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霊とは方便なのですか?

今 自分の生き方で迷っています。 どうあるべきなのか、についてです。 私には死後の世界に、人間の意識が何らかの形で存続する理屈がまったく解らないので、推理のしようもないという状態にあります。 何度も死にそうになった私の子供時代の体験からは 臨死体験の描写は なんらかの願望を反映した、病気や体力消耗時に多く見られる夢にしか思えませんし、意識の薄れ具合の何度ものさまざまなその体験からですと、 とても死んでしまっては意識があるとは思えません。 人間の意識は、とてもすぐれた意識ですけれども、生物でもあるのに死んでしまったら意識がある筈がないという感覚です。 ところが 「霊」ということを語る方々は 事実としての死後の意識の世界を語っていたり、 その意識が記憶はほとんど消えたままにてもまた生まれ変わって出てくるとか その霊的な仕組みとかをかなりリアルに語ったりしているわけです。 神の存在とかを この「存在」についての深い思索からいろいろ類推したり、考えたりするととかはできますし、 そこから総合的に永遠の魂(ここでは自己記憶体のことを言っています。)の存在の意味合いとかを類推したり考えたりはできます。   私たちの経験は 動物の経験とははるかに異なる豊かさを持っていることがあるのでその中からの類推はこの件に関しては生物としての経験からもわかると思っています。 そこからは霊魂自体の存在も類推できます。ただし、スピリチュアルな方が言われてる「霊魂」とは別な定義のものかもしれませんが、 それでもそこからはスピリチュアルな方々の言われている死後の世界とかいう世界も否定はできないことになってしまうのです。  もしスピリチュアルな方が言われることが方便として生き方を語る一つの方法論としてその啓蒙のために考えられたものではなくて、実際の事実のうちであるならば、、睡眠中の夢ではない、何かが加わっての実際の死後の体験がどこかにあるということかもしれません。(生きているうちに知ることができる何かの体験がです。) でも、それが事実であるとすると、各人は生物でもあるけれども、すばらしい可能性を宿した存在ではなくて、まず霊魂という霊であり霊界(死後)にても修行している学習過程を持っていて、輪廻の過程でその霊のレベルが定まってしまっている という状態で人間の赤ちゃんになるということになってしまいます。 すると、どんな芸術教育の環境が整い、安定した社会環境がやってきて、かつおおぜいの子供たちがこの地球の美しい森の空気に触れる時がやってきても、 いつまでも感性の鈍い霊は心にゆとりがなく、人を思いやれない人がい続けることになってしまいます。  その霊の修行も含めた歴史観を類推して考えればそうなってしまいます。 また、そのような経済環境、信頼し合える理想的は経済環境(競争自体を見つめることが出来れば、競争があっても人と人とは和は保ったままでいられます。そういう能力は人間という生物のすでに属性です。 もっと深く人間意識を見つめようとするときに、感性の教育がさらに必要となってくるのですが、 これが難しいことは確かです。)自体 生物にとって必然の生きる闘いからも複雑化しているその複雑性ゆえ、  もし深い感性教育が可能とならなかったら なかなかやってこないということになってしまいます。 霊のレベルがすでに決まってしまっている状態が人間のそのへんの能力の状態であるとするならばです。 この危惧自体 左脳の使いすぎ、アンバランス状態である(あるいは考えすぎ)という人もいるかもしれませんが、 左脳は すくなくとも生きてる私たちに「それもまた必要な」世界ですし、 バランスは無視しているつもりは無いのです。 方便には方便の価値、伝統、流れとかがあるでしょうから、方便であっても公には明かすべきでない理由があったりもするでしょう。 ですから ここでの私の質問は「方便ですか?」という疑問自体への答えではないのです。 私は真剣です。 教えてください。 どう考えますか? 「「事業家たちが 地球に「自由平等博愛」の経済社会を実現する闘いは 早急な闘いにすぎないのでしょうか? 」」 理想への道は、輪廻をはるかに繰り返してはじめてやってくるののなのでしょうか? あるいは、そのように例えられるのが私たち人間(霊)の世界なのですか?  スピリチュアルな方の博識と直感は信頼しての質問です、宜しくお願いいたします。

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  • Roman0
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回答No.5

 論語にある孔子のエピソードで、こんな話がありますね。  季路、鬼神に事えんことをを問う。子曰わく、未だ人に事うる能わず、焉んぞ能く鬼に事えん。曰わく、敢えて死を問う。曰わく、未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん。        3,000年近く前から、この点で人は進歩していないということなのでしょう。  そもそもですね、死後の世界があるとしましょう。そうなれば、不遇な親を早く死なせることが親孝行として、合理的に親殺しをするものが出かねないわけです。リセット感覚で。人生には浮き沈みがあり、その中で人は研鑽もされ工夫も積むものですが、都合が悪くなったときにそういう努力をする者が激減するでしょうね。これでは、秩序ある社会は維持・構成されません。  逆に、無いとしましょう。そうなれば、現在の社会に矛盾や不公正があってもそのままそれが全てとなり、それ故に悪辣な行為も正当化されてしまう道が開かれます。これでもまた、秩序ある社会は維持・構成されません。  結局、そんなものははっきりさせないことが人類の知恵なんです。  だから、孔子も鬼神のことを聞かれても、知らんとそっけなくしたのと思われます。  スピリチュアルの世界で仕事をしようというのでないのなら、人類の知恵に基づいて、そんなことは放り出して「人に事うる」や「生」について考えましょう。  「ある」と答えようと「ない」と答えようと、どうせあなたが納得することなんて無いんですから。  ちなみに、合理的・ロジカルな思考能力を持っていれば、「無い」という結論にしかなりません。が、ヒトというものはよほど訓練を積まないと、ロジカルな結論に自分の願望がマッチしないとき、ロジカルな結論の方を疑うものです。だから、納得しない人は納得しません。あなた状態は、その典型ですね。

