解決済みの質問
魂の存在について
自分の存在を認識しだす年齢はひとそれぞれだと思いますが、私の場合は幼稚園に通園する途中にいきなり肉体に魂みたいなものが宿った感覚があり、そこから自分というものが始まったのだと認識しています。つまり、魂が宿る前の肉体はただの入れ物であって自分というものはまだ始まってない状態だと思ってます。
私の考えでは、肉体と魂みたいなものは別のもので、現在はこの肉体で人生を送ってるのだけなのかな思っています。死んだら肉体と魂は離れて、また他の肉体に宿る瞬間を待つか、またはそうはならずに魂は無に帰るのかな(ここはただの予想)と思っています。
私は宗教や哲学などを全く教えられたり、勉強したりしたわけではないのですが、魂みたいなものが存在するのか気になってます。明確な答えは存在しないのですが、ご意見頂けたらと思います。
投稿日時 - 2010-03-19 01:22:17
魂(命)は、形がないので、本当に難しい問題ですよね・・。
結論から言うと、肉体と魂は別々ではないのですが「肉体」イコール「魂」でもないです。
仏法では、魂(命)は「有る」わけでもなく、「無い」わけでもない、「空」(くう)と表現されます。
仏教の始まり(約3千年前)、釈迦が仮導の教えで「地獄」や「閻魔」などを説きましたが、それは実在する場所や人物ではなく、「方便(比喩)」です。
釈迦は説法50年間のうち、まず42年間かけて「爾前教(現在の真言・浄土宗など法華経以外の仏教)」を説き、後の8年間で、爾前教を仮の教えとして、釈迦自身が否定し、「法華経28品」を説きます。
しかし、その「法華経」も、釈迦の死後2000年(正法・像法)で効力を失い、現在の「末法」という時代では、釈迦仏法を信仰しても「何の効力もない」と、釈迦自身が仏典の最後に記しています。そして、釈迦が「文底秘沈」した(明らかにしなかった)「法華経文底独一本門」(唯一の無神論の信仰)が末法で信仰すべき仏法だと教えています。死後は「冥伏」といい、生時は「顕現」といいます。
簡単に言うと「起きている状態が生」、「寝ている状態が死」です。つまり「無始無終」といい「生命は永遠」ということです。
「地獄」という場所は、どこにも存在しませんが、例えば、来世は戦地に生まれるなどの境涯を「地獄」に例えているのです。
それと同様、「閻魔」という人物は存在しませんが、自分自身の中の悪い生命境涯や、自分の境涯を狂わす働きのことを「閻魔」に例えているのです。
簡単に例えると、テロリストの子として生まれ、出生時から洗脳され、自分もテロリストになって、人殺しをしてしまう、等々が、これにあたります。
私事で恐縮ですが、私はその「法華経文底独一本門(無神論)」を信仰をしています。
これは、10年間かけて勉強と経験を積み重ねて出した結論です。
私は前半は、外道(キリスト教や神道などの神論)や、仏教「爾前教」(日本人が仏教だと思っている教え)を学び、後半で法華経を学び、最終的に文底独一本門(無神論)にたどりつきました。そして、邪宗や占い師など、(もちろんカルトも)信じたり、それらにお金を出すのも誤りだと気づきました。
10年かけてしっかり宗教比較学を勉強してきたので、他の人より少しは詳しいです(まだまだ勉強不足ですが)少しでもお役に立てれば嬉しいです。
ここで詳しく説明したいのですが、理解するのに早い人でも2~3年かかる事なので、ここでは省略します。申し訳ございません。
投稿日時 - 2010-03-19 10:43:26
お礼
貴重なご意見ありがとうございました。
投稿日時 - 2010-03-21 11:43:36
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ベストアンサー以外の回答(8件中 1~5件目)
坂本雅道さんが、大学教授で大学入試に合格した人向けに講義をしているとすれば、君は、小学校の入試問題も間違いだらけのレベルだろうから、チンプンカンプンだろうね。
ま、まだ、年も重ねていないんだろうから仕方ないと思う。
なので、重ねて説明してもわからないだろうことは予想されちゃうのでありますが。
まず、獣って、ぬいぐるみ見て、ステージでショーを演じる猫ちゃんや熊さんのことじゃないからね。アニメで言葉をしゃべっている動物たちでもないからね。
それは、人間だから。
獣が意識する世界は、人間が意識する世界とまるで違うし、獣が人間並みの世界を意識することはありえないから。
ま、それは、例えばナメクジナメクジの意識する世界をイメージすれば、それはとても単純なもので、ナメクジにとっては、それが世界。
それが、蟻になれば、少しはましになるだろうってこんな感じで考えてみてください。
で、それら獣の一生を悲しいと思うのは人間目線だから、獣自身にとっては、悲しいとか不幸だとかはない。
例えば、イチローとか、石川遼とか、君がイメージするに、延々と続くようでとっても耐え切れない苦しい練習をこなしてきて、あの地位があるわけで。例えば、有名大学に進学する人も、君が苦しくて放り出さざるを得ない所を、もう少しだけ我慢して、勉強の量を徐々に増やしていくことによって、有名大学に行っているんであって、で、合格したら遊んでいられるかというと、大学でのお勉強はもっとハードになるんで。
