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死と生について。(本日中に閉め切りたいと思います)

死と生について。(本日中に閉め切りたいと思います) テーマが少し重いです。 あなたが死、または生を感じるのはどんな時ですか? ※人が生きるために、牛、ヤギなどを解体する。 そんな光景を見た時、私は感じます……。

質問者が選んだベストアンサー

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  • IXTYS
  • ベストアンサー率30% (965/3197)
回答No.2

こんにちは。 今日しかないなんて、、。  父は今から15年前の8月16日に亡くなりました。 その一日前に病床で洗礼を受けました。 その翌日に旅立って行ったのです。  『ご苦労さまでした。』  亡くなる時、病室で家族みんなで父の身体に触れました。 すっと熱がなくなっていく。 そうして、静かに旅立って行ったのです。 まるで映画のワンシーンみたいでした。  生も死も私達の思いを遥かに超えた大きなもの。 誰にも親は選べない。 こんな私のところに来て下さってありがとう。 始めてわが子を抱いた時の率直な感想です。  私も旅立つときはみんなに手を振って別れたい。 『天国で待ってるよ~』と言いながら、、。 

8888sakura
質問者

お礼

回答をありがとうございます。 >すっと熱がなくなっていく。 確かに『生』が『死』へと転じた結果ですね。 私の父が亡くなった時、触れた温もりに死が実感できず、 自宅へ連れ帰ったときのあの冷たさに恐怖しました。 ありがとうございました。

その他の回答 (4)

回答No.5

死を感じる時・・・ 意識が落ちていく時です。「なんか…もう――」で終わり; その時はもう意識がないです。隣でなんか言ってるけど よく聞き取れない。視界がぼやける。暗転。といった感じ; (病気で経験したことがあります。不思議な感じでした…) 生を感じる時・・・ う~ん…。そうですね…。ライブで観客が《ワー!》ってなってる時と、 彼氏にギューってされた時とか、でしょうかね; ノロケですいません; でも一番実感できます・・。人のためにしか生きれないので。 以上、高校二年生女子でした(^^;)

8888sakura
質問者

お礼

回答をありがとうございます。 >彼氏にギューってされた時とか、でしょうかね 重いテーマにもかかわらず、 若い方の考えを知る事が出来て、嬉しいです。 ありがとうございました。

  • yuki-fuyu
  • ベストアンサー率28% (23/80)
回答No.4

哲学や宗教のような話になってしまうかもしれませんが、 産まれた時から、死ぬために生きているようなものです。 健康な時に何も感じないように「生」を感じる事はあまりありません。 しかし「死」を感じることは若い頃はありませんでした。 やはり病気や怪我で入院や手術などをすると「死」を意識し、 それと同時に「生」を意識する事が出来るようになりました。 牛やヤギ以外にも、植物だって「生」=「命」がある。 それを感じたり意識できたという事は、1つの転機なのかもしれませんね。 何が、あなたにあったのかは判りません。 しかし、たまにはこういった事を考えるのもいいのかもしれません。

8888sakura
質問者

お礼

回答をありがとうございます。 >「死」を意識し、それと同時に「生」を意識する事が 出来るようになりました。 私もそう思います。 >何が、あなたにあったのかは判りません。 すみません。 特に何かあったというわけではありません。 ありがとうございました。

  • Oruko000
  • ベストアンサー率31% (336/1081)
回答No.3

死を感じる時 眠りにつく前のまどろみの瞬間。 生を感じる時 目が覚め、朝日を感じた瞬間。

8888sakura
質問者

お礼

回答をありがとうございます。 >死を感じる時 眠りにつく前のまどろみの瞬間。 こんな死の迎え方ができれば、恐怖心は薄れるでしょうね。 ありがとうございました。

  • toshipee
  • ベストアンサー率10% (725/7148)
回答No.1

 病院などで、人がもうすぐ死ぬとき、必ず一瞬元気になるんですよね。意識がなくても、一瞬数値が上がるんです。「持ち直したのか?まさか」と思わせて死にはります。その時に「一瞬でも話せたら」と本人も思うんだろな、と生と死の分かれ目を感じました。

8888sakura
質問者

お礼

早々の回答をありがとうございます。 >その時に「一瞬でも話せたら」と本人も思うんだろな、 と生と死の分かれ目を感じました。 これは悲しいですね。 亡くなった方も、それを看取った方も……。 長い人生においてもこのような光景は、何度も立ち会えるものではありません。 ひょっとして、医療機関にお勤めの方でしょうか? ありがとうございました。

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