僧に似て塵あり 「塵=世俗のよごれ」にどうしてなるのでしょうか?

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僧に似て塵あり 「塵=世俗のよごれ」にどうしてなるのでしょうか?

こんいちは、お世話になります。

---------------[引用]-------------------
僧に似て塵あり、俗に似て髪なし。

[現代語訳]僧のようだけれども、俗人めいており、俗人のようでいて頭に髪を結っていない。
----------------------[引用おわる]-----------------

松尾芭蕉の「野ざらし紀行」を読んでいて気になりました。

僧に似て塵ありの『塵』は、オンラインの大辞林によると、
<(3)(浄土に対して)この世のわずらわしさや、けがれ。世俗のよごれ。
「うき世の―」「世に従へば、心、外の―に奪はれて惑ひやすく/徒然 75」>
http://www.excite.co.jp/dictionary/japanese/?search=%E3%81%A1%E3%82%8A&match=beginswith&itemid=13378900

意味は分かっているのですが、なぜ『塵』が『世俗のよごれ』になるのか興味があります。

個人的には諸国を巡歴した、空海、一遍、空也、・・・等を僧侶というと想像してしまいますので、僧侶に沢山塵がまとわり付いているイメージが…。

語源を、ご存知の方教えてください、よろしくお願いいたします。

投稿日時 - 2007-10-29 19:02:01

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QNo.3472132

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「塵」というのは、仏教用語です。
「ちり」とは読まず、「じん」と読むことの方が多く、意味としては、「一切世間の事法(=俗世界)」の他に、「真性にまとわりついて染汚する(けがす)もの」という意味があります。
このうちの、「真性(人間が本来持っている本性)を汚す」ということと、細かくて無数にあることから、「塵」の字が充てられているのだと思います。
あまり説明にはなっていませんが……。

『広辞苑』を見ますと、

[この世のけがれ。世俗のわずらわしさ。俗世間。「塵界・塵外・俗塵」]の意味に用いるのは老子の「和光同塵」に始まり、出世間(しゅっせけん)の教えである仏教で定着する。道教でも一世を一塵という。

とありますから、老子の頃から、俗世間を表わす言葉として「塵」という言葉は用いられていたようです。

あと、蛇足ですが、「僧に似て塵あり、俗に似て髪なし」の訳ですが、

僧侶のような姿をしているけれど俗(煩悩)にまみれ、俗人のような姿をしているけれども(僧侶のように)剃髪している

というような訳の方がぴったりするように思います。

投稿日時 - 2007-10-30 00:32:08

お礼

普賢さま、ご回答ありがとうございます。

「塵」は、仏教用語でしたか。
どうりで、「僧に似て塵あり」と芭蕉が言ったわけです。

>あと、蛇足ですが、「僧に似て塵あり、俗に似て髪なし」の訳ですが、
>僧侶のような姿をしているけれど俗(煩悩)にまみれ、
>俗人のような姿をしているけれども(僧侶のように)剃髪している

私も、確かに「髪なし」が「頭に髪を結っていない」だったので、本を読んでいてあれっと思いました。(しかし、素人の私には、実際に髪を結っていないから、「髪なし」と言ったのか、剃髪しているから「髪なし」なのか分からないので…、サッパリどちらが正しいのか分かりません。)

また、現代語訳の方は文体が平凡でつまらないので、殆ど原文のほうを読んでいて、意味がどうしても分からない部分だけ現代語訳を読んでいます。

やはり芭蕉が書いた名文を、現代語でも同じくらい名文にする訳者さんはいないようです(泣)


ご多忙の中、丁寧なご解説ありがとうございます。

投稿日時 - 2007-10-30 09:56:18

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