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回答(12件中 1~5件目)
最初の人であるアダムは神様を模って作られましたが、罪を犯すことによって神様の似姿を失ってしまいました。そして、全ての人々は神様の似姿を失ったアダムを似て生まれるのです。 アダムを似て生まれた最初の子供は殺人を犯しました「創世記5:5」。即ち、全ての人々はアダムに罪を犯すようにさせた悪魔に支配されたまま、多かれ少なかれ罪を犯しながら生きているのです。 罪が支払う代価は地獄です「ローマ書6:23」。このような人々を哀れみに思われ、神様はイスラエルを選び出し、彼等を導くことによって楽園に行く道を教えます。 神様がイスラエルを選んだのは、特別にイスラエルを愛したからではなく、彼らが一番数が少なかったからでした「神明記7:7」。神様は数で働く方ではないからです。1967年、約300万のイスラエルが8億のアラブとの戦争に6日間で勝ちました。 彼らが神様だけを信じた時は、全てが順序良く進んだけれども、罪を犯した時は徹底的に懲らしめられました。バビロンに捕虜として連れて行かれ、奴隷生活を送った事もありました。 イエスキリストを殺してからは、国を失って世界の各国に逃げながら生活を送り、ヒトラーからは650万の人々が殺されました。しかし、神様の予言通りに約1900年ぶりに独立を果たします。 ヨリコだけでは無くイスラエルも、神様に背いて偶像を崇拝しながら罪を犯した時は徹底的に懲らしめられたのです。世の中が罪に満ちた時、神様は洪水によって世の中を滅亡させました「創世記6」。ソドムも滅亡させました「創世記19」。 今の世の中も罪が満ちた時に滅亡されるように予定されてあります「ペトロ後3:10」。 ヨリコの人々が全て滅亡されたのではありません。神様を信じた娼婦と彼女の家族と親戚は救われました「ヨシュア6章」。神様は人を差別されません。「主の御名を呼ぶ者は誰でも救われます。ローマ書10:13」。神様の考えは人間の考えと異なり、神様の道も同じく人間の道と異なります「イザヤ55:8~9」。貴方は、かなり落ち着いて冷静な判断が出来る方だと思われますが、神様の考えは貴方の考えと異なると聖書は言われていらっしゃいます。
投稿日時 - 2008-01-23 01:09:07
お礼
解答ありがとうございます。ではあなたもヨシュアのように神の指示があれば殺人もいとわないのですか?
投稿日時 - 2008-01-30 00:27:34
旧約聖書にしろ、新約聖書にしろ、個々のエピソード一つだけを取り出しても、その本質についてはなかなか分からないところがあります。
エリコ陥落について正典に納められているのは、「悪いことをしたら神様が滅ぼしになりますよ」という戒め的な部分もあるようです。
例えば、『コリント人への第一の手紙 10章』には偶像崇拝や淫行、キリストを試すことなどの「悪」を行ったモノ達は滅ぼされてきたではないか。
これらは、すべて前例として神が示されたのだ~的な事が書かれてあります。
そして、「それが書き伝えられているのは、時の終わりに直面しているわたしたちに警告するためなのです」とも書いてあります。
つまり、エリコ陥落のエピソードは、エリコのような悪い習慣に毒されたら滅ぼしちゃうよ~ということですね。
あと、もう一つの意味は、「モーセが名付けた≪ヨシュア≫とは「神の救い」を意味し、神に選ばれた人々を救済を表すとされる。また≪ヨシュア≫のギリシア語化された言葉が≪イエス≫である。」という事で、「イエス・キリスト」の出現を預言したものとも受け取れます。
さて、ここで善い・悪いの価値判断ですけど。
近代社会学者の巨人に、M・ウェバーという人がいます。
彼は、学問研究をするに当たって、なるべく「価値判断」を持ち込まない「価値自由論」というのを展開しました。
これは、学問研究をする上で「価値判断」を持ち込むと「事実判断」を誤りかねないというモノです。
特に、歴史においてはこの「価値判断」が「事実誤認」を生み出しやすい分野と言えます。
例えば、「エリコ虐殺は史実=虐殺は悪=その内容のある聖書を信仰する人は悪い人」という単純な「価値判断(自分の中にある価値基準で物事を判断)」をすると、ユダヤ教やキリスト教などの信者を誤解することとなります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%A1%E5%80%A4%E8%87%AA%E7%94%B1
