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回答(9件中 1~5件目)
8です。
間違いがありましたので訂正します。
×東軍は豊臣家に対する反逆とみなされる上杉討伐軍のなかから、
東軍の留守を狙い
○東軍は豊臣家に対する反逆とみなされる上杉討伐軍のなかから、
討伐軍の留守を狙い
投稿日時 - 2010-01-25 10:25:19
お礼
大変参考になりました。
回答を寄せて下さいました皆様方に厚く御礼申し上げます。
確かに家康の五カ国(参・遠・駿・甲・信)統治時代に配下に加わった小笠原、諏訪、保科、依田、木曾ら武田の遺臣は皆譜代大名に列せられていますし、関東転封後に臣従した後北条家の旧臣が譜代級の扱いをうけているのも十分納得がいき、謎が氷解した思いがします。
もし穴山梅雪や武田信親(梅雪の子)が生き永らえていたなら、かつては仇敵であったにも拘わらず一門並(親藩大名)の扱いをうけていたのかもしれませんね。
投稿日時 - 2010-01-26 21:03:35
私が過去に参考にした書物などでは譜代と外様の区別は
関ヶ原を境にしているということでした。
江戸城の詰間の記録や徳川実紀等の資料で判断したと思います。
譜代は関ヶ原以前に徳川の家臣だった大名。
外様は関ヶ原以後に徳川の家臣になった大名です。
関ヶ原の東軍は徳川の家臣では無く豊臣家の家臣です。
徳川も豊臣家の家臣ですね。
東軍は豊臣家に対する反逆とみなされる上杉討伐軍のなかから、
東軍の留守を狙い、伏見城を攻撃した石田三成を豊臣家の
逆心とみなし討伐に加わった武将が東軍となります。
伊達、山内は関ヶ原時は豊臣家の家臣です。
ですから外様となります。
徳川の家臣は徳川家255万石の中から禄をもらっている武将で例えば
本多忠勝 10万石などです。
投稿日時 - 2010-01-25 10:14:38
原因と結果が逆です。
信じられない奴が外様。
だから信じられる奴は
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%96%E8%AD%9C%E4%BB%A3%E5%A4%A7%E5%90%8D
こういった扱いをしている。
徳川家が、豊臣の一家臣扱いの段階で部下だったものが譜代というような言い方のほうがわかりやすいです。
投稿日時 - 2010-01-24 19:36:35