• ベストアンサー

ザビーヌ事件について

VIVIDNESSの回答

回答No.5

 まず初めに、「デリカシー」の部分に対して、明らかに分析不足であったことをご容赦ください。貴方の言葉は、無配慮のもとになされたものではなく、一定の配慮のもとになされたものだったのですね。  続いて、以下の僕の議論が、「ザビーヌ・ダルデンヌの心理とは」「精神的開放とは」「精神的開放が行われるには」などといった重要な思想的題目にかかわるものではなく、ひたすら「蚊が刺しただけ」という言葉の持ちうる残酷性について述べたものであるということもご容赦ください。  さて、少し僕の見解を整理しておきますと、「残酷」な影響を与えうる、とした対象は、「精神的開放を志している(=蚊が飛び立ったことを認識している)」ザビーヌ・ダルデンヌではなく、「精神的開放に至っていない(=蚊の幻影にいまだ付きまとわれている)」性的な暴行を受けた被害者のことを意味しています。    というのも、「蚊が刺しただけ」と言う言葉は、まさしく「被害者が(身体的な解放も含め)精神的開放を志している」ことを暗なる前提としているからです。実際、すでに僕が貴方へ提示し、そして貴方に同意を頂いたように、「蚊が刺しただけ」というイメージは、「単なる肉体的開放だけでなく、ザビーヌ・ダルデンヌの志している精神的開放も含んでいる」ものを意味しています。    であるならば、「精神的開放に至っていない」人にとっては、まさしく残酷な言葉です。「精神的に解放される」ということは、ザビーヌ・ダルデンヌの言うとおり、「自分の中で区切りをつけることで、自分の過去にうち勝ってい」くことです。その区切りをなかなかつけられないでいて、苦しんでいる人にとって、その人がまだ獲得しえていない「精神的開放」を前提とした言葉を示すことは、やはり残酷なのではないかと思います。 >もし《蚊が刺しただけ》という最終の判断を下すのならば それだけを述べるのが デリカシーに合った発言の仕方であり しかももしそうしないのならば 《蚊が刺した》という事実のほかにも 何らかの行為事実があったと 暗に認めた結果となる。 >それこそ 《残酷》であり しかも自己の発言内容に矛盾をきたしている 。  したがって、以上の部分に同意します。  もし「発言する必要があるならば」、「精神的開放を志している」人にとって、「蚊が刺しただけ」という言葉は適切かと思います。 >ですから ここでは《似たような経験をされた方》は もしその方が《蚊が刺しただけ》という判断とその表明に対して 残酷な思いをするとすれば 別種の事件つまりその被害者の主観ないし心において別種の事件に遭ったと見ざるを得ないと考えるのです。  ところが、この部分についての見解は違うようです。  まず、この「もしその種の経験をして その事件を加害者と同じようにたのしんでいたとすれば 条件がまったく違ってきます。《蚊が刺しただけ》とはとても言えません」という部分の想定が、僕のものとは違うと思われます。「被害者が加害者同様に快楽を楽しんだ」という仮定から、「そもそも精神的開放をされる必要はない」ゆえに「蚊が刺しただけ、と言うのは不適切だ」と展開したのではありません。「被害者は精神的開放に至っていない」という仮想条件から、「精神的開放を前提として持っている言葉を浴びせるのは残酷である」という風に展開しました。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。

bragelonne
質問者

補足

 VIVIDNESS さん ご回答をありがとうございます。  お名前のとおりに 事態の深層に迫って行かれますね。  そうですね。同じような趣旨に互いに落ち着きつつあるとも見えるのですが ここは違いを明確にすることも vividness において 大事であると考え 違いを浮かび上がらせることをわざと旨として述べてまいります。  細かいところでは なお  ☆☆ (No.2補足欄) 《精神=身体的解放かつ開放》と言いましょうか つまり精神と身体とがつねに同時であるというこだわりが なぜか わたしにはありますが   ☆ というこだわりを持ちつづけていますが いまのところはっきりと言葉にして説明できるようではありません。これは保留とします。    そうしますと あとは問題は 《似たような経験をされた方》(回答No.2)すなわちその中でも  ★ 「精神的開放に至っていない(=蚊の幻影にいまだ付きまとわれている)」性的な暴行を受けた被害者  ☆ についてであると思われます。すなわち  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  (α) 「被害者が加害者同様に快楽を楽しんだ」という仮定から、「そもそも精神的開放をされる必要はない」ゆえに「蚊が刺しただけ、と言うのは不適切だ」と展開したのではありません。  (β) 「被害者は精神的開放に至っていない」という仮想条件から、「精神的開放を前提として持っている言葉を浴びせるのは残酷である」という風に展開しました。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  1. まづ細かい点ですり合わせをおこないます。  わたしの《〔被害者が〕その事件を加害者と同じようにたのしんでいた》という文章は 《「被害者が加害者同様に快楽を楽しんだ」》を含みますが 《快楽》は そのような非日常性としての事件そのものに遭うことから来るという場合もあります。  2. ここでも《精神的開放》のみを取り上げるのは わたしにとって何故だか違和感があります。《蚊が刺した》ことによって《身体の解放》が出来ないというものではないからです。  3. その上で (β)に移りますが まづ確認です。  ★ 「被害者は精神的開放に至っていない」という仮想条件  ☆ を立てるのならば それはすでに《蚊が刺しただけ》という事態の認定とは違ってきているということに わたしの場合には なります。  4. 《何もなかった(つまり 無効の行為があっただけ)》という現実は その認定をした瞬間に 《からだも こころも やわらがしめられている》のです。すでに完全に癒やされています。露骨なことを敢えて言えば 処女膜が破られていたとしても 蚊が刺しただけなのです。それが 歴史事実であり現実であるのです。  いいですか――と勇みこみますが―― それは蚊だったのですから。人間ではなかったのですから。  5. ★ 「もしその種の経験をして その事件を加害者と同じようにたのしんでいたとすれば 条件がまったく違ってきます。《蚊が刺しただけ》とはとても言えません」(No.2補足欄)という部分の想定  ☆ はその想定つまり ザビーヌさんとは飽くまで別種の事件についてのそういう想定をするまでのことなのです。そこで (3)の事項にも戻ります。  6. でもそれが 別種の事件に遭った《被害者》には《残酷》であるということなのですね?   どうなんでしょう。ザビーヌさん類型の被害者にしてみれば 《蚊が刺しただけ》という歴史現実の認定をもししないとすれば それこそ《残酷》な仕打ちを与えることになるのではないでしょうか?   7. そうではなく別種の事件の被害者にしてみれば たとえ残酷にひびく言葉であったとしても その方たちは それはおのれの心の中で甘んじて受けて行きますと暗に言っているのではないでしょうか?  それでこそ事件の反省やら清算やらに区切りをつけることができるというものではありませんか?  ほかの回答者の方がたはまだ 見解の相違があるようですが わたしとあなたとでは ここらで  ○ ザビーヌ・ダルデンヌさん 万歳!!  ☆ と言うに到るわけにはまいりませんか? どうでしょう?  * 長文の場合には お礼欄をいちいち使わないことにしていますので悪しからずご了承をいただくとありがたいです。

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