そのことを指して、苦しむために生まれてきたというのは、落ちこぼれの遠吠えだよ。
君が挫折してしまうのは、10円で100万円も物を得ようとしているからです。100万円のものを得ようとすれば、100万円の努力をしなきゃいけないし、また、10円の努力しかできないのであれば、10円で買えるものを得られる喜びを感じなければならないよ。
もしくは、10円の努力ができる場合は、まずそれを認めて、一気に100万円を目指さず、11円を目指す。それができたら次も一割増しの12.1円を目指す。それをたゆまず毎日続ければ、4ヶ月で100万円の努力ができるようになる。
それをしたのが、有名大学合格者であり、イチローであるので、努力もしないで100万円を配ってほしいなんていうのは、強盗とか暴力団の理屈だよね。
肉体のハンデキャップなんてたいしたことない。現に君は、今まで餓死せずに生きてこられてのであるし、虐待死させられずに生きてこれたのであるし、なにより、インターネットに接続できる環境に生まれている。
世界の9割以上の人からみると、夢のような幸運に恵まれている。
話は少しずれたけど、一度に理解するのは無理だろうから、あせらずに1日1日を積み重ねていってほしいと思います。
投稿日時 - 2010-03-21 07:17:21
お礼
>わかりやすいといっても獣向けにかかれてはいませんので、魂のレベルが低いとチンプンカンプンでしょう。
etc
あなたは魂の低い人にとっては坂本雅道さんの教えてることは敷居が高いってことを言いたいんですね。また、有名大学合格者などを引き合いに出してるところなどを見ると魂のレベルの高さは知識や頭脳を表してて、おそらくあなた自身も有名大学卒業してるとかで自分は努力した人間だから魂のレベルが高いとでも思ってるんでしょう。坂本雅道さんの著書に書いてあることを自分の都合のいいように解釈しちゃったのか、崇拝しすぎて危険な方向に走っちゃったかだね。。
回答内容を見て軽薄な人だなと正直思いました。
投稿日時 - 2010-03-21 11:19:55
君の思う「魂」はあります。
しかし、魂は10円玉のように一種類で均一じゃありません。
例えるなら、石です。
土砂崩れで流れてきてただ邪魔なだけのものも石ですし、大粒のダイヤモンドのように何億もの価値があるものも石です。
だから、宝石をイメージして石は光りますか?と問うても、土砂の中の石しかイメージできない人は、石が光る訳ないと答えます。
さらに、魂は、石と違って目に見えません。
理解するか、感じるしかありません。
例えば、「春の息吹」なんてよく詩に読まれていますから、あることは当然なのですが、感じることができない人が9割でしょう。問うても「なんだよそれ」って笑われることになります。
理解では、例えば21手詰めの詰め将棋には、詰みがあることは、高段者には、一目でわかりますが、将棋を知っていて、回りからは天才といわれていても、全国レベルで弱い人は、詰みのあるなしは、なかなか了解できません。ましてや、将棋を知らない人にとっては「ナニ訳のわからないことをいっているのか」という状態になります。
でも、21手詰めの詰め将棋に詰みがあるというのは、真実です。
21手詰めの詰め将棋の図面を見て、詰め手順がわからない人は百人中99人であることは、事実ですし、しかし、詰み手順があることは事実です。
魂のレベルは人によってさまざまですが、獣並の人が9割です。その人は獣並のまま一生を終えますから、檻の中や山の中にいる分にはいいでしょうが、住宅街に下りてきては、猪の様に迷惑です。うぐいすみたいにきれいな声で鳴くだけならいいのですが。
君の魂が獣並みである場合は、君には理解不能です。しかし、生まれ変わりの記憶があるということは、前世では人並みの修行をされた証拠です。けれど、前世のことはすっかり忘れているでしょうから、そういう場合もなかなか理解できません。
この関係はたくさん本が出ていますので、そちらを読みましょうね。(坂本政道さんの超意識 幻冬舎文庫とかがわかりやすいでしょうか、(わかりやすいといっても獣向けにかかれてはいませんので、魂のレベルが低いとチンプンカンプンでしょう))
ベストセラーは、獣に受けがよいということですから、人向けに書かれている本にしましょうね。
投稿日時 - 2010-03-20 11:43:37
お礼
魂にレベルがあるというのは江原ひろゆきさんなどがたまにテレビで言ってるんですが、その考えを認めると魂のレベルが低い人にとっては現世は苦行でしかなく、現世での苦行が来世に影響を及ぼし、来世の魂のレベルが高くなるのを願うだけの現世になってしまう可能性があるんですよ。魂と肉体が一体のもので、同時に存在するならば、レベルの低い魂は生まれつき身体にハンディキャップがあったりして人々の間に差別意識を生んでしまうと思うんですよ。また、この考えだと現世での善や悪の行いを判断して魂のレベルを決定する神みたいなものがいるはずだから、ずいぶん不平等主義な神がいるもんだなってことになります(神が絶対に全知全能である必要はないからあり得るかもしれないけど)。坂本政道さんはどういう考えなんでしょう?
