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無知は罪 って誰の言葉?

無知は罪って誰が言った名言なのでしょうか? 言葉の真意はおいといて、検索するとソクラテスやヒトラーなどが出てきますが本当は誰が最初に言った言葉なのでしょう?

みんなの回答

回答No.4

論語より 「 子曰、由、誨女知之乎、    知之為知之、不知為不知、是知也 」 若干ニュアンスが違う気もしますが、孔子の方がソクラテスより少し早く生まれているようです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%94%E5%AD%90 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%86%E3%82%B9 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%88%E3%83%B3

noname#91529
noname#91529
回答No.3

プラトンの「ソフィスト」のなかで、 無知の意義(Amathiaアマティア)/(Agnoiaアグノイア)の議論の中でプロタゴラスのとなえる「無知が人の過ちの源泉である」という考えが、元だと思います。

回答No.2

ヒトラーです。 フランスに進駐を決めたとき条約の解釈をめぐって 独英が対立。そのときヒトラーがそう言ったと言わ れています。意味は知らないではすまされないとい う威圧です。知らなかったで済んだら警察いらない というわけです。

回答No.1

ソクラテスの言葉だとおもいます。 無知は罪なり、知は空虚なり、英知持つもの英雄なり

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