• ベストアンサー

ユダヤ民族のユダヤ教以前の宗教を知るには?

宗教や歴史に素養のない者の直感として、ある民族が宗教をもつに際して、当初から一神教で出発するとは考え難いです。ユダヤ民族の場合も多神教で出発しながら、他民族との熾烈な相克を通じ、いわば理論武装をする形で一神教へ移行したのではないかと推理しています。この推理の当否を考える上で参考となる啓蒙書、教養書(歴史、宗教、文化人類、生物、民俗など分野は不問)はありませんか。視点が科学に基づくものを希望します。探し方が横着なせいか、旧約聖書より古い時代のユダヤ民族の宗教に触れた書物には出合えません。車中や寝しなに読む程度ですから邦文を希望します。この質問は文化人類学の領域でカテゴリーは「その他(学問&教育)」が相応しいのかも知れませんが、並んでいる表題群とマッチしないので、こちらでお世話になってみます。 よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.2

科学に基づくもの にマッチするとは思わず、希望に添えず恐縮ですが。 http://www.ican.zaq.ne.jp/euael900/world_history05.html 『しかし、アメンホテップ4世のアテン神信仰は、ユダヤの預言者たちに受け継がれた。』 つまりモーセがエジプトから持ち出した。 という説があるんですね。 しかもモーセはエジプト人のしかも王家の血筋だという説がある。 その理由のひとつが名前、そして割礼。 科学的に証明するには、イスラエル人の中で大祭司の家系の人はわかっていますので、その遺伝子と、エジプトの王家の血筋をひく人の遺伝子を比較してみるといいのですが、エジプトの古代の王家の血筋をひく人が現在残っているかがネック。 ユダヤ教の祈祷文に「聞け おおイスラエルよ、汝が神なる主は唯一なる神なり」という文句があるそうですが、エジプト語tはヘブライ文字のdに、eはoになる という法則を当てはめて訳しなおすと、「聞け、おおイスラエルよ、我らが神アテンは唯一の神なり」となるそうです。 アテン教はツタンカーメンの父、アメンホテプ4世が信仰していたもの。 ただ、急激な宗教改革で、結局支持を得られず、アメン教の勢いの復活により、エジプトから消えてしまう。 ちなみに、何故かユダヤ人は祈祷文を読んだあと、アメンというのですが、「その通りです 間違いありません」みたいな意味として使う。 「神の言うことは全くその通りでございます 真理です。」として同意の意味 あるいは神の偉大さを讃える意味で使っているんじゃないかと。 でも皮肉なことに、アテン教が元だとしたら、アテン教を迫害したアメン教の名前を唱えていることになる。 モーセに連れられ航海を渡って、エジプトの植民地に移動したモーセについていった人たちは、モーセがなかなか神託を終えて戻ってこないので、金の雄牛を作って拝んだ とありますが、これがアメン教だと思うんですね。 「エジプトの多くの人が信仰していたアメン教を信仰して、モーセについてこなけりゃよかった」ってことでしょうか。 アメンのシンボル 牛には角がある。 モーセには角がある。 語彙は忘れましたが、ヘブライ語のある文字は、角という意味。 そしてもうひとつ 光 という意味を持つ。 エジプトが起源というものとして、他に10戒律。 エジプトでは最後の審判の時に、いくつも質問され、罪の重さを天秤で量られ、マアトが逆に羽を置き、それとつりあえば、オシリスの住む世界にいける とされたんですね。 その時の審判の審議内容が、モーセが神から授かった10戒の内容を含んでいる。 このようなことから、モーセはエジプト人 と言われるようになったわけです。 モーセのみがエジプト人で、ウルからの移住者とともにエジプトの植民地である今のパレスチナに移動したのかもしれないですね。 ダビデ 特にソロモンの時代に栄華を極めましたが、バアル信仰でした。 彼らはバアルによって国家が繁栄したんですね。 ソロモンが贅沢三昧にしていて重税を課していたため、ソロモンの死後、人々が反発して内乱が起こった とされますが、ソロモン神殿の建設は、失業対策でもあったと思います。 建築ブームになると、失業者は減り、流通が活発になりますよね。 ところが、そのような事業をやる人がその後いなかったため、人々は失業しだし、不満から争いになり、内乱になったのではないかと思います。 ソロモンの死後、東西に分裂し、北王国は10支族で構成されており、南王国はユデアとして、ユダ族とベニアミン族が独立国家を持っていた。 そのユデアが多神教に陥ったために、バビロンに捕囚されることとなった と解釈した人が、モーセから授かった信仰に戻ろうという活動をする人がいて、開放された後に、その意志を持った人は、ユデアに戻った。 そういう考えを持っていなかった人は、バビロニアに残った。 幾度も一神教 多神教 と揺れ動くさまが、聖書に描かれていまないす。 唯一信仰にバビロニア捕囚以降なったようで、それ以降に創世記は作られたようなのですが、内容はアッカド・シュメール神話から取っているみたいです。 だから彼らがユダヤ教を作る前はバビロニアと同じ神を信仰していたかというと、半分 イエス、半分ノー。 アブラハムはウル出身とされるので、その民族だったら、民族が持つ神話を保持していて、後に創世記を作るときの素材にしてもおかしくないです。 ただ、モーセによってもたらされた宗教の影響が無ければ、彼らはバビロニア捕囚後、ユダヤ教を作ることは無かったと思います。 おや その前からあったじゃないか? でも、それ ユダヤ教と言えるのか。 バビロニア捕囚になる前、今のようなユダヤ教だったのか? 違うと思います。 このようにユダヤ教の歴史には複数の信仰が混在して流れを作っていったと思います。 モーセの時代に、宗教規定を作り、レビ族のみが祭司職をやっていたのですが、だんだんと変化してきて、レビ族じゃない人も大祭司になるという歪みが出てきた。 一方からすれば、独占企業のようなもので、傲慢になり腐敗したから、民間人が と言っているようですが。。。。 どうなんでしょうね。 もともとトーラが人々に対する戒律で、宗教は専門種族がやっていたが、それを俗化しろと要求があったのかもしれません。 王をたてたことで、王が権力を持ち、王が誰が宗教職をやるか任命する権力を持つようになり、歪みがでてきたのかもしれない。 民数記だったか忘れましたが、神は属性の人々を幕屋に近づけないように教えたようなんですね。 でも、後に俗世の人が幕屋の中に入り、牛耳ることになった。 どうして属性の人が幕屋に入ってはならないとしたのか。 ゆがみを畏れてだと思います。 そして、とうとう分裂し、捕囚され、ローマ帝国という異教によって、汚されてしまうまでになった。 モーセは「だから言ったでしょ 預言を信じなかったためそうなった。」って言いたいでしょうね。 ユダヤ教は聖書を読むと流れはわかりますが、ただ、どの方向から読むかで、別の世界が見えてくるかもしれません。 シュメール・バビロニアの神話を呼んだところで、この民族の宗教はよくわかりません。 (縦糸と横糸で織られているから) だから、縦糸がユダヤ教とするなら、横糸はアテン教じゃないか と仮説をたて、アテン教について調べて比較するのがいいのかもしれません。 が、エジプトには残っていない。 徹底的に抹殺されたのか と思うほど資料が無い。 http://209.85.175.104/search?q=cache:JCMbPDFL5TUJ:pro.tok2.com/~bymn/karakusa/tutankhamen.html+%E3%82%A2%E3%83%86%E3%83%B3%E4%BF%A1%E4%BB%B0&hl=ja&ct=clnk&cd=6 調べた人が書いた書物を読むしかないのですが、どこまで信憑性があるか。 それは聖書の信憑性と同じレベルかもしれない。 (私は聖書に書いてある歴史が実際に起こったとは思っていません。) 信仰についての思想・文学の集大成だと思っています。

