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神様についての疑問

ときとぎ宗教(とくにキリスト教)について疑問に思うのですが a )神は慈悲深いとされていますが、それならどうして人間は神の愛を感じられないのでしょか? b)神はどうしてイエスを最後に人間に語りかけるのをやめたのでしょうか?もう人間に興味がなくなったんでしょうか? c)天国にいくために善行をつむのは偽善なのでは?天国がなかったら その人は善行をつむ必要がないことになります。そんな人が天国にいくことなんておかしい気がしますが。 d)旧約聖書に見られる神の命令による民族浄化(聖絶)についてどうおもわれますか?旧約の時代のように現代に神が命じるとしたら、信者たちはまた同じことをするのでしょうか? d)神はアルファでありオメガであるといっていますが、ではなぜ人間に十戒のように人間に命令する必要があるのでしょうか?神がそのような完全な存在なら人間の行いに影響を受けるのは矛盾している気がするのですが。真に道徳的な存在は他人もそうであることを要求しないと思いますが。 e)神が世界を作ったなら、悪魔も神がつくったことになりませんか? そうでないなら神は世界を作り損ねたのでしょうか?

みんなの回答

  • safecity
  • ベストアンサー率0% (0/5)
回答No.20

イエスキリストの名前の意味をご存知ですか。頭が痛むやつという意味です。貴方は自分の信ずる神様をこのように呼ぶのですか?彼の本当の名前はイマニエルです。ヨーロッパ、中近東の宗教はイルミナティが作りました。ですから本当に崇拝しているのはルシファーです。プレーディアン星人はイマニエルやモハメドを生み出し、人間が精神的な進化を収得するようにしたのです。今はスイス人のビリー マイヤーがイマニエルの生まれ変わりとして活動していますが、UFO関係でオカルトの人と誤解されています。世界のリーダーは、ルシファーを崇拝する爬虫類人との混血の王族、金持ち、大司教などによってコントロールされています。以下に私の知っている世界史の一部を紹介します。人類創世記に書かれているように、地球人は宇宙人との遺伝子操作によって誕生しました。その後地球に我々よりも長く住んでいる爬虫類人が地上に出てきて人間と血縁関係を結び、13血統をヨーロッパに広げました。エリザベス女王や殆どの王族そしてアメリカ大統領の44人中43人は爬虫類人と混血です。You tubeでReptilian Bushで検索して目を見てください。ブッシュはエリザベスの親戚です。彼ら爬虫類人は、このところ人間の姿を保てなくなり多くの人に変体している現場を目撃されるようになりました。混血率が50%の場合爬虫類の姿になることが出来るのです。なかなか写真が存在しませんが、殺されたダイアナさんの事故現場写真の顔を見ればあごに角が2本出ているのが分かります。ダイアナさんはパッセージ ツウ ダイアナといわれているパリのトンネルの中の13番目の柱にぶつかって死にました。彼女は自分が殺されることを知っていました。これは爬虫類人の儀式の生贄だったのです。当時パリには、もとナチスドイツでエンジェル デスと恐れられたメンゲラ医師がいて、ダイアナさんの魂と体の一部を儀式のために秘密裏に切り取っていったそうです。生贄の儀式なしでは人間の姿を保てないので年に何回か行っていたのですが、2012年が近ずくにつれて頻度が増してもうどうにもならないところに来ているそうです。2012年12月22日に25800年の周期を終えて2013年3月28日からアクエリアス時代に入り、我々は3次元の世界を卒業して5次元の世界へ行きます。では具体的にどんなとが起こるのでしょうか。爬虫類人達は4次元までしか行けません。ですから人間と混血になって5次元に行きたいのですが、2012年が近ずくにつれそれは不可能なことがわかっています。そこで我々をだまして3次元に留めようとするはずです。