投稿日時 - 2008-01-20 23:37:20
お礼
解答ありがとうございます。「エリコ虐殺は史実=虐殺は悪」は回答者様も認めるところなのですよね。その内容のある聖書を信仰する人は悪い人 別に悪い人とまでは思いませんが、私は彼らにはどうしても共感できません。
投稿日時 - 2008-01-30 00:21:49
エリコ征服に関する聖書の記述が歴史的真実か否かはおいといて、
自民族の神に属さない他民族を屈服させ、
王と住人を根絶やしにするのは、
これ虐殺であるどころか、
彼らと彼らの土地を自らの神に捧げる宗教的行為。
・・・というのがおそらく当時のカナン周辺に
ごくごく普通にあった古代宗教的プロトコル。
モーセ五書にせよ、ヨシュア記にせよ、
「根絶やし」という言葉の他に「聖絶する」という動詞がちらほら。
「聖絶」が実際的な殺生と物理的破壊を意味したかどうかは知らんが、
他民族の生命財産を我がものとすることは、すくなくとも彼らにとっては
聖なる、聖なる、聖なる、宗教儀式。
そう、古代中東においては、侵略戦争は宗教儀式の結晶なのだ
つまり、ああ、言うのこわい。でも食おう。あそれは饅頭こわい。でも言おう。
当時のイスラエル人が他民族の女性や子供を皆殺しにする行為。
これ「善なる使命」
モーセは言う。
「子供たちのうち、男の子は皆、殺せ。
男と寝て男を知っている女も皆、殺せ。
女のうち、まだ男と寝ず、男を知らない娘は、
あなたたちのために生かしておくがよい」
民数31章15~
こうした偏執狂的精神はそのままヨシュアを経て、
イスラエル王家に引き継がれている周辺民族へのスタンス。
サムエルはサウル王に言う。
「容赦してはならない。
男も女も、子どもも乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも殺せ」
サムエル上15章3
しかもこれ遠く出エジプト時代の報復劇って、えー?おい。
それもこれも「善なる使命」のなせる業。
うしろめたさ?罪悪感?ないない。だって神の使命だもん。
むしろ達成感。充実感。さわやかコカコーラ。
皆殺し。ああ、なんて立派なことしたの俺ってば。
この「善なる使命」どっかで聞いた?
十字軍と近代ヨーロッパの植民地侵略使命論。
関係ない?ないかも?いやあるでしょ?あるでしょー。
なんでいつもいつも侵略戦争とキリスト教はワンセットなのか。
侵略戦争と植民地へのキリスト教布教は、
いわばおサルさんを人間化する貴い貴い行為。
黒人女性にサンデードレスを着せる行為。
どっかの国はなぜ、年中行事のように中国に
侵略しましたーって、頭を下げなければならないのか?
中国を蝕したのは日本だけではないのに。
100年間、香港を虐げてきたイギリスの去り際は、
拍手喝さいの中あつい握手と抱擁で。
はい。キリスト教国ではないからです。
聖なる使命ではないからです。大東亜今日ええ天気はさておき。
は?あの人たちなんで毎年謝ってんの?が、
かつて欧米列強と呼ばれた今日のキリスト教国の見る目でしょ。
おお、話題が荒野へ。
>キリスト教徒のかたはエリコの虐殺についてどうお考えか。
十中八九、正しいこと。当然の行為。誇らしいこと。
うそだと思うなら、讃美歌集を探してみると、きっとある。
エリコの戦いについての「賛美」歌。
あるいは、エリコ? 黒崎? こっちの方がもっとこわい。
あっと今さらすまんが、キリスト教徒ではなかった。
投稿日時 - 2008-01-20 22:37:05
お礼
解答ありがとうございます、宗教の恐ろしさを感じました。
投稿日時 - 2008-01-30 00:18:26
この質問を読んで考えたのですが、まず、正しいこと、悪いこと、の
基準について考える必要があるのではないでしょうか。
ところで、社会で極刑の是非が問題になっているのですが、極刑が
妥当かどうかはさておき、悪いことに対してはとりあえずなんらかの
制裁がある(べきだ)というのが、社会の秩序を維持する上でも、
社会の正義という点でも、一般社会の共通の認識ではないかと思います。
ここで「(聖書では、世界を創造したことになっている)神様の言う
ところの『正しさ』」について新約であれ旧約であれ聖書を読むと、
その基準がものすごく厳しくて(例えばマタイ5章とか)要するに
イエス様以外は誰もその基準を満たさなかったことになります。
ヨシュア記について、質問文や一部の回答では、イスラエルの人たちが
「俺たち=正しい、エリコの人=悪い」的な構図で「虐殺」したような