arayata333
質問者

補足

死後について 語る人には、ごく常識的に疑えるところがあります。 それをなんらか体験なり霊験(造語)なりできない世界ですから、いくらでも嘘は可能な話ですからね。 判断の基準はそれを語る人の人格なのですが、 ともかくそのへんを信じれる人はまだ知っていません。   テレビで「エロスからアガペに人は進化していくのよ」とか言ってるそういう方がいましたが、キリスト教のその言葉を解りやすく解いたつもりなのでしょうが、  実際はもっともっと複雑ですし、人によって具体的に切実なアドバイスの必要な世界だったりする文明人の大問題の一つと思ってる私にはあまりにも荒削りでしかも、自分の言葉で無く借り物の世界、 「お金が欲しい人なんだな、お金持ちなのにな」と思っただけでした。 みんな 「おお」とか すばらしい教えを感動?してましたけれども。 それはそれで別にいいんです。 そういう人達だけなんですか? その世界は?  違うと思ってましたのでそれでの質問でした。 かってな信頼です。 合理的・ロジカルな思考能力は私にも欠けているところがおおいにあると思っています。 でもそのせいで、死後の事を判断できないのかはいまは解りません。  でも無駄な時間は、さけたい理由ももっている人間ですので、判断できるものならば判断しておきたいです。 死後の霊は存在しえるか?についてなのですが、 ここではこのように再質問しておきます。  霊は、ここでは意識とします。 ですが、単に五感のキャッチした刺激に反応した脳の作用と関わる意識だけしか 意識は存在しないという論理をまず証明しなければならない、としてください。  もしそれが出来れはそこですでに、 そういう霊(スピリチュアルな人達の言う霊)の存在はありえないと私も判断できると思います。 たぶん、それだけで納得できるタイプの人間だろうと私は私を判断してるのですが、どうでしょう。 最初の質問の文面からは私が別にスピリチュアルな世界を出来れば信じたいという気持ちなんて持っていないということはわからないと思いますが、たぶん、そちらには、もうそのへんの気持ちはわかったのではないかと思います。   いにしえの知恵者たちと同じく 必要に応じてどちらにも傾く表現であるかのような表現者でありつづけるでしょう。 しかし、厳密な論理も知っておきたい者です。 「人に事うる」「生」の道にはすこしでも無駄を省く力となると思います故にです。 ただ 本物のスピリチュアルな方(あいまいな言い方ですが)に求めていた回答、 それが答え足りるうものかどうかは判断保留のまま求めていた回答ということですが、 そちらから 答え足りうる回答はすでにすでに大きく受け取っていると気がつきました。 合理的・ロジカルな思考の道ならば、それは急カーブにてもすぐれたハンドルさばき以外の何ものにもなりようがない。  それは最高の車でありドライバーの腕だからだ。 いやがけからそれでも落ちるかもしれない。でもそれ以上の急カーブの最効率の曲がり方は他には無い。  「人」「事」「生」、 ロジカル、 今の私には最高のご回答であったと思います。 ありがとうございます。

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  • kigurumi
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回答No.8

