島崎藤村「破戒」について
- 島崎藤村の「破戒」の終盤で、丑松とお志保は会わなかったのか疑問に思います。
- また、丑松は最終的にはテキサスへ行ったのかどうかも不明です。
- 物語の途中でうつらうつらしてしまい、詳細がわからなくなってしまったため、説明をお願いします。
- ベストアンサー
島崎藤村「破戒」について
先頃島崎藤村の「破戒」を読み終えたのですが、二,三疑問に思いましたので質問させて貰います。 一つ目に、物語の終盤で 「御機嫌よう」 それが最後にお志保を見た時の丑松の言葉であった。 という部分があるのですが、丑松とお志保はこれきり会わなかったということなんでしょうか?お志保は丑松に一生寄り添っていくと決意したように思えたので、不思議でなりません。 二つ目に、丑松はテキサスへ行ったのか?ということ。文庫本の解説やインターネット上の感想などを見ると、丑松は最終的にはテキサスへ逃げていったが、何か釈然としない、どうとらえてよいかわからないなどと述べてあったが、物語の何処を見ても丑松自らがテキサスへ行くと表明している部分は無いように思えた。如何せん物語の途中でかなりの睡魔に襲われ、うつらうつらとしたときがあったため多少読み飛ばしてしまった部分があったので、説明の程宜しくお願いいたします。
- t-m-ree
- お礼率31% (7/22)
- 書籍・文庫
- 回答数1
- ありがとう数6
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
「破戒」。 読んだのはもう五十年も前の事になります。懐かしいお話ですねぇ。 丑松は戒めを破って告白してしまいましたから、かかわりのある人たちに迷惑はかけられない、という心情でしたでしよう。 とりわけ、お志保に対する心痛はいかばかりだったか。 ですから「御機嫌よう。」は必然だと思います。 でも、読んでいる私たちも息苦しいですねぇ。 テキサスの話は、第弐拾弐章(五)、終章(二)で語られています。 触発されて、全集を開いてみましたが、ルビが振っていなければ もう読めませんねぇ。先輩たちは、こうした文学に触れて読み書きを 勉強した訳ですかーーー。
関連するQ&A
- 「黄なーー」というのはどういう意味なのでしょうか?(島崎藤村)
島崎藤村の「破戒」を読んでいるのですが、 文中に「黄なーー」という表現が度々出てきます。 おそらく色以外の意味で「ーー」の部分に かかっているのだと思うのですが、 どうも意味がわかりません。読みもわかりません。 前後の文脈は以下のようなものです。 「やがて顔に流れる膏(あぶら)汗を拭いた。 筵(むしろ)の上の籾は黄な山を成している。」 この「黄なーー」というのはどういう意味なのでしょうか?
- ベストアンサー
- 文学・古典
- そこがそれ
そこがそれ 今は相当の老人でしか使いませんが、「そこがそれ」という言葉があります。 その意味と、後の方の「それ」の品詞を教えてください。 参考に「そこがそれ」の出ている文を載せておきます。 西尾正 「放浪作家の冒険」青空文庫 ・・・どこのどんな文明国にも表があれば裏のあるのはあたりまえのはなしだ。そこはまあ、仮にX街の裏通りとよんでおくが、東京でいえば川向うの世界のようなところで、ひととおりは婬惨(いんさん)で、不潔で、犯罪むきにできている。表に文化の花のほこらしげに爛漫とさきにぎわえば、賑わうほど、裏側にはどぶどろや塵埃(じんあい)やかすが、人目をさけてひとつところによどんでしまう。表通りはふつうの薬局や八百物屋や雑貨店などのせわしげにたちならぶ商店街だが、その商店と商店との間にもうけられたほそい路地へ一歩はいりこむと、そこはもう別世界だ。★そこがそれ、君だって先刻御承知のところだろう。・・・ 島崎藤村 「破戒」 ・・・「どうして?」丑松は問い返した。「★そこがそれ、君と僕と違うところさ」と銀之助は笑いながら、「実はこないだある雑誌を読んだところが、その中に精神病患者のことが書いてあった(中略)それで君が引越したくなったのかと思ったのさ」・・・。 泉鏡花 「歌行燈」青空文庫 ・・・「それ、★そこがそれ捻平さね。松並木で出来たと云って、何もごまのはいには限るまい。もっとも若い内は遣ったかも知れんてな。ははは、」 人も無げに笑う手から、 引手繰 ( ひったく ) るように切符を取られて、はっと駅夫の顔を見て、きょとんと 生 ・・・。 久生十蘭 「顎十郎捕物帳 日高川」青空文庫 ・・・「★そこが、それ、 魔性 ( ましょう ) の変幻自在なところ。入ろうと思えば、どんなところからだって入って来るだろう。・・・とまア、平素なら恍けておくところだが、今はそんな場合じゃない。それに、まごまごしていると、えらいことになる。・・・
- ベストアンサー
- 日本語・現代文・国語
- 島崎藤村「初恋」について
島崎藤村の「初恋」という作品に わがこころなきためいきの その髪の毛にかかるとき たのしき恋の盃を 君が情に酌みしかな とありますが、これはどういう意味なのでしょうか。 それと、この2人は両想いなのでしょうか、それとも男の片思いなのでしょうか。 回答よろしくお願いします。
- ベストアンサー
- 文学・古典
- 島崎藤村 初恋
島崎藤村の「初恋」の訳を教えてください。 特に4連がよく分からないんです…。 まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき 前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけり やさしく白き手をのべて 林檎をわれにあたえしは 薄紅の秋の実に 人こひ初めしはじめなり わがこゝろなきためいきの その髪の毛にかゝるとき たのしき恋の盃を 君が情けに酌みしかな 林檎畠の樹の下に おのづからなる細道は 誰が踏みそめしかたみとぞ 問ひたまふこそこいしけれ
- ベストアンサー
- 日本語・現代文・国語
- 島崎藤村「まだあげ初めし前髪の…」がわからない
「初恋」の冒頭です。 意味はわかりますが、正しい日本語でしょうか? 「まだ」に引っかかります。必要ないし、あるとおかしいんじゃないかと。 「まだ」を入れたいのなら、あげ初めし「ばかり」の前髪、というふうに「ばかり」に相当する言葉がないと不自然に感じます。 文語に詳しい方、文法的に変ではないか、その点だけ教えてください。
- ベストアンサー
- 文学・古典
- 島崎藤村・初恋「けれ」の意味
島崎藤村の初恋の最後の 問ひたまふこそこひしけれ 問ひ / たまふ / こそ / こひし / けれ の「けれ」とはどういう意味ですか? お願いします。
- ベストアンサー
- 日本語・現代文・国語
お礼
出来ることならば、丑松とお志保とのやり取りをもう少しだけ描いてほしかった・・・・・。だがもし、丑松とお志保との関係がより深いものとなっていたならば、その分別れもつらく、破戒へのゆらぎがでてしまったのではないかと思うと、これで良かったのかなぁという気もしますね。テキサスへ行ったのも、身分や世間の目などその他諸々の柵から逃れるためには仕方が無かったのでしょうかねぇ、やはりそれだけ丑松の心痛と言うのは吾々の想像以上のものだったのでしょう。心のどこかに、猪子先生のように逞しく堂々と生きてほしいという気持ちも残りましたが・・・。