sono-higurashi
質問者

お礼

長大なご回答、恐縮しています。キーワードを沢山頂きましたので当面為すべきことが、はっきりしました。 1 筑摩世界文学大系、巻1「古代オリエント集」を入手すること(手配済み)。 2 ヨセフとその兄弟がエジプトへ渡った話(創世記)が何らかの史実と結びついているか否かを調べること。 3アメンホテップ4世の宗教改革がアテン神を最上位におくことによって、如何なる不都合を解決できたのか、解決しようとしたのかを知ること。 4 「アテン賛歌」と「詩篇104」を比べること。 5 「出エジプト記」が何らかの史実と結びついているか否かを調べること。 先ずは1~5を実行しようとすれば順次その先が見えてきそうです。 ご回答を拝見した限りでは、一神教に先行して多神教が存在していそうです。やはり人類にとって、自然発生的には多神教が自然で、何かしら人工的な強い意図(超防衛的、超攻撃的、……)が働かないと一神教は生まれない気がします。はたしてその真偽は? >>イスラエル人の中で大祭司の家系の人はわかっていますので、その遺伝子と、エジプトの王家の血筋をひく人の遺伝子を比較してみるといいのですが、 これは全く論より証拠で最善ですね。エジプト側には王族のミイラだの、その着衣だの、心臓用の容器だの、そういうものから遺伝子が採取できないのですかね。結果が判ると困る勢力も存在して、協力は得られなかったりするのでしょうか。 事情に疎いため張り合いのあるお礼が言えなくて済みません。 有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。

その他の回答 (6)

回答No.7

本気でお調べになりたいのであれば、M.ウェーバーの「古代ユダヤ教」をお勧めします。 岩波から出ているのは入手困難ですが、大きめの図書館に行けば人文の棚に置いてあるであろう名著です。 社会科学的な視点に立ち、膨大な資料から理知的に論を構築していますので大いに参考になると思います。(分量が多いので連休前などに図書館で借りる事をオススメします) >>旧約聖書より古い時代のユダヤ民族の宗教に触れた書物 はおそらくほとんどありません。しかしM.エリアーデの「世界宗教史」で触れられていた記憶があります。これも図書館にはあるはずですが貸し出し禁止かもしれません。 また、予備知識としてフレイザーの「金枝篇」をお読みになる事をお勧めします。膨大な資料を元に様々な儀礼の事例を淡々と紹介していますが、宗教や文化がお好きなら飽きることは無いと思います。宗教に関して、ちょっと電波の入った意見に対して反駁する根拠となり得る事例が沢山紹介されていますので、この世界(?)に深入りするなら一度はお読みになった方が良いと思われます。しかも、文庫本で入手可能ですし気楽に読む事も可能でしょう。もし、既読であれば失礼いたしました。 参考になれば幸いです。

sono-higurashi
質問者

お礼

手間を掛けさせた立場としては言い難いのですが、質問文にある通り「車中や寝しなに読む程度」で、本気とは程遠いです。 M.ウェーバーの「古代ユダヤ教」、M.エリアーデの「世界宗教史」、フレイザーの「金枝篇」、いずれも手近なところで借用可能だそうです。やっと、民俗の方面からの書籍が加わりました。 皆様のお陰で、読書時間とはバランスが取れないだけの十分過ぎる指針が得られました。 一つを知れば何十倍かの疑問が生じるので、またお世話になることがありそうです。その節もよろしくお願いします。有り難うございました。

