• ベストアンサー

「キリシタン」は差別的な言葉なのでしょうか?

「キリシタン」は差別用語に準じた表現なのでしょうか? 私はキリスト教信者を指して使っていましたが、 この表現をよく思わない人がいることを最近知りました。 これが差別用語だとは聞いたことがありませんが、 差別的なニュアンスが含まれているのでしょうか? 実際のところ「キリシタン」という言葉は、 一般常識ではどのように捉えられているのでしょうか? キリスト教の信者はこの言葉を好まないのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • mimiary
  • ベストアンサー率26% (4/15)
回答No.6

キリシタンはクリスチャンのことですから、その語自体に差別語としてのニュアンスがないことはもちろんです。しかし、明治になってキリスト教に対する禁教を解くよう諸外国から政府に圧力がかかった際、一般国民からも反対の声が上がったようですから、その当時は完全に差別語だったと言っていいでしょう。まあ、300年もの間政府が邪宗だ邪宗だ‥と国民に言い含め続ければ、そうならない方が寧ろ不思議です。 それから百数十年が経過した現代では、キリスト教に対する好悪感は別として、禁教時代のような差別意識で「キリシタン」と言う人は先ずいないでしょう。また「キリシタン」はその後「キリスト教(徒)、クリスチャン」などと呼ぶのが一般化したので、今ではこれは一種の歴史用語扱いになっていると考えられます。 しかし、キリスト教がキリシタンと呼ばれていた時代の歴史と言えば、日本での布教開始から豊関白による禁教令が出るまでの比較的短い期間を除き、大半が過酷な迫害を受け続けた暗黒時代です。信者以外にとっては単なる歴史用語の一つに過ぎなくても、信者にとってはやはり眉をひそめたくなる言葉じゃないかと思います。 「日蓮宗だってかなり弾圧されたけれど、今でも日蓮宗じゃない‥」 こんな考え方も出来るとは思いますが、キリシタンの場合はたまたま弾圧の歴史が終るのとほぼ時を同じくして「エゲレス → イギリス」と同じような呼称の変化があったため、どうしても「暗い歴史を語る言葉」というイメージが強く付き纏うのは否めません。 以上のことから、「キリシタン」は差別語や差別語的な言葉ではないが、歴史的背景を勘案し、その使用は歴史用語に限定するのが望ましいと私は思います。

fuss_min
質問者

お礼

ご解説どうもありがとうございます。 歴史的背景によるマイナスのイメージから、 不適切な表現だと考えられる場合もあるのですね。

その他の回答 (6)

noname#200115
noname#200115
回答No.7

それは差別語ではありません。 ヤソ教徒は差別語であります。

fuss_min
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

回答No.5

ウィキペディアの「キリシタン」の項には、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%BF%E3%83%B3 > キリシタン(christao)とは日本の戦国時代から江戸時代、更には明治の初めごろまで使われていた言葉。 > 漢字では吉利支丹等と書く。江戸時代以降は禁教令等による弾圧に伴い侮蔑を込めて切死丹、鬼利死丹等という当て字も使われるようになった。 とあります。  他の方の回答にもありますが、現代の日本では「キリスト教徒」「クリスチャン」とは言っても、普通「キリシタン」とは言いません。使うとしたら学校の歴史の授業やテレビの歴史番組などの中で、「wikipedia」にあるように「戦国時代から江戸時代」のキリスト教徒のことを指して用いるのが普通だと思います。  したがって、歴史的に「戦国時代から江戸時代」のキリスト教徒を指すのではない場合に、キリスト教徒のことを「キリシタン」と言うと、  「この人は、普通は使わない特別な言い方をしている。わざわざそんな言い方をするのは何か意図があるに違いない。もしかすると差別的な意識を持って、江戸時代に『禁教』扱いされて、「踏絵(絵踏)」で摘発され、棄教しないと処刑されるなどの『弾圧』を受けたような宗教の信者という『侮蔑』の意味を込めて使ってるのかもしれない。」 と、深読みされる可能性があると思います。  ご質問にある「この表現をよく思わない人」も、もしかするとそんなふうに悪意の発言ととったのかもしれません。  そういうことは抜きにしても、特に歴史的な意味を込めないのなら、ことさらに使う必要のないことばではないでしょうか。こちらが(現代の)キリスト教徒一般を指して言ったつもりでも、相手は「戦国時代から江戸時代」の話だと誤解してしまうこともあるでしょうし。

fuss_min
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 やはりあまり使わない方がよいのでしょうか。

