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宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の中の文字の読み方を教えてください

puni2の回答

  • puni2
  • ベストアンサー率57% (1002/1731)
回答No.3

私はあまり深く考えず「ヨンゴウ」と読んでいましたが,言われてみると「シゴウ」も捨て難い気がしてきました。 特に詩の朗読と考えると,シゴウのほうが格調高く引き締まる感覚があります。音読みを重ねていることが,湯桶読みのヨンゴウと比べてそのように感じさせるのでしょうか。 「四百余洲を挙(こぞ)る十万余騎の敵」(唱歌「元寇」)も「しひゃくよしゅうを…」ですし(もっとも文語体ではありますが),四十七士とか四十八手などの例もあります。 でも,確かに口語体詩ですし,sesameさんのおっしゃる成立過程なども考慮すると,むしろあまり格調高くせず,いわば「普段着の賢治」で読んだほうが作者の意図にあうのかなとも思えます。

kabiyamori
質問者

お礼

「四百余洲を挙(こぞ)る十万余騎の敵」。日本語の響きって素晴らしいと思います。 私は、なんとなく賢治のことを“むかしむかしの人”と思ってしまったので「シゴウ」なんていう文語調を思い浮かべてしまったのです。 賢治自身の新しさ、庶民性を考えればpuni2さんがおっしゃるとおり「普段着の賢治」で読むべきだと思いました。 ありがとうございました。今後とも宜しくお願いいたします。

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