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日本語はいつから話していたのか

古代の日本で日本語はいつから話されていたのでしょうか。縄文人は日本語を話していたのか、別の言語、たとえばアイヌ語を話していたのでしょうか。 弥生人は渡来人という説がありますが、そうするとこの人たちは何語を話していたのでしょうか。卑弥呼は? 実はバルセロナの大学生たちに日本語の歴史について話すことになったのですが、ここのところがどうも分からなくて。

  • bcn
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回答No.6

日本語は紀元前からありました。 漢字が紀元前から表意文字としてあるのと同じです。 卑弥呼以前の中国の史書を読めば謎は解決すると思います。 日本にも記紀があり実は紀元前から文字を有していたことは明らかなのですが 様々な事情により現代ではそれらの記紀を否定する人が多いですね。

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回答No.5

日本語の歴史について語るには、日本列島の先住民であった縄文人が渡来系(朝鮮半島から来た人々、弥生人)によって北に追いやられ弥生人が話していた(古韓国語)と先行民族の言葉がミックスし日本語のルーツになったといえそうですバルセロナでも以下のことを脳裏にメモリーすれば納得されると想います。 イタリア人のコロンブスが1492年にスペイン女王の庇護で、アメリカ大陸を発見(実際、フロリダ半島の南の島)が、西洋人の見解で、アメリカ先住民と同じ遺伝子をもつ我々モンゴロイド系からすればコーカソイド系が後から南北アメリカに現れた歴史だと分子生物学の遺伝子研究を考古学に応用した結果で認識されています。日本列島で紀元前に1万年以上もの文化を維持してきた先行民族の縄文人が渡来系の弥生人に滅ぼされていく歴史も、南北アメリカの先行民族がコーカソイドによって滅ぼされていく歴史と似ていると想えば分かりやすいです。当然、血のミックスも言葉のミックスも必然的です。 後から日本列島に来た弥生人(渡来人)は朝鮮半島に居られない人々、あるいは追いやられた人々(百済・新羅・高句麗の前の朝鮮半島)と理解すべきで、朝鮮半島で話していた言葉からの脱却が新しい土地、略奪した日本でのアイデンティティの確立にどうしても必要だったはずです。紀元前1,2世紀ころからひんぱんに朝鮮半島から逃れてきた人々と紀元後3世紀ころの弥生時代を経て縄文人(蝦夷:えみし、アイヌも蝦夷)を9世紀初頭ころまでに北へ追いやり日本列島を占領した歴史の中で5,6世紀ころ中国から漢字を輸入(漢字編纂)し大同小異今に連なるという歴史になります。 われわれ現日本人は、渡来系弥生人の末裔か、蝦夷(えみし)の英雄アテルイ(阿弖流為)に代表される縄文人と渡来系弥生人とのミックスか、いずれいせよ、『テルマエ・ロマエ』で言う”同じ平たい顔の民族”には変わりませんけど、話されていた言葉はだいぶ違うようです。 (矛盾的自己同一、西田幾多郎哲学者が歴史哲学に進んだ時に表した言葉の新解釈です) 先行民族の日本人は4方向から日本列島にやって来たことが分かってきています。 大雑把に、九州に侵入した朝鮮半島系、沖縄などの南系、紀伊半島に上陸した南方系、北海道に着いた北方系、です。 南方系と北方系に大きく分かれていることが分子生物学で明かされています。 歯の形状から見るとマンモスをシベリアまで追って氷河期に生き延びるためにドングリ(イベリコ豚を彷彿させます)を食べて南下した歯の裏側がシャベル状のシノドント(日本人70%)の北方系と、歯が臼状のスンダドント系(20~30%)が縄文人、アイヌに多いと言われながら南方系に分かれているそうです。蝦夷が南方系だったことが分かります。追いやられて東北以北民族みたいに言われるようになってしまいました。北方系だった渡来系弥生人が領土拡大のため南から徐々に北上した結果、”ねじれ”てしまったのです。当然、血のミックスと言葉のミックスがあったはずです。(日本人として複雑な思いです。ですので矛盾的自己同一です) 先行民族の日本人のルーツが北方系と南方系でありながら”ねじれ”て定住した結果、縄文人と弥生人の血と言葉のミックスが進み日本が醸し出されたと想います。ミックスがキーワードです。スペインは15世紀のレコンキスタ(キリスト教徒から見た領土奪還)までイスラムの支配下でした、アルハンブラ宮殿などイスラム文化の影響を今も残している国です。バルセロナ近辺では独立運動が今浮上してもいます。イスラムの統治が圧制だったとは想えませんけど、後のスペイン人が南北アメリカで奴隷制度と支配と略奪を繰り返えした歴史と朝鮮半島から渡来し日本列島で縄文人を迫害した歴史、似ていると想えませんか。地球上のどの地域でも植民地化や領土略奪の歴史が血も言葉も多様化させていく、せざるをえない歴史を受け止めることができれば、日本語も同じようにミックスから成り立っていると納得がいくのではないでしょうか。

