• 締切済み

母の癌、死への恐怖とは…。

 昔から気の合わなかった母が癌になりました。 以前にも乳がんで手術したことがあり、肺の下のほうで再発したそうです。本人は詳しいことは一切話しませんので、病状はすべて妹から聞きました。 母はとても思い込みが強く、手術や化学療法を一切受けようとせず、ありとあらゆる民間療法を試しています。 私は、それに対してなんとも思いません。助かってほしいとも思えないのです。 今までろくにお礼など言ったことなどなかったのに、先日急に「ありがとう」を連呼しだしました。セリフのように棒読みで。 違和感を抱きつつも、なにか気持に変化があったのかと思っていたのですが、ありがとうと何万回か言うことによって病気が治るという療法だったと知りました。 そんなことばっかりで、態度には表わしませんが、心の中ではすごく母に対して冷たい自分がいます。  私にはいくら想像してみても死への恐怖というものがあまり湧きません。もちろん未知の世界への不安というものは多少あります。 でもそれは私がまだ死というものに直面したことがないからなのかもしれませんが。 いくら折り合いが悪かったとはいえ、近いうちに死んでしまうかもしれない母に対して心からいたわりたいとおもいつつも、出来ません。 そこまでして何の為に生きたいのだろうと思ってしまいます。本当に自分でも冷たいと感じますが、この母にどう接していったらいいのか悩んでいます。 今のところ、表面的には冷たい態度はとらないように心がけているのですが…。

みんなの回答

  • 6300063
  • ベストアンサー率0% (0/0)
回答No.8

死の恐怖は、あなたが同じ病気になったとき初めて分かる事です。 「癌」=死 今は、医療が発達したと言っても絶対治る補償は無い病気ですから。 その病気になってみないと実感はわかないと思いますよ。 経験して初めて分かる事です。何事もそうでしょう? お母様に対する思いは、小さい頃からの積み重ねがそうさせているのですね。 親だからこそ他人より憎しみがわくことだってあります。 その思いは、一生消えませんよ。 でも楽しかった思い出も少しはありませんか? 小学校からの帰り道お母様に早く会いたい!って思ったことありませんか? 本当は、好きで好きでたまらなかったと思います。でも裏切られてばかりだったのでは? お母様が生きているうちにこの思いを伝え分かってもらえるとこれからのあなたは、ずっと楽になります。 今まで失っていた時間を取り戻してください。今がチャンスです。 時間が許す限り、お母様の傍に居てあなたの気持ちをぶちまけて分かってもらってください。 私も同じ経験をした一人です。

noname#82101
noname#82101
回答No.7

産んでくれた母に感謝の気持ちもないんですか。貴方が産まれてきたのは当たり前?そりゃ血が繋がってても気が合わない親子はいます。私だって母とは気が合わない時ありますし。ですが死んだら悲しいですし早く死んでほしいとか思った事ない。 こんな回答17歳のガキに言われて恥ずかしくないんですか?もうちょっと色んな事考えてみましょうよ

  • uedajiru
  • ベストアンサー率15% (11/71)
回答No.6

あなたがとれる態度でいいと思いますよ。 こうやって質問されている、その思いがあるだけでも十分ではありませんか。 私も今年の9月に母を癌で亡くしました。 自分にできる精一杯をしたつもりですが、たぶん母にとってはいろいろ心残りがあったことだろうと思います。 残った父とは非常に折り合いが悪いので、その時になってみないとわかりませんが、たぶんその時にも自分にできることしかできないと思います。 家族でも親でも、できないことってありますよ。 そんな理想的にはいきません…。 私の親は非常にこどもに期待をするひとたちでした。 有形無形の枷をつきつけてくるひとたちでした。 それが普通なのかと思ってきました。 ですが、自分が結婚し、こどもを二人産んでみてわかったことは、親の一番の望みは『わが子が幸せに自分より長生きすること』なんじゃないかなって。 結局、様々なかたちで恵まれてるからそれ以上の望みを持つんだろうと思います。 強欲になってしまうんだろうと思います。 個人としては自分の死が恐ろしいのは当たり前です。 精神的に追い詰められ、自殺を考えてもやはり恐ろしいものです。 まだ質問者さんにとって現実的でないだけです。 これは心配しなくてもいつかおわかりになると思うし、けっしてあなたが特殊なわけではないと思います。 今のままで十分ですよ。 お母さんの残りの日日を、あなたなりにできることで十分ですから、支えてあげてくださいね。