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.6

No.4です。 >ユダヤ民族の場合も多神教で出発しながら、他民族との熾烈な相克を通じ、いわば理論武装をする形で一神教へ移行したのではないかと推理しています。 という推理は、正しいと思えます。 ただ、律法により共同体の共通了解を得たとしても、異質な勢力が共同体の外にあり、律法を守っていただけでは、絶滅の憂き目に合う というもの、彼らが学んだことじゃないかと思います。 例えば、律法には安息日には何をやってもいけないとありますが、その日を狙って敵が攻め込んできて、律法を守ったため戦えず、絶滅寸前にまで人口が激減したという歴史を彼らは持つ。 何度も彼らは絶滅の危機に瀕しているんですね。 最近では20世紀にナチスにより絶滅寸前にまで追い込まれています。 それで、他の大きな勢力に対抗して、民族の存続を守るために、軍事的指導者の要求が高まり、戦闘リーダーの素質が高いものが、王として望まれ、それで戦闘指揮能力が高かったサウルが初代王として登場することになった。 主に祭司が民族のリーダー的存在だったが、それ以外の部族から民族を率いるリーダーが選ばれることになったわけです。 律法システムが縦軸とするなら、政治システムは横軸。 宗教リーダーはレビ族で、政治的リーダーがユダ族が主だった。 で、この民族は一点じゃなく、立体を持っており、少なくとも二つの異なるものがイスラエル民族を形作っていると思えます。 だから、宗教だけを調べても、見えてこないんです。 で、、、 <聖書の創世記> 『 原始の海の表面に混沌した暗闇がある中、神は光を作り、昼と夜が出来た。 』 <エヌマ・エリシュの創世記> 『混沌を表すティアマトもまた、すべてを生み出す母であった。 水はたがいに混ざり合っており   』 混沌をイメージしますよね。 日本の古事記の創世記の部分も同じです。 つまり、いろいろなものが混ざり合って、混沌としている中、ビッグバンともいえるものが起こり、思想が生まれ、その思想が形となり、人々を率いる推進力になったのではないか と思えるのです。 思想ですから、目に見えませんが、それを人間は形として認識できる。 現代につながるユダヤ教のビッグバンは、ユデアに住んでいていた人が、バビロン捕囚され、開放されたあとに、作った思想だと思います。 沢山散らばった周りにあるパーツを建設した一種の美術だと思うんです。 ミケランジェロだったか忘れましたが、何日も岩の前に黙って座っており、それをみた少年が何をしているのか?と訪ねると、馬が現れるのを待っていると答え、それからしばらくして、馬の像ができており、少年はどうしてあの岩に馬が入っていたと知っていたのか と聞いたような (アバウトですが)エピソードがあったと思えるんですね。 つまり、パーツを用いて組み立てるというより、削っていって形にする という手法だと思います。 つまり新しい思想ではなく、既にあるものを混沌の中から取り出す という感じ。 新しいが同時に古い。 聖書の中で「これが新しいと言ったところで、それは過去にもあったこと。 何も新しいものなどない」と作者はするどいまなざしで、この世を見つめています。 で、本題のユダヤ教 つまり バビロン捕囚以降にできたユデアに住んでいる人が作った(掘り出した)ユダヤ教より前は、どんな宗教を彼らは信仰していたのか ですが、バビロニア神話の神々。 エルが神ですが、エルというのは名前じゃなく、神の名前をみだりに唱えてはいけなかったので、我が主という意味のエルを使っていた。 その息子がバアル(やはり主という意味らしいです。) キリスト教ではバアルは悪魔と認定されていますが。 エリアがバアル信仰者と戦ったことが描かれていますが、恐らくユダヤ教が確立しだしたとき、そういうエピソードを創作したのではないか と。 つまり エリアの戦いは、バビロン捕囚の後に創作されたもので、史実じゃあない と思えます。 イスラエル王朝から離脱したように、バアル信仰から離脱する決心をしたため、削ることになり、エリアの物語を捜索して、バアル信仰をやめる理由を作ったのではないかと思えます。 ということを考えると、新石器時代まで遡る必要はなくなるわけです。 ユダヤ教の前はバビロニアの神々を崇拝していた。 これでいいんじゃないかと思います。 で、もしかしてレポートを書こうとしているのなら、、、、 今まで読んだ本 相当な数に上りますが、その中のどれも、今現在の私の分析にマッチする内容のものは無いです。 従って、私の分析は補強する文献をひいてこれないので、たわごと と一蹴されてしまうかもしれません。 そうですね。。。。 ユダヤ人の歴史を簡単に書いているものは、、、、 http://www.amazon.co.jp/%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%BA%BA%E3%81%A8%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E5%B8%9D%E5%9B%BD-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%A4%A7%E6%B2%A2-%E6%AD%A6%E7%94%B7/dp/4061495720 中古で95円ですが、手数料350円くらいとられるので、500円未満ですね。 ユダヤ人と書いてありますが、ヘブライ人とはなにか いつから ユダヤ人と呼ばれるようになったか など書かれています。 何度も聖絶の危機にさらされた弱小民族がどうやって生き残ったか が近隣諸国による干渉も含め、簡単に説明されています。 他には、、、、借史という仮説をたてて神話を説明している人がいます。 日本の古事記の歴史も、外国から借りたもの という大胆な仮説ですが、その中に、バアルを信仰していたイスラエル人について書かれている箇所があります。 http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%A5%9E%E9%81%93%E3%81%AE%E8%AC%8E%E2%80%95%E5%8F%A4%E4%BA%8B%E8%A8%98%E3%81%A8%E6%97%A7%E7%B4%84%E8%81%96%E6%9B%B8%E3%81%8C%E7%A4%BA%E3%81%99%E3%82%82%E3%81%AE-%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%91%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%E9%B9%BF%E5%B3%B6-%E6%98%87/dp/4334004261/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1205216758&sr=8-1 歴史とされたものが、他のところからの借り物で、実際はそんなこと起こっていなかった が 神話ならオッケー。 というと、絶対宗教の人は激怒すると思うんですね。 全部史実だと確信して信仰しているのだから。 信仰とは一種の麻薬のようなもので、たとえ史実は無くても、そういう理想を描いて、夢物語に中に浸らないと、もう心がズダボロで、神話の世界という麻薬によりしばし現実を忘れたいからやる というのなら、それはそれで、致し方ないと思います。 余命いくばくで痛みに悲鳴を上げている患者に対し、モルヒネを打つ医者に「それは麻薬じゃないか それをやると死に至るしかない」と言う人はいません。 ですが、哲学は生きる人向けの文学。 死するべき運命を持つが、今生きており、より良くいきたいという人向けの人間の知恵。 だから、バビロン捕囚によりアイデンティティーを失い、混沌状態になったユダヤ人が、喪失から再生のために、ユダヤ教を作ったと考えると、それは再生するために不可欠なものだったんじゃないかと思えます。 彼らはおとなしい民族。 その羊の彼らを怒らせるには、ローマ帝国がやったように、宗教を彼ら取り上げることなんですね。 つまり、彼らのアイデンティティーを奪い思想を殺すことが、彼らを怒らせる唯一の方法。 彼らから宗教を奪うということは、彼らの命を奪うと同じですから。 それで、とうとうローマ帝国にたてつくことになり、ローマに対してテロを行い、マサダで自決することになったわけです。 彼らから宗教を奪うということは、命を奪うってことだから。 本題に直接関係ないかもしれませんが、そういった歴史も知った上で、読み解くと、世界が立体であると見えてくるかもしれません。

