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「自ら」と「自ずから」に関して

手元の辞典によると 「みずから」は「身つから」で「自ら」、「おのずから」は「己つから」で「自ずから」と表記するそうです。 「みずから」は「身つから」で「おのずから」は「己つから」なのは容易に納得できます。しかし、「みずから」は「自ら」で「おのずから」は「自ずから」と表記するのは、容易には納得できません。 「みずから」を「自ずから」、「おのずから」を「自ら」と定めなかった合理的理由があるのですか。それとも何らかの方法で識別したいというだけで理由といえる理由はないのですか。 合理的な理由を資料に基づいて述べることが可能な場合のみ、ご回答戴きたく思います。 よろしくお願いします。

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  • ベストアンサー
  • kimosabe
  • ベストアンサー率59% (137/230)
回答No.4

1、「みずから」を「自ら」、「おのずから」を「自ずから」とする。 2、「みずから」を「自ずから」、「おのずから」を「自ら」とする。 ここには通時論と共時論を混同したような回答をする方が結構いらっしゃるのですが、……。 あくまでも現代の送り仮名のつけ方ということで、「みずから」と「おのずから」を区別するために、1が選択されたのは、「おのずと」を「自ずと」と表記することとの整合性をとるためではないかと考えます。 「自と」ではさすがに視覚的にも不親切でしょうから、「自ずと」には合理性があるものと思われます。とすれば「おのずから」も「自ずから」と書くしかないでしょう。 ここまでくれば、「みずから」は、もう「自ら」で十分(ちょっと飛躍?)、そんな感じではないでしょうか。 資料には基づいていませんが、もし私が国語審議会等の委員だったらこんなことを考えるだろうなということで回答いたしました。

sono-higurashi
質問者

お礼

恐らく「単なる慣用」という所に落ち着くであろうと予想していました。こんな論理による説明があるとは思っていませんでした。 『「おのずと」に極く自然な「「自ずと」を当てる。「おのずから」が自動的に「自ずから」に決まる。「みずから」には「自ら」を当てるしかない。』 これはとても論理的で合理的に思えます。一度理解すれば記憶に頼らずとも自分で導ける点が有り難いです。 国語は名答、迷答、回答、怪答が入り乱れているので、私のように判断力の無い者にとっては真贋を見抜くのが大変なのです。資料があろうと無かろうと、詰まりは説得力があればよいのです。 寄稿の準備をされている方があってはいけないので13日(日)の朝までは締め切らずに置きます。 毎度、有り難うございます。またの機会にもよろしくお願いします。

その他の回答 (3)

  • roku43
  • ベストアンサー率28% (13/45)
回答No.3

もともと「自」という字は「みずか」「おのづか」という読みがあり、両方とも「自ら」と「ら」をつければ、どっちにも読めます。戦前までの教科書はそうなっており、私もそういう勉強をしました(前後の言葉によって「自ら」の読み方や意味を判断するので、「みずから」か「おのづから」か小中学生には大変難しかった記憶あり)。 ところが、戦後の昭和21年内閣告示で当用漢字や新かなづかいが制定され(その後常用漢字となる)、「自」という字は「おのづか」と読んだり書いたりしてはいけないことに決められました。ですから今「自ら」は「みずから」だけ。「おのづから」は「おのずから」と平仮名表記に統一されたのです。あなたの質問する(内閣告示の)合理的理由はつまびらかにしませんが、私たちが戦前苦労したような同じ読み方の混乱を避けた、わかりやすい教育方法にしたのでしょう。 以上、資料に基づいた回答です。

sono-higurashi
質問者

お礼

「自ら範を垂れる」、「自ずから自明」など文脈から判断できる場合はよいとして紛らわしい場合もあるし、何より自分で文章を書くときには推定のしょうがなく辞書を引くしかありません。横着者には困るのです。 昭和21年内閣告示にまでは遡れそうですから、この時、どんな根拠で割り振ったかを機会があれば確かめるように心掛けます。 有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。

  • jo-zen
  • ベストアンサー率42% (848/1995)
回答No.2

「自」には、「自ら(みずから)」(自分から積極的に自分で)、「自ずから(おのずから)」(ひとりでに、自然に)と、2つの使い方があります。 以下のURLに考察があります。参考になると思います。 http://www.tcp-ip.or.jp/~beans/kotonoha/04-02kotonoha.htm 実際問題、混同してしようされる例も多数あるようです。ある意味逆の言葉を同じ字で表記するというか、意味と字源の乖離があるため、「おのずから」はひらがな表記すべきだと、私は考えます。

sono-higurashi
質問者

お礼

ご紹介のページは拝見しました。折角でしたが私には、この資料が市場に流通している辞典の情報を上回るとは認められませんでした。 「自ずから」には「おのずから」の読みを当てることがあるのも辞典で公開されています。 >>「おのずから」はひらがな表記すべきだと、私は考えます。 この、ご主張は分かりました。一理も二理もあると思います。お付き合いといっては何ですが私の考えをお伝えします。 文芸色の濃い場合以外の事務的な文章は、読ませられるのも読ませるのもよくないと考えています。この種の文章は読むものでなく見るものだと心得ています。一字一字でなくブロックとして、塊として飲んでしまいたいです。それには今日模範とされているよりは漢字を大目に使うことになりそうです。平仮名が多いと見ただけでなく読まないといけなくなるので苦手です。よって「おのずから」は漢字で書いて欲しいし書きたいです。世間に通用するか否かの観点から、この考えに小言を言わないで下さいませ。別段こういう考えを世間に広めようとしているわけではないのですから。 有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。

sono-higurashi
質問者

補足

御免なさい。お礼の欄に誤記があります。 >>『「自ずから」には「おのずから」の読みを当てることがあるのも辞典で公開されています。』 とあるのは、 『「おのずから」には「自(ずか)ら」を当てることがあるのも辞典で公開されています。』 の誤りです。読まずに塊で見る、などとホザイテイル罰があたったのでしょうか。失礼しました。

  • suunan
  • ベストアンサー率14% (224/1569)
回答No.1

資料は要りませんよ。 表記の区別という点ではどちらでも良いのですが 統一する必要があり、この場合一方に送り仮名を増やすしかなく、 単語の音節数の多い方に増やすのは自然なことです。 そもそも、あなたの「納得できない」という意見には逆にするべきという 方向性がありますが、その根拠がありません。 ひいき目に見ても両案は同等でしかなく、どちらか選ばねばならない。 つまりあなたの意見は 靴を右から履いた人にむかって「なぜ左から履かないか」と 言ってるのと同じです。左から履いたらやはり文句をつけますよね。

sono-higurashi
質問者

補足

折角ですが質問文を読み直して下さいませ。 >>合理的な理由を資料に基づいて述べることが可能な場合のみ、ご回答戴きたく思います。 早とちり、読み落とし、誤読は誰にでもあることですから、止むを得ないことではあります。

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