信じられないでしょうが、彼らは魂を集めることが出来るので9/11のように、テロに見せかけた核戦争や自然災害に見せかけて多くの人を殺そうとするはずです。そして最後には宇宙人を装って地球に突然着陸し、我々を助けるふりをするのではないかといわれています。ナチスドイツ、アメリカ、イギリスには少なくとも65年以上宇宙人が政府と一緒になっていろいろなことを計画して来て、決して宇宙人の存在を認めなかったのに、いまさら巨大な宇宙船ではじめて現れるように演出するのは何かたくらんでいると見たほうが良いでしょう。6000年も騙されてきたので今度だけは騙されない様にしないといけません。マヤ人によると2012年12月ごろのある日突然世界中が3日ほど暗闇に包まれるそうです。これは、地球が銀河系の中心平面を通過しているということです。このときもし地球の南北が入れ替わり回転軸の位置がずれると映画のようになります。このとき青い強い光が銀河の中心から注ぎますので、この光を浴びてください。これによりあなたのDNAは新しくなり5次元にいくことが出来ます。5次元の世界は、3次元の時のように死にません。体は魂の一時的なよりどころで必要な時に新しい体に変えられます。もはや地位やお金の奴隷ではなくなるのです。 ちなみにこの爬虫類人達は、行動する前に皆に知らせなければ行けないという取り決めをしています。映画、テレビ、雑誌、新聞、ラジオなどは全て彼らの会社ですので、しっかりと見ておいてください。2012年に関した映画結構ありますよね。インディペンデンズデイの始めのところを読んでいたら、48歳のシカゴ選出で民主党の大統領が主人公の一人になっているのは偶然でしょうか。来年48歳のオバマ(もちろん爬虫類らと血縁関係)も本に書いてあるとうりシカゴホワイトソックスのフアンですよね。スターウォーズ、未知との遭遇、MIB、スターゲート、ミムジーなどにはずいぶん本当のことが織り込まれています。スターゲートの中で考古学者のDr.ジャクソンが古代言語を解読してその星の人の起源のことを説明しますが、じつは人類の起源のことでその星の人々は我々の祖先であるアトランチス人だと思われます。少年がグレイと呼ばれる宇宙人に取り付かれて支配者(ラ)になりますが、多くの宇宙人は人間の体に取り付くことが出来ます。ヨーロッパ、アメリカ、日本の政治、経済、金融のリーダーの多くが、取り付かれいるか血縁関係ですので、戦争、経済不況、麻薬などがいつまでたっても解決しない理由が分かりますね。世界は今ニューワールド オーダーにもとずいて動いていますので、アジアの国々は中国に吸収されるでしょう。1ドル札の後ろにピラミッドと支配者の目が描かれておりラテン語で計画に同意せよ、ニューワールド オーダーと書かれていますがほとんどの人は何のことだか分かっていません。(You tubeでIlluminatiと検索してください) モーゼの末裔のDr. Bill Deagleの話は、You Tubeにあります。彼は先祖のように人類を救おうとしています。今も昔も宇宙人と人間の関係は変わっていないのです。ビリー マイヤーのアメリカでの代理人であるマイケル ホーンが最近Youtube に分かりやすいVideoをのせています。あなたは目覚めてきています。

回答No.19

No16のyy8です。聖書は物語。長編小説を読むような接し方をするのも一つの方法ではないでしょうか。 神の世界へ導くための長い物語だと思えるのです。 二千年も三千年も前の人々の知識や環境、社会的意識は現代とはだいぶ違っていたことでしょう。 好ましい神の世界へ人々を導くため、人の理性に博愛精神を訴えても、その当時の人々の心には届かなかったのではないでしょうか。 だから正しくない者は罰せられるという意識を持たせる必要があったのでしょう。(神が残酷なことをするよう命令した、というように解釈する必要はないように思えるのです)

szatmari
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 私は納得できませんが。神が自分の被造物を罰するとは矛盾してませんか?

