解決済みの質問
「戦の勝敗は気にもせず、兎に角、信長を破り天下人となれる人」
と、なりますと
信長存命中には「誰も居ない」と思っております。
確かに信玄・謙信が攻め込めば京まで攻めるくらいは出来ると思いますが
それ以降は不確定要素が多すぎます。
楽観的要素で天下を夢見るよりも、現実的に起こりうる諸問題の方が強すぎます。
本願寺・旧幕府・朝廷・伊賀・他大名・・・どれもこれも「反信長」で手を組んでる
だけですから、新しく天下を望む相手が出てきたら新しい「反○○」が出来上がる
かもしれませんし。
京にいる時、本領を攻められたらどうするか?
最悪、前後挟み撃ちですから。
となると、兵農分離や商業拠点を重視する政策、恩賞を土地から切り離す政策等を
充実させた信長の方が遥かに有利。
もし、信長が本能寺で死なず、その後も長命であったとしたら。
やっぱり徳川家康が注目株かと。
戦力・戦術は劣っても戦略・政略面で逆転できる可能性は秘めてます。
領地も信長に接しており、攻められやすい分、攻めやすい。
奥まで入り込みやすい。
土地・人材情報を盗みやすい。
小手先の裏業・策略・某略となれば得意の内でしょうし。
光秀よりも完璧な本能寺の変を演出できるとしたら彼でしょうね。
投稿日時 - 2002-11-17 21:30:27
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ベストアンサー以外の回答(9件中 1~5件目)
候補者はいろいろいますが、まずは今川義元ですね。
桶狭間の合戦は、本来は負けるはずのない戦いでした。
義元に運がないといえばそれまでなのですが……。
次は上杉謙信でしょう。関東管領などという実利の薄い職務
に熱中しないで、関東はとっとと北条と武田にくれてやっ
て北陸を進撃していれば、手取川の合戦で柴田勝家を破る
より早い段階で北陸を制覇し、京都への進撃の道が開かれ
た可能性が高いです。
越前まで侵攻すれば京都は目と鼻の先です。あとは京都の
足利義昭や毛利などの反信長勢力と連携をとり、隙をみは
からって京都への進撃は十分可能であったかと。
信長は合戦の腕前はさほどでもなく(というより信長軍が
弱すぎ。姉川の合戦で信長軍は本陣の手前まで攻め込まれ
ています)、野戦ではほぼ無敗の上杉謙信の敵ではなかっ
たと思われます。
武田信玄は残念ながらボツ。武田家が中央に進出しようと
したら、旧今川領を通過するしかなく、徳川家康がかなり
粘りましたので、仮に家康を撃破しても途中で寿命がつき
たことでしょう。(武田軍は農民兵が主力なので、信長軍
のように1年中戦い続けるなんて芸当はできませんでした)
伊達政宗は難しいですね。優秀な武将であったことは間違い
ないのですが、いかんせん生まれた年代が遅すぎました。
10年早く生まれれば、東北制覇に成功し関東の覇権を巡っ
て北条・上杉らと激しい戦いとなったことでしょう。
上杉謙信・北条氏康が史実どうり早めに退場していれば、
後継ぎはどちらの家も先代ほど優秀ではなかったので、
伊達家が関東・北陸を征服し、中央を抑えた織田信長と
天下分け目の戦いになったかもしれませんが、いささか
話が脹らみすぎていますので、参考程度に聞き流してくだ
さい。
投稿日時 - 2002-11-17 16:50:27
望まれる回答とは異なるかもしれませんが・・・。
> 織田信長にもしかすると勝てたかもしれない人
と、定義づけしてしまうと何人も、何十人も名が出てくるでしょうね。
事実、信長は沢山の負け戦を経験しています。
信玄・謙信など良くその名があげられますが、彼等でなくとも最初の越前攻めでの
敗退等は朝倉・浅井への完敗でしかありません。
本願寺にも毛利水軍にも敗れてますし。
信長は戦に強いというより軍政・戦略・戦術・政治他様々な要素で力を発揮した
事が天下レースの一番のりを果たした要因だと思います。
信玄・謙信らと直接対決したら?
敗れても当然の結果でしょう。
でも一度や二度の勝敗では天下は左右されません。
仮に信玄や謙信が、長命で死せず信長を打ち破り京に上ったとして天下に号令
できる立場に立てたかどうか?
朝廷・幕府・他大名も、今度は信玄や謙信の風下に立つのは潔しとせずの態度を
示すでしょう。
内政に不備不満があれば民衆は即離反しますし再び一揆もおきましょう。
家臣団の人材も戦上手ばかりではどうにもなりません。
かといって文官ばかりを重んじれば当然、不満が出る。
それを抑えるだけの力も持っているか否か?
もたもたしていたら寝首をかかれますし、信長が体制をたて無しの巻き返しに
かかってくる事も考えられます。
と、考えると「織田信長にもしかすると勝てたかもしれない人」という問いは
「直接対決で一度若しくは複数回信長に勝てるだけの力を持った人」
「戦の勝敗は気にもせず、兎に角、信長を破り天下人となれる人」
のどちらの意味を指すかによって全く異なる回答が出てくるでしょう。
「いるらしい」と仰った方の真意が何処にあるかでしょうね・・・。
投稿日時 - 2002-11-17 13:48:12
補足
すみませんでした、曖昧な問いで。どちらかというと「戦の勝敗は気にもせず、兎に角、信長を破り天下人となれる人」の方に当てはまるんだと思います。
投稿日時 - 2002-11-17 20:17:01
今川義元(桶狭間の戦いの相手)もそうじゃないですか。
彼はバカ殿のイメージがあるんですが、実際は実力はありましたね。
領土も駿河、遠江という肥沃な土地でしたし。
桶狭間の戦いも、その後の信長の結果(全国統一)を知っているから信長が勝って当然のように思えますが、実際は信長は負ける寸前でした。
負けて死ぬなら、ダメモトで戦おうとしたのが真相です。
武田信玄は強いことは強いけど、どうでしょうか。
武田軍は、半兵半農です。つまり、人手をすべて戦争に割けないわけです。
農繁期には戦争ができません。
対して、信長軍は、専門の兵士達がいました。
戦争が長引けば、信長が有利ですね。
毛利一族は最盛期には、中国地方のほとんどを支配してましたし、
謀略(スパイのようなもの)がうまいので、いい所までいったかもしれません。
後は#3のかたもおっしゃるように、伊達政宗ですかね。
遅れてきた天才、と言われてますね。
投稿日時 - 2002-11-16 21:54:52
本能寺の変当時で、織田家と対等な勢力を誇っていたのは、上杉家・北条家・伊達家・毛利家・長宗我部家・大友家・竜造寺家、それぞれで(織田含む)(大友と竜造寺で九州をほぼ全域支配)現代の関東・北陸・中部・近畿・中国・四国・九州地方を支配していました。
信長が天下人のイメージで語られるのは、お門違いです。むしろ、滅亡寸前で光秀に滅ぼされたと言ったほうが、正しいでしょう。なぜなら、伊達・大友・竜造寺以外の勢力と同時攻略の戦線を張っていたからであり、一箇所でも戦線が崩れたなら、後は滅亡へ一直線だったでしょう。
投稿日時 - 2002-11-16 21:47:07