解決済みの質問
「これ」って、文章全体を指してます?
参考URL を読めば解決?
参考URL:http://www.ne.jp/asahi/rino-toukon/dojo/hihyo-4.htm
投稿日時 - 2002-12-12 11:03:23
5人が「このQ&Aが役に立った」と投票しています
ベストアンサー以外の回答(1件中 1~1件目)
1983年、サマーファイトシリーズが始まった頃、
新日本プロレスは、猪木の会社「アントンハイセル」が
急におかしくなり倒産というニュースがながれ、
選手の中で動揺がおき始めてた。
その時、タイガーマスクで人気絶頂の佐山聡が、
猪木達の首脳を追放して新日本プロレスを興行専門の会社を
起こそうと画策した。しかし、事前に計画が漏れ成功しなかった。
しかし、佐山と同じ不満を持つ山本小鉄らは、選手、フロントの署名を
集め、猪木の退陣を迫った。
これは猪木の会社の私欲化に対しての痛烈な抗議の現れであった。
要求が通らなければ全員リングに上がらないという強行姿勢
であったため、猪木は社長辞任、坂口は謹慎処分、
新間は退社という結果になった。
これが新日本プロレスのクーデターである。
この後、追われた新間は前田明を誘って、UWFという新しい団体を作った。
猪木もそれに加わるよう資金5000万円を用意して、猪木の参戦を待った。
しかし、猪木は5000万円受け取ったのにもかかわらず動かなかった。
思うように選手が集まらず、浦田氏に全て任せて、
新間は、自らプロレス界から静かに、去っていった。
1984年、4月11日、UWFは大宮スケートセンターで旗揚げ興行が
行われたが、猪木、藤波、長州の参戦はなく、ラッシャー木村、
剛竜馬、グラン浜田が参戦のみであった。
これが新日本のクーデターの前夜、前後です。
新日本プロレスは、いつの時期でも内部に大きな爆弾を抱え、
いつ分裂をしてもおかしくない事態ですが、その都度、
猪木のカリスマ性と選手の抗争、対立の図式で乗り越えて来ました。
多くのファンは、うさん臭いし、サスペンスもあるという風に認識し、
それが、プロレスの裏の面白さということで応援している
といったところでしょうか。
投稿日時 - 2002-12-15 20:13:24
OKWaveのオススメ
おすすめリンク