回答No.4

まず、漢字というぐらいで、「漢」代に伝わり、漢字の読み方に 呉音や漢音、宋音、唐音といったように、中国の各時代の発音が 伝わって、地層のように残っている。 それは、中国への留学や、中国からの渡来人によって伝えられた もので、朝鮮半島の影響と言えるような独自のものは朝鮮半島 にはなかった。 そうした中国からの影響を受け入れた土台が、大和言葉であり、 漢字の訓読みに見られるような、中国語とは全く異なる言語である。 日本各地にアイヌ語由来の地名が残っているように、それはアイヌ語 ではなく日本の古代語であり、たまたまアイヌ族に残っているために アイヌ語と呼ばれているのである。 アイヌ語は大和言葉の方言だと言え、一方でポリネシア語の影響が 見られます。 特に、後に強い影響を持つ大陸の中国語にないボキャブラリーは、 たとえば火山の名称に「浅間(アサマ)」や「アズマ」「アソ」といった 似た音が多く、ポリネシア語で「アス」は灰、「マイ」は“~になる” という接尾辞であり(「来る」といったような動詞はなく、「アフィオ(存在)」 +「マイ」で「在るようになる=来る」を意味する)、「アスマイ」は、灰を 噴出す意味になります(実際、火山といっても「火」はメインじゃない)。 また、ポリネシアの政治体制は、各家庭の家長が集落で集まって 合議し、その代表が地域で集まって合議し、その代表が島全体で 集まって合議し、各島の首長が集まって合議する、という中央なき 合議制によっています。 その代表の事、あるいはその制度自体を「マタイ」と呼びます。 この中央なき政治体制は、古代日本も同じだったようで、中国からの 使者が「中央政府に伺いたい」と言った時に、中央はないという意味 で「全体がマタイ制度だ」と言おうとして、ポリネシア語の強意の 接頭辞「ア」を付して「ア'マタイだ」と言ったのが、「邪馬台(ヤマタイ)」 として記録されたと考えられる。 その証拠に、女王「卑弥呼」は「ヒムカ=日向」であり、東に面した 日向地方の国であり、その没後再び立った女王「イヨ=伊予」と共に、 古くは貴人の名を直接呼ぶ事は不敬であり、地名で呼ぶのが普通 であった事によるものです。 「邪馬台国」への道程とされる長大な記述は、実はそうした国家群が 形成する合議制(幹事持ち回り)の連邦国家の領域の記述だったと 考えるのが自然です。 であれば、属国に卑しい文字を当てる中国が、音に従い「邪馬台」と 表記したのに対して、日本側は意味を表して「ア(大)マタイ(和=合議)」 と表記したのもうなづける(読みは「大和=ヤマト」に変化したが)。

  • Alias
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回答No.3

ametsuchiさんのおっしゃっている内容は,ほぼ間違っていないと思いますので,できるだけそれと重複しない範囲で書きます。 バルセロナの大学生たちということならスペイン語(またはカタロニア語)を話すのだと思いますが,まず「バルセロナではいつからスペイン語を話しているのか」ということを考えてみてください。元々ラテン語だったものが,「いつの間にか」スペイン語やカタロニア語やフランス語・イタリア語などになっていたわけで,明確に「いついつからスペイン語になった」とは言えません。日本語でも同様で,「いつから日本語が話されているか」というのは,少なくとも「日本語」の定義をはっきりさせない限り答えようのない質問です。 弥生文化の到来とともに日本語が大きな影響を受けたのは事実でしょうが,住民がごっそり入れ替わるようなことはなかったようですから,縄文語と現在の日本語が,アイヌ語と現在の日本語ほどには隔たっていないのは確かでしょう(ノルマンコンクエストの結果あれほどフランス語を借用したアングロサクソン人も,基本的には「英語」を話し続けました)。また,語彙的な面に注目すれば,平安期以降に大量の漢語が日本語に取り入れられたことは,ひょっとしたら弥生文化が縄文語を変えた以上に大きく日本語を変貌させたかもしれません。さらに,敬語の体系を含め文法的な側面がやっと現代日本語と直接に本格的につながってくるなと初めて感じられるのは,中世後期,狂言などの日本語を目にしたときです。 こうして見てくると,「日本語はいつから話されていたか」を問うことは「日本語とは何か」を問うこととほとんど同じだと思えてきます。 ロマンス語を話す人たちにとっては,ごく大ざっぱにいって,ラテン語という単一の言語が四方に枝分かれした,その枝の1つが自分たちの言語だという認識(さらにはヨーロッパ語全体がいわばインドヨーロッパ祖語の枝分かれだという認識)があるのではないかと思いますが,それとは逆に,日本語の場合は,1万年前からこの島々に住んでいた縄文人の言語がまずあり,そこに弥生語や漢語や西洋語などが外から影響を与えた結果,現在のような日本語ができあがった,ということを大まかな見通しとして述べるのが,話としてわかりやすいのではないでしょうか? ちょっと具体性に欠ける話になりましたが,日本語の起源・成立について現段階で安心して言えるのは,だいたいこれが精一杯だと思います。「縄文語」「弥生語」の正体については議論百出の状態ですから(これからも結論は出ないでしょう)。