  • ri-zyu
  • ベストアンサー率30% (184/611)
回答No.18

是々非々は非なり、神様は理屈でなく理屈抜きではないのですか、人間智(理屈)超えてた存在だから神なのではないのですか。

szatmari
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

回答No.17

   No6です。 >では旧約の神はどうなるのですか?旧約は聖典ではないとでも?  正典と聖典は意味が違います。聖書は正典になります。例えば、キリストの死後、沢山の福音書の記述が発見された。ではどれが本当か?その様な過程で選ばれた福音書が、3共観福音書とヨハネ福音書と言われます。ユダヤ教は新約を否定するでしょうが、キリスト教では旧約聖書の神も同じ神です。三位一体の神と言われ、神・キリスト・聖霊とされています。その意味で、旧約を知ることはキリスト教の神を知るために大事な事です。でも、旧約は範囲が広いので通読するだけでも大変ですね。 >それでは同じ書物でも各人、各宗派によって解釈は異なる余地があるのですね。しかもその正しさを客観的には立正できない。ではあなたは自分の信仰をどのようにして他の宗派に比べ正当化しているのでしょうか?よかったら教えてください。  判り易いと思われる事例として。ローマ・カトリックなどは、原始キリスト教にまでさかのぼる程の長い歴史があるでしょう。そして、一般にカトリックが正しく、プロテスタントは新しい流れと言えるでしょう。勿論、此れはある程度は真実です。では、何が違うでしょう?辞書やネットで検索してもわかるでしょうが、正典の解釈に違いがあるようです。カトリックは外典と言われるプロテスタントで言う聖書の他に、伝承が含まれると言われます。しかし、プロテスタントの正典にはありません。 又、サクラメント(儀式などの考え方)に関してもかなり違います。同じカトリック内にも相違があると思います。  ヨーロッパ諸国からアメリカ・アジア・アフリカと世界中に宣教されました。日本にも幾つかの教派や教団の歴史が有ります。全てを調べると膨大な量になるでしょう。  日本はヨーロッパとアメリカの影響を受けています。私立大の歴史にも幾つかの種類があります。有名な処では、明治・立教・青山・関東学院・東北学院・西南学院など。これらも特色があります。対立が無いとは言えませんが、日本では信教の自由が謳われている為か、余り大きな問題に発展した事は聞きません。  自分の宗教の正当化⇒例えば、モルモン教はキリストを否定する宗教と言えるでしょう。現にクリスマスはしないようです。でも、仕事でのクリスマス関係の依頼があれば断るでしょうか?知人は勤め人ですが、そんな事は聞いたことがありません。エホバの証人の輸血問題は一時社会問題化しました。その問題の根底にあるのは何でしょう、社会との接点に違いがあるか、聖書の違いだろうと思います。私は例年クリスマス礼拝をします。キリストの誕生を記念して行います。私の知る多くの方はクリスマス礼拝をします。教派が違っても共通する信仰があるからです。旧約聖書のユダヤ教はしないでしょう。では普通の日本人は?⇒子供の居る家庭ではすると思います。では正月は?此れまでの私は、仏教の兄弟に混じって参加しました。それは、両親という不信仰な仲介者が居るからです。  では私の信仰は?私個人は不完全な自分を認めて、完全な方を信じる信仰です。不完全だから信じるのですね。神もキリストも完全であった。その完全であった方に従って生きてみよう。ただそれだけです。そして信じる仲間が居て、助け合える関係がある。誰が見ても素晴らしい方や優秀な方が居られます。でも神様は不完全な私も助けて下さる、その様な信仰です。信仰は極めて個人的な神様と私の関係です。だって親子でも違う場合も有ります。死んだ祖父母とも違う事もあります。それらも含めて生きている訳です。相手を尊重し・自分も尊重される。又、協力し合う関係。此れも、キリスト教で言う"愛”になると思うのですが。旧約聖書の神も同じように理解をしています。でも、此れはある程度専門的な学びをして、最近になって判った事です。教会だけでは理解出来ないと思います。そして、学ぶ事も自分の信仰から始まると思います。以上

