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ヨブ記成立時のユダヤ教徒の総人口と産業別人口比は?
関根正雄訳 ヨブ記第12章 第6節 荒らす者の幕屋は安らかで 神を怒らす者も安全だ。 神をおのが手中に握っている者もそうだ。 「幕屋」から遊牧生活を連想します。 信憑性は問わないものとして、ヨブ記成立時のユダヤ教徒の総人口を推定できますか。また、当時の彼らの定着農業人口、遊牧人口、その他の産業従事者の三者の人口比を推定できますか。 よろしくお願いします。
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お礼
1 >>この場合の幕屋とは神殿のことだというのはご存知ですよね? 「荒らす者の幕屋」とあるので「荒らさない者の幕屋」も存在するものと受け取り、「幕屋」は個人の住居、遊牧に適した簡易な住まいだと想像していました。 神輿、石版、(第一)神殿、第二神殿、嘆きの壁の関係は理解が深まりました。 2 民数記を読むときがあれば、人口調査の件に注意します。 3 遊牧はよく言われるので当然だし、地の利から交易(商業)も盛んとして、ヨルダン川沿岸は水の便があるので纏まった農業人口もいるのだと思っていました。 古い時代の、あの辺りの争いは結局のところヨルダン川の水を巡る争いで、軍事、文化など総合力の勝った民族が確保してきたのだと考えていました。 どんな分野にも専門家はいるのでカナン一帯の土地がどれほどの人口を養えていたか、推定できる方も居られようかと思います。ただし、そういう方がこの質問に眼を留められるか否かは不明です。 有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。
補足
締め切るに当たって 本日は4月4日です。質問以来、2週間を経たのを機に締め切ります。 その後、新たな回答がないのは、きっとこのご回答が妥当であって付け加えることがないからでしょう。 有り難うございました。