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自分の感覚が多数派意見と違う

mmkyの回答

  • mmky
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回答No.2

参考程度に BakaAliceさん弱気な質問ですね。 「私は何の信仰もない無心論者です、科学的な確率論からそうだと思います。」 あなたには信仰がありますよ。ご自身でそう語ってますね。 あなたの信仰は「科学的な確率論」じゃないですか。 科学的な確率論を考えの基礎として「地球外生命体はいない。」という結論に達してるのでしょう。 つまり、みな信仰はあるのですね。何を信仰の対象としているかの違いだけですね。 「科学的な確率論」を元にして地球外生命体がいないとすると、地球に高度な生命体が存在する確率も無いのでは?  いやいや、いるとかいないとかが論点ではなく、何を元にその結論に至ったかなんですよね。 多くの人の回答の考えのもとは確率論もあり宗教もあり様々ですがあなたが信じる確率論が絶対であるならあなたが揺らぐことはないでしょう。もし絶対とまでは信じられないのなら灰色の部分は認めるべきだと思いますね。 世の中に不信感を抱くのは絶対と信じられないからだと思いますよ。 よくものごとは相対的と物理的な意識で回答する御仁がいますが、少なくともアインシュタインは光より早いものは無いと絶対的に信じていたはずなんですね。 そうすると、予言や予知を絶対的に信じる人は相対論など眉唾になってしますのですね。なぜなら未来を見るということは光より早いものは存在すると肯定しなければならないからですね。 このように何を信じるかで考えはまったく違うものになってしまいます。 あなたのゆらぎは他の人の考え方ではなくあなた自身の問題に帰着するのですね。 「勘違いの回答にお礼をするほうがいいか」 これはささいなことですね。どちらでもいいと思いますが、多くの人に回答のチャンスを与えてよい回答者を育てたいと考えるなら勘違いさんへのお礼も励みになりますね。 ご自身のものさしで採点するという考えも当然ありですから、欠点は欠点でもいいんですね。 どちらの立場を取るかだけの問題ですね。これも信仰ですから一貫しているのであればそれでいいのですね。不安になるということは立場にゆらぎがあるということですね。

noname#105097
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございます。 そうでした、私の信仰は「自然」なのです。この厳然たる法則の支配する偶然の世界、そのなかで生物は踊らされていると言う事実です。「信仰」という名称に惑わされています。つまり、人々の認知しているという相対的評価を自らの評価に組み入れてしまっています。これは弱みですね。 地球だけが、というのはありえそうもないことですが、しかし、仮にありえたとしたらそれはそれで理屈が通っています。多くの人が言っているのは、「実感」を大事にしていないと言う印象があります。人がこういっているから、学者がこういっているから、だから、無意識にあわせる。そういうものに非常に不信感を抱くからでしょう。 回答者を育てるという思考がないので、私は回答でないものにはお礼をしません。

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