sono-higurashi
質問者

お礼

「ユダヤ人とローマ帝国(講談社現代新書)」は念頭に置くことにします。 贅沢をいえば文化人類学にでも当たるのでしょうか、思い切って時代を遡った最も原初的な宗教には何らかの法則めいたものがあるのかどうかに言及した書物の有無も知りたいところです。が、当面どの辺りを意識して書籍を選べばよいのかの指針は得られました。一つを読めば芋づるで、幾らでも読むべき書籍が出てきて困る筈です。 宗教観の一端を確かに拝見いたしました。 有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。今後どちらからも特段の、ご寄稿がなければ14日(金)中の何処かで締め切る予定です。

  • Big-Baby
  • ベストアンサー率58% (277/475)
回答No.5

sono-higurashiさん、こんにちは。最近はユダヤ教の研究をなさっているんですか?わたしはユダヤ教にはぜんぜん詳しくないんですが、外国の文化に関しては日本のWikiは貧弱なのに対して、英語版Wikiの充実ぶりにはいつも感心しているひとりです。この問題に関しても、まずは英語版Wikiの一神教の項目(Monotheism)の熟読をお勧めします。英語はお得意ではないかもしれませんが頑張って読んでください。特に、Monotheism in the Hebrew Bibleのあたりです。また、ここの参考文献(5)として挙げられているNew Catholic Encyclopediaの項目はたいへん参考になりそうな感じがします。 http://en.wikipedia.org/wiki/Monotheism#_note-4

sono-higurashi
質問者

お礼

「ユダヤ教の大研究」くらいの表現にしておいてくれないと冗談である無しが判らないでは有りませんか。 ご紹介のページは、ざっと読んでおきました。 従来、何とはなしに、この方面の話を読むに際して、著者の側で単に一神教といったとき、実は読む側でmonotheism、monolatrism、henotheismのどれなのかを識別しないといけないケースが少なからず有ったのではないかと思うようになりました。また、Monotheism in the Hebrew BibleとJudaismの相違なども意識していなかったように思います。知識の絶対量が足りない上に誤解も加わって要するに、何もワカラン状態なのでしよう。 個々の宗教に関心があるわけでなく、人類の発想として一神教は不自然なのではないかという疑問です。ところが意外なことに、祖先崇拝や呪術以前の最原始宗教は一神教だとの説もあるそうです。どうやら、この手の疑問をもつ者はゾロアスター教、アテン神に加え、最原始宗教を視野に置く必要があるということでしょうか。 何はともあれ有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.4

>1 筑摩世界文学大系、巻1「古代オリエント集」を入手すること(手配済み)。 だったら、<エヌマ・エリシュ>も参考にしてみたらいいかもしれません。 一応、現存する最古の神話です。 >2 ヨセフとその兄弟がエジプトへ渡った話(創世記)が何らかの史実と結びついているか否かを調べること。 私も調べたいが、それを知るのはどこから手をつけていいのか、検討もつかず、未解決の中に入っています。 >3アメンホテップ4世の宗教改革がアテン神を最上位におくことによって、如何なる不都合を解決できたのか、解決しようとしたのかを知ること。 早い話が、日本の八百万の神々の概念と一緒。 梵我一如的な考えだったように思えます。 じゃあ 多神教じゃないか? いえ 梵我一如を当てはめると全てが1つに集約される。 人気が出なかった要因は、悪が存在しない世界を解いたから とも言われます。 日本では災いをもたらす神も、神として恐れ奉られていますよね。 敵として倒そうなんてしない。 撲滅しようなんてしない。 鎮めようと拝み倒しているのが、かわいい日本人なんですね。 和の精神があるので、共存を望むわけです。 >4 「アテン賛歌」と「詩篇104」を比べること。 ついでに、アテンとは直接関係ないかもしれませんが、エジプトの死者の書と十戒の内容を比べてみるといいかも。 10戒はエジプトの宗教の規範が含まれており、完全に独立した独特のものじゃないと思えます。 10戒に影響を受けた逆輸入なのか? 10戒の成立がいつなのか、わからないと、比較できないですね。 >5 「出エジプト記」が何らかの史実と結びついているか否かを調べること。 一説には、モーセじゃなく姉のミリアムが民を率いて海を渡ったという説があるんですね。 どうしてそう解釈する人がでたのかというと、アッカド・シュメール地方の神話に、海を渡る月の女神 というものが出てくる。 月は生命の源という考えがあり、月によって人間が生まれると考えられ、それで月を崇め、子沢山になることを願ったらしいです。 (ユダヤ教の聖書を読むと、何度も神が人間と契約をし、その際に契約の証として祝福をしているのですが、どう読んでもその祝福とは 子沢山 子孫繁栄 のことだとしか思えない。 集団の数が増えるって 喜ばしいことで それは人類共通の悦びなのかも。) >ご回答を拝見した限りでは、一神教に先行して多神教が存在していそうです。 一神教って、父権社会において重要視されたと思えるんですね。 父権社会になる前は、母権社会だった。 従って女神が崇拝対象だった。 で、その女神は、三面を持っていた。 これが3神と別物だと勘違いされて、多神教だと思ったようで、後に別々の名前をつけて崇拝されるようになったみたいです。 でも、それぞれ別の神を崇拝しているようで、実は元は1神なので、多神教のようで一神教。 だから、3つの神とか複数の神を同じ民族が崇拝しているから、多神教かというと、そうじゃないケースもあるので、名前に注意して調べるといいかもしれません。 どれが別の地域でどの名前になったか など。 神話の世界って、この別名が使われているので、(言語に違いにより別の名前になったりして)このせいで 頭混乱するんです。 おまけに習合してしまうと、別の神の概念になっちゃって。。。