szatmari
質問者

お礼

詳しい回答ありがとうございました。

回答No.16

聖書も仏典も今から二千年も前のものです。その当時の人々には、理性に訴えるという方法が、布教という点において、不適当であったのでしょう。 そこで聖書や仏典は人々を導くために方便という方法をとりました。 そう受け止めることが出来れば、聖書の言葉、表現にこだわる必要はないと思えます。 キリスト教の本質は博愛精神であることは理解していることと思います。 ですから博愛精神を心に置いて聖書に親しむことをお勧めします。 そうした姿勢で聖書に接すれば、言葉尻にこだわることなく、なにを言おうとしているのか、読み解いていけるようになるはずです。 方便とは。 車道で遊んでいる幼い子を、危ないからとおばあさんが、おいしいおやつがあるからこっちにおいでと呼ぶ姿。 幼い子に車が通って危険だからと言っても分かってもらえないのでこのように方便を使います。 その子は大きくなってから、おばあさんの誘った意味を理解することでしょう。 szatmariさんも聖書に親しんで理解を深めていってください。

szatmari
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 聖書も仏典も今から二千年も前のものです。その当時の人々には、理性に訴えるという方法が、布教という点において、不適当であったのでしょう。 そこで聖書や仏典は人々を導くために方便という方法をとりました。 そう受け止めることが出来れば、聖書の言葉、表現にこだわる必要はないと思えます。 キリスト教の本質は博愛精神であることは理解していることと思います。 ですから博愛精神を心に置いて聖書に親しむことをお勧めします。 そうした姿勢で聖書に接すれば、言葉尻にこだわることなく、なにを言おうとしているのか、読み解いていけるようになるはずです でよろしければ旧約の女性や子供にまで手をかけた聖絶をどう解釈したら、キリスト教の博愛精神のあらわれと考えられるかをおしえてくださいませんか?

  • raphael7
  • ベストアンサー率35% (11/31)
回答No.15

a)世の中には悪魔が存在します。  恋愛が愛だ、性愛が愛だ、など数々の嘘を吹聴します。  事あるたびに神が降り立ち、愛を与えたならば世の中は神か悪魔か見分けが付かず混乱するでしょう。それを防止するために神は絶対非干渉です。例えその人が亡くなったとしても。唯一知りえる場合は悪魔に気が付いた時です。 b)イエスの神は神ではありません。悪魔です。  世間ではクリスマスで賑わっています。イエスが正統なものであるならば2000年も誕生日を祝うなんて有り得ません。  この日に毎年巨額の経済が動きます。スーパーも何もかも、そして恋人達の為にホテルやコンドームも。人であるならば、しかも誕生日に。 何者なのでしょう?イエスとは? c)天国は存在しません。悪魔の嘘です。  善行を積んで天国へ。会社の為に働いて退職金を得よう。似てませんか?  悪魔は再利用が出来る魂を求めています。  死後は「無心」に戻る事です。  釈迦は人間出身の真理を得た偉人です。お経を読むといいでしょう。 d)聖書は読みませんので省略します。 e)神というのは存在しません。それぞれの波長が合った霊魂のグループが存在します。それぞれ地球に属するとは限りません。 イエスなどのグループは地球より外の寒い場所に属します。恐ろしいところです。 宇宙の外は案外、どこかの研究室であったりするかも知れません。