>とても死んでしまっては意識があるとは思えません。 はい。 この世もあの世も脳によって作られる。 じゃあ あの世はあるじゃないか? ええ、脳が活動している人の想像の世界で、脳が活動をしなくなれば、あの世を想像(創造)することも不可能になります。 従ってあの世を「こんなんかなぁ」と想像しているのは、生きている人限定。 死んだらできなくなります。 意識(を作り出す)の場所について、脳医学では研究されています。 >ところが 「霊」ということを語る方々は 事実としての死後の意識の世界を語っていたり、 その意識が記憶はほとんど消えたままにてもまた生まれ変わって出てくるとか その霊的な仕組みとかをかなりリアルに語ったりしているわけです。 はい、なんせ言ったもん勝ちなので。 ただ、彼らの主張を崩せないかと言えば、崩せる。 例えばエクソシストという映画は、実話を元に作られている。    「おお 本当に悪魔はいたのか。」 ちょっと待った! 実話では少女ではなく、少年だそうです。 調べた人がいます。 エクソシストの元となる実話は無かった。 詳しい検証報告は、と学会が出している本に載ってます。 先日、ギボアイコさんと、デビ夫人のバトルの動画を観たんですね。 デビ夫人 強し。 やはり頭がいいようで、昔の動画ですが、既にデビ夫人はギボさんがコールドリーディング利用していることを知っていたようです。 コールドリーディングをしている人が、当たらないと言われた場合、「心をオープンにしていないから、霊からのメッセージが妨害され、それで霊感を感じれなくなっている」と読み取る相手を批判する。 コールドリーディングをする場合、相手の協力が不可欠。 「なにか <白いもの>を感じ取るんですが。。。。」と言うだけで、あとは、相手が白に関係あるものを ベ ラ ベ ラ喋ってくれる。 「うちの母は昔白いエプロンを着ていたんです! おかあさんが守ってくれているんですね。先生 当たってます すごい すごい」と盛り上がってくれます。 「やはり そうでしたか。やわらかく暖かい白のイメージを感知しましたが」と、さも自分が当てたかような言い方をすればいい。 ペテン師の脳もエプロン」「母親」のキーワードから、からやわらかい 暖かい というイメージを関連づけとる。 まあ 相手の母親が恐ろしい女だったら、険しい顔になるので、その時は、脳がそれを読み取って、「おかあさんは厳しい人で、あなたを常に見張っていたいと思っているんですね」と作話すりゃあ 相手は納得する。 私も超当たる占い師に2万も払ってみてもらったことがあります。笑 だって 友達が絶対に当たるって私を連れていったんですもの。 私もその頃 方向性を決めかねていたので、まあ 2万ならいいやって受けました。 あの頃はまだ半信半疑。 でも、誠意をもって受けましたよ。 相手の先生なるものは10くらい「見えた」というものを言いました。 「池」「武士」「水子」などなど。 全部 は ず れ。笑 家に池は無い。ところが先生は、無くても過去にあったことを作話した。 これも外れ。 昔は池ブームがあったようで、どの家にも池があったそうです。 だから、池があったと言えば、だいたい当たる。 数代前まで遡れば、何代も続いている家なら、池は普通にあったでしょうけど、なんせ うち、家立つ前、海でしたから・・・・。 池と海。。。。うーーーん 水関連で合っていると私の脳はしてくれなかったようで・・・。 武士? そりゃあ 合戦とかあった土地がらなら、死んだ武士がまだ彷徨っているって言えなくもないですが <海> でしたから!センセ 笑。 (と心の中で思ったが、友達の手前 言えなかった・・・) 水子? 妊娠したことも無いのに、どうして水子が!? そりゃあ 今どきの若いもんは、妊娠中絶当たり前だから高確立で当たる? 信者を騙して手篭めにして(ふるっ)中絶させているんじゃないの? あんた!    「あんたの回りに水子がうじゃうじゃ見えるぞ!」 と言うと、センセ 真っ青になったかしら? 笑 「武士」 これは肩と胃の付近に首だけの血を流している武士が見えると言った。 そりゃあ こういったところに来るくらいだから、悩みはあり、悩めば、胃液が出やすくなり、胃を痛めるまでになっている人が、先生(笑)に除霊をしてもらいに来るので、、、、 普通悩んでいる人に「胃がいたくなることありませんか?」って言えばたいがい当たりますわな。 私 これ使って霊能者になろうかしら? 笑 藁をすがりたい人なら、「先生 助けてください」と私を信じる。 私 すかさず、「この霊は強いですから、一回じゃ 払いきれません。3回に分けますので、予約しておいてください。受付の人に予約を入れてください」ってやって、3回 金巻上げ、、、、 欲深いエセ霊能者のあたしは、「こんなおいしいカモを3回で手放すなんてもったいない、終わったあと、家族に不幸がって言って、全財産を撒き挙げてやる!!!」って。。。ねぇ 笑 しかも センセとか藁をもすがる人々から祀り挙げられ、えっへんと威張れる。 不安を常に友とする人は、1つ大丈夫でも、あらたなことで不安を感じてくれ、すがりに来てくれる。 不安神経症様様だ。 金無くなれば、すがりに来なくなるので用済み。 「無料でやれ? おとといきやがれ~  あ、、一昨日も来たか 笑。  金もってきやがれ ただでやってもらおうなんて虫がよすぎる~   その虫の良さが災いを引き寄せておるのじゃ~ 煩悩を絶て~」 って やりたい放題。 >深い思索からいろいろ類推したり、考えたりするととかはできますし、 そこから総合的に永遠の魂(ここでは自己記憶体のことを言っています。)の存在の意味合いとかを類推したり考えたりはできます。   はい、この能力が悪に利用されると、財産撒き挙げられちゃうわけです。 例えば ゝ(^O^)丿 これなにに見えます? ただの記号ですよね。 え? 手をあげて喜んでいる人? 脳が修正して、知っているのと関連づけてしまうから、ただの記号が喜んでいる人に見えるわけですよね。 で、脳はよく修正をする。   ーーーーー   ---------- 一箇所 切れていますよね。 盲点の部分で、実際 見えていない。 が 脳は修正を入れて 切れ目が無い棒として、我々に見せる。 >もしスピリチュアルな方が言われることが方便として生き方を語る一つの方法論としてその啓蒙のために考えられたものではなくて TVですぴりちゅある なるものを売りにして稼いでいる人は、コールドリーディングすら使っていない。 スタッフが取材した結果を元に、さも霊視したかのような演技をして、ショーを作っているだけ。 娯楽番組の時間帯に放映するでしょ? と学会はギボアイコさんをすばらしいヒーラーだとしています。 どうしてか? いやしを与えているから。 「もう大丈夫だから過去とけじめをつけて、再出発できます。」と太鼓判を押すことで、悩んでいる人が、心が軽くなるような誘導をしているから。 「除霊しつづけないと、家族も死ぬ」など脅しにより、人の不安を増大させていないから。 >私は真剣です。 教えてください。 どう考えますか? すいません・・・何を質問しているのかよくわかりません・・・・。 方便って手段のことですよね。     <嘘も方便> 例えば、空き地に穴が開いている。 そこに落ちたら危険だが、子供達にいくらいっても空き地に遊びにいってしまい、好奇心から穴を覗いて落ちてしまう危険がある。 「あの空き地には恐ろしい霊がいて、一歩足を踏み入れただけでも、体が重くなる」と暗示をかける。 子供はそう言われると、余計に足を踏み入れたくなる。 足を踏み入れる。 暗示にかかっているので、足が重い気がする。 さらにもう一歩、、、、 うわ 何かが自分にのしかかってきた!! やっぱり いる!!! にげろ!!! 自己暗示により、幻の重さ脳が作り出し、本人に重さを感じさせるのでそうなる。 あの空き地に魔物が住んでいるってのは、子供を空き地に近づかせないための嘘ですが、近づかせないための手段でもある。 だから <時には嘘も方便(手段)> と言う。 目的のためなら、嘘も使ってもいい ってわけです。 さて、嘘も方便を沢山の霊世界関係で金を稼いでいる人たちは使っているが、手段のためなら嘘もつく? ええ、その手段ってなに? 自分だけには見える 不思議ワールドに人々をいざなうため? 違うっしょ 金儲けが目的っしょ。 金儲けのためなら手段は選ばない ねぇ・・・・ あくどい。 >「「事業家たちが 地球に「自由平等博愛」の経済社会を実現する闘いは 早急な闘いにすぎないのでしょうか? 」」 あ? 騙されていません? 事業家? 例えば銀行? 銀行はお金に困っている人に、お金を貸して くれ ますよね。 100万借りたとしましょう。 でも返す時は100万じゃすまなくて、100万以上返さないといけないじゃないですか。 差額が銀行の利益ですよね? 利益が出るからお金貸してくれるわけで、親切だから貸してくれているわけじゃない。 http://okwave.jp/qa4239375.html のNo.7さんが貼ったリンクを観て観てください。 >理想への道は、輪廻をはるかに繰り返してはじめてやってくるののなのでしょうか? 頭のいい人が馬鹿を利用するってのは、いつの時代も繰り返されている。 これを<輪廻>と言うのなら、そういう輪廻は史実として存在していますね。 何度でも繰り返し騙される 輪廻をグルグル回る人たち。 そこから脱出して、詐欺だと見破り利用されない人もいれば、輪廻をグルグル回って騙され利用される続けている人もいる。 詐欺師たちにとっては、その輪廻をグルグル回ってくれる人がエサなわけです。 エサがいなければ、詐欺師は発生しない。 ということで、エサの撲滅しか、ウイルスの繁殖を防げない。 でも、普通の人は一度かかると抗体を持ち、免疫が作られるので、騙されなくなる。 で、抗体を作れない人は、、、、国で騙されてすってんてんになった彼らを、税金で彼らを養う。 所得税って取られるでしょ? あれほど言っても、性懲りも無く騙される人を、騙されない人が養うわけです。 で、これも銀行と同じで、いかにも「国民で恵まれない人を養っていきましょう」と博愛っぽいですが、、、、 なんか おかしい・・・笑 なんで騙されることを快楽とする人たちが娯楽に金を使ってすってんてんになり、それを騙されない人たちが養わなければならないのか? 議員は、生活に困っている人を口ききで、生活保護を受けれるようにする。 その代賞に、某宗教の会員にさせる。 某宗教会費とか本とかを信者に買わせる。 その人たちの生活費全部 血税じゃん・・・・orz 宗教が血税をネコババしている! 鬱病で働けない? 毎月、会合に出て、自己啓発講座受けて、選挙の時に電話しまくってるのに、どこが鬱病じゃ~  自己啓発セミナー 税金使って受けるな~ 意味無いじゃん いっくら自己啓発勉強したって、娯楽でやったつもり~ って暇もてあましているからって、遊ぶな~ 税金を娯楽に使うな~ って思いません? 詐欺師の奴隷のカモもなかなか したたかですなぁ。

