• ベストアンサー

死刑は正当な刑罰

宗教、倫理観、時代背景、社会通念など日本と国情が違えば「死刑は正当な刑罰」と言えますか? 事例 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090915-00000015-mai-int

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • d_g
  • ベストアンサー率39% (48/121)
回答No.2

疑問の余地が無い質問のように感じます。 その社会において正当な刑罰とされているならばそれは当然正当な刑罰と言えると思います。 日本のルールが全世界のルールではありません。

kametaru
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >日本のルールが全世界のルールではありません。 なるほどです。 と言うことは日本も欧米の死刑廃止の流れに乗る必要も無いと言うことですね。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (1)

  • 15467980
  • ベストアンサー率20% (156/744)
回答No.1

言えます。 姦通罪は戦前の日本にもありましたし。 不義密通は江戸時代には死に値する重罪(というか私刑)でした。 イスラム法が厳しいのではなく、その他の国の法が緩すぎるのです。

kametaru
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 特に姦通罪に限った話では何のですが、死罪はその国のルールであれば認められる言う事ですね。 と言うことは日本も欧米において死刑廃止が一般化しても日本流で死刑は存続は有効と言うお考えですね。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 死刑制度 それでも賛成? 反対?

    <袴田事件>「やっていません」に涙出る…1審死刑の裁判官 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140327-00000015-mai-soci 冤罪の可能性が極めて高まったこの裁判。 死刑になる人すべてが冤罪という訳ではありませんが、 今一度、死刑制度を考えるきっかけになったのではないでしょうか? あなたは「死刑制度 それでも賛成? 反対?」

  • 前門の続きです。ダブったらすみません

    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111202-00000043-mai-int 前門に続きこんな問題も出てました。 原発もいよいよ本気で考なおす時代かと思いますがどうでしよう。

  • 死刑と応報刑について

     現在、死刑と応報刑について調べております。  応報刑は時代的背景や地域によって様々な刑罰とあります。  日本では殺人等の重大な犯罪においての極刑として死刑がありますが海外では懲役25年や終身刑など被疑者の生命を奪わない方法などがあるところもあります。  日本では、応報刑論における極刑が死刑になったのでしょうか。  参考資料やご教授してくださる方がいらっしゃいましたら、よろしくお願いいたします。

  • オウム中川死刑囚の死刑について

    オウムの加害者の中川智正死刑囚が米国の科学者の間では その能力に大変な評価がなされています https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170418-00000045-mai-soci 例えば ヘビ毒を解明した科学者がヘビにかまれてもよいような血清を開発して 多くの被害者や生命を救ったように、 彼の科学者としての優れた才能を何とか日本の化学の発展に寄与させるようなことは出来ないものでしょうか? 彼はオウムの組織の中で多大な生命を抹殺した責任は取らねばならない。 その責任は彼の「いのち」で償えばよいだけの事。 13階段を登らせて彼を抹殺すればそれで済む事。 でももう少し考えてみれば今日本では科学技術や製造業などが低空飛行している現在 世界中の科学者が注目している彼の有り余る能力を 国家の管理のもとで国家に寄与させることで、その罪を償ってもらう事はできないものでしょうか? 私のようになんの能力もない輩からすると、若い時の過ちで全てを抹殺する事は いかにも日本の損失に思えてなりません。 根っからの悪は死刑しかありませんが、宗教に影響されるような人の中には 純粋であるがためとか 世間知らずで宗教に染まった人も多少いるように思います。

  • 死刑は誰のためか?

    そして 「死刑議論とはなんのためか?」 改めて 私自身も考えさせていただきました そして ある結論にいたりました 私たちが死刑について考えるのは 被害者やその遺族のためではない 加害者の人権のためでもない 私たち自身のためであり 私たち自身の命をどうまもるのか? という議論であるべきではないでしょうか? 死刑が私たちを守っている という部分に関していえば 凶悪犯罪者の社会からの排除そして 無力化 というのであれば それは 代替できる刑罰を考えうるでしょう 死刑の抑止力という点をいえば 死刑によって抑圧されていた犯罪が増える以上に 防犯策を強化すれば 抑えられるでしょう 経済的な問題ならば それは 国の予算すべての中で 思案されるべきことですし それが 社会にとって重要な事柄であれば 「お金をだしたくないからできない」が 先に来るのは変だといえます つまり 死刑というのは 私たちにとってそれほど 利益を与えているわけではない と考えます そして問題なのは 「私たちの大きな損失になりうる」ところです ある死刑反対派の方の意見にこうありました 「私たちは殺される側であって 殺す側ではない」 これは とても 的を射ていると感じます 凶悪犯罪を含め 私たちの想像を超える 狂気的な悪意や無情が 私たちの命を脅かしたとき 私たち個人はあまりに無力だといえるでしょう 私たちに 唯一対抗しうる力があるとするなら それは 「数」の力 つまり 民主的な力 しかありえないのです しかし いま その力は 「正当な殺人」というものを支持し 私たち自身を「守る」ために機能していないのでは ないでしょうか? 「理由さえ用意すれば 私たちの命も奪われてかまわない」 ということになりはしないでしょうか? 死刑存廃の問題を わたしたちは 誰のために考えるべきなのか 問いたいとおもいます 追記として・・・被害者が置き去りになっている とのご指摘がつくことを想像しますが ほんとうに 「被害者のために」 私たちは 考えなければならない とお考えでしょうか? 私たちが 考えるべきは ある人に起きてしまった一つの事柄 についてではなく 「私たち自身の不幸の回避」と「その後の社会の未来」ではないですか?