sono-higurashi
質問者

お礼

読んでみないことには<エヌマ・エリシュ>の全てか一部かは分かりませんが、筑摩世界文学大系、巻1「古代オリエント集」に30ページ弱に亘って収録されていました。 ANo.2のお礼の欄の1~5に6として 6 エジプトの「死者の書」を視野におく事、を追加します。しかし、果たして何時読書の順番が巡ってくることやら。 今回の質問は書籍の推薦依頼ですので、そこに焦点を絞って拝見しました。他の記述も1~6を実行するに際して有効なガイダンスになっているものと拝察します。 再度のご回答、有り難うございました。話題が豊富ですが、何せ重要度を識別する能力がないので適切なお礼文にならないのには、ご勘弁のほどを。 万が一、こちらの書籍も質問文に直結しているぞ、という推薦があってはいけないので14日(金)、夜間までは締め切らないでおきます。 有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。

  • nacam
  • ベストアンサー率36% (1238/3398)
回答No.3

1番です >日本固有の定義のように読み取れます。何故日本固有の定義があるのですか 知りません。 しかし、ユダヤ人は、人種的にもヨーロッパ系からアラブ系、黒人系とバラバラであり、生活習慣なども各地で異なっています。イスラエルに移住した人々は、ヘブライ語が話せない人ばかりであり、民族集団としてまとまっていません。 そんな中で、ユダヤ人である事の共通性は、ユダヤ教徒である事だけなのです。 >新バビロニアに連れ去られたのはフェニキア人やアラム人、パレスチナ人、エドム人などのうち特定の部族に偏りがありましたか、ありませんでしたか。 そういった資料があるとは思えません。 >当方には真偽を評価する知識はなく諸説あることを、そのまま認めるだけですが、もしこれを読んで何か心当たりがあればお知らせ下さいませ。 読まれた辞典が、後から作られたものだと思います。 ダビデ王やソロモン王の伝承から、彼らがユダヤ教の信徒であったとは思えません。 また、旧約聖書が整備されてゆくのが、ペルシャ時代~ヘレニズム時代ですから、ゾロアスター教の教義を取り入れる事に、何の疑問も生じません。 >アモス書が完成していると受け取れませんか。このページの一覧表とお説は上手く結びつきません 内容は知りませんが、ユダヤ教は、それ1つの文章で成立しているわけではありません。 キリスト教においても、文章が書かれた時期と、聖書として編纂された時期にはズレがあります。 聖書編成において、古文書を持ってくる事は、よくある話しです。 古文書が書かれた年代よりも、編纂された年代のほうが重要です。 >私の調べによるとゾロアスター教は多神教ですから ゾロアスター教は、一神教として生まれました。 アケメネス朝ペルシャの時代は、一神教です。(多神教的一神教ですが) しかし、ヘレニズム時代以降、特にパルチア王国の末期ころより、多神教的要素が強くなってゆきます。 特にササン朝時代は、完全な多神教へと変化しています。 (多神教化したゾロアスター教をズルワーン教とも言います。) そのため、ゾロアスター教を多神教と勘違いする人がいるのです。 そもそものゾロアスター教は、一神教として生まれたのです。 そして現在のゾロアスター教も一神教となっています。

sono-higurashi
質問者

お礼

締め切るに当たって その後、一神教の起源に関心をもつ者はゾロアスター教にも無関心でいない方がよいことが分かりました。 何時順番が巡ってくるかは分かりませんが、機会を見つけて読書の対象とする積もりです。 ご回答、有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします。

sono-higurashi
質問者

補足

ANo.1の補足の欄の1に対する、ご回答に関して >>知りません。 分かりました。 ANo.1の補足の欄の2に対する、ご回答に関して >>そういった資料があるとは思えません。 分かりました。 ANo.1の補足の欄の3に対する、ご回答に関して >>読まれた辞典が、後から作られたものだと思います。 意図が掴めませんでしたが、読んだ事典は1981年発行でした。 >>ゾロアスター教の教義を取り入れる事に、何の疑問も生じません。 教義を取り入れる事や影響を受ける事自体は納得できます。この表現からは、ユダヤ教がゾロアスター教に先行していると読むのが素直なのだと思います。・・・(a) 一方ANo.1の >>ユダ王国が滅ぼされたとき、新バビロニアに連れ去られた人々が、ゾロアスター教の影響を受けて、選民思想を構築してできたのがユダヤ教です。<< これを知識のない人間が読めば、ゾロアスター教がユダヤ教に先行していると読むのが素直なのだと思います。・・・(b) 史実は(a)なのか、(b)なのか、どちらでもないのか知識の無い人間は悩むところです。ANo.1を頂いた時点では(b)と受け取っていました。それ故3の疑問が生じた訳です。後に記す理由によって、史実が(a)なのか、(b)なのか、どちらでもないのかのご返事は要りません。 ANo.1の補足の欄の4に対する、ご回答に関して >>内容は知りませんが、ユダヤ教は、それ1つの文章で成立しているわけではありません。 しかし、今回の質問の必然として一神教が何処まで遡れるかを知らなければなりません。旧約聖書の構成文書のうち最も古い文書を突き止める作業は避けられません。今回の質問に応えるためには旧約聖書の編纂された年代を知ることより、旧約聖書の最も古い構成文書の書かれた年代を知る事の方が重要だと思われませんか。後に記す理由によって、この件について、どう判断されるかのご返事は要りません。 >>そもそものゾロアスター教は、一神教として生まれたのです。 >>そして現在のゾロアスター教も一神教となっています。 今回の質問に関しては、そもそものゾロアスター教がどうであったかも、現在のゾロアスター教がどうであるかも関係ありません。ユダヤ教に影響を与えた当時のゾロアスター教がどうであったかが意味をもちます。その当時のゾロアスター教が一神教であったということですか。後に記す理由によって、この件についてのご返事は要りません。 さて、大事なお願いです。 何はさておき、ご回答を寄せて下さった事にお礼を申します。善意の方であることを間違いなく認識しています。その上で申し上げます。 この手の質問に、ご自身自らの文章によって解決しようというのは無理があると思われませんか。 「イエスが誕生した晩の天候はどうでしたか」 この質問に対しては 「聖書によれば流れ星が現れたから、天候は晴れでした」 こういう質疑が成立するでしょう。 しかし、今回の質問に対して、このシステムを通じての質疑だけで質問人を納得させようとする無謀に、どうか気付いて下さいませ。 質問人には何の予備知識もないのです。そういう無知な人間に歴史から宗教から総合的な教養を要する話をいきなり持ち出して納得させられると、お思いですか。不可能です。ご回答の中から新たな疑問が果てしなく次々と生じるのが関の山です。 質問人が世慣れていれば「参考になりました」程度のお茶の濁し方ができるでしょう。しかし、こういう終わり方は旁からみていて分かっていない事が丸見えで、回答者も質問者も気の毒に思えます。こういう器用な終わり方の出来ない人間は、ご回答に対して新たな質問を次々と発することになります。それが分かっているからこそ直接お答を要求せず、書籍など資料の紹介をお願いするのです。ご回答の形式は自由ですが、何処かしらに「これを読んでご覧、きっと次の展望が開けるよ」といった助言がないと善意を善意として生かすことができません。 どうか、もう一度質問文を読み直して下さいませ。 念のため申し上げます。回答を寄せて下さった事には、有り難く存じています。善意の方であることも承知しています。