  • ZXYZY
  • ベストアンサー率25% (200/778)
回答No.5

どんなに嫌いでもあなたが今いるのは親のお陰です。 他人は許せなくても家族なら許せるわかりあえるはずです。 あなたをこの世に生ましめて存在させてくれた命の灯火が消えようとしている。 ありがとうを唱えるのはあなたの方ではないのですか。 産んでくれた恩と育ててくれた恩はあるはずです。 時間は待ってくれませんし、後悔は先には立ちません。 ”親思う心に勝る親心今日の訪れ何と聞くらん” 幕末の志士吉田松陰の言葉です。

  • mama4615
  • ベストアンサー率18% (988/5269)
回答No.4

初めまして 二児の母です。 私の母も 一年前 なくなりました。 8年間同居し、孫(私にとっては娘)の成長を見つつ、59歳でした。 指定疾病のため 薬も治療方法も無く、家族との声をどれだけ聞かせてあげられるのか って事に必死でした。 いなくなって初めてわかる 親のありがたみ。 一般常識や感情の起伏 それだって親が教育しなければ 私にも質問者さんにも身に付いていません。 入退院を繰り返し 最後の入院の時、《今までいろいろありがとぅ》といわれ、病気を隠していたので 素直に私の気持ちは伝える事ができませんでしたが、きっと母は悟っていたでしょうね。 何かがおかしい、周りがおかしい。って。 手をつなぐだけでも気持ちは伝わります。 小さい頃はこぅだったよね。とか 何でもいいと思います。

  • marientry
  • ベストアンサー率28% (47/166)
回答No.3

私は今年8月上旬母を病気で亡くしました。 私も若い頃は母とはよく衝突し、大人になってからも、自分の結婚の事で猛反対されたり、ずっと母のエゴなのかと思っていました。 でも自分も母親となってから、やっと母の自分に対する愛情の表れだったのだと理解することができるようになりました。 私は国際結婚している為、海外在住なのですが、母の病状が悪化していると兄弟から知らされ、居ても発ってもいられず、夫に心情を伝え、まだ1歳にも満たなかった息子を連れて、急遽無期限で日本に帰国しました。 今まで私が帰国しても本当に素っ気なかった母も、随分気が弱くなってしまっていたのか、「私の為に幼い子を連れて、わざわざ帰ってきてくれて有難う!」と言い、心から喜んでくれているようでした。 母にはわずかな余命についての告知はされていませんでしたが、日増しに衰えていく自分自身の体に死が迫っていること感じていたようでした。 時々母が鎌をかけるように「私って、もう退院できないよね~?」と言ってみたり、「早く体力回復して、孫を抱けるようにならないとね~!」と前向きな事を言ってみたりと、本人も希望と不安でいっぱいだったようです。 私はいつも母が不安気な事を言うと 、「憎まれっ子世にはばかり・・って良く言うから、お母さんはきっと長生きするようになってるよ!」などと、冗談っぽく励ましていました。  そうすると、母は少し安心したような表情をしていました。 それなので、質問者さんもお母様に対して、突然今までの態度を変える必要もないですし、むしろ自然な態度で接してあげることも、お母様に安心感を与えるのではないかと思います。 <表面的には冷たい態度はとらないように心がけているのですが…。 ↑これで十分なのではないでしょうか・・? どうかお母様が苦しむことなく闘病生活を続けられる事をお祈りしています。

  • hkinntoki7
  • ベストアンサー率15% (1046/6801)
回答No.2

 親のありがたみって親になってからわかります。自分の両親も共働きで、学校行事に来るようなこともなく、休日に一緒に遊んでもらったことはありません。ですが、自分が親になってからありがたみを感じるようになりました。  死への恐怖というのも幸せを感じないと理解できないかもしれません。友人が死ぬということは1人とのお別れですが、自分が死ぬとなると全ての人とのお別れになります。自分の場合、結婚して子どもができてから子どもとの別れを考えると不安と恐怖を感じます。子どもが幸せになった姿を見届けたいとか困ったときにはいつまでも助けてあげたいと思っています。  自殺する人は精神的に病んでしまっているので死への恐怖を感じず自ら命を絶ってしまうと思います。また、痴呆症というのは死への恐怖をやわらげてくれる、神様が与えてくれた安楽死の一つかもしれないですね。  結論としては質問者様が虐待など受けたのならともかくそうでなければ、お母さんとの時間を大切にしてほしいと思います。もし、手術で助かるのであれば説得するのがベストだと思います。

