしょうか? しない人が精神的にタフな人だと思うのですが、 どうすれば精神的にタフになれるのでしょうか? やはり家族など心の支えになるものがある人が強いのでしょうか? 教えていただければと思います。 よろしくお願いします。

  • 社会福祉に関係する社会問題

    こんにちは社会起業家になれたらいいな的な者で、若者向け政治サイトを2年運営してます。 社会福祉に関係する社会問題にどのようなものがありますか? いま思い当たるのは虐待(子供、障害者、介護などなど)くらいです。

  • 地球環境問題と人文社会

    環境問題の解決方法に関して人文・社会や政治・経済の観点をよく考えて書いている本を教えてください 自分の学部では理系的な視点のカリキュラムなので人文社会政治経済の観点で環境問題を考えるってどういうことかな~て最近思い始めました またどういうキーワードでそういった本を探すと良いのかなどもしりたいです

  • スピリチュアルな観点でアドバイスください

    もしどなたかお読みになっていたら、 スピリチュアルな観点でお教えください。 好きな人と2年も話せません。 もう自分がその人を好きなのかも よく分からなくなってきていますが、 まだ大切な人ではあります。 毎日、とても辛くて、悲しくて、 なんとか問題を解決できないか、 努力していますが、前進しません。 早く彼を忘れてしまえばいいのに、 なぜかそれもできません。 周りには私の気持ちを理解し、 支えてくれる人たちがいて、 とても感謝しているのですが、 この問題そのものをなんとかしようとすると、 不思議となかなか協力者が現れません。私の、 彼への気持ちを応援してくれる人も少ないです。 別サイトで質問したところ、『失うことを怖れるな』 とのアドバイスもいただきました。 この質問にも自分が期待するような回答が 付かないかもしれません。 周りが言うように、彼とのことは、 無理しないほうがよいのでしょうか。 以前、偶然こちらで親切にもいただいた助言が、 神様からのメッセージのような気もしていますが、 未熟者の私は、まだ気持ちを切り替えることが できないでいます。

  • 今の社会は何が悪いのでしょうか?

    今の社会は何が悪いのでしょうか? 何をどうしたら皆さんの理想となる社会になるのでしょうか? 例えば皆さんが代議士なり閣僚なり、総理大臣になったとして、 どのように国を動かしていきますか? どのような法案を考えますか? お教えください。 以下に私の疑問点を述べます。 例えば社会が悪いのは、昨今の不景気が原因だとする人がいる。 景気が悪いのは政策が悪いからでしょうか? いや、個人の財布が固いから・・・とも言える。 そもそも近代国家の資本主義経済は正しかったのか? 今回の不景気はアメリカのサブプライムローン問題が発端となったと言う人もいます。 しかしこれも突き詰めれば、不安定な借金による金融創造が過度に行われていた (要するに債権バブル)ことが理由ではないでしょうか? するとそのような債権に投資していた金融機関が浅はかであったとう話であり、 金融機関が投資していた株式の価値も下がり、企業が打撃を受けた。 逆に見ればそういった金融機関を主な資金調達先にしていた企業が浅はかだった。 こう見ると、なんらおかしいところはありません。 もともと架空のお金で成り立っていた経済が是正されただけです。 それを思うと、今の日本の赤字国債の問題。 一説には1500兆円とも言われる解消されていない累積国債残高があるとする。 なるほど今の社会というのは、過去の借金によって保たれていたのだとすれば、 それも是正されてしかるべきとすれば、 税収40兆円の範囲内でどうにかこうにかやりくりすることが、 等身大の日本の実力なんじゃないですか? これをしたらおそらくかなりの失業者が出ると思いますが、 皆さんはそれを望んでいますよね? 格差が悪いという人が居る。格差の是正を突き詰めればそれは共産主義国家ですよね? 努力した人が努力しない人に対して、より高い報酬を得ることがなぜいけないのですか? 職業によって貧富の差があるとする。 しかし日本には職業選択の自由というのがありますよね? 大人の判断力があれば、どのような仕事が相対的に給与が多いとか少ないとか、 それらの仕事が要求する能力も分かっているはずです。 ならば、お金が欲しければお金が稼げる仕事につけばいいのではないですか? その仕事につくための努力をするもしないも、やはり自己責任ですよね? もちろん「やりがい」や「やりたい仕事」や「自分に向いてる」 というファクターはお金とは無関係ですし、それを選ぶも選ばないもまた自己責任ですよね。 こと日本にあってはその自由が保障されているのですから。 そもそも職業によって何故貧富の差が生まれるのでしょう? 儲かるということは、何かしがの商品なりサービスなり、 皆が必要とするものを大量に作って販売し利益を得た。 つまりそれだけ社会貢献したとも言える。社会貢献した人ほどお金が得られる。 良いことじゃないですか。 政治家が悪いとする人がいる。25歳以上から被選挙権が与えられていますよね? 二十歳から選挙権が与えられていますよね? 「悪くない」と思う政治家を選ぶなり、自分がそういった立場になれば良いのではないですか? ニートややる気のない若者が悪いとする。 そもそも私たちのご先祖様達は、裕福な日本を夢見て、 死に物狂いで頑張り、今日の日本を作り上げたのではないでしょうか? 今それが具現化して、一部の若者は遊んで暮らせるようになった。 これはご先祖様達が思い描いた理想の社会ではないのですか? なんと微笑ましい光景ではないでしょうか? 世界において勝ち組日本天晴れです。 財産があるうちは親や家族が放任しようと、それはその家庭内の問題ですし、 完璧に財産がなくなれば働かざるを得なくなるだけのこと。 そこで働かないor働けない人は餓死するのもまた、すべて自己責任ですよね? こうして一つ一つ考えて見ると、一般的に悪いとされているものも、 一概に悪くないんじゃないかとすら私は思えてしまうのです。 いったい何が問題なのでしょうか? 上記の問題だけでなく、いろいろな観点から皆様のお考えをお聞かせください。

  • 社会福祉士、精神保健福祉士の通信勉強は?

    社会福祉士と精神保健福祉士の両方もしくはどちらかの資格を取るために専門学校の通信をやろうと考えていますが、実際のところ、どれだけ忙しいのでしょうか。  実際に経験された方の感想を知りたいです。  よろしくお願いします。 

  • 合気道で精神力を鍛えることができるでしょうか?

    当方20代半ばの社会人です。昔から精神的に弱く、ちょっとしたことで凹み、落ち込んだり、短期だったりとストレスが溜まりやすく本当にダメだなと思うことがあります。 そこで武道だったら心身共に鍛えることができるのではないかという考えに至りました。そこで自分がやりたいと感じたのが合気道でした。ちなみに武道などの経験はありませんが合気道の「人を生かし、自分も生きる」という考えに感動しました。 先日合気会の道場の見学に行ってきました。 礼に始まり礼に終わる。本当に礼儀正しい武道だと感じました。その時の先生は五段や六段の先生もいて、流石にこの人達は凄いなと感じました。 あとは終始「型」の練習をやっていましたが、この型をひたすら繰り返して強くなれるかは別ですが、これを続けて精神を鍛えることができるのかな?と感じました。 相手に合わせるというのが合気道の考えだと思うのですが、この稽古を繰り返して心身共に鍛えることができるのかなと思います。 多分、有段者の方はどんな競技でもそうですが稽古外でも努力しているんですよね。 私も実際見ただけで体験をしたわけではないので、偉そうなことは言えませんがこれが私の見た感想です。 実際に合気道をやっている方の意見、やっていた方の意見などもお聞きできればと思います。 よろしくお願いします。