szatmari
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.14

a)キリスト教の神としないで、自然とした感じられないですか? 厳しいが、春になると、大地を緑にして、作物を実らせる。 で、古来の日本人は、最初に取れた作物を、山に捧げていたそうですが、めんどくさくなったのか、山のふもとに祠をたて、そこに捧げているうち、神社になってこの神社が神の住まいとして、「また来年もたのみまっせ」と取れた作物を自然が擬人化した神みたいなものを想定して、捧げた。 愛を感じ頼っているから、捧げるわけですよね。 古来狩猟していたわけで、食べ物を探して一日中俳諧していたと思える。 (NHKの番組をみたらね) 徘徊して出会った作物を食べていた。 神の恵みだと感じていたわけです。実際は自然の恵みですけどね。 しかも、自然は人間に食べてもらうため実っているわけではない。 でも、人間は「自分のために」と都合よくとらえたわけです。 b) 自然は最初から人間に働きかけてはいない。   自然淘汰。   例えば、どんぐり、山林に実っているわけだが、にがくて食べれない。   腹くだす。   しかし熱を加えることで、渋みが取れて食べれるようになる。   熱を加えて食べた集団が、生き残るわけです。 c) 要するに「みんなも天国に連れていきたいから」というのは、偽善だってことですよね。   勧誘して会員を増やせば、自分の給料が増える。   それが本来の目的であって、自分が天国にいくために、会員を募る。    これは、、、偽善というより、欺瞞。   映画でドッグビルってあるんですが、欺瞞について描かれています。 グレースって女の欺瞞。 おもしろいですよ。馬鹿女の欺瞞っぷりが。 ただ、これはキリスト教にもいえること。 d) いえキリスト教の歴史は殺戮の歴史です。 カトリック教徒によるプロテスタント信者の大虐殺とかありますし、最近だとイラク戦争。 ブッシュの「これは聖戦だ」と言ったために、どれだけキリスト教徒の心が、罪の無い人を殺すことに賛同したでしょうね。 イラク国民に自由をなんて 嘘っぱちです。 キリスト教徒たちは自分が裕福になるため支持した。 乗っ取ってエネルギーの供給が安定すれば、生産もあがるし、電化製品も使い放題じゃないですか。 自分のためなら、他人を利用もするし人殺しもやる。 利己的な遺伝子のテーゼですねぇ。 d2)かな? アルファでありオメガであるってのは、女神のこと。 パクってるんです。もともと女神の概念がアルファでありオメガとされた。 十戒律は「あなたが私の民であるなら、どうして人を殺せようか。私の民であるあなたは殺すはずがない」という訳が原文に近いそうです。 従って十戒は命令じゃないんです。呼びかけみたいなもの。 しかも、この十戒の元の話は、エジプトで語られたいたもの。 人は死んだら最後の審判を受け、そのとき「私は人を殺していません」とか告白しなければならないとされたんです。 エジプトでは最後の審判の時、10を含む40以上の告白をしなければならないとされた。 天秤の秤で罪を計られるが、片方に人間の心臓、もう片方にマアトの羽が置かれ、釣り合いがとれなければ、ワニに食われるとされた。 ワニって書いてはいませんが、まあ ワニみたいなものに食われるとされた。 釣り合いが取れたものは、オシリスの支配する死の国に行くとされた。 聖書を読むと、神はすねるし嫉妬するし、怒るし、後悔するし、失敗するし、まるで人間の子供みたいです。 誰がキリスト教の神は全知全能だって言い出したんでしょうね。 他の神話をパクって自分のやったことにしちゃうくらいなので、決して全知全能では。。。。 まあ パクって聖書の元ネタを作った人が、全知全能じゃなかったので隠蔽しきれず、他からパクったとバレてしまったわけです。 盗作なんです。 >真に道徳的な存在は他人もそうであることを要求しないと思いますが。 いやいや、プラトンは要求しましたよ。 ちなみにキリスト教ってプラトンの思想を宗教化したもの。 e)ええ。私もそういう疑問を持ちました。 で、私は、じゃあ 神は悪も内在していたから、悪魔を作れたのだ ってクスっと笑いました。 だって、全くの善なら、悪など微塵もないから、悪魔を作れるわけがない。 するとこうです。 ルシフェルは神に忠実だったが、後に神を裏切った。 したがってルシフェルができたときは、ルシフェルは全くの善だったというのです。 話は少し複雑で、現存する古代最古の神話ではこうです。 初源の神がいた。 アプスーとティアマトです。 ティアマトはたくさんの神々を生み出した。 ところがたくさんの神々がワラワラしていて、世の中が騒がしくなり、アプスーは安息できないとして悩んでいたら、ムシュシュだったかな? 彼がアプスーに殺してしまえばいいと言った。 ムシュシュもティアマトが生み出したものです。 アプスーがティアマトにそう持ちかけると、かわいい子供たちを殺すわけにはいかないと言った。 ところがアプスーが自分たちを殺そうと考えていたと知った息子たちは、アプスーを殺してしまうのです。 そればかりか、ティアマトの最高地位をくれと言った。 ティアマトは夫を殺したばかりか、最高地位までくれという息子の送った使者を切り刻んでつきかえした。 とても恐ろしい神なわけで、息子たちはおびえたわけですが、孫のマルドウゥクは、ひるまず反乱軍のリーダーとなった。 天界はティアマト側の神々と、マルドゥク側の神々とまっぷたつに分かれ、大戦争をする。 あなたが知っているであろう、ヨハネの黙示録の内容です。 恐らくバビロンの大淫婦とされるのが、ティアマトとして残ったのではないかと。 聖書では最高地位をくれと挑んで落とされたルシフェルに対して、同情的な表現をしています。 ティアマトは神々を作り損ねたのか? どうなんでしょうね。 親は子供を正しく育てたつもりでも、親の思い通りに育たない。 それは親が邪悪だったから とかそういう問題ではなく、親とは別だからじゃないでしょうか。 もともとmtDNAだけだったのに、mtDNAはY染色体を生み出した。 mtDNAはY染色体と交わることで、自らを増殖していったわけです。 母権社会になり、恐らく平和に暮らしていたと思うが、Y染色体の反乱で、今じゃY染色体の父権社会です。 それでも、Y染色体はmtDNAであるマリア(地母神・自らを生み出した初源の神)に思いをよせ、マリアへの帰還を願っている。 複雑な心理なんですねぇ。 アヴェ・マリアの歌を聞くと、どういうことだろう と考えます。