  • kanakyu-
  • ベストアンサー率30% (1916/6194)
回答No.1

こんにちは そうですか・・・  うちも両親とはいろいろあったので、 なんとなくお気持ちがわかるような気がします・・ 私は、年齢だけを見ればまだ早いと言えますすが、 死から目をそむけることなく暮らすように意識してます。 死生観というものを持って生きたいと思っています。 死の直前になってから、死を受け入れる心構えがなく あわてふためいたり、後悔することがないように。 死は誰もに訪れ、またいつ来るかはわかりません。 そして、死=悪 ではないのだ、という認識を、死生観を通して養うことができます。 基本的に現代社会では 死=悪 とされていますが・・ お母様のお葬式を、その後の日々を、真剣に想像してください。 粘土のように冷たい土気色の肌、もう何もしゃべることのない唇 これからはもう、心の中の思い出にしか住むことのないお母様。 自分が求めていた母親像にあてはめるより、 お母様の好きだったものと共に見送りたいと思うかもしれません。 その後、お母様がいないことをふと思い出し寂しい思いをするのは、 ご友人のお母様の話を聞いて、自分の母は他界した、ということを話したときかもしれません。 生きたお母様には優しくできなくても、 もしも死んだお母様になら優しくできるようでしたら、 生きたお母様と向かい合うよりも先に、 まずそれをしっかりと思い描いてみてください。 それがあなたのお母様への本当の気持ちです。 その中で今何かできるか? たくさんでなくてもいい、 わずかでもよいので、考えてみてください。

関連するQ&A

  • 母の死をどう乗り越えたらいいのか分かりません

    母の死をどう乗り越えたらいいのか分かりません  今年の4月に母を癌で亡くしました。62歳でした。若い時から“百五十歳ぐらいまで生きるんじゃないか?”とみんなに言われるほど元気な人でした。フルタイムの仕事を定年退職してからも、地域のボランティアで広報誌を作り、“若い頃の夢だった新聞記者に一歩近づけた”と、60歳を過ぎてからワードやエクセルを自由に操れるまでに覚え、あちこち取材に行っては記事を書き、楽しそうにしていたのに、去年の2月に末期寸前の卵巣癌と診断されてしまいました。  それでも、手術を受け、半年間の抗がん剤治療をし、去年の年末には腫瘍マーカーの値も下がり、快方に向かっていた…はずだったのに、年明けに早くも癌が再発。その後は、脳梗塞・脳内出血・てんかんなどを立て続けに併発して抗がん剤治療ができなくなり、あれよあれよと言う間に逝ってしまいました。  母とは大親友以上の仲だったので、亡くなった当初は天地がひっくり返るような感じだったけど、四十九日を終えて、少し落ち着いたつもりでした。でも、三ヵ月半たった今、なんとも言えない虚無感でいっぱいです。  母はきっとどこかで見ていてくれるから、前向きに生きていかなければいけない。…とか、  私が悲しんでばかりいたら、きっと母も辛いだろうな。…とか、  40年間ほとんど我慢するだけだった結婚生活を送った母だから、きっと今ごろ若くして亡くした最愛の両親と、天国で平和に暮らしてるんだろうな。…とか、  常に人への感謝の気持ちを忘れずに、いつも回りの人を笑顔にしていた母の心を受け継いでいかなければいけない。…とか、  そんな心を、自分の子供にも引き継いでいかなきゃいけない。…とか、  まだ3歳の子供の前で、しょっちゅう泣いているのはきっと良くないんだろうな、…とか、  いつか母にもう一度会えた時に恥ずかしくないような生き方をしていくしかないかな、…とか、  きっと時間にしか解決できないことなのかな、とか。  頭ではいろいろ考えるのですが…。   飛行機と電車を乗り継いで6時間かかる実家に、職場にこれ以上ないくらい無理を言っては、しょっちゅう長期で帰って、してあげられるだけのことはしたつもりだし、最期にも間に合ったから、後悔はあまりしていないつもりです。だからか、亡くなる前や亡くなった直後の方が、悲しみは深いながらも上に書いたような前向きな悟り、みたいなものを心から感じていました。でも、ここに来て、なんだか時間が止まってしまったような感覚に陥ってしまっています。  長い文章を読ませてしまい申し訳ないですが、皆さんはどうやって身近な人の死を乗り越えられましたか?乗り越える手助けになった本なども、もしあれば教えていただけませんか? 

