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こんな考え方はありますか?

私は哲学や宗教を題材にした小説を書いています。 そこで質問です。 『(まず、肉体と魂をわけて考えています。)肉体は有限のもの、魂は(肉体よりは)無限の可能性を秘めたもの。』 ↑の思想をもったキャラを小説に出す予定ですが、 このような思想や哲学は、今までにどこかの宗教、 もしくは哲学者などの間で生み出されたことはあったのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • Vwiyoonn
  • ベストアンサー率35% (162/455)
回答No.3

 それは哲学や宗教で『二元論』と呼ばれる考え方で、ほとんど哲学や宗教の歴史と同じだけの古さを持つ考え方で、宗教においては世界中のほぼ総ての時代において人類は感覚的にこれに近い立場をなんとなくとっていたようです。#1の方が触れておられた輪廻観やキリスト教の復活、古代エジプトのミイラなど、肉体は入れ物にすぎず魂こそ真の実体であるというのはこうした感覚に基づくものです。また、哲学では物質世界の法則性と思考の法則性との間に大きな差異があるという立場をとった哲学者たち(代表選手はデカルトです)が、肉体と精神は異なったものとして扱うべきであるとしてきたということがあります。  一方、心(/精神/魂)と肉体(/物質)は同一の基盤に基づいたものと考える立場は『一元論』で、これもまた二元論とほぼ同じだけの歴史を持っているようで、宗教的ではキリスト教ユダヤ教イスラム教の神秘主義者は一元論的な立場をとっているようですし、ヒンドゥー教も一元論的世界観を有しているようです。また哲学における一元論の代表選手はスピノザです。心は脳がつくりだしたものだ、という近年の科学的立場もこちらですね。  説明がこれより難しくなりますが、詳しくはWikipediaの『心の哲学』の項をご覧になられればよろしいかと存じます。

monmon0530
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 『二元論』は聞いたことがあります。 代表的な人物はデカルトなんですね。(我思う故に我あり・・・しか知らなかったです;;) 微妙に違うもので『肉体は悪、魂は善』というのは聞いていましたが、 『肉体は有限、魂は無限』という考えもあるのですね。 キリスト教は二元論的なのかなと思っていましたが、一元論なのですか! 肉体は滅んで、魂は神の国へ・・・みたいな感じだったので、 この二つは完全に切り離されているものと思っていました。 私は現実では一元論的な考えをしていますが、二元論的な考えの方が好きです。

その他の回答 (3)

  • taco8ch
  • ベストアンサー率7% (11/146)
回答No.4

世界を2倍にしちゃったデカルト。

monmon0530
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 前の方の回答でもあったデカルトがそうなんですね。 彼に関しては『我思う故に我あり』しか知らなかったので、世界が広がりました(笑)

  • eienn
  • ベストアンサー率16% (77/462)
回答No.2

ニーチェの「永遠回帰」とか

monmon0530
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 ニーチェも何となく気になる哲学者で、「超人」とか「永劫回帰」とか覚えてます。 彼もそのような考えを持っているのですね。

noname#58692
noname#58692
回答No.1

すみません。哲学も宗教も詳しくはないですが、 仏教の輪廻転生の考え方はまさしく、それではないでしょうか。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BC%AA%E5%BB%BB%E8%BB%A2%E7%94%9F

monmon0530
質問者

お礼

ご回答と参考URLありがとうございます。 仏教の輪廻転生がそうなのですか!! 全然頭になかったので、驚きました。もっと調べていきたいです。 とても参考になりました。

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