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スレッドを開いて頂きありがとうございます。 バウマンという社会学者が、著書『リキッド・ライフ』の中でこう述べています。 「個性とは結局のところ群衆精神の問題であり、群衆からの強制的要求である」。 「アイデンティティ」という言葉は通常「他者と区別される自己」という意味で使われますが、それは違うとバウマンは言います。彼によれば、アイデンティティの本質は自分と同質な他者と群れることにあります。 例えば「金持ちな私」というアイデンティティを享受するためには、そのアイデンティティを認めてくれる他者が必要です。「(非正規雇用に対する)会社員の私」や、「モテる私」、「哲学の知識をたくさん持ってる私」、その他様々な「私」にも同じ事が言えるのではないでしょうか。 アイデンティティの本質が他者と群れる事にあるとするバウマンの説を読んで、道理で自分探しはいつまでたってもゴールに辿り着かないんだな、と私は合点しました。私たちは死ぬまで他者と群れていたい生き物だと思いますので。 結局、他者に認められるならアイデンティティの中身なんか実はどうでもいいのではないでしょうか? みなさんは、この考え方についてどう思いますか? 面白い回答をばしばし下さいw
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お礼
ありがとうございます。 >主体的に生きるならこの条件が必要になる >それ以外のやり方では何の可能性もない >少なくともこの時点では前者を優先するべきだ 兎にも角にも、初めての打開の試みには、それに心底成り切らないと実態が目の前にビジョンとして打ち出されないと言うことでしょうね。真の姿を観るにはそれが必要であるということと思いました。 >無理をしても上手く行かないときは無理はしないですが、自分を捨ててしまうこともしないようにしたい なるほどね。経験も大切だけど命あってこそ。ダイビングには呼びのパラシュートも必要ですね。 ありがとうございます。