  • 親の死や、将来に対する不安と恐怖

    母の乳癌がまた再発しました。これで4回目です。幸いステージは軽くて済んだものの、乳房の全摘手術をすることになりました。 私は大学生の時に父も癌で亡くしました。兄弟もおらず、親戚も皆遠方に住んでいたり疎遠になっているので、母に万が一のことがあったら…と考えるととても不安です。 22歳にもなってこんなことを言うのは幼いと思いますし、普通に考えれば親が先に逝ってしまうのはわかることなのですが、とても恐怖に感じます。 今転職活動中で無職の身であることも、不安に輪をかけているのだと思います。なかなか就活の方も上手くいかず、毎日暗いトンネルを歩き続けているような気持ちです。 前向きに行かなくては、と無理矢理言い聞かせてはいるものの、同じ女性として乳房を失う母親の悲しみを感じたり、もし母に万が一のことがあったら…?また不採用になってしまったら…など、将来への不安からすぐに気持ちが下がってしまい、感情の起伏にも疲れてしまっています。 長々と要領を得ない文章で申し訳ありません。私が今聞きたいのは (1)親の死を意識したり恐怖に思うことは、いくつになってもあるのか? (2)気持ちを明るくもって頑張るにはどうすればよいか? この2点です。 アドバイス頂ければ幸いです。

  • 母がS状結腸がんです。

    以前から何度か質問させていただいておりましたが 10月に内視鏡で大腸ガンが発覚して やっと昨日手術を希望する医大を受診することができました。 そして12月早々に入院し、二日後に手術、退院日(あくまで予定)までもきまり、 それまでにCTなどの検査をします。 母のがんはすでに内視鏡ではとれないほど深く 手術での治療になることを聞いた時点で 進行がんであることは認識していたつもりですが 医大の先生より説明をうけて、さらに怖くなりました。 腫瘍がくずれて出血していることから、根は結構深く入り込んでいる 可能性が高いと言われました。 それに、症状がひどいと人工肛門も視野に入ってくるとまでいわれました。 とりあえず転移してないことを祈るのみです。。。 元気な母がこれから手術をして衰弱していく姿をみるのがツライです。 もし転移してたらどうなるんだろう…と 考えただけでもコワイです。。。 転移していなければ、術後一週間で退院(腹腔鏡手術のため)できるときいて、そうであることを願うばかりです。 でも、もし転移していたら… どうなってしまうのでしょうか。 入院は長期になってしまうのでしょうか。 死も覚悟しなければならないのでしょうか。 母はまだ57歳。 14年前にも乳がんを経験しています。 なぜ母ばかり…と悔やんでも悔やみきれません。。 それと同時に娘である私自身(27歳)も遺伝が怖いです。 最近、母の事と引っ越ししたばかりの疲れからか、 食欲があまりなく、便意がいつもより多くて何度もトイレにいきます。 血便でも下痢でもないですが、一度消化器科で検便してもらった 方がよいでしょうか…? 来週ガンのマーカーをするために母が大腸内視鏡をもう一度うけるので いっそ一緒にやってもらおうかとまで思っています。。 もしかして私も…!?と不安倍増です。。。 まとまりのない文面ですみません。 こんな私にどうかアドバイスをお願い致します。。。

  • 祖母と母の死を感じて、ちょっと参ってます

    母方の祖母がもうすぐ亡くなりそうなのです。まだ危篤状態という訳ではないのですが、腎臓も心臓も悪くなっていて、5年程前から半身不随で普通の暮らしができなくなったときから特別施設にいます。 3ヶ月前までは、車椅子を使っての移動で、その施設でゲームをしたりして楽しく遊んでいた写真を見せてもらったのですが、本当に楽しそうでした。 ただ、今年のお正月から急に生きる気力がなくなってしまったのです。 頭も全然ボケてはいないし耳も遠くなってはいないのに、3ヶ月前から寝たきりで流動食を食べ続ける生活になって、ますます生きる事に興味がなくなってしまったようで、本当にもうすぐ意識もなくなるかもしれないな・・・というかんじで静かに寝ていました。 周囲も医師も、老衰だから仕方ないとのことです。 話は変わりますが、私の母は、只今、癌の放射線治療中なのです。一刻も早くJRに乗って祖母に会いに行きたいのに、外には出られない体なので、そのもどかしさと祖母(母にとっては母親)がいなくなる辛さで毎日泣いています。 (それで、私が代わりに祖母に会ってきたのですが、初めて死が近い人を間近で見て、いろいろ考えさせられました。) 私の母の癌の進行はレベル4です。 それでも、母は祖母に会いに行こうとしています。 私も会ったほうがいいと思うので止めはしませんが、やはり母の病状が重くなることが心配なのです。祖母を見て「老衰でも何でも、私達を置いていかないで。」と感じた気持ちを母は祖母に対して100倍以上感じてる筈。。 でも、私も母がいなくなったら、どれだけ寂しいだろう・・・と思うと、怖いのです。 「老衰だから仕方ない」と周囲のように割り切れない自分がいます。(言ってる叔父や叔母も毎日泣いてますけどね・・・) 母も毎日の放射線治療のせいで体のあちこちが痛いため、心にゆとりがなくいつもイライラしています。こんな状態の母が、体に一切力が入らなくて寝たきり状態で、弱々しく「足、痛いの・・」「もう死ぬんだから・・・」「また寝て起きてご飯食べたくない」を連発する祖母を見たら、私が感じた100倍以上の辛さを感じるだろうと思うとやりきれない思いです。 祖母は、これまでずっと頑張ってはきたのですが、もう血管に点滴の針が刺さらない体になってしまってるらしく、今は本人が食べる流動食だけが栄養素です。その流動食をほとんど食べないのです。私も食べたくないと拒絶する祖母と、なんとか食べさせようと一生懸命な叔母達とのやりとりを見ていて、「こんなマズいものを(本当にマズかったんです!)食べたくもないのに、無理矢理食べさせられて、楽しみも何もない毎日が続いたら、私でも「もうこんなことしてまで生きていたくない」と思うだろうな・・・」と思いました。 でも食べなきゃ、どんどん衰弱していくし・・・。 結構大柄な祖母だったのに、今、体重43kgほどです。 でも、環境的には、最高に幸せな環境です。 素晴らしくリッチで綺麗な病院の個室部屋、やさしく親身で熱心な介護士さん達、毎日介護しにきてくれる母の兄弟達・・・ 本人はそう感じる余裕はないでしょうけど、皆、疲れながらも、できることは全てし尽くしてくれているという感じなので、私は「おばあちゃん、本当に幸せだな・・・」と思ったりもしました。 祖母がいなくなる恐怖と、私の母も想像よりずっと早くいなくなるかもしれないという恐怖で、最近心が落ち着きません。 いざとなると肝が座るほうなので、私は大丈夫だとは思いますが、母の心と体の心配や、自分の無力さにイライラしてしまいます。 経験者の方、ご意見お願いいたします。

