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南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)

noname#3096の回答

noname#3096
noname#3096
回答No.19

 申し訳ありません。創価学会のことは以後は書きません。 >日蓮が他宗を排斥したことは知っていましたが、「殺せ」とまで言っていた >というのは初耳です。それは例えば日蓮の著書の中に明記されているという >ことなのでしょうか? >あいにく歴史の先生に知り合いはいませんので確認はできませんが……。  この質問に対して回答します。  日蓮自身が書き残した『撰時抄』に次のようにあります。 「日蓮は日本国の棟梁なり、予を失わば日本国の柱橦を倒すなり、只今に自界反逆難とて同士討ちして、他国侵逼難とて此の国の人々他国に打殺さるのみならず、多く生け捕りにせらるべし。  建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏・長楽寺等の一切の念仏者・禅僧等が寺塔をば焼き払いて、彼等が頚を由比の浜にて斬らずば、日本国必ず滅ぶべしと申候了」  建長寺・寿福寺、等々は健在ですし、浄土真宗も禅宗も日本中におおいに栄え、信徒が大勢いますが、別に日本が滅びる様子はありませんよね。日蓮の言うことを真に受け、念仏信者の首を斬ったりしたらとんでもない日本史の汚点になるところでしたね。  また、こんなことも言っています。  やっぱり日蓮自身が書き残した『秋元御書』 「不殺生戒と申すは、一切の諸戒の中の第一なり。(中略)蟻子を殺す者・なお地獄に堕つ況や、魚鳥等をや青草を切る者・なお地獄に堕つ況や、死骸を切る者をや。是の如き重戒なれども、法華経の敵になれば、此れを害するは第一の功徳と説き給う也。(中略)阿育大王(仏教を保護したアショカ王のこと)は十万八千の外道(他宗教の者)を殺し給いき。(中略)阿育大王は得道の仁なり」  不殺生戒は非常に大切だ。蟻を殺しても、青草を刈っても、死骸を傷つけても地獄に堕ちる。けれども法華経の敵を害する(前後の文脈から見て、どう見ても“殺す”の意味)のは第一番に功徳のある素晴らしいことだ。アショカ王も10万8000人の異教徒を殺したそうだ。仏道にかなった素晴らしい王様だ。 「日蓮聖人御書全集」でもなんでも調べて下さい。本当にこう書いてありますから。  この「蟻を殺しても地獄に堕ちるほど殺生は悪いことだ。しかし法華経の敵を殺すのは素晴らしく善いことだ」というレトリックは、実にいやらしく、反吐が出そうです。こういう言葉を口にする人の、心根の貧しさを表していますよね。  こんな日蓮の言うことを、貴方はまともに信じるのですか?

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