  • 死刑は誰のためか?

    そして 「死刑議論とはなんのためか?」 改めて 私自身も考えさせていただきました そして ある結論にいたりました 私たちが死刑について考えるのは 被害者やその遺族のためではない 加害者の人権のためでもない 私たち自身のためであり 私たち自身の命をどうまもるのか? という議論であるべきではないでしょうか? 死刑が私たちを守っている という部分に関していえば 凶悪犯罪者の社会からの排除そして 無力化 というのであれば それは 代替できる刑罰を考えうるでしょう 死刑の抑止力という点をいえば 死刑によって抑圧されていた犯罪が増える以上に 防犯策を強化すれば 抑えられるでしょう 経済的な問題ならば それは 国の予算すべての中で 思案されるべきことですし それが 社会にとって重要な事柄であれば 「お金をだしたくないからできない」が 先に来るのは変だといえます つまり 死刑というのは 私たちにとってそれほど 利益を与えているわけではない と考えます そして問題なのは 「私たちの大きな損失になりうる」ところです ある死刑反対派の方の意見にこうありました 「私たちは殺される側であって 殺す側ではない」 これは とても 的を射ていると感じます 凶悪犯罪を含め 私たちの想像を超える 狂気的な悪意や無情が 私たちの命を脅かしたとき 私たち個人はあまりに無力だといえるでしょう 私たちに 唯一対抗しうる力があるとするなら それは 「数」の力 つまり 民主的な力 しかありえないのです しかし いま その力は 「正当な殺人」というものを支持し 私たち自身を「守る」ために機能していないのでは ないでしょうか? 「理由さえ用意すれば 私たちの命も奪われてかまわない」 ということになりはしないでしょうか? 死刑存廃の問題を わたしたちは 誰のために考えるべきなのか 問いたいとおもいます 追記として・・・被害者が置き去りになっている とのご指摘がつくことを想像しますが ほんとうに 「被害者のために」 私たちは 考えなければならない とお考えでしょうか? 私たちが 考えるべきは ある人に起きてしまった一つの事柄 についてではなく 「私たち自身の不幸の回避」と「その後の社会の未来」ではないですか?

  • <段ボール肉まん>中国のTV局が「やらせ報道」と謝罪

    皆様感想お願いします。 なかなか混沌としますね。何が信用できないかさえわからないです。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070719-00000004-mai-int

  • 死刑反対派の考え方が理解できない

    死刑廃止論によくある意見の一つとして、死刑に犯罪抑止効果が無いという事が挙げられるのですが、そもそもどうして死刑に抑止力が無いといえるのですか?信頼できるデータがあるんでしょうか。私のような素人の考えでは、、もし死刑を廃止したとすると、人を殺す事がいけないという倫理そのものが希薄になり、また、死刑という重い刑罰を科せられないという事から、どんどん殺人が増えるのではないのかと心配してしまうのですが。また、そもそも罪も無い人を1人も2人も殺しておいて、死刑にならないのは、道徳的にもおかしい気がします。被害者だけ泣き寝入りして、加害者は社会復帰できる権利があるなんておかしくありませんか?死刑が殺人という一部の人権派弁護士がいますが、そもそも、悪人を罰するのは国家の任務であって、人を殺すという行為として人くくりにしてしまうのはあまりに暴論であると考えています。世論調査では、死刑賛成が80パーセントを超えていますし、素人は私のような思考の人間が大半です。でも、法律の専門家達が、死刑廃止を言うんでしょうから、おそらく私の考え方が間違いなのだと思います。納得できる形で正してもらえませんか?