  • nacam
  • ベストアンサー率36% (1238/3398)
回答No.1

結論から言いますと、ユダヤ教を信仰する民族がユダヤ人ですから、ユダヤ教以前には、ユダヤ人は存在しません。 かつて古代ヘブライ王国や、古代イスラエル、ユダなどの国があり、そこに国民はおりましたが、そこにいた国民は、カナーン人と呼ばれ、フェニキア人やアラム人、パレスチナ人、エドム人など、多様な部族や民族集団からなりたっていました。 ユダ王国が滅ぼされたとき、新バビロニアに連れ去られた人々が、ゾロアスター教の影響を受けて、選民思想を構築してできたのがユダヤ教です。 新バビロニアが、ペルシャに滅ぼされた事により、カナーンの地に戻り、そこでユダヤ教が広められる事により、ユダヤ教を信仰する人々をユダヤ人となるのです。 ユダヤ教以前は、オリエント神話といわれる一連の神話体系を信仰していました。(特にカナーン地方の神話をカナーン神話と言います)

sono-higurashi
質問者

補足

ご回答有り難うございます。ご回答から次の疑問が生じましたので事情が許せばご返事を下さいませ。急ぎはしません。 1 >>ユダヤ教を信仰する民族がユダヤ人ですから、ユダヤ教以前には、ユダヤ人は存在しません。・・・・(*) 分かりました。しかし、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%BA%BA によると(*)は日本固有の定義のように読み取れます。何故日本固有の定義があるのですか。 2 新バビロニアに連れ去られたのはフェニキア人やアラム人、パレスチナ人、エドム人などのうち特定の部族に偏りがありましたか、ありませんでしたか。 3 古い話ですし諸説あるのかもしれませんが、どうも勘定が合わな過ぎます。手元の百科事典でゾロアスター教について調べるとゾロアスターは前7世紀後半から前6世紀に生存したらしいとなっています。一方、カナンの項には砂漠の厳格な唯一神ヤーウェを奉じて前13世紀の中頃侵入してきたイスラエル民族は、この肥地のみだらな宗教(多神教的自然宗教)と絶えず戦わねばならなかった。との記述があります。この事典によればゾロアスター教よりユダヤ教の方が何百年も先行しています。当方には真偽を評価する知識はなく諸説あることを、そのまま認めるだけですが、もしこれを読んで何か心当たりがあればお知らせ下さいませ。 4 >>ユダ王国が滅ぼされたとき、新バビロニアに連れ去られた人々が、ゾロアスター教の影響を受けて、選民思想を構築してできたのがユダヤ教 http://www.asahi-net.or.jp/~zm4m-ootk/nenpyou.htmlの読み方もよく判らないのですが、ユダ王国はBC597年頃滅んだと解釈できませんか。ところが、それより古くBC722年以前に旧約聖書を構成するアモス書が完成していると受け取れませんか。このページの一覧表とお説は上手く結びつきません。これを読んで何か心当たりがあればお知らせ下さいませ。諸説あるだろうことは理解しています。   お説に従えばユダヤ教はゾロアスター教の影響を受けていて、私の調べによるとゾロアスター教は多神教ですから、どうも一神教より多神教の方が古そうです。この質問の趣旨からいって次のステップとしてゾロアスター教の前に一神教があったか無かったかを調べる段階へ進みました。お蔭様で一歩前進しました。

関連するQ&A

  • 【宗教】なぜユダヤ教が誕生するまではヨーロッパは多

    【宗教】なぜユダヤ教が誕生するまではヨーロッパは多神教の国だったのにユダヤ教になると突然一神教という宗教文化が突然生まれたのですか? ギリシャ神話でも神はたくさんいた多神教でしたよね。 ヨーロッパで何があったのですか?