回答No.4

キリスト教の一派であるカトリックの信者ですが、私も対外的には、「クリスチャン」(或いは「カトリック」)を使います。 「キリシタン」という言葉は2番さんのおっしゃる通り、「クリスチャン」という発音が当時の日本人の耳にそう聞こえただけであり、それ自体は別に差別用語でも何でもないと思いますが、突然そう言われると確かにギクッと来ます。どこか古色蒼然とした、古めかしい印象を与えますね。自分のことではないような・・・。 丁度「ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い」という川柳で、ドイツ語発音では「ゲーテ」と呼ぶドイツの大哲学者が、Goetheという文字面から日本語式にギョエテと呼ばれたらギョッとくるだろうな、というのとよく似ていると思います。 尚、2番さんの最後の1行を補足します。確かに宗教を信仰している人の中には、自分の宗教が一番であり、その宗教でないと救われないとか、その価値観から外れると嫌悪するような所があるのは事実だと思いますが、それこそが最も我々の陥りやすい落とし穴であると思います。 宗教を信仰することは、外界を遮断することではなく、どんな価値観の人とも融和すること、つまりキリスト教で言う「愛」を実践することであるはずです。

fuss_min
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 やはり「キリシタン」という言葉自体は、 差別用語ではないようですね。

  • sanori
  • ベストアンサー率48% (5664/11798)
回答No.3

おはようございます。 一般に、差別用語であるか否かの明確な線引きはありません。 私が企業に就職したときの新入社員研修でも、何が差別用語であるかのはっきりした基準は示されませんでした。 ただし、マスコミの場合は、おそらくマニュアル化されていると思います。 広く使われている名称が存在するのに、ニックネームのような名称や時代性が強いものを使うと、差別用語であると感じる人の割合は非常に大きいです。 「支那そば」という看板を掲げているラーメン屋さんがあります。 これを差別用語だと思っている人は多いです。 「支那」は、明らかに China(チャイナ)と同語源です。 しかしそれでも、「支那」と漢字で書くと、差別用語だと思われてしまいます。 これは、時代性が強い言葉だからです。 アメリカで、黒人を指す言葉として“Nigger”というスラングがあります。 これは、“Negro”(黒人)をニックネームのようにしたもので、侮辱、差別、強い攻撃性があるとされています。 「キリシタン」は、時代性が非常に強いです。 あえてその言葉でもって現代のキリスト教信者のことを指すならば、 それは、何らかの意図を含んでいると解釈されて当然です。 差別することを意識していると解釈されてもしょうがないです。 >>>キリスト教の信者はこの言葉を好まないのでしょうか? 親戚に敬虔なキリスト教信者がいますけど、 日本の敬虔なキリスト教信者には、すごく寛容な人達が多いんですよ。 「キリシタン」と呼んでも怒らないかもしれません。 内心はどうなのかわかりませんけれどもね。 “Jap”は、Japanese (日本人)をニックネーム化した言葉です。 もしも質問者様が、アメリカ人から Japanese ではなく Jap と呼ばれたとしたらどう思いますか? それとだいたい同じことだと思いますよ。 http://eow.alc.co.jp/jap/UTF-8/ 以上、ご参考になりましたら。

fuss_min
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 語源や本来の意味のみならず、時代や社会背景も、 その言葉のニュアンスに影響を与えるようですね。

  • kaimu1
  • ベストアンサー率18% (72/393)
回答No.2

>>「キリシタン」は差別用語に準じた表現なのでしょうか? では無いはずです。「くりすちゃん」という英単語が英語が周知されていない時代に「きりしたん」に聞こえただけの事ですので。 「ほったいもいじるな」と一緒です。 ただ、キリスト教も含め宗教を信仰している方々というのは自分の価値観と違う所にあるものに対してはすぐ嫌悪感を持ちますので使わない方が良いとは思います。

fuss_min
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 やはり、差別用語でないとはいえ、 あまり使わないほうが良いのでしょうか。

  • ohmytaka
  • ベストアンサー率0% (0/3)
回答No.1

普通はクリスチャンと呼びますよね・・・ 『キリシタン』は江戸時代に使われていた言葉ですし 現在一般的に使う人はほとんどいません。 わざわざキリシタンと呼ぶことは 馬鹿にされているようないらぬ意味を連想してしまうのではないでしょうか。 実際私がクリスチャンだったとしてキリシタンと呼ばれると ああこの人何も興味ないなとか、 馬鹿にされてるのかな、とか思うかもしれませんね。

fuss_min
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 馬鹿にしているつもりは全くありません。 ただ、確かにそう言われてみると、 「クリスチャン」という言い方をする人が 圧倒的に多いかもしれませんね。