arayata333
質問者

補足

「ぷちてんかん」この前簡単に書きましたけど、 レントゲンを、かなりの腕とすでに評判の医者に見せられたのの同じぐらいの信頼度で 受け取れました。 それでさへ、ミタカドウカ(怖っ)は、なんともいえないぐらいの印象なのですから、  それだけでは否定はできないのですけど、  そうではなく 存在を哲学していって 感性の世界が頂上が見えない山であることを同時に知って脳で発見した神の意味があまりにもあったので、そこから較べるとなんてまあばかばかしい瞬間だったんだろう(^^)とは思えています。 てんかんでよかった(@@)…、あ 間違えました(^^)。 ありがとうございました。 しかし、真実をそこまで 盛りだくさんに盛り込む、むむ、 ここまで書くと真剣な人しか読まない。 彼らを傷つけないこんな手もあったかな(^^)。 キリストは、こういうのにはムチまで持ち出したらしいですしね。 キリスト様、じゃなかったKIGURUMI様 こういうのには すこしきびしくていいのだろうか? あれ? 今度は「詐欺師の奴隷のカモ」が私の質問への診断? そうカモ。   いつもながら若返らせてくださって ありがとうございます。

  • wiz0621
  • ベストアンサー率42% (182/430)
回答No.7

人間原理、と呼ばれる世界観があります。これは哲学・形而学上の独我論を前提としたものです。 それぞれの言葉を平たく説明しますと人間原理は"観測者"の観測できない宇宙は宇宙では無い。 観測者が居るということは、その宇宙が存在していることの証明となる。とする考え方です。 独我論(コギト・エルゴスム)は近代哲学の最も有名な考え方の一つです。 「我思う、故に我あり」という言葉に代表されるようにこの世のすべてのものを疑っていくと、 残るのは疑っている自分(その事実)だけになるという思考で、 この世で確かなものは自分の思考だけという画期的な発想は人類という生物集団が、 歴史上初めて自分(個)を認識した、あるいは人類史上最高の知の一つなんて評価がされています。 これらを単純に適用することで霊現象とやらは説明できるのではないでしょうか? つまり、霊現象を観測し得た人がいるのならば彼の世界ではそれは真であると言えます。 観測者の観測に絶対を置くならば、これを覆すことはできません。 しかしながら、私のような凡人にはどうやっても霊を見ることができません。 つまり私の生きる宇宙には霊は存在しません。前者と同様、観測者の観測は絶対です。 物理現象は、相対性理論の序論にも示されているように 「すべての(系の)観測者が同様に観測できること」を前提としています。 観測者の一人である私は観測できていませんから、霊現象が物理現象では無いことは これで明らかになりました。 ここで、なぜ一方だけが観測可能なのか?を考えます。以前このカテゴリーで、 「神を見た」という方のお話を伺いました。私の知識は、彼の話は薬物・あるいは心理的 ストレスによるフラッシュバックと同様の症状であると判断しました。 また、別の方の分析では「病気のてんかんじゃないの?」という判断でした。 同一の物理(生理)現象に対して3者が3者とも別の観測を行ったわけです。 これは同一の現象に対して、経験や知識(あるいは別の信ずる基準)の差で 観測結果が異なり得ることを示しています。 最初の方が「神を見た」のが事実であるならば、それは私の精神世界では 「フラッシュバック」という言葉で表します。別の方の言葉ではそれは「てんかん」です。 つまり、言葉が違うだけで我々は同じものを見ている可能性があります。 ここで重要なのは、我々が独立した「個」であることです。 現象の存在証明は独我論によれば、自分しかできないことになっているのですから 彼が神を見たというのは、彼の中で真実たりえるのです。 彼の世界の言葉である神と表現される現象に対して、他者にその概念を押し付けること、あるいは 私がフラッシュバックという「物質世界の共通言語」を押し付けることにはなんら意味が無いのです。 結局のところ、我々は同じ現象を論じているのですから、最終的な判断は個々の精神で行われるはずです。 単純な押し付けは無駄な争いしか生み出しません。 一方で自分の世界観の補強に使える解釈のみを選択的に導入することも可能なのです。 質問者さんのおっしゃる「スピリチュアルな方」の言に信を置く方は自分の世界に共通する観測基準を発見したのでしょう。 物質上の言葉よりその方の世界では神という言葉の方が重要であるということも有り得るのです。 地球に「自由平等博愛」を希求する我々に必要なのは 自分の個を持つこと。および他者の個の存在を認めることです。 つまり「自主自尊」であり、また他者の「自主自尊」を尊重することが最終的な目標達成につながると考えます。