  • 【日本は農耕民族だから?無宗教だから?欧米と違う。】

    よく日本人は農耕民族だから欧米の民族とは違うという話を聞きます。 むしろ、日本は多神教だから一神教を崇拝している民族とは違うと言うべきではないでしょうか? “日本は無宗教である”と何となく考えている人々が多いかもしれない。 日本はご存知の通り、日本は古代ギリシャ・ローマ同様に八百万の神がいる多神教の国です。 “日本は無宗教である”というよりも、“日本は一神教ではない”という言葉の方が適切だと思います。 多神教は何もしなくても勝手に雑草が生えてくるような、自然環境に恵まれた風土に発生します。 自然に対する畏敬の念が、それを生み出す。 そのような環境は中国の南方の長江流域、韓国にも存在するが、現在、中国は共産主義という一神教、韓国はキリスト教に蹂躙されてしまっています。 中南米も同様にキリスト教に蹂躙されました。 ところが、日本は一神教に蹂躙されたことのない世界でも稀有な存在であり、日本列島が世界において独自の文化圏を構成しているといって良い。 一神教は、砂漠の民が生み出した宗教だが、厳しい自然環境を反映して、現世とは超越した絶対的な神の存在を創造しそれに祈りをささげた。 素朴な自然崇拝を起源とする多神教とは根本的に違います。 大東亜戦争の敗戦により、米国的な思想が流入し、多神教的な文化や伝統芸能などが、古臭いもの、前時代的な遅れたもの、として大きく衰退しましたが、今も尚、日本人の心の中には、八百万の神は存在します。 具体的に言えば、初詣やお宮参り、受験対策で天神様、など枚挙に暇がない。 その祈りは、特定の神を対象にしたものではなく、滝や山が御神体になったり、天竺(インド)、震旦(中国)から伝わった仏教と日本の土着の神が融合した神々であったりする(学問の神様、商売の神様、恋愛の神様・・・)。 また、神社仏閣を問わず、家内安全、商売繁盛などのご利益を祈る行為自体が多神教的です。 クリスマスも気にせず盛り上がれる点も同じでしょう。 みなさんが思う「日本と欧米の違い」はどこですか?

  • 一神教の成立について

    一神教はユダヤ教およびそれから派生した宗教であると、教わりましたが、自然発生的な多神教は世界各地に存在しているのに、なぜエジプト幽囚から脱出したユダヤの民だけに一神教という、いわば独特な宗教が発生したのでしょうか。宗教学という分類がないのでここに質問しました。

  • ユダヤ人は宗教上の区分?

    先日映画で「戦場のピアニスト」を見ました。第2次世界大戦中にポーランドのユダヤ人がナチスドイツに虐殺される話で疑問に思ったのですが、この戦争で標的になっていたユダヤ人は宗教上でクリスチャンと対立していたのでしょうか? または民族としてヨーロッパ(ドイツ)と歴史的なトラブルを引きずっているのですか? 現在のイスラエルでも同じだと思いますが、高校ぐらいで習ったかもしれませんが授業をちゃんと聞いていなかったので…。ゲシュタポ、ゲットーなど映画に出てきた用語について関連したURLがあればご紹介願えれば幸いです。

  • 古代ユダヤ人またはその教徒たちの宗教観

    質問です。 先日、パレスチナ問題について調べようと、問題の原点を遡っていったらユダヤ人に行きつきました。 そこでかれらの民族がどういった民族で、どういった宗教観を持っているのか初めて知ったのですが、そこでいくつか気になったことがあります。 1.古代(ペルシア王に解放されて、カナンに戻って神殿を再建した頃)のユダヤ人(と教徒たち)たちは、自分たち以外の外国人や多神教を信じる民族に対してもとりわけ排他的だったわけですけど、こと同じユダヤ人同士だとどんな感じだったのでしょうか? 例えば、 ユダヤ人の父親もしくは母親が、病気に罹って早く治療しないと亡くなってしまうかもしれないってなった差し迫った状況に、「いや、今日は安息日なので何もできませんよ」といった風に見殺しにしてしまうのでしょうか?  だからといって、全てにおいて見下している異邦人に頼むわけにもいきませんよね?  「自分たちは神に選ばれた民族なんだ。異教徒なんかに頼るもんか!」 もしそうなら、遺された家族や病気で亡くなる者はどういう気持ちだったのでしょうか? また、 ついこの間まで仲良く遊んでいたユダヤ人の友達が、ある日、急な大雨で増水して氾濫した川の水に流されて亡くなったと知ったら、そのユダヤ人は、 「ああ、きっと彼の、神への信仰心が足りなかったからなんだ。自分ももっと神に祈って、律法をより厳しく守っていかなきゃ」 という風に受け止めていたというでしょうか? 2.当時のユダヤ教における祈り言葉や、神への踊りとか、神への歌とか、そういった祭日などで祭壇で唱える言葉などありますか? キリスト教で言うところの、「食前の祈り」とか「主の祈り」とか。 もしありましたら、具体的にどういった言葉を唱えるのか、どういった踊りや歌だったのか知りたいです。 長くなってしまい、すみませんでした。

  • 文化の死、民族の死

    アニメ 鋼の錬金術師において、 「歴史ある宗教や文化を死なせてはならん。文化の死は民族の死だ。おまえの手で民族を死から救え。」というセリフがあります。 宗教や文化の死、喪失を危険視し、それを防ぐことを求めているのですが、歴史上で文化や宗教は変化してきました。 変化だけでなく、微力な文化や宗教は排除もされ、今に至ると思います。 それなのになぜ文化・宗教・民族が失われることを良くないことと考えるのでしょうか? アニメではなく、現実の問題として、皆様の考えをお聞かせください!

  • ギリシャ神話等の死生観について

    このカテゴリーでいいかどうか、ちょっと迷ったのですが…。 ギリシャ神話と他の神話(あるいは宗教)との相違点を調べていて、一神教と多神教の違いなどはわかりました。 神話や宗教(民族というべきでしょうか?)によって「死生観の違い」はあるものですか? ギリシャ神話の死生観もいまいちよくわからないので、教えてください。 よろしくお願いします。

  • 宗教の歴史

    世界の宗教の発生の歴史や相違について、宗教学の専門書でなく、 判り易い本がありましたら教えて下さい。 「ユダヤ教・キリスト教・イスラム教」と「仏教・ヒンズー教」の どちらか一方のグループだけについて書かれた本でも構いません。 一神教のユダヤ教・キリスト教・イスラム教は同じ神で、宗教の違いは、 預言者の違い(モーセ・イエス・ムハマンド)と聞いています。 イスラム教の5大預言者はモーセ・ノア・アブラハム・イエス・ムハマンドで、 悪魔サタンはイスラム教でシャイターンとか、 仏教のお釈迦様はヒンズー教のヴィシュヌ神の化身とか。 どうぞ宜しくお願い致します。