  • 母が乳がんと診断されました

    母は60歳です。2ヶ月ほど前から胸が張ったような痛みがあると言っていて、検査の結果で乳がんと診断されました。 ここ最近は痛みもほとんど感じなくなっていたそうですが、気になるので乳腺外来で診てもらい、マンモとレントゲン、エコーと針を刺して細胞診をしたそうです。 私も付き添って検査結果を聞いた時に告知されました。 5センチのガンのしこりがあり、これだけ大きいと全摘出の手術となる。その後で抗がん剤とホルモン剤での治療になるが、手術前に抗がん剤で小さくしてから温存手術という手もある。リスクはどちらもまったく一緒で、どちらも有効な治療ですといわれました。 来週、どちらの治療方法を選択するか、入院の予約などをするために病院にいくことになっています。 私も話を聞いたものの、まったく予想していなかった結果だったため乳がんの知識がない状態で説明を受けたので、ろくに質問もできませんでした。 先生からガンについては「大きいからステージIIIレベル。ただ今すぐ手術をと言うほどの状態ではないが、遅くとも来月中には治療を開始しましょう」と話しを聞いただけなので、今になって転移はなかったのか、実はものすごく悪いのではないかと不安でいっぱいです。 先生の紹介で看護士さんによる治療方法などについてのカウンセリングをうけたのですが、その方はカルテで何かの項目を確認して「リンパ腺に腫れは見られなかったからまだ大丈夫。治療方法もじっくり考えてください。80歳を過ぎた人でも孫と一緒にお風呂に入りたいと再建手術することもあるんですよ。(母は)乳房の大きい方なので再建手術が難しい。リスクは一緒だから温存療法をお勧めしたい。」とのことでした。 先生の説明を聞いた時、私も母も全摘出でもいいと思っていましたが、カウンセリングを受けてから温存療法の方がいいのかもと思っています。 ただ、父は全摘出の方がいいんじゃないかと言い、家族で意見も違っています。 今後、どうやって治療方法を決めていけばいいのか、自分のこの不安な気持ちをどうすればいいのか混乱してしまっています。 先生に、母の病状を聞くこともとても怖いのです。 経験者の方のアドバイスをいただければと思います。