bcn
質問者

お礼

そっそくのご回答ありがとうございました。やっぱり弥生人は渡来人なのでしょうね。バルセロナで翻訳通訳を専攻している学生たちの日本語の授業を1回つぶして日本語の話をすることになっています。彼らは主専攻がスペイン語かカタルーニャ語、副専攻が英語、フランス語、ドイツ語ほか大学に入るまでに一定のレベルに到達している言語、日本語は大学に入ってから初めて習う第二外国語です。日ごろ彼らに日本語を教えている友人は時々学生に「日本語にはprincipleがないのか。」と責められるそうです。また、漢字学習を嫌がる学生もいて苦労しているようです。そこで、日本語の歴史を持ち出して日本語の中にはいろいろな文化が交じり合っていること、たとえ日本語を話したいだけだとしても漢字の学習は日本語という言語を知るために必要なことなどを分かってもらいたいと考えています。話は出来たら少し日本語で、無理そうだったらスペイン語でしようと思っています。比較としてスペイン語の歴史なども読み始め、はまっています。

回答No.2

 日本列島の周辺から,1.マラヨ-ポリネシア系がもとになっいてるかも.   グァム--チャモロ,台湾--原住民の言語タイヤル語など   フィリッピン--タガログ、ミンダナオ語 アイヌ語(私見ですが-Ku-アイヌ語  マレ-系とも私の意、 いずれも接着語が多い)     台湾やグァムなどにましてハワイやマダガスカルまでいく海洋民族のマラヨ-ポリネシア人達が大きな日本列島を見落として通りすごすことは考えられますでしょうか.  2.朝鮮半島--百済語--高句麗に追い出されて日本にきたのですから,韓国朝鮮語とは違ったと思っています.理由--百済,新羅を韓国語では「くだら」「しらぎ」とは読まない.これは不思議です.  3.モンゴル系‐-沿海洲から日本海を経て‐‐ 母音調和.8母音  4.中国大陸からの民族  5.なぜ日本語は他の国よりも狭い区域なのに方言が多いのか--1.から4の融合された証拠と思っています. 「マラヨ‐ポリネシア系は母音4から6」韓国朝鮮語は  いまも日本語より母音多く,喪失していないのに,もし日本語が朝鮮韓国語系であればは平安時代に喪失しているはずはない.もとがマラヨ‐ポリネシア系であるがために区別できなくなりやすかった. もとはマラヨ‐ポリネシア系だと思っています.これは素人の私見です. 

bcn
質問者

お礼

さっそくのご回答ありがとうございました。私の持っている本の中にはマラヨ-ポリネシア系という説は見当たらなかったので新鮮なご意見です。この次日本へ帰ったらまた本屋で日本語についての本をいろいろ買い込もうと思っています。

  • ametsuchi
  • ベストアンサー率31% (81/257)
回答No.1

全くのシロートです。 ・定説はないようです。 ・音韻規則などで日本語との親戚関係がキチンと証明されているのは琉球語だけのようです。 ・朝鮮語やアイヌ語、そして、一時騒がれた、タミル語など、文法的に共通の特徴を持つ言葉は、中国を取り囲むように広く分布しているようです。 ・朝鮮語からの借用語がかなりあるようですが、だからといって朝鮮語で万葉集を解読したなどというのはデタラメです。 ・弥生人の言葉が殆どそのまま日本語に繋がったか、或いは、縄文人の言葉がかなり残ったかは、はっきりしないようです。しかし、弥生人の男性が少数で縄文人を征服し、縄文人の女を妻とした場合は、女(=母)の言葉が子孫に受け継がれる可能性が高いようです。そうでなく、女連れで、日本列島に弥生人が移民に来たとしたら、弥生人の言葉がそのまま残るでしょう。 ・様々な研究から北海道(アイヌ)、東北北部と沖縄、九州南部には、縄文系の血がかなり濃く残っているようです。しかしアイヌ語と日本語との関係は上述のように、音韻規則による厳密な親戚関係が証明されておらず、琉球語(あるいは、琉球方言)には明確な親戚関係がある。これも謎です。

bcn
質問者

お礼

さっそくのお返事ありがとうございました。2年前に帰国したとき日本語関係の本をまとめ買いして、大野晋の本も新書版で3冊持っていることはいるのですが、大野氏の説だけを元にするのもと思って質問をしてみたのです。相変わらず定説がないことを確認できて助かりました。

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