印象を受けるのですが、旧約聖書にはイスラエルの人たち自身も、その
正しくない行いについては神様の裁きを逃れ得ないことがたくさん
書かれていると思います。
> エリコの虐殺についてどうお考えなのでしょうか。
以上のようなわけで、単純な自分が考えることとしては、エリコの
人に起こったことは、つまり、自分に起こるはずのことなので、
「できれば自分は正しく生きていけたらいいな」ではないかと思います。
なかなかそういう風に生きられないので、つまるところイエス様に
期待するのですが。
投稿日時 - 2008-01-20 02:21:24
お礼
解答ありがとうございます。
投稿日時 - 2008-01-30 00:28:44
No.4です。
何度も失礼してすいません。 ヾ(-_-;)
>目的信仰で
>こう答えられたらどうしようもありませんね。
実際は、質問してきた信者に対して教師たちは「盲目的信仰を持て」とは言わないと思います。
「聖書をもっと読みなさい。」「聖書が教えてくれる」「信仰が足らないからわからないのだ」 などなど言われているんじゃないかって思います。
こう言われて、信者じゃない私なら「信者じゃありませんので、信仰心はありません。でもあなたは信者でしかも教師ですよね。理解しているから生徒に教えることができるわけですよね。じゃあ あなたの理解を今 ここで言ってください」って言うと思います。
神父さん、牧師さんは、絶対話すことを避けたい相手でしょうけど 笑。
神を試してはならない。
でも神父さん牧師さんは神じゃないので信者は彼らを試していいんですよね。
ちなみに私が信者さんを試すと、高確率で「サタン」って呼ばれます。
「はい サタンですが、それがなにか?」なのですが。笑
「知らないので答えられません って言ってくだされば、知らないものは答えれないので、サタンは退きますけど。」って気持ちがあるんですが、何故か相手の方は知らないものを無理に答えようとして、旧約を読んでいないということを露呈させてしまいます・・・・・。
ああ、、、、 (;>_<)
で、今回の質問について、満足のいく内容を聖職者からもらおうとしても、無理があります。
あなたの満足がどの程度なのか よくわからないのですが。
現代のモラルでいくと、ひどい内容ですよね。
現代において、旧約のその内容と同じ思想を持っている集団がいました。
オウムです。
オウムは現代においてエリコの大虐殺には及ばないが、それと同じことをしたわけです。
キリスト教も大きくなる過程において、同じことをしている。
ただし、預言者は教皇。
教皇は神の命令を受け殺しを指示し、信者にやらせた。
ちなみに教皇は神の代理人。
カトリックでは信者は神と直接会話することができず、教皇は神と会話できるとされ、だから信者から教皇はすごい人だとして崇拝されているんですね。
教皇=神 みたいなものですから。
その考えに対しておかしいじゃないかと反発してできたのが、プロテスタント。
日本だってそうじゃありませんか ついこの前まで天皇は神だと国民は信じていたじゃないですか。
古事記と聖書は規模が違う?
聖書の天地創造と、古事記の天地創造の内容は一緒。
ちなみに、エヌマ・エリシュという世界最古の文学というか神話がありまして、その天地創造は聖書の天地創造と内容が一緒。
で、聖書の世界はマルドゥック系列だと思える。
同じ神話を持つ日本は、マルドゥックが天皇系列で太陽神系列で、出雲などの系列がティアマット系列だと私は思えるんですね。
規模でいくなら 日本は2神 つまり 陰陽で構成されているので、こっちの方がすごいぞーー って思います。 笑
ってどんどん話ずれていってすいません・・・。
結局 これと答えを言える内容じゃないなぁって思いました。
答えは出ているようで、出ないようで、、
考える参考になれば。
↓
http://www.j-world.com/usr/sakura/other_religions/divine_murder.html
宗教って怖いでしょ?
人間って怖いでしょ?
投稿日時 - 2008-01-19 21:42:13
お礼
解答ありがとうございます。
はたして、わたしたちが「人間的浅はかな判断」や「おのれの小賢しい知恵」を捨てて、信仰の対象としての超越的な権威(聖書や教祖の言葉)に従うことを「正しい」とする判断が、本当に賢哲な判断かどうなのか
には共感しました。オウムのような例を考えるとエリコの虐殺は決して大昔の話とはいえないのだなと思いました。
投稿日時 - 2008-01-19 22:14:33