  • <首相訪中>中国が新提案

    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150723-00000005-mai-int なんでこっちが訪中をお願いしているわけでもないのに条件を出されないといけないのでしょうか? 意味がわからないのですが・・・

  • 死刑廃止をどのように訴えればいいのか

    微力ながら死刑廃止を訴えてます。一日でも早く死刑を廃止したいですが、現状では廃止できる見込みは立ってません。 死刑廃止の訴えが、国民の半数以上の死刑支持派や中間派の人たちから支持されないのか、運動や訴え方のどこに問題があったのか、考えてもよくわかりません。今まで廃止運動に取り組んでこられたみなさまは、どこに問題があったと考えてますすか。 死刑廃止の訴えが国民の半数以上に支持されるには、運動の方法、訴え方をどのようにすればいいのか、今までの運動方法や訴え方に改めるところがあるなら、どこをどのように改めたら、廃止の実現に役に立つと考えてますか。 私の個人的体験ですがが、私が死刑を廃止すべきと理由を主張したのに対して、死刑支持派に反論されて、それに再反論できずに、議論に負けてくやしい思いをしたことがあります。皆様は下記のような死刑支持派の主張にどのように反論してますか、それとも、死刑支持派が主張するように、死刑支持派や中間派に納得されない理由なのかわかりません。 例.冤罪だったら取り返しがつかない 現実的には、再審で無罪になった4事件、執行されずに天寿を全うした3事件とそうなりかけている2事件がある。死刑囚が無実を訴えて再審を請求し、法務省もその死刑囚は冤罪と判断している場合はその死刑囚を執行せず、再審を待つと表明しているが、再審の受理はめったに無いので、結果として仮釈放されない終身刑と同じ処遇になっている。法務省がそういう運用方針でなので戦後の日本で無実で執行された事例は無く、今の日本では説得力がある理由にはならない。無実で執行された事例があるなら、その事例と根拠を示せ。 論理的には、冤罪は死刑に所属する問題ではない。刑事訴訟法上の被疑者被告人の権利保護に不備が多々あり、警察検察裁判所が誤認するか冤罪を作ろうと思えば、法の不備を利用されて無実の人が有罪にされるので、冤罪と死刑は根本的には関係ない。冤罪で刑を執行されたら取り返しがつかないことは、死刑も懲役も原状回復が不可能という意味で差は無く、執行後に再審で無罪になった場合は政府が金銭で賠償している。再審の困難さも死刑と懲役の差は無い、狭山事件を見よ。 例.死刑は殺人の抑止力にならない 感情的な死刑支持者は、死刑に犯罪抑止力があると思っている人が多いが、冷静沈着な死刑支持者は、各国の統計で犯罪の一般抑止に刑罰の効果があるとは確認されていないことを知っている。刑罰に犯罪の一般抑止力が無いから廃止しろという理由だと、死刑と殺人だけでなく、他の罰と罪にも当てはまる論理なので、全ての罰を廃止して、他の方法で犯罪を処遇しろという主張になり、死刑を廃止する理由にならない。 抑止力が無いからという理由は、一般予防と再犯予防を故意に混同し、死刑や他の刑罰に、社会からの隔離や教育による再犯予防効果や予防可能性があることを故意に無視している。刑罰が重いほど、社会から隔離される時間が長く、隔離中は再犯が予防される。例えば、殺人、誘拐、強姦、強制わいせつ、強盗、傷害、放火、テロ、銃や麻薬の密造密売をした犯罪者が、反省の感情や意思が無いか乏しく、再犯の可能性が高いと予想される場合、懲役10年<20年<30年<無期と刑罰が重くなるほど、社会からの隔離による再犯予防効果が高まる。死刑の場合はそれが100%確実であるにすぎない。実際、殺人の再犯も殺人以外の重罪の再犯も、社会全体の殺人や各種重罪の発生率よりも桁違いに高い。国家が死刑も懲役も、冤罪で執行することは絶対に許されないと主張しながら、刑罰の緩和や再犯可能性を誤判断して仮釈放した結果、私人が殺人や他の重罪の再犯をしている現実も、再犯をする可能性が高いことも無視しろと主張することは、殺人や他の重罪に対して国家と私人に対するダブルスタンダードの使いわけであり、そんな理由に説得力は無い。 例.修復的司法 修復的司法に一定の効果があることは認めるが、殺人や植物状態や痴呆のように被害回復が不可能な事件に対して「修復的」と称し、被害者と加害者が対話し和解し関係を修復できるかのように主張することは詭弁でしかない。私人が人を殺しても植物状態や痴呆にしても被害の修復と加害者との関係を修復できるなら、国家が死刑を執行しても死刑囚の被害や国家との関係を修復できるだろ。和解を望まない被害者遺族や家族が無い被害者もいるので、修復的司法に普遍性は無い。死刑廃止と修復的司法を組み合わせて訴える必然性も、それによる社会的利益もない。 字数制限のため上記しか書けませんが、上記だけでなく、国民多数派から死刑廃止を支持されるためには、どのような理由で訴えるのが有効か、皆様の考えや、経験や議論の方法を聞かせてください。