  • クウキ教たる一神教としての日本教をどうあつかうか

     たたき台です。自由に哲学としてたたいてください。  日本人にとっては ムラムラにおける自然との共生を生きる古くからの―- 一人ひとりにとっての――信仰が息づいていると見ます。生活の問題です。  ただしこれを基礎として 社会形態が国の家というごとく二階建ての構造となったときには それとしての民族宗教がつくられました。あるいはつまり 民族としてのひとつにまとまった神をまつる実質的に一神教が――空気のごとく――形成されてきた。  ムラびとたちは これに くにゆづりをした。ムラムラのマツリは お二階さんたちのマツリゴトによって吸収されるかたちを採った。ムラびとたちどうしのヨコの助け合い寄金が――あるいは神々とのタテの祀りの品が―― お上なる二階とのタテの関係(国家財政)の中へ吸収されて行った。  民族宗教とは 日本教であり 実質的にクウキ教である。  クウキによるコミュニケーションを 守るべきオシヘとする。  このわれらがシュウキョウを これから どうするか?  《クウキ教》は 守り遵うべきオシへの役割りをも帯びている。  しかも言葉としては何ごとにも・何ものにも精霊を感じてのようにおよそアニミズムとしての多くの神々をも持っていますが これ(クウキ教)は いわゆる多神教のままには留まっておらず そうではなく すでに――国家が出来てからは――あくまで《日本教》として一神教を成す。  ヒンドゥー教は その名もヒンドゥー=インドであるごとく多神を擁していてもそのまま全体として一神教としてのインド教です。よその神々を受け容れても 民族宗教としてまとまり 対外的には あたかも唯一神をいただくのと同じ振る舞いにおよびます。  ユダヤ教は 明らかに対外的にも対内的にも 唯一神をオシへとして共有する生活様式を形成する民族宗教です。  あるいは アマテラシテたる王をいただくイギリス教のごとく日本教は 対外的には一神教としてまとまった民族宗教です。その中にいろんな神々をよそからも受け容れているという――対内的には――多神教であったとしてもです。  この日本教=クウキ教には 神道をベースにして 仏教の諸仏を採り入れ そしてキリスト教の姉妹編としての唯物論教(つまり 無神論教)をもじゅうぶんに有益にはたらくかのような異端分子としてやはり採り入れています。  日本教・総本山   神道   仏教支部   儒教支部(?)   キリスト教支部   マルクス教支部   無神論教支部   《お花畑》平和教支部  護憲平和教派は さすがにキリスト教の神を持ち出すことはないようですが そのベースには同じ排他的な一神教の神(《無い神》)が祀られているかのようであり じゅうぶんにほかの多神と対立しつつも大きく日本教の一環として根を張ろうとしています。  日本人は 知らず知らずのうちに 宗教(じつは 信仰)への関心を育み生活を息づかせて来ており ただしそれがお二階からクウキ教の浸透によって絡め取られるときには いわゆる排他的な一神教としての民族宗教を形成するようになります。その中に入れば 排他的ではなく馴れ馴れしくなあなあ主義的になります。  ふるくからの個人個人にとっての信仰を保つ日本人は――第十代崇神ミマキイリヒコイニヱのミコトやその時の市民オホタタネコをあたかも代表とするかのごとく《イリ歴史知性》たる日本人は 応神ホムダワケや雄略オホハツセワカタケルさらにあるいは継体ヲホドの《ヨセなる超歴史知性》によって《全国制覇大作戦なる雄略》を実行されて それに対して国ゆづりをしたとしても―― そのような宗教現象をなおただウワベのこととして その優勢に対して まさにくにゆづりをした出発点を保って生きて来ています。    それらの人たちは 宗教から・オシへを垂れるあらゆる宗教から 自由です。ユヅリアヒの生活を千五百年おくって来ています。(はっきりと二階建てとなって行った継体ヲホドの頃からと見ての時間です)。  いちどゆづったのだから 口が裂けても 返せとは――大政奉還せよとは――言えないであろうか。どうでしょう?  

  • 一神教と環境問題の関連性について

    自然環境は人類活動によって破壊されています。その原因は、無軌道な大量消費による物質循環の乱れです。 現在の世界の経済活動を動かしているのは一神教の国々です。日本は明治時代からこのかた、それに流されているにすぎません。 宗教観というものには、自分達の生活している自然環境の中で、いかに生き残っていくかということが含まれますから、宗教はその地域の自然環境と切っても切り離せないものであり、本来は地域ごとに柔軟に変化していくものです。 キリスト教やユダヤ教、イスラム教はいずれも砂漠の地で生まれた一神教の宗教です。 自然の恵みが豊かな日本は多神教と言われますが、人々の自然に対するイメージというものは母性的であり、敬っていさえすれば、「最終的には助けてくれる」というイメージです。 一方砂漠の国々は自然が貧しく、天候を操る神はその子である人類に対して、様々な難題を突きつけてきます。過剰に与えることはなく、人々はいつも不足に悩まされ、不満は解消されることはありません。そこには禁止が付きまといます。そして禁止というものは欲望を肥大させるものです。 今日のグローバル社会は、無尽蔵に自然を消費していく社会です。それは少なからず一神教の負の性質を反映したものだと感じるのですが、いかがでしょうか? 砂漠で生まれ、その厳しい環境で生きる術を示した宗教というものが、それが生まれ育った地域を飛び越えて、(これもまた一神教の性質によるものですが)、世界全体を支配しているとことに対してどう思われますか?私のように、それを現在の地球環境の破壊と結びつけて考えることは全くの見当違いでしょうか? もちろん、それだけで環境破壊が説明できるとも思いません。 また、キリスト教は歴史を重ねるにしたがって変化してきたのでしょうが、一神教というものはその性質として、始めの教えから大きく変化するものではないと思います。 どうか回答の方、よろしくお願いしますm(_ _)m