szatmari
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.13

#12です。誤植がありました。 #9、10さんの表 => #10、11さんの表 と読んで下さい。

szatmari
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.12

私は 人類→宗教、道徳→国家→政府 という順番に、その存在範囲が狭くなり、また寿命が短くなっておりますので、#9、10さんの表を修正して、 言語(論理)、芸術→人類 宗教、道徳、戦争→人間集団 国家→超法規、軍事権 政府→法、警察権 という対応を考えています。この関係の対偶を図式して見ると面白いです。すなわち、 非人類→非言語(非論理)、非芸術 非人間集団→非宗教、非道徳、非戦争 非超法規、非軍事権→非国家 非法、非警察権→非政府 また、 悪魔→不労所得者(ただし、投機による収入の税率が労働による収入の税率より低く抑えられている現状では、の条件付きで。創造性に基づいた豊かさを維持するためには投機や賭けに基づいた不安定性の創出は必要ですから。) と考えています。話しがそれてしまって申し訳在りません。

szatmari
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

noname#91067
noname#91067
回答No.11

※追記 宗教→法 民族浄化→弱者切捨て 人間→国民 信者→洗脳されている人 としてもいいかな?

szatmari
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

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    旧約聖書には神様が「カナンの土地はおまえたちにやるから住民を殺して奪え」という話が出てきます。連行してきた異民族について「男は子供も含めて皆殺しにして、女は処女だけ残して、あとは殺せ」という話もあります。神様が殺せという言うときどうしますか? (1)神様のお考えは人間の知恵をはるかに超えている。悪いことの気がするけど、神様のお考えからしたら良い事なのかもしれない。神様の視点では現世の人間の生き死により天国での暮らしのほうが重要と考えているのかもしれない。わからないけど、神様の言葉に従おう。 (2)神様がそんなことを言うはずがない。なにかの間違いだ。自分の良心でそんなことはしない。 (1)だとイスラム国みたいになってしまします。 (2)の考えだと自分の判断を神様の判断の上に置くことなります。それは神様に対して傲慢ということにならないのでしょうか?神様を信用しないということになりませんか?

