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なぜ、どのようにして人間は存在しているの?多くの人は考えないのか?不思議ではないのか?

tumaritou1の回答

回答No.5

貴方の気持ちが良く分かる者です。貴方と同じ頃に私も相当悩み、苦しんだ者です。貴方の心を説明しますので、後は自分で学んでください。 貴方が抱いている疑問は、本当は貴方自身が、その疑問の発信源と言えます。そうして、貴方が抱いている疑問の答えは、その疑問が出た時点で、貴方の心には用意されています。その答えはあくまでも自分自身が答える他は有りませんが。 貴方の抱いている疑問は、人間としての当たり前の疑問と言えます。それは貴方の中に「そうさせる者が」いるからです。貴方の抱いている疑問は昔から人間を悩ませ、苦しめて来た疑問です。ですが、この事が人間を豊かににさせている事も事実です。 貴方の疑問の背景を説明します。是は聖書にも書いて有ります。貴方が今までこの疑問を抱かなかった事を、聖書では「天国に一番近い存在は幼子」という風に表現をしています。この意味は「意識をして世の中を見ない」という事です。 今までは、分別を交えないで、一つの心で生きて来た。という事になります。是は分別を交えないというよりは、分別出来る能力が無かったという事になります。脳の機能が分化していなかったという意味になります。人間が成長して、左右の脳の機能が分化が完成に近くなった頃を、知恵のリンゴを食べた、という言い方になります。それは物事を分別で見るようになったという事です。 是は、はっきりと分かり易く言うならば、「意識をして」世の中を見るようになったという事になります。そうして、反省をしたり、他と比べてみたり、昔と比べたりします。幼子には出来ない事が出来るようになったという事です。是が天国からの追放という意味です。 この意識をするという事が人間の苦しみの始めとなっています。この意識をするという事が、天国にはいられなくなってしまう理由となります。この事をもっとはっきりと書いてみます。 意識が人間の邪魔をしているものが、周りを見た場合に沢山あります。一つは「精神疾患」一つは「神経症」一つは「自律神経失調症」等です。広い意味では、まだまだ数えだしたらきりが無いくらいに在ると思います。これらに共通する事が在ります。それらに共通するものは、二つ在ります。 一つ目は「不安」という事です。二つ目は「意識するという事」です。その証拠は、その症状名に表れています。不安というものを意識して、その意識をしたものが、そっくり「症状名」になっているという事です。この不安というものと、意識をするという事はペアになっています、この事を説明します。 不安は「自我意識が意識をしている状態」のことですが、ただ意識をするだけならば問題は有りません。問題になるのは意識をし続ける事です。その時には問題が出てきます、意識をしている間は無意識が出て来れなくなるからです。出て来れなくなった「無意識が」自我意識に圧迫を加えてきます。是が漠然とした不安や罪悪感などですが、この事は分かり難い事なので、このくらいにします。 さて、貴方が抱いている疑問の解き方が在ります。今の貴方のままではその疑問を解くのは、かなり難しいと思いますので、ヒントを出してみます。貴方は自分の自我意識で疑問を抱いています。自我意識は左脳の意識です。左脳には左脳にしかできない事が在ります。ですが左脳には、又出来ない事が在ります。 左脳の専門は分別する事です。他の言い方をするなら、分別出来ない問題は手も足も出ないという事になります。分別とは有限の又の名と言えます。自我意識は割り切れることしか理解する能力が無いという事になります。従って、感情や、体を調節する事や、心をコントロールする事や、宗教関係の事や、永遠、無限という事を理解するという事には歯が立たない事になります。 人間が豊かに安楽に暮してゆくためには、左脳の自我意識と右脳の「無意識の意識」とが互いに手を取り合ってゆく必要が在ります。その事が分からないで苦しんでいる姿が、精神疾患や、自律神経失調症や、神経症などの障害と言えます。その事の解消方法が「禅」の中に在ります。 禅問答が在ります、是は何にもならない代名詞のように考えられていますが、実は違っています。是は、先に挙げた障害というものが左脳の自我意識だけで生きて行こうとしてつまずいている現象。つまり、機能の問題から出来ない問題に取り組んでいる姿、無限のループに落ちている事です。出来ない脳で考えているから、全てを否定しています。 そこから抜け出すという方法が禅問答に在ります。禅問答はやっぱり難しいです。分かり難いです。ですが是には訳が在ります。自我意識では解けないように工夫されているからです。禅問答が解けた時は、先に挙げた障害は完治します、何故ならば、右脳と左脳に在る二つの心の矛盾を人間は、苦しみ、疑問と感じているからです。 禅問答が解けた心持の事を、有限の身からの解放という事が言えます。有限の心から解き放たれた自由な心、或いは絶対の安心、という言い方でも良いと思います。それは「神に会って和解した」という意味になります。もう心が不安になる要素が無くなってしまうからです。又全ての疑問が解消されます。 貴方が今言った事を、体得したいとお思いで有れば、鈴木大拙博士の書いたものを読んで見て下さい。博士は25歳で悟りを開いています。その事の詳細は、著作したものに良く顕れています。ですが是は知識では有りません、あくまでも体験です。この体験を宗教経験と言います。是はあくまでも、知識としてならば、何にもならない事とも言えます。

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