関連するQ&A

  • キリシタンについて

    江戸時代のキリシタンの話にはよく「来世」とか「現世」という言葉が出てきますが、今のキリスト教に輪廻の考えはありませんよね? 昔のキリスト教はそういう考えがあったのでしょうか? 文献なども教えて頂きたいです。よろしくお願い致します。

  • 差別用語と大和言葉

    めくら・つんぼ・おし・きちがい・・・などが差別用語だそうです。 しかし、これらは日本固有の大和言葉であって、これらの代わりに用いられる漢語表現である「盲目」「聾唖」「狂人」などがOKというのがイマイチ納得できません。 もちろん差別される側にとっては、自分や自分の家族、親友のハンディキャップに対して直接的表現を使ってほしくない、という気持ちはわかりますが。 極端に言えば「中国語はOKで日本語はダメ」ってことですか? 最近ではディズニー・アニメの「ノートルダム物語」。あれって昔の人だったら「ノートルダムのせむし男」だとすぐにわかるし、現にアニメの中でも「せむし男」が描かれていますよね。 また、英語圏ではblind, deaf, wordless, crazy といった言葉はよく使われていますよね。これらは彼らにとって「差別用語」にはならないのですか? テレビや映画の中では、殺人や詐欺や薬物濫用などの「悪いこと」が表現できるのに、これらの言葉が使用できないというのに不自然さを感じています。 これらのメディアの制作者側の人たちだって、差別しちゃいけないから使わないのではなく、使ったことで叩かれたくないから使わないのは見え見えですし。 私たち観客側から見ると、使わないことで不自然さを感じ、むしろそのことを目立たせてしまっているように感じるのですが。 私はどんなに無垢なことを言っていても誰しもが差別意識を持っていると思っていますので、めくら・つんぼ・おし・きちがい・・・などの言葉が最初から単なる事実の描写以外に差別的な意味合いを含んでいたと思います。 しかし、これらの大和言葉を比喩的に用いる場合にも「差別用語だからダメ。外国語ならOK。」というのに引っかかりを感じます。 皆さんのご意見をお聞きしたいのでよろしくお願いします。

  • 隠れキリシタン弾圧による殉教

    日本の「暗黒の歴史」のひとつに、隠れキリシタン弾圧による殉教があるかと思います。 ちなみにCatholicです。洗礼も受けています。 さて、他のカテゴリで自分がキリスト教信者であることなどについて、いくつか質問しました が、回答の中に「待ってましたよ!」的な回答がありましたので、早速質問します。 Vaticanではごく控え目ながらも、天草四郎らの殉教について、公式に「殉教であった」と認定していますよね~。 殉教ですね、その宗教を信仰する「自由」を剥奪された上で死ぬことです。 まー、たいていは拷問に遭った上で「処刑」というstyleでしょうか。 もしも、日本が「地理的」にEuropeに近かったら、天草四郎たちが「殉教」した直後、速攻で各キリスト教国家に「十字軍」的に「攻めて」来られていたでしょう。 地理的に「遠い」ので、現代でも神社も寺も存続しているに過ぎない。 ぷ、と思った回答では「キリスト教では過去に魔女狩りなどがあって」とか書いてあったのですが、魔女狩り?だったら、日本でもあったよね?隠れキリシタン弾圧による殉教という名の …。踏み絵って知ってるでしょう、知らないヒトたちには、ぜひ知っておいて欲しいですね、 イエス様や聖母マリアさまの「絵」が描かれた紙を「踏め」つうやつだよね。 寺に行くヒトたちに「オマエ、ここの仏像を踏めるか?」と言われたらできるのか、つうことだよ。 mission impossibleですね。 信じられない。ニンゲンとして赦されることだったのか、です。「踏み絵」が! たまたま、地理的に遠いAsiaだったんで、殉教者が出ても攻めて来ることが無かったってだけなんで、普通は「報復」されてるでしょう。 それで、よくキリスト教を批判とかできるよね?と言いたい。 別に日本にキリスト教信者が少ないことはどうでも良いんです、信じるも、信じないも個人の自由ですからね。 こちらも仏教だの神社を「良いんじゃない?」と言ってるんだったら、放っておいて欲しい。 この21世紀になっても、日本に好きで住んでるワケじゃないキリスト教信者を何かで危害加えるとか、どうかしてると思うんです。 一時期、なぜ日本人はこの珍妙な「仏像」だのを「拝む」のかが不思議で、近所に有名な@@大師とかいうのがあるので、ふーん、と思って眺めに行ってたことがありますが、研究しに行ってただけで、拝む?とかしたことはありません。 そこは密教?だったかな、ですよね、で、あ、そう、という感想でした。 もちろん、そこの寺の何かものを壊すとかもしてません、見てただけで。 ですので「気に入らない」とかいう根拠も無い感情的な理由?で、キリスト教信者であるニンゲンに危害加えるとかって、「宗教的迫害」になると思います? 自分にとっては「テロ行為」にしか見えないです。いかがでしょう。

