論理学の問題とは?

このQ&Aのポイント
  • 論理学の問題について、具体的な例を挙げて解説します。包装容器の話についても触れます。
  • 論理学は、思考や論理的な思考の過程を研究する学問です。論理学の問題は、論理的な思考の過程を理解することによって解決することができます。
  • 論理学の問題が苦手な場合でも、練習や学習によって改善することができます。論理学の基礎から学び始め、徐々に応用問題に取り組むと効果的です。
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論理学の問題

論理学の勉強をある事情がありしているのですが、どうしてもわからない一文があります。 中身と分離した時に不要になるものは容器包装である。 中身と分離した時に不要になるもののみを容器包装とする。 前者が、不要になるものすべてが容器包装であるというのはわかります。 しかし、後者の説明で「少なくとも不要になるものだけが容器包装なのだとはいっているが、不要になるものすべてが容器包装だとはいっていない」という文があります。 上の「」内の文章がちんぷんかんぷんなんです。 上と似たような例題で Aさんは晴れた日には釣りをする Aさんは晴れた日にだけ釣りをする。 上の文章の違いは明確にわかるのですが(つまり後者のほうは晴れたからと言って釣りをしないこともありえる)、包装容器の話になるとなぜかまったく理解できません…。 本当に初歩中の初歩だとは思いますが、何か分かるようになるヒントなどがあればぜひ教えてください。 また、本当にこういう論理・推論の問題が苦手です。 生まれもったものなのでしょうか?それともなれるのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • kipepe
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回答No.1

《中身と分離した時に不要になるもの》は《容器包装》である。 《中身と分離した時に不要になるもの》のみを《容器包装》とする。 と《》でくくり AはBである AのみをBとする という風に考えてはどうでしょうか? 例えば 犬は動物である。 犬のみを動物とする。 の様に

その他の回答 (3)

  • owata-www
  • ベストアンサー率33% (645/1954)
回答No.4

わかりやすい例えは#2の方を参照ください。 もう少し、論理学的に考えましょう。 中身と分離した時に不要になるもののみを容器包装とする。 ↓ 命題A:あるものは中身と分離した時に不要になるものである 命題B:あるものは容器包装である とした時、B→Aという必要条件はみたすが、A→Bという十分条件は満たさないということです。 (BならすべてAとは言えるが、AならすべてBとは言い切れない) そもそも、「少なくとも不要になるものだけが容器包装なのだとはいっているが、不要になるものすべてが容器包装だとはいっていない」 みたいな説明が悪いんです、「容器包装ならすべて不要なものだが、不要なものすべて容器包装ではない」ということです。 >また、本当にこういう論理・推論の問題が苦手です。 具体的な事例で考えることは重要なことですが、日本語の表現を難しく考えすぎです。もっと単純化して考えましょう(ちなみにそれを数式化したのが記号論理学です)

noname#80858
noname#80858
回答No.3

>不要になるものすべてが容器包装だとはいっていない」 は、 容器包装がすべて不要だとはいっていない」 じゃない?

noname#80700
noname#80700
回答No.2

今日は。 私は、論理学を勉強したことがないので自信はありません。 例えば買ってきた弁当の中に殻を剥いていないゆで卵が入っていたとして、 食べ終わった後に残ったゆで卵の殻は不要になるが容器包装ではないですよね。 こういうことではないんでしょうか? 全くの見当違いだったらごめんなさい。

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