arayata333
質問者

補足

この前の質問のご回答の中で 生物としての神経反応として診断された方の中で、その症状は「プチてんかん」が一番合っていました。 だからといって、それで、その時神を見たのではないということまでは解らなかったのですが、 それだけ特殊な観測された出来事ですし、なんとも言えないのですが、 たとえばレントゲンの結果「ここの骨とここの骨の間に飛び出した神経が見えるだろ、その神経が動くことで刺激されてしびれたり腰が痛くなってる症状だから これは同じ腰痛でも 明らかにヘルニアだよ」と医者が診断したとします。  「いや、私は のどに痺れが来るだけなんです。」「いやヘルニアだ」などという会話は たぶん、その人間原理にかかわらずありそうにないのですが? 前回の場合、kigurumiさんの説明はレントゲンのようでしたし、私の観測したそれをよく捕らえていましたので、おそらく「プチてんかん」は 正しいのだと思います。 そちらも 私の考えからも そこから逆に考えて、科がちがった医者の見立てと信頼できるわけです。 しかし、前回はkigurumiさんの勝ち(勝ち負けじゃないですけど)という感じで受け取っています。 でも、もしそうでない確信がそちらの医学観測にあるほどならば、わたしはその医学自体の観測(私は薬類は飲んだことがない)を疑うか その疑いはあるが似た事例、として考えることになります。 わたしは、哲学の本を読む機会がなく生きてきてしまった者ですが、なぜか(たぶん 体が弱かった時何度も死の床をはいずったからだと思いますが) 物事をいつも徹底して考えながら生きてきたように思います。 似た考えで 私の考えは、こんな感じとなります。 観測という意識の動きも、生物という観測しえない人がいても存在する存在の中での出来事の一種であり、  が、 個々の意識は“完全に他の融合することのない脳作用”の存在に基ずいている。 わかりやすく絶対的孤立意識体と呼んでもいいかと思います。 この絶対的孤立意識体というのが 哲学の世界で重要視されてきた独我論ということのようなのですが、 それですと、その個の概念は、確かに個の概念ではあるでしょうけど、現実の症状と合わないところが出てこないでしょうか? 極端なことの多きアメリカにて、かって親の言うことをよく聞くフットボールの選手が、あるときから突然 体が弱くなっていったそうです。 親の心の奥にある いつまでもか弱いかわいい子であって欲しいという心を無意識に察したその頑丈な体の 優しすぎるフットボーラーは、そしてとうとう寝込んでしまうまでになります。 臨床精神科医がそれにきがついて 彼を親元から離します。  すると、ふたたび元気になっていったのですが、あるとき親からの手紙を病院で隠してたのを見ます。  たったそれだけで もう不治となったその青年は衰弱して死んでしまったと そんな臨床例があります。   ちがうんだよ、人間はまず「個」なんだってば、と教えてあげたくなりますね。 その上で愛情とかもその意識の中に見つけていって幸せにもなれたりする存在なんだよ、とです。 ともかく 哲学史が何故それを最高に評価したのかはわかりませんが、この絶対的孤立意識体というのは 私の中ではかなり重要な概念の一つです。 むむ。書こうと思ったこと全部書こうとするととても紙数が足りないです。 「言語はどこから通じなくなり始めるか(その意識体どうしにて)」「人間とう生物という固体を認め合う意識は それとは別に存在する」「この両方によって、人間は他者の存在を認め、認めつつ抱きしめたりもできる。」「しかし、愛というのは認めるのとは別の働きだ」うんぬん。 これだけでも全部書いたら どうなるか解りません。 が、結論はおなじです。 相手を認め合う点がです。  でも私は「平和」が    すみません、言葉が出なくなってしまいました。  (ごめんなさい。 でも気持ちは出来たらわかってほしいです。) ありがとうございました。

noname#117439
noname#117439
回答No.6

霊媒師経験者primeapeです。 霊の住む場所はこの世です。 それは現実ではありません。 自らの心象の投影された鏡の世界。 心の中です。 霊とはそこでチクタクと踊る人形です。

arayata333
質問者

お礼

ありがとうございました。 ふざけて書くのではなく ほんとにそう思ったのですが、 primeape様は、「大きな古時計」という童謡を知っておられますか? 歌といういものになじんでいないとピンとこないかもしれませんが、歌はうまい下手に関係なく、よほどお腹とかを壊していないかぎり、心が出てくるものです。 無心に歌いこむほどにです。 歌の音楽にもよりますが、「大きな古時計」もその典型のひとつです。 チクタクチクタクと あるおじいさんの生涯、生まれた時に買ってきた時計が鳴りつづける古時計の物語の歌詞、  死ぬ時にその死を知らせてぴたっと止まってしまった そんな内容の歌になってます。 いい歌です。 その歌是非 歌ってみてほしくなりました。 また聞きたくなりました。 今回の御回答も、白紙状態の集中力からのものですか? まるで 私のための 詩みたいで、しかも生きてるような詩みたいで、やはり このまえみたいに、 ふっと 気持ちがなごみました。 今回は ふっ、じゃなくて ふつふつと  というか音楽が思い出されてきてそれと一緒になってます。 奇妙な(失礼、いいかたがおかしいですね。)  ともかく おもしろいです。 ありがとうございました。

