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さわらぬ神に崇りなし

 “さわらぬ神に崇りなし”  1. この中の、“さわらぬ”という字を漢字にすると、“障らぬ”になるでしょうか、“触らぬ”になるでしょうか?  2. “さわらぬ神に崇りなし”とは“中にはちょいとよくない神もいるだろうが、そういう神には近寄らない、関係しない、付き合わないようにしていれば、祟られることはないよ”というくらいの意味でしょうか?

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noname#111034
noname#111034
回答No.1

1.『広辞苑』では独立した見出しがあり,「触らぬ」と表記されてました。 2.もう宗教的な意味あいは失われているでしょう。「悪い神もいる」という解釈も可能(「祟り神」なんていうことばもあります)ですが,むしろ「神の心は計りがたく,人間の何気ない行為が逆鱗に触れることもある」という意図もあるように(ぼくは)思います。 だから,触らぬほうがいいのは,社長を含む上役とか,女房とか(爆),先生とか,とかく心情がはかりかねる人物だろうと思います。

krya1998
質問者

お礼

 passersbyさん早速にありがとう御座います。  ともかく神なんて、その心は計り難いですよね。  わかんない存在ですからね。  そういう意味で、よい神、悪い神の区別なく、そっと関らない。  敬して遠くにいる。  不信仰とか何とかの次相とは異なって。  ということですね。    やはり、触れぬ。の字ですね。  転じて、人との関わりでも注意しようや、ということですね。  そう、家内もこちらの錯覚で、通じると思っていても通じないのですよ。  勝手なこちらの理解ですからね。ともかく用心という、処世訓になっているのですね。  ありがとう御座いました。

その他の回答 (1)

  • videocam
  • ベストアンサー率38% (94/244)
回答No.2

触らぬ神に崇り無し 何事も関わらなければ、災いを招くことはない いろいろな考察が書かれているのを見つけました。 http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaya2002/hun/0901tata.html

krya1998
質問者

お礼

 videocamさんありがとう御座います。  すごいページですね。  アジア特に東や北東のアジアは、私たちに深い因縁があるようですね。  たいへん深く広範囲な薀蓄のHPですので、しっかり読ませていただきます。  ありがとう御座いました。   

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