  • 癌になった母に心ない態度をとる父

    私の母親に癌がわかりました。 治療のために近々入院し抗癌剤治療を受けることになりました。 両親は再婚で、私が幼稚園の時に母が私を連れて現在の父と結婚しました。 父と母との間に子供は私しかいません、もちろん父と私との間に血縁関係はありません。 昔から父は我が道をゆくタイプの人間で仕事一筋、家庭よりも仕事でした。 今になって思えば、母は父に惚れていたんだなぁと感じることも多々あるのですが、とにかく父をたて、父に逆らうことなど一切なく、父中心の生活を送ってきました。 母は愛情深く、忍耐強く、私にとって尊敬できる素晴らしい人間です。 時折、ワンマンな父に怒りのようなものを感じることもあったのですが、私もいい年齢になりもめ事を起こすことなくそれなりに親子としてうまくやってきたつもりです。 しかし、父は母の病気が受け止められないのか、母に対して優しい言葉をかけることも一切なく、母が病気の話をしても一切聞こうともしません。病状や治療方針など医師から説明がある日も来ませんでした。 それどころか病気の話を少しでもすると不機嫌になり、貝のように黙り込んでしまう日々が続きました。 それでも母は「お母さんの病気でお父さんに面倒かけてはいけないし、お母さんは大丈夫だから」と言うのです。 さすがに頭にきた私は父に「何を考えているんだ」と言おうかと思ったのですが母から「これから闘病生活に入るのにもめたくないから何も言わないで」と言われていました。 父は母がいつから入院になるのか、どんなタイプの癌なのか一切知らずにいた為、母が今日「いついつから入院になるから。抗癌剤治療になるので暫く体がしんどいかもしれないけど、頑張ってくるからね」と言ったら舌打ちをし、母の話に耳を貸すこともせず、不機嫌な顔をして寝ようとしたそうです。 母が「どうしてそんな態度をとるの?私が癌になったことがそんなに気に食わないの?」と言ったら父は「別に」とだけ言い、その後母が涙を流したら「鬱陶しい!!」と言って家を出ていってしまったようです。 母が私に電話をしてきて、「お父さんが家を出ていった」と言われました。 私は昔から父が何を考えているのか全く理解ができませんでした。 父にとっての子供は血の繋がらない私しかいません。 特に愛情を受けて育ったわけでもなく、家族らしい会話をしたことなどありません。 父は私にとって、母の旦那というイメージでしかなく、いつも距離感がありました。 今回このような事になり、母には止められていますが、父に何か言ったほうがいいのか・・・などふと思いました。 母は何も言わないほしいと言っているのですが・・・。 癌になり、一番不安な思いをしているのは母です。 父と結婚してからこれまで、ずっと父に尽くしてきた母がどうして父にこのような酷い態度をとられないといけないのかと考えると母がかわいそうで仕方ありません。 しかし、ここは夫婦の問題として私はさがっていたほうがいいのでしょうか。 父にものを言ったところで話になるかわかりません。 むしろ相手にされない可能性のほうが大きいです。 何か良いアドバイス頂けたらと思っています、よろしくお願いします。

  • 母の死を願ってしまう

    昨年、父が急死しました。突然の事で私は心臓が止まりそうなくらいの衝撃と悲しみでした。 離婚していた母は他人ですが交流あったためお通夜、葬儀と来てくれました。 みんな父の死を悲しんでる時は当たり前ですが涙ひとつ流さず、私が「天国に行きますように」と言うと「そう簡単に天国はいけないから。」と言いました。 葬儀の最中 私達が泣いてると子供みたいに胸が痛いと騒いでました。 痛いなら病院行くよう言いました。 なかなか行かないので、父の事もあるし何あるかわからないと説得してようやく行きました。 その結果、進行癌でした。父が死んでまだ2週間、毎日遺影見て泣いてる私に 「私、癌だったの」とオイオイ泣き出しました。 後で母の自宅で書類捜してる時に会社の健康診断で毎年、最高レベルの警告 精密検査が必要ですと書かれてました。 母に健康診断の事聞いたら、内容をあまり理解していなかったようで説明すると 「怖かったの。働けなくなるんじゃないかと思って」とまたオイオイ泣かれました。 父と母は離婚してるため父の葬儀の喪主は私で後片付けや手続き全てやりました。 働きながら乳幼児抱えながら隣町まで通うのは(高速で片道1時間)大変でした。 ほっとする間もなく今度は母のお世話です。 母の任意継続の手続き、傷病者手当ての手続き、母の職場への連絡やもろもろの手続き 今後の生活についての医療相談員に相談 正直大変でした。 途中から妹が変わってくれました。 妹も仕事をしてるので、かなり負担になってます。 休みの日は隣町まで面会に行きますが、それだけで終わって 子供と遊ぶ事や自分の体休める事ができません。 面会に行く前日にメールで何か欲しい物ないか聞くと決まって「ありません」 しかし、実際病院へ行くと、あれこれ欲しい 買ってきてと言われます。 病院に着いて、それから買出しに行って病院に行って。。 これが毎回です。 母は自分が元気な時は、隣町の私の自宅に来る事はほとんどありませんでした。 私の子供が入院して大変な時も電話やメールさえもきませんでした。 自分がお金に困った時だけ連絡きました。 それも素直にお金貸してと言うならいいのですが 「お金ない!!」とキレ気味で怒ってるんです。 それで私の方からお金を渡します。 だから母は実際は私にお金を要求した事にならないのです。 お金の事だけで言えば、母にはどのくらいお金渡してるかわからないです。 私が新卒で働いてる時から何十万単位で渡してます。 それが全て飲み代に消えていた事もありました。 晩年は重労働を真面目に働いていた母で過去の事を責める気持ちはありませんが。。 母は進行癌なのでこの先長くありません。 どれだけ生きるかは予測できません。 年内かもしれませんし、2年かもしれません。 そう思って母にはできる限りの事はしてあげたいのです。 母はすっかり心まで病人になってしまって精神的、物理的に支えるのは かなり大変になってきました。 このまま低空飛行で何年も生きられたら私の方がおかしくなりそうです。 父の葬儀や後片付けの費用は父の残ったお金でなんとかなりましたが 母には貯蓄は一切ありません。 そういう負担もあるので、心狭い、醜い私はなんと 母は長生きして欲しくない、年内で死んでもいいかも。。 と考えてしまうようになりました。 こんな事考えてはダメだ 自分も年取ったら子供にそう思われると 言い聞かせてますが、正直なところ そんな気持ちです。 こんな事 誰にも言えません どうした良いでしょうか?

