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私は死なない

死後の世界がないと仮定するなら、 私にとって私の死を自覚できないので 私にとって私の死は無いという結論になりました。 別な言い方をすれば私は死なないとも言えます。 他人から見た私の死ではなく、私から見た私の死のみが問題です。 理屈は合ってますよね?

みんなの回答

noname#80116
noname#80116
回答No.8

《わたしは死の瞬間まで生きている。死の時点では その死を自覚する状態のわたしは もう いない》。 ――こういう言い方のたぐいだと思います。 《死後の世界がないと仮定するなら》という条件を なぜ つけたのでしょうか。 《私は死なない》――この表現には 力強さがあると思いました。 なにかもう一点 ほかの事柄がからんでいると面白いと思ったのですが。辛口批評でした。

shift-2007
質問者

お礼

やっぱり短絡的でしたかね。 死後の世界があれば自分の死を確認することも可能かもしれないと思いました。 認知出来ることにこだわったので死後の世界は都合が悪いのです。       主観              客観 「私にとって私の死は無い」=「私は死なない」 ここの結びつきが弱いんでしょうね。 ご回答ありがとうございました。

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  • harepanda
  • ベストアンサー率30% (760/2474)
回答No.7

余り賛成できませんね。 「私にとって私の死を自覚できないので、私にとって私の死は無いという結論になりました」が特に。 自覚できないものは、世の中にたくさんあります。生物の本質であるDNAを肉眼で見たことのある人がいるでしょうか?自分の精子や卵子は顕微鏡なしで見れますか?インフルエンザになった時、ウイルスを見たという人はいるでしょうか?自分の心臓や脳を見たことがあるでしょうか? 水星の軌道はニュートン力学では計算できず、太陽の重力で空間が歪んでいるという相対性理論を導入しないと計算があわないということを、目で見た人がどれくらいいるでしょうか?我々の済んでいるのは4次元の宇宙ですが、重力子は第5次元に消え去っている可能性が高いということを理解したうえで、自分の体重や荷物の重みを考えたことがあるでしょうか? 自覚できないことは存在しないのではなく、ただそれに人間が気がついていないだけです。人間は自分の体の機能や、宇宙の真の姿を知ることなく、死んでいくだけなのだと思います。

shift-2007
質問者

お礼

全くその通りなのですが、 その全てを考慮していたらおちおち死んでいられないのです。 死後の世界を夢想することと、第5次元に消えた重力子は私にとって同じものです。 万人に通用しない理屈ですので、そうゆう意味でも「私にとって」なのです。 ご回答ありがとうございました。

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  • JOY-STICK
  • ベストアンサー率44% (108/241)
回答No.6

こんにちは 死後の世界はあなたの死とは関係がないですね。 あってもなくても、自覚できないのなら意味がない。 さて、人間は半覚醒の境界より下では眠っている間の出来事は認識できません。 眠りのきざはしを知ることはできても、本当の眠りは意識を消失していますから。 ではあなたは眠っていないのか? 意識の消失だけを論点にすれば、こうなります。 ただ、死の場合目覚めて「今、私は死んでいた」と認識できないだけです。

shift-2007
質問者

お礼

眠りと死にはなにか共通点がありますよね。 死を「永遠の眠り」と表現したりしますね。 眠りについてもよく考察してみたいと思います。 ご回答ありがとうございました。

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noname#64531
noname#64531
回答No.5

私の死後はない(状態) 私は死なない(動作) 動作と状態をごっちゃにしてますよ。 三段論法のようにみえて、次のように破綻してます。 死後の世界は存在しない 人が死んだらその人の主体は存在しない よって(私が死んだら)私は、私の死を自覚する主体は存在しない すなわち「私は死なない」という動作を 上の状態しか説明してない論法からは導き出せません。 (括弧の部分)を無視してる以上 むすびつけた動作が矛盾なのです。

shift-2007
質問者

お礼

すいません。 難しくて分かりませんんでした。 ただ、他人から見たら何を馬鹿なことをということでしょうか。 それはもっともです。 ご回答ありがとうございました。

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  • code1134
  • ベストアンサー率20% (703/3370)
回答No.4

或いはこう言換えられるでしょう。「人間が経験していない又は出来ないのに、通常はそうすべきではないと説く事が常なのが死である」と。 そして、この点を正しく衝いた古人の1人がエピクロスなのです。 http://okwave.jp/qa1366220.html http://sekihi.net/stone/1559.htm 尚、上段のURL中のキケロはエピクロスの誤りだった点を修正して置きます。お粗末なカキコみにて失礼致しました。

shift-2007
質問者

お礼

エピクロスさんは始めて知りました。 えがちゃんもいいこといいますね。 ご回答ありがとうございました。

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  • at9_am
  • ベストアンサー率40% (1540/3760)
回答No.3

> 私にとって私の死を自覚できないので私にとって私の死は無いという結論になりました。 自覚できないものは存在しない、と認めるならその通りだと思うが、私は自覚できないものも存在している可能性があると思う。 たとえば、ちょっとたとえが悪いが、精神病患者の一部には、自分自身が精神病であるという自覚や認識がない。が、それらの病は確かに存在している。 > 別な言い方をすれば私は死なないとも言えます。 主観的世界において死を体験することはない、という意味においてはそういうことも言えなくもないが、死後の世界がないと仮定すれば「死=主観的世界の崩壊・消滅」ということになり、死はやはり存在するのではないか、言い換えれば、やはり死ぬのではないかと思います。

shift-2007
質問者

お礼

もちろん死も精神疾患も存在はしています。ただ、「私」にとってそれを認識することができない以上、無いも同然だという理屈です。 ご回答ありがとうございました。

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  • altered
  • ベストアンサー率17% (64/371)
回答No.2

 「未だ、死を経験した者は居ない」。納得です。 ただ、人間が死ぬものだと言うことは分っているわけですから 後悔の無いように生きることに変わりはありません。

shift-2007
質問者

お礼

私たちの知っている死は、全て他人のものなのですから、本当に自分が死ぬのかさえ疑わしく思えます。 ご回答ありがとうございました。

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  • mor-ris
  • ベストアンサー率36% (4/11)
回答No.1

まぁ、確かに。 自分の死んだ時にそれを確認する術はないということですかね。 ただその説明なしで「私は死なない」といきなりいわれても語弊がありますね(^^;)

shift-2007
質問者

お礼

確かにいきなり言われたら変に思われるでしょうね。 ご回答ありがとうございました。

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