解決済みの質問
才能のこと、才能とは?
22歳の学生です。僕は子供のころから特に目立つことなく、何かに秀でているということはなく、むしろ勉強もスポーツもできませんでした。特にスポーツに関しては平均以下で、恐らく恥ずかしさもあったのかもしれませんが体育の授業は憂鬱でした。かといって体を動かすこと自体は好きだったので外で遊ぶのは苦ではありませんでした。
なので今でもそうですが運動ができる人とかを見るとものすごく羨ましくなり、つくづく自分は何の才能もないなあとひがんでしまうのです。
趣味でマジシャンをしていますが、ずっと10年以上も続けている理由の一つに「すごいと思われたい」「才能があると思われたい」という気持ちがあります。運動も勉強もできないので、なにか自慢できるものが欲しい!と思ったのです。それまでも小説を書いてみたりイラストの模写をしていました。イラストに関してはうまい友達のことが羨ましくなり毎日練習しているうちに「才能があるんだなあ」と言われるようになり得意分野になりました。英文科の大学ですが担任に「相変わらず英作文上手いね」と言われたり、ネイティブの先生にも「発音が上手いし文法も特に問題ない」と言われます。父親には「お前は英語の才能があるんだなあ」とか、国語教諭の母には「あんたは文力がある」と言われます。もちろんいろんな才能がある人はごまんといますが、果たして自分の才能とはなんなのか?そもそも才能があったのか?と分からないのです。
マジックに関しても「技術があるほうだ」と言われますが上手い人なんていくらでもいます。好きなカラオケに関しても僕より上手い人なんてたくさんいます。果たしてまわりから上手いと言われることはそれは才能なのか?才能って誰しも持っているものなのか?才能とは後天的なものと先天的なものがあるのか?を知りたいのです。また、努力によって才能は生まれる、もしくは潜在的な才能が引き出されてくることはあるのでしょうか?
自分には才能がない・・・と自信が持てません・・・。
投稿日時 - 2010-05-07 15:25:27
1)果たしてまわりから上手いと言われることはそれは才能なのか?
→才能である場合も、そうでない場合もあります。言い換えれば「偏差値」でしょうか。
なぜなら、それは「まわり」のレベルによるから。
全国平均と比べて英語ができるといわれるのと、上智やICUの学生の中で英語ができるといわれるのでは大きな違いがあります。
「まわり」のレベルが相当高い環境の中で褒められるなら、それは才能と言ってもいいかもしれません。
2)才能って誰しも持っているものなのか?
→才能の大きさ(優れている度合い)やジャンルは色々あるでしょうが、ほとんどの人はなにかしら持っているものと思います。
3)才能とは後天的なものと先天的なものがあるのか?
→遺伝によるものもあるでしょうし、幼いときの環境も大きいですし、個人の努力によるものもあると思います。
4)また、努力によって才能は生まれる、もしくは潜在的な才能が引き出されてくることはあるのでしょうか?
→3に述べたように、物心つく前の環境や育てられ方、偶然+個人の努力などによって能力が大きく成長することは大いにあると思います。「生まれつき」よりもこちらのほうがメジャーなのではないかと個人的には思います。
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質問者さまは「才能」という言葉を使っていますが、文面を拝見するに、才能の有無ではなく、【他者からの評価によって自分の価値を感じたい】という欲求が強いように見受けられます。
自分の才能に満足を得られるかは、ほんとうは結局のところ自己評価です。どれだけ大きな才能を持っていて、世界から賞賛されていても、自分ではまだ納得いかないという人もいるでしょう。逆に、人並みよりちょっとだけ秀でてさえいれば安心と満足を得られる人もいます。
質問者さまの問題は、ご自身の「才能」の有無を、他者からの評価・他者との比較によって判断しようとしているところにあると思います。他者が変われば評価も変わる。だから自己が安定しない。
なお、自分(および自分の才能)への自信は、まだ足りない、もっと高みを目指したいという渇望と同居するものなので、仮に自己の才能を肯定できたとしても、それによって自信満々になって心が安定できるわけでは必ずしもないと思います。
投稿日時 - 2010-05-07 16:11:10
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ベストアンサー以外の回答(5件中 1~5件目)