  • 癌の母に対して家族のあまりにもの仕打ち

    母の癌が再発しました。 医師の話では脳、肺、骨に転移していてもう手術はできません。入院して放射線、ホルモン剤、 抗がん剤の治療となります。 高齢の母は抗がん剤治療はもう受けたくないと治療を拒否して自宅で暮らすことを選びました。 今はとても元気です。もう治らないなんて信じられない位です。 でも病状は日に日に悪化しています。左腕のしびれがとれず咳も止まりません。 それを見ているだけでも涙が止まりません。 なのに家族の無理解は限度を超えています。 私は父に再発を伝えましたが聞く耳を持たず、無理に話そうとしたら怒鳴り出します。 怒鳴られながらも癌が再発したんだ、もう治らないだっと泣きながら叫びましたが、うるさいと 突き飛ばされました。あくまで知らぬ振りを貫きとおし母をこき使います。 買い物、洗濯は私がしています。 料理もしたいのですが働いている為夜が遅く、父が待っていられないので母が結局作らされてます。 父にずっと家にいるのだから私が帰るまで待ってくれと言ってもわざとかのように母に作らせます。 姉は母の希望で再発を知りません。姉は6ヶ月の子供がいて専業主婦ですが産後の手伝いだと 半年経ってもまだ毎日母を呼び出して家事・買い物をさせます。 買い忘れがあったりすると激怒し、母に物を投げつけ追い出します。 母にもう行かないでくれ、と言っても孫に会いたいし呼ばれるからこれが最後の責任だからと 聞きません。 確実に死に向かっている母に穏やかな日々を過ごして欲しいのです。 このままでは癌ではなく家族に殺されます。お金を出すからどこか療養できる所に行こうと 言っても聞き入れてくれません。 休みの日は母の行きたい所にドライブに行ってて唯一安らげると言います。 でもそれもいつまでできるか分かりません。かえって負担になる時が必ず来ます。 会社に行っててもその間に何が起こっているのか怖くて気が気ではありません。 会社を辞めるべきなのか、そうすれば今度入院した時の入院費が出せません。 いっそ父などいなくなればいいと思ってしまいます。 私はどうするべきなのか考えすぎて頭がおかしくなりそうです。

  • 母の精神状態を何とかしたいです。

    去年の4月に母が乳がんの手術をしました。そのあと父のリストラや多額の借金の発覚、私の肺炎やら自分の乳がんの再発やらで、母がまったく何をする気もない状態に陥っています。もともと好奇心や感動のない人だったので、病気になって更にやる気が失せてしまったようです。 毎日これからの生活資金や父の仕事のこと、自分の病気のことばかり考えて悶々と日々を過ごし、私が気分転換に小旅行に連れて行っても全く意味をなしません。アロマテラピーや音楽鑑賞も無駄なくらい、母の心は閉ざされてしまっているようです。母自身は、ただただ漠然と今後の生活に不安を感じているらしく、それが原因だと言っていますが、私はもっと根本的に何かが母の心の奥に根ざしているような気がしています。 みなさんのなかで、どこか良い精神科の先生や病院をご存知の方がいらっしゃったら教えていただけますか?母は、精神科に行って解決していく方法が安心できると言っていて、精神科に通うことに抵抗はないようです。