noname#80116
noname#80116
回答No.4

 《霊》は 想定ですが 想定した上では 何かに到るための方便といった意味での方便ではありません。また 信じるという行為(つまり 非思考)の世界を導いています。  《神は霊です》(ヨハネ4:24)と言うなら 無神論者が この霊は 無だと見なしているそれです。神が 超経験であるなら なぞです。どこから捉えようとしても 無神論者にしたところでも 《なぞ》です。これを ちょっと粋に《霊》(一般に 息・風が 原義であるようです)と言っています。  arayata333さん 前々回の《神を見た》質問の締め方を見ると ふっきれておられると思ったのですが 今回 けっこう 重い感じですね。と言いますか 《スピリチュアル》などと関連させているところを見ると 軽いことと 重いこととを 混ぜ合わせて 捉えておられるようにお見受けします。  これは 世界はどのように成り立っているかについての概念を決めて それらの定義をすれば 済む問題であるように思いますよ。  ▲ 文字は殺しますが 霊は生かします。(コリント後書3:6)  ☆ この一文は 短いですが 深い内容だと思います。《霊は〔人を〕生かす》と言うなら 霊は神でありなぞですから 要するに 何が人を生かすのか 人には分からないと言っています。《文字》が生かすと思ったら それは 間違いだと言っています。  《文字》は もともとは モーセの規範です。《むさぼるなかれ》という《文字ないしその認識・意識あるいは理性》 これに一義的に頼るなら 殺されると言っています。理性信仰を戒めています。神は 精神ではないと明らかにしています。  経験世界は 文字の世界です。これを超えたところに 神ないし無神を見ると想定するのが 信仰です。なぞであり 霊の世界です。これだけだと思うのですが。  ただし この《霊》が 経験世界と接するという想定に立てば わたしたち人間とも 関係すると信じることになります。《霊が 心と体に宿る》というような言い方もします。まぁ 仏性の例もありますが。  もしこの霊の世俗的な見方に立って 一応 表現を与えておこうと思えば こうなるでしょうか。  《精神》とは こころである。《こころ》とは 霊魂である。精神が 精神という霊でもあれば 魂でもある。便宜的な定義なのだが――したがって 他の解釈を予定しうるのだが―― 《霊》は 精神の精神であり 《魂》は こころ一般でありつつ むしろ感性のほうを言う場合から来ている。魂・アニムス∽アニマル・動物 / アニメ。  《身体》は 精神の基体(《身》)であり うつわ(《からだ》)である。身体は 《感覚》にかかわっている。これを感性と呼べば そういう意味での《たましい》である。  《こころ》は たましいでもあれば たましいを捉え これを導くちから(精神の記憶力・知解力・意志力)である。わたしたちは こころを通して 生活における身体の運動を よく考えよく思う。そして みちびく。そして みちびく方向をおもうことと その思ったように導きうることとは べつである。そこに 《なぞ》がある。  なお 《霊》という意味で 《魂》という語を使う場合もあると思います。  《スピリチュアル》は 《なぞ》の領域について あらゆる想像力と表現力を用いて 推測を逞しくしているのだと考えます。つまり 卜占のたぐいです。  方向がずれたり 焦点がぼけたりしているかも知れませんが。

arayata333
質問者

補足

前回の【「神を見てしまった」ということに意味はあるのか?】という質問は、何か悩みがあって書いたのではなく、特殊な体験ではあるのですからいろいろな人の考えが出てくるかな、有意義な考え(「和」を生み出す方向の)が生まれるといいな、いう感じのものです。   でも、神の事をあのように「存在」か否かとショッキングに問いかけるような体験ですと、頭ばかりが膨らんで意味無くなってしまうと思えてきました。      で、右脳左脳のバランスについてのご回答に接して 何か引っかかってたのはこれだな(左脳でしか考えられない回答が増えてしまうだけ)と思い至急、閉じました。 今回はまた別な意味で、 スピリチュアルな思想に関して、お茶をにごしながら、ある質問をしたわけです。 むかし、ある心理学者の方に反論のような文を書いてその人の心を傷つけてしまったことがあります。 その人の知り合いから「真実ほど人の心を傷つけるものはない」と言われました。 そしたらいつまでたっても真実は浮かび上がってこなくなってしまうのですが、 本当の事は時によりソフトにオブラートに包んだりもしなければという考えも、私の中に生まれるようになりました。 ただ、自分も弁護しておけば、心理学者なのだからもっと強い人だというイメージを持ってしまっていたということです。 よく考えてみたら大学の心理学の課程をともかくパスして、世の中を知らないまま先生と呼ばれる立場の人となってしまった人達ですから、 そう考えると、 これは失敗したなと思いました。 こうしましょう。 ポケモンを使いましょう。 最高ポケは→オコリザルです。(怒られるかな。) ともかく、その最高ポケはナザレの(解りますでしょ)オコリザルと聞いてます。  その世界ではね。 bragelone様の言われるとおり、そういう階級制度、位制度とかは、でもすべて推測とかよりも、 何かのメッセージのための表現の世界なのでしょう。 が、もし、彼らが私なんかよりも、はるかに人類の歴史の深みを知っているならば(史料をよりたくさん読んでいるという意味ではないです。それなら歴史学者に誰もかなわないかもしれません。)、そんな「表現」を通して ほんもんのオコリザルさんみたいに、何かのメッセージを わかる人達には意味まで解るように伝えようとしているのかな。 というふうに思ったのです。 ((かの人はのそれはほんとに解りにくいですけど、深く感じるものがあり得るものは大きいです。))(((村社会の神話という感じもありますけど→インタ村を考えれば、未来にも通じますし(とっととと、あれだけ解りにくいと皮肉もまじってしまいます。)) そのメッセージを どこかのえらい人達にではなくて、 むかしこの「Q&A」で夢と死後のことを一生懸命誠実に考えていた人のようなそんな人に、その意味を説くべくそっとお聞きしたかったというのが  この質問の裏の意図だったのです。 えらい人達(tv)のことは、ほんとは関係ないです。 だって彼らに今のドメスティックの在り方とか 二重構造をすこしでも解消できないかとか、聞いても何の色さへも見えないでしょからね。 しかし、 もしト占であっても、すぐれた人の人知が作った虚構がそこにあるのならば、 今どうしたら感性教育を正しい形で行ってゆけるかなやんでいる私に、 いろいろなアドバイスがもらえるのではと思ったのです。 ごめんなさい。 質問タイトルのつけ方がそちらと似たような文体となってしまいました。 でもそちらのように、ただちに、哲学者(厳密であろうとして思索している人)への質問という意図ではなかったわけです。 以前、ここで論議したその人にまた会えたらなという気持ちもありました。 その人のニックネームも忘れてしまいましたが、その人が見てくれたらなと思います。  お礼の意味もあるからです。 そちらが 今回書いてくださった「霊」についても、 前回で私が問題としたかった「表象」にしても、  別な場で哲学の質疑として話を進めていきましょう。(失礼いたしまいした。) ありがとうございました。