貴方の仰っていることは才能を発現するためのツールについてですね。
それに学生さんのようなので、才能があるどうこうというのは早いですね。30代、40代に貴方が成したことが、「才能」です。
英作文が上手いとか、文力があるとか言われるとのことですが、他の人よりもできるのでしょう。要はそんな能力を使って何を成すかが、「才能」だと思います。
学生だと、少しできれば褒められます。その能力を活かして社会で何ができるかが大切です。褒め言葉を真に受けていては今後伸び悩みますよ。
才能の有る無しを心配するのはまだ早いです。
貴方の歳で才能があって、既に開花してれば、その分野で既に有名になってます。多くの人は苦労しながら中年に開花します。
それに才能なんて無くたって、幸せな人生を送る上で何の心配も無いですよ。
投稿日時 - 2010-05-07 22:49:54
私の定義ですが、「飽きず、極めたいという欲求が生まれるもの」が、その人の才能あるものだと思います。
英語に才能の有無というものがあるということになると、英国人はみな才能に恵まれていることになってしまうでしょう。
上手いというのは、必ずしも才能があることと一致しません。
質問者さんは素質があるものはいくつかあるようですが、才能あるものとはまだめぐり合っていないようですね。
なにか、やらずにはいられないもの。そして、ひたすらに極めたいと思うもの。それに触れ続けている(≒努力)によって一定以上の技量を示すようになった人。
それが客観的に見た時の才能ある人だと思います。
つまりのところ、とことん好きでたまらんものが、あなたが才能を有するものです。
持ち前の素質から、人より秀でられるものを探すのが悪いことだとはいいませんが、その行為の繰り返しでは、いつまでたっても「自分には才能があるのだろうか」という疑問から抜け出せないと思いますよ。
投稿日時 - 2010-05-07 17:40:15
科学的に才能という言葉には厳密な決まりはありません。
平均より高い能力を発揮すれば才能があると言われるだけで、非常に曖昧な言葉です。
あと、相対的なものでもあります。
あなたより劣った人間からすればあなたは才能がある人間ということになるし、あなたより優れた人間からすればあなたは才能がない人間ということになります。
生まれつき、とか、環境で、とかは後付けでしかないですね。
なにか結果だせば才能があると認めてもらえます。
それだけの話であり、自分に自信がもてるかどうはとは全くの別問題ですね。
ちなみに、才能に関する過去の人の名言
エジソン「天才とは1%の閃きと99%の努力(汗)である」
一見努力の大切さを言っているようですが、実際のところは努力は誰でもできるが1%の閃きを引きだす才能がなければ発明はできない(私は天才だ)、という意味で言っていたようです。
藤子・F・不二雄(ドラえもんの作者)
「努力は人を裏切るが才能は人を裏切らない」
この人は売れるマンガを描くためにものすごい試行錯誤をしてきたようですが、どれだけ悩みぬいて描いたマンガでも売れないときは売れないし、その場の閃きで適当に描いたマンガが大ヒットしたり、ということを繰り返していたとか。
ちなみに私は手先が不器用で絵はまったく描けません。手品なんて、服のボタンをはめるのにも苦労する自分には異世界の話としか思えません。カラオケ?音痴ですが何か?英語も文才もまるでだめです。
スポーツなんて、体育測定の結果は常に2学年下の平均なみでした。家族から完全に馬鹿にされて育ちました。
そんな私から見たらあなたは才能の塊としか思えないですよ。
投稿日時 - 2010-05-07 17:16:27
能力は才能と努力と環境次第です。
そして能力もプロ級から趣味級まで様々です。
プロ級の能力が「スゴイ」のは言うまでもないですが、趣味級も(プロ並みの人もいるでしょうけど)「スゴイ」と言える場合もあります。
つまり…
自分の能力、才能なんてのは、低く見積もろうと思えば、どんだけでも低く見積もれます。
なんか周囲の評価に比べて、質問者さまがご自身をシビア(というより過小)評価しておられるようですが、適度に真に受けて調子に乗ることも必要です。
そして才能なんてのは、能力、才能と努力の割合を正しく評価しないと導き出せないものです。
あまり気にするようなもんでもありません。
投稿日時 - 2010-05-07 15:46:28
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