• 締切済み

独身子無しは不幸であり人の道にあらず

yasukouchiの回答

回答No.47

確かに、人間という“種”全体で見ればその大多数が子孫を残そうとするのは自然の摂理といえるかもしれません。しかし、その中の一人一人の“個体”という観点で見ればすべての個体が必ず一人残らず子孫を残そうとするのが自然の摂理かと言われればそれは違うのではないでしょうか。 例えば人間は必ずしも全ての個体が異性を恋愛や性行為の相手として見るわけではありません。共に子供を作ることが出来る相手ではない同性を恋愛し性行為を行う相手として見なす同性愛者(あるいは同性と恋愛をしている両性愛者もこれに含まれるでしょうか)も世の中には存在します。 こういった「どういう性別の相手を恋愛や性愛の対象とするのか」というのを性的指向と言い、よく誤解されがちなのですがこれは本人が自分の意志で選ぶ物で無ければ本人や他人が人為的に変えられる物でもありません。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8C%E6%80%A7%E6%84%9B http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%A7%E7%9A%84%E6%8C%87%E5%90%91 もしかすると質問者さんはこういったケースを「レアケース」に含めたつもりかもしれませんが、上にURLを張ったWikipediaの解説では同性愛者は五十人に一人から八人に一人存在するとされていますし(あなたが今まで一度も見たことないとすればそれはカミングアウトせずに隠しているだけでしょう)、人間以外にも同性愛と見られる行為を行う個体が存在する動物はごまんといます。少数であるのは確かですが決して「レアケース」と言って無視できる範囲では無いと思います。それでもあなたにとっては「レアケース」だといえるのならその根拠を提示してください。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%95%E7%89%A9%E3%81%AE%E5%90%8C%E6%80%A7%E6%84%9B それとも、質問者さんはそういった最初から同性との性行為を望む人にも「そうしたくても出来ない努力」とやらを強要するのでしょうか?中には異性との性行為について異性愛者が同性との性行為に対して感じるのと同じくらいの生理的嫌悪感を感じる人だっているのに?その人が同性愛者として存在する以上そっちのほうがよっぽど自然の摂理に反していると思いますが。 このように、性的指向という面一つだけをとっても自然の摂理という物は全ての人間が一人残らず子孫を残そうとするべきだと言えるほど単純な物ではないのではないでしょうか。 少なくとも、仮に自然の摂理自体が絶対的な物だったとしてもそれが具体的にどのような物かについて人間が理解しようとすれば必ずそこにその人の解釈や主観がまじってしまうため人間(この場合は質問者さんや僕)が考える自然の摂理が絶対的な物だとは決して言えないと思います。

alonovo
質問者

補足

それはレアケースではありません。 生殖活動を行おうという強い本能的意志が、生殖能力を持つ全ての生物には備わっています。 そこに本来自由はありません。 同性愛は構いませんが、子供を作ってからにして下さい。

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