noname#194289
noname#194289
回答No.3

方便というのは比喩と考えれば、むしろ霊というものは例えるものがないのではないでしょうか。それにもかかわらずどうも存在することだけは疑いようがないというところが難しいのではないでしょうか。霊を方便と呼んでも実際何に例えることができるかがわからないならば霊は決して方便ではないと思います。しかし霊とは何かわからないものですから霊の特性とかそういうものから何か結論を出そうとしない方が良いと思います。考えるならば霊とは別に自分で考えた方が良いと思います。

arayata333
質問者

お礼

>霊の特性とかそういうものから何か結論を出そうとしない方が良いと思います。考えるならば霊とは別に自分で考えた方が良いと思います。 アドバイスありがとうございます。 死後の実在については、私は霊感とかないですし、まったく解りません。 でも 死んで見ないと、体験(しつれい霊験)出来ない世界であれば、ほんとに死んだら戻ってこないのですから いくらでもそれこそ考えられるかぎり嘘がつけますし、人をだますことも出来る世界です。 判断は保留せざるをえないですが、そういう話には身構えざるとえません。 だまされたこともありますしね(^^)。 すぐきがついたからたいしたことなくて済みましたけど、 お金はだいぶとられました(^^)。 でも、そういうのとは別に、お金とかとか関係なく真剣な人がいます。 その人が言いたい精神的なものは、テレビとかでの偉い人がどこかの偉い人達の説をもっともらしく語ってるというのとは違いました。 その人も何か間違ってしまっているのかもしれなくても、 その誠実さや言ってる内容の深さは信頼したいです。 そういう人達の意見を聞きたいと思って 質問しました。 だいじょぶです。 基本的には私は 自分の考えで考えています(^^)。 ありがとうございました。

  • daigo1013
  • ベストアンサー率17% (72/404)
回答No.2

>スピリチュアルな方の博識と直感は信頼しての質問です、宜しくお願いいたします。 信じればいいと思います。もう答えはでてるのではないですか・・・? 私は信じてませんが。 人間は無から生まれ、無にかえるのです・・・。 人間だけの目線で考えると無理があります。生き物として考えてみてはいかがですか。

arayata333
質問者

お礼

ありがとうございます。 わたしたちは、「自他を見つめる目」を猿から進化した時に得たわけです。 で、反省し、進歩してきたわけですけど、 動物でも生き物でもあることを「見つめる」こと忘れちゃだめですよね。 弱いのは赤ちゃんだけじゃないです。 みんな弱くて そして、苦しい病気があれば苦しんでしまいます。   耐えようが無くなってしまうときもあります。  ふと眠れてその間楽になったりするようなのもあります。 なるほど、 テレビで言ってる人たちは、テレビに出てるのに芸能人のことしか言わないですよね。 もっともっとたくさんの苦しんでいる人の状態は透視とか出来ないのでしょうか? なんで、何も経済の二重構造を解決するほんのすこしでいいから助ける方法や知恵を語ってくれてもよさそうなのにね? えらい霊からのそういうメッセージは一つもないのでしょうかね。 まあ、これは、お茶の間とかの楽しみであってもいい世界ですけどね。 それ以上のものでもないでしょう。 本物とかはいないのかなとは まだ思っています。 というのはこの「Q&A」でそういう人が以前いたからです。   でも、もうネット音痴の私には見つけられません。    そういう人に質問してみたのですが。 ありがとうございました。

  • bodyshot
  • ベストアンサー率14% (46/326)
回答No.1

死後の世界に思いをはせるのもいいですが、まずは現在のご自分についてもっとよく考えてみてください きっと死後の世界などよりもっと重要で大切な物が見えてくると思います スピリチュアルなどと言って簡単に現実逃避してはいけません

arayata333
質問者

お礼

今 迷っていますが、現実逃避しようとしてるのではないです(^^)。 ありがごうございます。 生きている当たり前のことの中に、すべての答えを探ってゆくべきですよね。 しばらく前、シアトルの写真家の方が私のところへ訪れて、白鷺の写真をみせてくれました。 今まで見たこともない迫力の、何千何万かと思われる鳥がちょうどいっせいに飛び立つ写真、 50センチ、1メートルぐらいの大きな写真ですからよけい迫力がありました。   写真の時代がやってきています。  私たちは、この大地のまだ知らない世界を知らない美を醍醐味を これからさらに味わうことになるのでしょう。 この生きている大地から もっと、もっと、お互い学んでいきましょう。 ありがとうございました。

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