大政奉還後の三職制の参与

締切り済みの質問

大政奉還後の三職制の参与

 大政奉還後の王政復古の大号令により、
摂関・幕府が廃され、総裁、議定、参与の三職が設けられましたが、
三職が一同に会する小御所会議がすぐに廃止され、
参与が公卿層と藩士層に分けられ、藩士が意志決定に参加しにくい仕組みができたと聞きました。
倒幕に大きく貢献した藩士が、何故そのような措置を容認したのでしょうか?

投稿日時 - 2008-03-04 23:34:58

QNo.3833733

暇なときに回答ください

2人が「このQ&Aが役に立った」と投票しています

[  前へ  |  次へ ]

回答(1件中 1~1件目)

ANo.1

私たちは、明治になってからの西郷や大久保あるいは伊藤博文・山県有朋の目線で作られた明治維新をみているのかもしれません。

たとえば薩長同盟。
慶応2年(1866年)1月21日に小松帯刀邸で、西郷と木戸孝允が結んだと言われています。ちょっと待ってください。小松帯刀は薩摩藩の家老ですよ。木戸孝允は生家が藩医で、養子に入った桂家は150石。小松帯刀も上級武士です。
当時の感覚から言えば、薩摩藩の家老 小松と 長州藩の家老 木戸の会見に 西郷もいたというのが真っ当な理解ではないでしょうか。

ちなみに、明治政府のトップは有栖川宮で、副総裁が三条実美と岩倉具視。1868年
その後内閣制ができる1885年まで、実は ずっと 建前上は 三条実美が政府のトップでした。けどだれも三条実美が明治維新の政策を企画・実施していったとは思っていません。

この辺から考えると、「容認」というよりは、こんなもんだと思いつつ実権を握りそれを拡大していったのが、西郷や大久保などの下士出身者だったのではないでしょうか。

投稿日時 - 2008-03-05 04:24:17

あわせてチェックしたい
  • 「王政復古の大号令」についての愚問です。 ...
  • 大政奉還について ...
  • 王政復古の大号令の原因と結果について具体的に教えてください。 ...
PR
【回答募集中】花粉にひと言、物申す![ 詳細 ]

OKWaveのオススメ

教えて弁護士さん!

お金の悩みQ&A特集はこちら

おすすめリンク