• 締切済み

宗教は全てカルト集団か?

最近、馴染みの寺に行く機会があったのと エホバの証人に属してる人との関わりがあったので 宗教について勉強しております。(私自身は無信仰者です) 宗教というのは元々、人間が頭が良すぎたため 死やらなんやら余計なことを考えたり 神的な物を創造し、お供え物をし翌年の豊作を願ったりと 人間の不安を取り除くような一種の保険的なものが 始まりだと思います。 これよりさかのぼると猿人とかになるわけなんですが そうすると本能のみで生きていますよね?(腹がすいたから食べる、眠いか寝るなど) てことは、余計な事を考える余地がないので 神などを創造する必要はないので その時代には宗教はないことになりますよね? 俗にカルト教団と呼ばれる団体は 歴史が浅かったり信者が少ないからカルトに属されると思うんです。 しかし、キリストもヒンズーもイスラムも仏教も全て 元々の趣旨は上記で述べたような理由で 作られたものだと思います。 信者数や歴史が多い、古いからという理由で教科書で紹介されるほど 立派な宗教として確立されてますよね? しかし、中立的な立場で考えると宗教全ては人類が創造した カルト集団となると思うんですが、違うでしょうか? それと エホバの人と話すと世界は創世記の内容によって作られたとか 聖書の内容が真実だと思っています。(矛盾点は多々有) 正直、誰が何を信仰しようが勝手ですが 結論として宗教全ては人類が進化の過程において 心の拠り所として作ったということでいいんでしょうか? 宗教に中立的な方の意見をお待ちしております。 極度のクリスチャンや仏教徒などは、話がややこしくなるので 回答はご遠慮ください。

みんなの回答

  • nagonn
  • ベストアンサー率37% (3/8)
回答No.2

>宗教全ては人類が進化の過程において心の拠り所として作ったということでいいんでしょうか? その通りだと思います。例えばキリスト教のカトリックでは懺悔というものがありますが、あれはいわゆるカウンセリングの一種と考えられます。ですから、子供の頃は誰でも宗教を必要としません。なぜなら、子供には”親”という自分より大きな存在がいるからです。 しかし、大人になると誰でもあらゆる行いを自分の責任で行わなくてはなりません。そこで登場したのが”神”サマなんだと思います。 「この世の中には自分より強大な力が存在する」そんな風に思うことで心のよりどころとしているのでしょう。 カルトと三大宗教の違いですが、仏教やイスラム教などはどれも信者から金を無心したりはしません。信仰することで救われるのであって、お金を寄付して幸せを買うわけではないんですよね。 でも世の中でカルト宗教と言われるものはトップに教祖がいて、そこに多額の寄付をして救いを求めさせるという形態が多いです。 確かにカトリックにも贖宥状のように寄付を募ることもありましたが、それはおかしいということでプロテスタントがでてきたりしています。 カルト教団の多くは、何らかの救いを求めている人の心に漬け込んで全財産をつぎ込ませるようなことをしています。そんなものが歴史にのこって教科書に載っかるなんて事は無いと思います。 私は完全な無宗教者ですが、イスラム教やキリスト教、仏教などには拒否感はありませんが、救いを求めている人から大金を巻き上げるような宗教は許せません。

lite
質問者

お礼

ありがとうございます。 純粋な救いの手を述べようとしている団体がいるのも事実ですね。 ひどいところだと、息子が受験するから 寄付をしてくれという寺もあるらしいです。 たかだか100年くらいの歴史しかない 団体なんかは大元が儲かるか、頭がおかしいかしかありませんよね。 儲からないのに新たに宗教を作って 全てを費やすってのはまともな人がやることとは思えません(儲かるなら損はないですし、儲からないのに新たに立ち上げるのも不可解ですし) エホバなんかは下のほうは集会があるので 社員にもなれずバイトをしながら 各家を訪問して勧誘してるらしいです。 しかし、本人は本当に救いたいと思っているらしいです(どうせ大元は金がはいっているのに)

lite
質問者

補足

やはり、過程で創造されたということになると 都合が悪いので 進化論は全面否定です。

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  • rin00003
  • ベストアンサー率13% (55/394)
回答No.1

私も無宗教で、なんの宗教にも属していません。 ただ、たまに家にエホバの証人さんが勧誘というか、話をしにきますがその人はわりといい人なので、わりと会話はします。 宗教をされるきっかけは、人それぞれ違うとは思いますが、質問者様が指摘されている、人が持つ[不安]のため、それにすがるという気持ちも確かにあるのだろうと思います。 ただ、私は無宗教ではありますが、実在の歴史上の人物で尊敬している人があり、その人の生き方や考えが好きなので、その人と同じような思想になっています。 皆が信仰している神様や仏様はどういったものか、わかりませんが、私もまた[思想]と言う名の神を、信仰しているのかもしれません。 将来○○になりたいという[夢]も神かもしれませんし、それに向かって努力するのは信仰していることなのかもしれません。 そういう風に思えば、人はそれぞれ心の中に何らかの[神]を持っているのかもしれないと思います。

lite
質問者

お礼

ありがとうございます。 私にも歴史上に尊敬している人物がおります。 無宗教ですが、ある種の思想を崇拝しているかもしれません。 それぞれの中に神があるというのは 正論かもしれませんが 今、私が気になっているのは 各々違う小さな思想(神)ではなく 集団で崇められているような 物です。 例えばAさんという人が 適当に豊作祈願や死後の世界についての 不安を抑えるために神を創造するとします。 その作られた神をほかの人が信仰するという 個人のそれぞれの神ではなくて 他人が勝手に創造した神です。 そもそも、各々の神も 頭のいい人類だからこそ生み出されるのではないのでしょうか?

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