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成功する研究者には何が大切なのでしょうか。

noribouの回答

  • noribou
  • ベストアンサー率28% (6/21)
回答No.13

再度の登場です。 私の年齢ですか? 現在は大学ではない研究機関に在籍しておりますが、 実は、virulenceさんの失望の標的であるD1の院生です。 ですから、同じ土俵どころか対極な立場かもしれませんね。 やはり、私の意見はvirulenceさんくらいからだと甘いのでしょうか? 一応、私の場合は同棲は修士までで、この1年は相手の顔もみていない遠距離 状態で研究に打ち込んでますけど・・・。 >私の知り合いの教授は「博士は自分で実験計画をたて、海外に投稿を出来る能力をもつもの」 私の恩師も同じようなことをおっしゃっていました。 その方の場合は「実験計画をたて、実行し、考察し、論文を作成し、それを 他人に分りやすくプレゼンできる者」というものです。私も修士時代は徹底的に しごかれました。 ただ、これは博士課程に進学する者としての定義であり、博士ではないとの ことでした。博士には、更に研究費を取って来る能力が必要だとのことでした。 ですから少なくとも私の周りの環境では院生は英語の論文が読めて(スラスラ ではないかもしれませんが)自分で実験方針を打ち立てられる人という認識です。 恩師からも「私の立場は修士までは指導者、博士からは助言者だ」と言われて ますしね。というより博士課程からは外部に放り出されてしまっているので 助言すらないんですけどね。あと、論文については海外の雑誌に投稿するのが 当然ではないでしょうか?実際、私の修論も海外の雑誌に投稿しましたし、 学振を取ろうとしたらD1のときまでに3、4本は必要ですよね。 ですから、私の認識としては博士課程ではそのような能力がすでに必要で、 ポスドクや助手というのは更に事務的な能力を必要とするというものです。 多分、分野によってもまったく異なるものでしょうから一概に同じとは限りませんが。 そういう意味では私は恵まれた環境にいるかもしれませんね。はっきり言って 我々の研究は日本じゃまったく評価がないんです。おかげで国際化にならざる えない状況です。修士課程で海外の学会で口頭発表しろと言われたときは、 ほんとつらかったです。ロシア人やドイツ人の英語が全然分らなくて、大変でした。 >私の周りには学生時代に同棲をしていた連中はどうしようもない研究者ばかりです。失恋したから仕事をしない者もいました。 まあ、私の周りにもそういう方はいましたけど、その方も今では築地の某機関で 立派に研究してるし、そんなに多くはないと思いますが。 これは大変、失礼な言い方ですが、virulenceさんの周りにそういう方々が 多いのであって、同棲が必然的に研究の障害になるとは、どうしても思えません。 もちろん、どうしようもない学生が多いの事実ですが、そういう連中は例え 同棲しようがしてまいが関係なく、どうしようもないと思えます。 ですからvirulenceさんの言い分もよく理解できるし、そんな奴に高価な試薬を 使われるともったいないと私も思うときがありました。学力低下を危惧する 考えというか、同じ研究室で行動する以上、最低限の能力を持っていないと こっちが困るという気持ちも理解できます。しかし、同棲が悪であるかの意見 には賛同しかねます。同棲をしていた程度で研究に支障が生じるようでは、 研究者の道は諦めた方がいいのではないでしょうかね。 >恋愛することが世間的な常識の様な意味にとれることを書かれていますが、恋愛が世間的な常識に定義されるのか私には理解できま せん これは私の記述ミスです。世間的な常識と私の同棲経験は別段落のものです。 あれでは確かにそういう意味で取れますね。改行するのを忘れてました。 もちろん恋愛をすることが常識とは私も考えていませんし、同棲批判が 個人の意見であることも承知していますが、virulenceさんの同棲批判の根拠 や考察は一般的には受け入れられないと思いますよ。 (昔、冷やし中華を箸でなくフォークで食べようとしていた人に「普通、箸でしょう」 と言ったら、それを聞いていた教授から「普通と考えているようじゃ、ろくな 研究者になれない」と言われたので、virulenceさんの意見も研究者としては 案外、まともかもしれませんけどね) ちなみに私の経験と周りの話しを聞いても同棲中の方がセックスの頻度は低下 しますよ。だから性の対象として同棲はしないですね。理由としては帰るのが めんどうだったり、材料は一ケ所で買った方が良かったりとさだかじゃない ですけど、私の場合は研究者志望よりも前に同棲を始めたので、院に進学したから 別々に暮らすとか別れるとかできなかっただけですけど。

virulence
質問者

お礼

 回答ありがとうございました。  私の言葉足らずの面もあり、多少行き違いはありますが、大意は理解しました。 私の所にいる問題の研究員も修士の時に、海外の学会で発表し、海外の雑誌に修論を投稿したそうです。しかし、研究が出来ない。なぜだろう。そこで出てきたのは、彼らのやってきたことは後世に賞賛されるべき研究だったのかという研究の質の問題と、研究テーマも自ら探してきたものでなく、指導教官から与えられたものであったのではないかという疑問です。研究のネタなんて自分で探せないといけませんよね。私のいる機関は研究テーマの決定は、予算がとれれば自由に決められます。そんな機関では、自分でテーマを見つけられないのは致命傷になります。  私の指導教官は「砂粒のような研究成果よりも、後世に残るれきのような研究成果を。」とも言われています。そのためには、インパクトファクターの高い雑誌にねらいを定めて、投稿していくしかありません。雑誌「自然」や「細胞」を究極の目標にするしかありません。当然、向上心のないものは研究から退くべきだと思います。  予算については、権謀術数。私の場合、行政の連中を納得させれば、何とでも出来ます。公のための研究ですから。  いちおう、ここで同棲についての考え方を改めたいと思います。  「同棲している者は、研究をバカにしている」という考えから、「院生には 研究をせず、もしくは研究もどきをやって同棲をしている者もいるが、中にはまれに研究を一生懸命やって頑張っているやつもいる。」と変えます。近頃、同棲云々は抜きにして、一人で生きられない輩が多いような気がします。  この教えてGooで「同棲」という言葉を出して質問すると、同棲という言葉にだけ反応する人がいるのか不思議です。私の質問の本質は別の所にあります。  「成功する研究者になるためにはどうすればよいか。」が質問の本筋ですので、 次回の回答にはこのことを含んでいただくことを望んでおります。

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