  • 差別言葉

    差別言葉(用語)と蔑称はどう違うのですか? 例えば、身体障害者に対する昔の言葉で「めくら」「つんぼ」というのがありますがこれらは差別言葉ですか?それとも蔑称なのですか?

  • キリシタンの扱い

    私は最近遠藤周作さんの沈黙という有名な著書を読んだのですが、ここには実話が書かれていますよね??確か、そこで質問なのですが、昔の日本ではキリシタン弾圧がされていましたが、ちなみにここでも書かれていましたが、もしキリシタンだと判明したら踏み絵を踏ませてましたが、その後、キリシタンだった人々は特に司祭は、自分の国に帰らず、日本名をもらい生活していましたよね?これはなぜでしょうか?日本に留まらせておくのでしょうか?? また、ほかの彼の著書のキリスト教にそった、著書があればご存知なかたお願いします。

  • この言葉(単語)は差別用語?

    この言葉(単語)は差別用語でしょうか? ※不快に思われた方、削除依頼してください 江戸時代まで、男性の一般的なヘアースタイルの「○〇〇まげ」という 言葉「〇〇〇」は、ある特定の人を差別しているので、「まげ」と言うなら 問題ないが、「○〇〇まげ」となると差別だと、ある外国の方にいられた。

  • キリシタン迫害における真実とは?

    日本の歴史の教科書には、キリシタンに対する迫害について書かれていますが、 http://72.14.235.104/search?q=cache:eUxCIbjEPo4J:www.sagamiono-ch.or.jp/intercessors/2005/2005.04.jpn.pdf+%EF%BC%91%EF%BC%8E%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%BF%E3%83%B3%E8%BF%AB%E5%AE%B3%E3%81%AE%E7%90%86%E7%94%B1&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=1 を読むと、教科書とは内容が違うようです。 数字に関して当時の人口が定かではありませんが、あまりにも多すぎると思え鵜呑みにできませんが、海外に売られた女性たちは、日本において非道な行いをやった宗教の信者とは違うように私には思えます。 差別問題を調べていて、キリシタン迫害により見つかった信者が、頑として宗教を手放さなかったので、差別され海外に追放されたようなのですが、それとは違うようです。 やはり、キリシタン大名によって信者でもなんでもない女性たちが捕獲され、火薬と引き換えに海外に売り飛ばされていたのでしょうか? 少しの情報でも結構ですので、何かご存知の肩、よろしくお願いします。

  • ○○氏って差別的なのでしょうか?

    とある講座のチラシを作り、「講師:○○ ○○氏」と書きました。ところが役所に置いてもらおうと持っていったところ、人権政策担当課の人に「あまり○○氏という書き方は使わない方がいい」と言われました。なんか差別的だと言うような説明でよく分かりませんでした。 ○○氏って一般的な言葉だと思っていましたが、気づかずに差別用語を使っていたのでしょうか?○○氏のどこが問題なのか教えて下さい。よろしくお願いします。

  • 「精薄児」という言葉は差別用語ですか?

    先日「精薄児」という言葉を使ったら、それは差別用語だと注意されました。 本当でしょうか? また、どのように言えばいいのでしょうか? このような差別用語は誰が決めているのでしょうか?

  • ガイジンって差別用語?

    最近、「ガイジン」 って言葉がなくなって、 「外国人」 と言い換えられるようになったんですが、これって差別用語なの?  もしそうなら、いつ、誰が 「差別された」って抗議したんでしょうか? 不思議です。 もうひとつ、北系か南系か判別できない半島出身者に対し、「チョウセンジン」 って表現したら差別した事になるんでしょうか? すごく気をつかってばかりで、疲れてきました。