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「細かい」 

以前にも同じような質問をさせて頂いたことが有るのですが、また少し気になってしまったことが有るので、もう一度御質問させて下さい。 「微妙」という言葉が有りますよね。 それを辞書で調べると、 「一言では言い表せないほど細かく、複雑なさま。」(大辞林) とあります。 そこで、「細かい」の意味を調べます。すると、 1 いくつか集まって一まとまりになっているものの、一つ一つの形が非常に小さい。「―・い砂」「―・い雨が降る」「―・い字で書く」「―・い編み目のセーター」「野菜を―・く刻む」粗い。 2 金高が小さい。「―・い金を持ち合わせていない」「一万円札を―・くする」 3 動きが小さい。「肩を―・く震わせる」 4 物事が細部にわたっている。詳しい。「―・い話は抜きにしよう」「情景を―・く描写する」 5 小さいところまで行き届いている。「芸が―・い」「―・く気を遣う」 6 取るにたりない。些細(ささい)である。「―・い過ちをいちいち指摘する」「―・い事までとやかく言う」 7 勘定高い。金銭に対してうるさい。けちだ。「金に―・い奴」「取引に関しては―・い」 8 囲碁で、勝敗の形勢が微妙である。「―・い碁」 と、出てきます。 ここで、質問なのですが、ここで言う「細かい」とは上記の意味の内、どれに該当するのでしょうか?また、それは何故でしょうか? 御回答宜しくお願い致します。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#57571
noname#57571
回答No.2

1番の意味が近いように思われます。ここでは集合物の一個一個という説明になっていますが、同じ例を集合物の─という前提なしで単に「非常に小さい」と説明している辞書もあります。 「微妙に甘い」 甘味の度合いが極めて小さい(辛うじて甘いと分かる程度)。 「過半数獲得は微妙な情勢だ」 過半数を獲得する可能性としない可能性の差が非常に小さく、何とも言えない。 と、もっともらしく書きましたが‥ この言葉はそれ自体のニュアンスが微妙なので、辞書と言えども完全な説明は難しいだろうと思います。事実、8番の「囲碁で、勝敗の形勢が微妙である」などは、「細かい」の説明に「微妙」を用いてメビウスの帯になってしまっています。また、「微妙に細かい」などという言い回しもありますが、その意味を真剣に追求したら、頭がおかしくなってしまうでしょう。

その他の回答 (1)

  • ANASTASIAK
  • ベストアンサー率19% (658/3306)
回答No.1

4.です。 理由は、「微妙」とは、物事が細部において検討すると、 判断や見かたが分かれるという意味だから。

jonnyjack
質問者

お礼

有難うございます。

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  • no older than our cat

    添付urlの続きです。 http://okwave.jp/qa/q6509630.html 皆様のおかげで、あと一歩というところまで漕ぎ着けました。最後の詰めになりますが何かヒントになるような解釈でもあればと再度の投稿です。質問文前後の私なりの理解と要約です。 著者の家、特に母のお気に入りの飾り棚が置いてあるダイニングルームがすきであったが16歳を境に、テレビの影響で考え方が変わった。バージニア州が舞台で世界大恐慌(1929年)のさなか。絆の強い家族の物語で、その時代を流行った全て(キサーやクラブの会員)を持っていたのではなく、お互いに、どちらかを補う家族達。(たぶん2他家族以上が住んでいたと推測する)彼達が20代(1920年代もしくは彼らが20代)の時に建てた古い家で、ベッドルームは下見板張りの家で、ランプが部屋を淡い金色で染めていた。そんな情景にロマンとまでは言わないがそれに近い思いを抱いていた・・・ このことについて親父が触れたことがあった、「馬鹿をいうんじゃないよ、第二次世界大戦前が居心地の良い時代であったとでもと思うの?」「朝5時に起き雪に埋まった道路で新聞を売るなんて、そんなひどいことなどありゃしない。」と、 「私の抱いたロマンが理解できないとは少しばかり残念だね。」 自分が過ごしたことの無い時代を望郷する人のように、私もほんの少しだけ不都合なこと、例えば飢餓のために麻痺をした時代、リスのシチュウを食べるような考え、に目をつぶれば、昔の人は意外と文化的で、格好がよい後姿でもある。(もしくは、その時代は寛大で文化的で悪いものではない。) Wasn’t it crushing to live in a house no older than our cat? 親父はその通り。まったくその通りだ。と言う。 母も同じ考えで「家族(隣人)に囲まれて身動きが出来ない、そして台所に到達するのに両親の部屋を通り抜けねばならぬ、そんなことが楽しいと言うならば、お前のお爺ちゃんが入れ歯を取った姿ですら永久に分からないのでは・・例え家族と言えどもプライバシーなんて有ったものじゃない。」 色々と検索すると、これは2008年に大賞を取ったエッセイだそうで、文中にはプロットのような隠された意味が多く含まれているため笑える作品だそうで、例えば文頭の a cold and forsaken place where people stayed indoors and plotted the death of knobs. の意味は、スカンジナビアの家具には取手がついていないそうで、上記文のPlotted the death of knobs.そこでは人は(家具の)取手をなくすのに躍起になっていた・・の様な意味で、なるほどと思わせる文です。同様にto live in a house no older than our catにプロットが含まれる思うのですが・・・ Wasn’t it crushing to live in a house no older than our cat? 「猫より古くはない家に住むことは壊滅的ではなかったのか?」 とcrushingを形容詞として使っているのか、または、自動詞でcrushはcrowd togetherという意味がある。またworldはpeopleと置き換えても良いため Weren't people crowding togther to live in a house older than our cat? とも置き換えれそうな気もするが、どちらにしても直訳では文脈につながりが無くなる。 猫に纏わる諺等でto live in a house no older than our cat の意味で作者が暗に言いたい言葉を導きだせたらぜひ聞かせてほしいです。 http://www.newyorker.com/reporting/2007/07/09/070709fa_fact_sedaris

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