  • 母の癌、闘病方針について葛藤しています

    今年4月に母が大腸がんの手術を受け、手術は成功しましたが、9月に肺に転移していることが分かりました。 その後癌に関する本をたくさん読み、病院の標準治療は副作用の苦しみのみ大きく、転移した癌に対しては無力であること、また健康食品など多くの代替医療と呼ばれる手段も存在することを知りました。 母と話し合った結果、極少量抗がん剤療法という、副作用が出ない程度に抗がん剤を使用し、かつ健康食品等も併用していく先生にセカンドオピニオンに伺おうという結論になりました。 しかし直前に母がその先生のHPを見て些細な点に不信感を抱き、取り止めになってしまいました。 また私が探してくる健康食品も最初は有難がって服用するのですが、次第に「体調不良は健康食品のせいだ」「こんなにたくさんの種類買ってきて頭がもうパニック状態、たくさん」と言います。 私の部屋に癌関係の本を見つけると露骨に不快感を示し、「病気のことは頭から外しなさい。 私は気力で勝ってみせる。」と言います。 気力で勝つ位なら転移しない筈です。結果的に現在やっているのは時代遅れの(副作用が強くない)抗がん剤治療を中心に、私が買った健康食品の中から気に入ったもの数点の服用です。 あれほど抗がん剤を否定していたのに「その療法を選ぶ」という積極的姿勢ではなく、なし崩し的に抗がん剤の全量服用を選択してしまっている点、また私の買った健康食品も説明書もろくに読まずに、逆に発癌物質化してしまうやり方で服用している点(例えば生で摂取すべき熱してはいけない亜麻仁油という食品を、熱を加え炒め油として利用していた等)を知るにつけ、非常にストレスを感じてしまいます。 癌関係の本・治療法は、星の数ほどあります。 選択したものが正しいかどうかは分かりませんが、私としては一緒に納得したものを選び、腰を据えて治療にあたってほしいのです。 しかし母は同意しても翌日には意見が変わり、また先に商品を注文して渡そうものなら、押し問答の言合いになってしまいます。 そうした過去の経緯を思い出すと、母の言う通り、頭から外してもう手を引いてしまおうかとしばしば思います。 しかし、しばらく病気について黙っていると、今度は「少しは心配しなさい」 「健康食品も感謝して飲んでいるんだよ」と言ってきます。 また母と一緒に自分は自営の仕事をしているのですが、(正直一人でできるのですが、母の気分転換、或いは社会に参加している自覚を以って人生を投げ出さないで闘病をがんばってもらうべく、一緒に仕事しています。 まあ「来るな」と言っても来るんですが。) 仕事上の意見も食違いが大きく、母の意見も日替りで変わることから、そこでも(私は)ストレスを感じています。 正直癌の母を助けたいと思いつつも、完治するとずっと私の仕事にくっついてきてこの確執が続くのだな~と我ながら恐ろしい想像といいますか、矛盾した態度を取っている自分がいて嫌になります。 他に家族は父と姉がいますが、母はいざとなると私だけ頼りにしてきます。 また父・姉と私は折合いが悪く相談できません。 また相談してもろくな答えが返ってきません。  このまま母がなし崩し的に選んでいる主治医が勧める(死のベルトコンベアーに乗る如き)標準治療をサポートする自分でいるか、それとも星の数ほどある癌の治療法に関する情報から適切なものを集め、治療方針の可能性を切り開き、一緒に頑張ろうと粘り強く説得していくかで迷っています。  現段階、転移した母の癌は小さく自覚症状は出ていませんが、そうした症状が出るまであと僅かの期間しか残っていないと思います。 余命を意識するようになる肉体的にもつらい状態となった時に母は、「代替医療を駆使してでも助かりたい」と思うはずだと予想しています。 しかし食事法や健康食品と適切な量の抗がん剤を組み合わせた療法は、自覚症状の出ていない、肉体がまた本来の回復力を保持している今だからこそ間に合う・功を奏すると言われています。  要するに「流れに任せよう。」と考えている自分と、「時間が無い。 急がねば!」と焦っている自分がいて葛藤しています。 母が同意してくれさえすれば迷わないですが。。 ここ数ヶ月、治療方針に関する親子の言争いは、逆に体(免疫)に良くないと思っています。 黙っていた方がいいのでしょうか? 皆さんでしたら静観しているか、それとも代替療法に掛けるでしょうか?  私自身は、自分で調べることだけ進めておいて、いざ症状が進行し、母が同意してくれる段階になったら、すぐ行動に移せるように準備だけはしておこうと、しかし現段階では口論になるから本人には切り出さないようにしておこう、というのが現状取りうるベストの選択か?と思案しています。   アドバイスを何か頂ければ幸いです。