  • 神みづからによるみづからのアウフヘーベン

     聖書の伝えるヤハヱーなる神は  旧約聖書のエレミヤ書(31:31以降)に  その内容を明らかにして予告し  それがパウロをつうじて  かれの著わしたと伝えられるヘブル書で  けっきょくイエスによって  〔そのイエスが神の子キリストとして世に  現われたという想定のもとに〕  成就した  と語った。  すなわち:  ▲ (伝パウロ・ヘブル書8:7-13) ~~~~~~~  もし、あの最初の契約が欠けたところのないものであったなら、第二の契約の余地はなかったでしょう。  事実、神はイスラエルの人々を非難して次のように言われています。    「見よ、わたしがイスラエルの家、またユダの家と、     新しい契約を結ぶ時が来る」と、主は言われる。    「それは、わたしが彼らの先祖の手を取って、     エジプトの地から導き出した日に、     彼らと結んだ契約のようなものではない。     彼らはわたしの契約に忠実でなかったので、     わたしも彼らを顧みなかった」と、主は言われる。    「それらの日の後、わたしが     イスラエルの家と結ぶ契約はこれである」と、主は言われる。    「すなわち、わたしの律法を彼らの思いに置き、     彼らの心にそれを書きつけよう。     わたしは彼らの神となり、     彼らはわたしの民となる。     彼らはそれぞれ自分の同胞に、     それぞれ自分の兄弟に、     『主を知れ』と言って教える必要はなくなる。     小さな者から大きな者に至るまで     彼らはすべて、わたしを知るようになり、     わたしは、彼らの不義を赦し、     もはや彼らの罪を思い出しはしないからである。」         (旧約聖書・エレミヤ書 31:31-34)  神は「新しいもの」と言われることによって、最初の契約は古びてしまったと宣言されたのです。年を経て古びたものは、間もなく消えうせます。  ~~~~~~~~~~~~  ☆ すなわち その神の神によるみづからの揚棄は  次の内容であると捉えます。これを問います。  (α) あたらしい契約の時代にあっては モーセの律法によるのではなく あたかもその昔にもどってアブラハムの信仰によるということ。  ▲ わたしの律法を彼らの思いに置き、彼らの心にそれを書きつけよう。  ☆ というのであれば これが 律法なるオシエ〔を守ること〕を第一義とするのではないことを示している。  石の板に書きつけられた十戒なる律法(なるオシエ)ではなく そうではなく 人びとそれぞれの心の胸の板に書きつけられた思いとしての律法すなわち信仰によることを示していると思われる。  (β) イエスの登場を契機として 次のような内容として あたらしい時代と社会が開けるということ。   すなわち  (β-1) 《原罪》は 贖われ終わったということ。   ▲ 彼らの不義を赦し、もはや彼らの罪を思い出しはしない。  (β‐2) オシエは要らなくなったということ。   ▲ 『主を知れ』と言って教える必要はなくなる。  (γ) まとめて: イエスの去ったあと パウロの言うように《宣教というおろかな手段》を用いて 人びとにイエスをキリストとして伝えるつとめはあって おこなわれたが あとは 宗教としてのオシエは不要であり 組織も教会も要らない。――というあたらしい天と地の時代へ入るということ。  (γ‐1) 神は どんな名で呼ばれようと 全体としてひとつである。とキリスト・イエスが そのアウフヘーベンの内容と結果とを指し示したはずだということ。キリストにもヤハヱーにも こだわる必要はなくなっていること。  (γ-2) つまり エレミヤ書のこのくだりで 神は神みづからをユダヤ民族の神としての位置からさらに高いところに揚げて その世界全体としてひとつなる普遍の神のもとに含まれて〔みづからを〕棄てた。  ▲ (エレミヤ書31:33) ~~~~~     わたしは彼らの神となり、     彼らはわたしの民となる。  ~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ ということであれば そのユダヤ民族にとって もう神はそのハタラキを 何も言わず語らずにおよぼしていることになる。すべての民族において そう成るということだ。  (ハタラキを及ぼすということは 何もしない・つまり人間にすべてをまかせるということでありうると考えられる)。  添削・ご批判を俟ちます。