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作文の添削をお願いします。

作文の添削をお願いします。 題「ルールを守るということ」 文章を考えたんですが、制限文字数よりだいぶオーバーしてるので、3分の2程度に短くまとめなければいけません。 そこで、間違ってる表現や短く省略できる文、または構成を変更した方が短くなる場合。 その部分を引用して、訂正・添削をお願いします! ルールのない世界を想像してみると、車は左側を走るのか、右側を走るのか、誰でも勝手に他人の家に入れるのか 「お前のものは俺のもの」というようなことも許されるのか。これは無秩序です。それを防止するために、ルールは存在します。社会に居る以上、そこにはルールが存在しなければなりません。互いの一方に対する欲をある程度制限して誰もが好き放題にすることによる社会の崩壊を防ぐことが、その目的だと思います。ルールというのは、当然、守ることを強いられます。でも、中には、そのルールを守りたがらない人は必ず居ます。例えば、車に乗ると「制限速度○○キロ」の標識が至る所にあります。しかしそれを守る人はほとんどいません。それに実際そのスピードで走ったら後ろの人がイライラすること間違いないと思います。それは「ルールなんて守らなくてもよい」につながる危険な認識です。ルールを破った者に対しては、罰を強いることで制裁を加え反省させるという手段が一番多いと思います。ルール違反は、誰もが納得できる形で、罰せられなければなりません。しかし、何らかの罰がなければルール違反をした者の更正を促すことができません。どんなルールでも自分で必要かどうかを判断して必要のないルールだったら守らなくてもいいというのは正しいように見えますが、これは自分の判断が常に正しい場合にしか正しくありません。そして、「自分の判断は絶対に正しい」なんて思い込んでいる人の判断なんて正しい訳がありません。結局、ルールというのは各自が個人の判断で守ったり破ったりしていいものでは無いはずです。自分だけで済めばいいが、人にまで迷惑が掛かることがあるからです。そして、「どんな状況でも絶対に守れ」と人の行動を制限するからにはそれ相応の理由が必要だし、理由が納得できないルールはあるべきではないと考えています。いろんな規則は、道路の制限速度と同じように、「少なくともこれだけは絶対に守らなければならない」という基準ではなく、「これだけ守っていれば問題は起きない」という基準でルールを作っています。これは、何か問題を起こした時に「ルールになかったからやった」「ちゃんと事前に禁止してあればやらなかったのに」と言い訳するからです。ルールになければ何でもやっていいと思っているからルールというのがやたら増えてしまったような気がします。すべてのルールについて「無条件で守らなければいけないものかどうか」をよく吟味して、そのルールはどんな場合にも無条件で守らなくてはなりません。最低限のルールも守れない人は高校生にもなれないと思うので、少なくとも高校生の自分として、これからは独断ではなく、よく考えた上で生活する必要があると思いました。

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noname#123390
noname#123390
回答No.1

ひとつの添削例です。 ルールのない世界は、車は左側を走るのか、右側を走るのか分からず事故が頻発し、誰でも勝手に他人の家に入れるし、 「お前のものは俺のもの」というようなことも許されます。社会に居る以上、互いの一方に対する欲をある程度制限して誰もが好き放題にすることによる社会の崩壊を防ぐ、ルールはその目的のためにあるだと思います。 ルールを作った以上、当然、守ることを強いられます。ルールを破った者に対しては、罰を強いることで制裁を加え反省させるという手段が一番多いと思います。ルール違反は誰もが納得できる形で罰せられなければなりません。どんなルールでも自分で必要かどうかを判断して必要のないルールだったら守らなくてもいいというのは正しいように見えますが、これは自分の判断が常に正しい場合ですが、「自分の判断は絶対に正しい」なんて思い込んでいる人の判断なんて正しい訳がありません。 結局、ルールというのは各自が個人の判断で守ったり破ったりしていいものでは無いはずです。自分だけで済めばいいが、人にまで迷惑が掛かることがあるからです。そして、「どんな状況でも絶対に守れ」と人の行動を制限するからにはそれ相応の理由が必要だし、理由が納得できないルールはあるべきではないと思います。 いろんな規則は、「少なくともこれだけは絶対に守らなければならない」という基準ではなく、「これだけ守っていれば問題は起きない」という基準でルールを作っています。ルールになければ何でもやっていいと思っているからルールというのがやたら増えてしまったような気がします。 最低限のルールも守れない人は高校生にもなれないと思うので、少なくとも高校生の自分として、これからは独断ではなく、よく考えた上で生活する必要があると思いました。 ご参考まで。

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  • 作文の添削をお願い致します。

    謹慎生活を送っていますが、本日は今日家庭訪問に来た先生が話した事についての作文を書きます。 もう少し説得力のある文章を書きたいのですが、思い浮かばないので、これぐらいで妥協したいと思います。 付け足した方が良い文章・誤った表現などありましたら、加筆・訂正などを宜しくお願い致します。 ================== 自分に足りない物は、守らなくても良い理由を先に考えてしまう事でした。守れない、あるいは守らないルールとして気がつくのは、規則があれば必ず「これぐらい良いだろう」という気持ちが生まれてきてしまう問題点があります。ただし制限速度もそうですが、初めにどうして守る必要があるのかと言う事を考えなくてはなりません。そのような大事な一点を押えて考える事が出来なければ、あらゆる物事についての筋が通らないように思えました。今回の安定剤一粒というのは先生が言ったように世の中全体から言えば、たかが一粒だと思いました。しかし、何のためにそれは、物事に対する許容範囲を甘く見過ぎている為に気持ちや行動として表れている証拠だったと思います。今回に限って、たまたまこのような問題を起こしてしまいましたが、薬だけではなく、日頃の生活や、自分の考えなどに対する様々な物事の全般に関わる話だと思いました。  もっとも今回で2回目になる、こういう生活は、何かが足りなかったためにこうなってしまったのだと思いました。「これぐらい良いだろう」という気持ちから様々な思いを誘発してしまったがために、歯止めを掛ける事ができませんでした。今回学ぶ機会が無く、それに気付く事が出来なかったら、いつかまた別の事を繰り返してしまうと思いました。自分自身の常識と周りの常識や価値観の違い、かみ合わない部分は、このような考えの差があったのだと思いました。だからこそ、またいつか何かの物事に対する自分の考えにおいて、「これぐらいいいだろう」という気持ちが出てきてしまったら、それがまさに危険信号になってしまうという事を自ら理解しなければならないと感じました。