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「羅生門」の利己主義について・・・
高校の宿題で「羅生門」の利己主義についての自分の意見を書くというのを出されたのですが、書き方がよくわかりません。 利己主義について本文に沿った要点を入れなければならないのですが・・・。 明日までなのでできるだけ早くアドバイスが欲しいです。 お願いします。
- yuna-1304
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- key00001
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羅生門における利己主義は、単なる利己主義では無いですね。 一般的な自己チュー的な意味とは、一線を画します。 「生きるために止むを得ない犯罪行為は許容する主義」みたいな感じに言い換えて良いと思います。 究極に近い状況での『人間の本質』は、利己主義ではないか?と言う、性悪説的な視点・立場から、描かれた作品です。 それに対して、まず質問者様の考え方を整理したらどうですか? 賛成(肯定)するのか、反対(否定)するのか、立場を明確にすれば良いと思いますよ。 学校の宿題なら、まあ反対(否定)すべきかと思いますが。 さすがに文豪の作品で、作品だけを読むと、簡単に反論が出来るスキは無いですけど。 でも現実社会と対比すれば、下人の思考や行動は、単なる一例でしか無いですよ。 不況・就職難の昨今、現在の社会情勢と似た様な部分はあります。 必死で就職活動しても、なかなか内定が貰えませんが、これは主人に解雇された下人と同じ様な状況です。 「貧すりゃ鈍す」で、下人が利己主義者である犯罪者になるかどうか?と言う岐路に立つのと同様、「いっそフリーターとか、最悪ニートにでもなっちゃうか?」みたいな気持ちは、誰にでも芽生える一瞬はあると思いますし、実際にそう言う道を選択しちゃう人もいるでしょうね。 しかし現実は、ソチラが過半数では有りません。 人間の中には間違い無く弱い心も有るし、実際にその弱い心の前に負けてしまう人も居ます。 でもそれが全てでも現実でもありません。 現実の一部です。 世間に失望した芥川龍之介が、読者に共感を求め、一部を全部と思い込ませたくて書いたのか? 未来ある質問者様達に、反論して欲しいと思って書いたのか? その答えは作者の中だけにしか無いし、読者一人一人の中に、無数に有ると思います。 読後、「確かに人間って、弱い生き物だなぁ」みたいな共感が有れば、肯定的に書いても良いし、「そりゃ弱い生物だけど・・・」って、反論したい気持ちがあるなら、たとえ文豪の作品でも、ケチョンケチョンに批判すれば良いですヨ。
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