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仏典の活字化の時期

経律論、もしくは釈尊の教えは、 いつごろ活字化されたのでしょうか。 釈尊の死後、すぐに活字化されたのでしょうか。 最古の仏典は、いつごろのものが残っているのでしょうか。

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  • kusirosi
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回答No.1

 活字を用いる活版印刷は、十一世紀の半ば頃、中国の北宋で発明された。しかし、中国では、さほど盛んにならず、朝鮮半島の高麗で、はじめて、金属活字が実用化され、仏典の活字化が世界最初に、行われた。  現存する世界最古の金属活字本「白雲和尚抄録仏祖直指心体要節(通称、直指心体要節)」は、現存する活字化された最古の仏典でもある。 ・白雲和尚の景閑が禅の要諦を悟るに必要な内容を選んで1372年に著した仏教の書籍で、上・下巻で構成されている。これは元朝から取り入れた仏祖直指心体要節の内容を大幅に加えて上・下巻の2巻で編んだのである。中心の主題である直指心体は「人が心を正しく持ったとき、その心性が即ち仏様の心だ。」ということを悟るようになることである。 現存しているのは下巻だけで、17世紀末、コリン・デ・プランシ駐韓フランス公使がフランスに持って行って、現在フランス国立図書館に所蔵されている。 白雲和尚が入籍した驪州の鷲岩寺で彼の弟子の法隣が禑王3年(1377年)に清州の興徳寺で刊行したとされる

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