(1)神みたいなものが存在しないし、魂と肉体が一体で魂のレベルがあり、レベルが来世に影響していく。
(2)魂と肉体が別物で肉体の優劣は魂のレベルに関係しないなら神がいようがいまいが生まれ変わる段階において平等に輪廻をくりかえす。
魂は無に帰ってレベルなんて存在しないことも考えられる。
投稿日時 - 2010-03-20 17:08:17
そうそうたる「自己中」理論屋さまたちが、集まってきた模様です。
うぬうん! わしのいけんはさいこう!という日本の恥部です。
魂を理解する人間というのは、経験者=わしの意見が最高とは言わないものです。
魂の経験者については、このQ&Aに絞って考えるとすると、質問者様が筆頭に上がるべきです。
経験のないものが知らない「もの」について語ろうとする。唯物論者の典型です。
たましいは、感覚器官・法律・物理とはなんら関係のないものです。
たましいは、自己を前提としません。オレオレ態度が発生している時点で、認識不可能です。
オレオレ理論屋さんたちは、そのことがわかっているので必死です。
自分の唯物論を売りつけて何の得になるのでしょうか?
自分のことしか考えられない人間に魂は宿りません。
投稿日時 - 2010-03-19 16:38:00
こんにちは。
《たましい》は 多義的です。定義を連ねてみます。
○ たましい:
(1) 身体組織としての感性
(2) こころ
(3) 霊
○ こころ:
(1) 感覚を意識し 認識すること。また 認識した内容。
(2) いっさいの認識をもとにして 自己および他者あるいは世界に相い対するとき人間存在に生じるはたらき。
これは 好悪の感情や喜怒哀楽の気持ちであったり こころ指し(志)であったり あるいは要するに 《わたし》という意識そのものであったりする。
(3) さらには たましいが霊としても捉えられる場合がある。
これは 肉(つまりこの場合 精神および身体を言う)をあたかも超えて伸び広がるかに思われるところがある。→《信じる》
○ 信じる(信仰):
非経験思考のこと。すなわち 経験思考に非ざること。
または 表象しえぬものをわざわざ思うこと。ただしその表象し得ぬものをも 言葉などその代理によって表象すると主張することがある。
あるいは 絶対とわれとの関係。→《絶対》
○ 絶対:
そういう想定である。経験的な相対世界を超えたところと規定し 想定する。思考を超えている。《考える》を超えるこころのはたらきは 《信じる》と呼ばれる。
それは 有神論と無神論とに分かれる。どちらも 互いに同等である。信仰であり その形態が 有神と無神とで分かれるのみ。つまり《神がある》と言うのも《神がない》と言うのも ともに《信じる》の領域を捉えて言おうとしている。なぜなら 《絶対者》は表象しえぬゆえ。
○ 肉:
(1)身体
(2)身体および精神 すなわち 経験的な存在の全体
○ 精神:
こころのこと。特にこころの(2)のはたらきとして 基本的に 記憶・知解・意志の三つの行為能力を言う。
( a ) 記憶行為:
精神の秩序。感性内容を意識し記憶する。意識内容を知解行為が
加工したものをも記憶する。
その組織・その過程。
先験的に 存在じたい もしくは その自然本性じたいの秩序を
司ると思われる。
( b ) 知解行為:
記憶組織という宝庫から ものごとを捉えて認識し さらにあ
らたな整合性をもった認識内容につくる。
( c ) 意志:
大きく広く 直接的にせよ間接的にせよ 記憶および知解を行為
するときに すでにそれらを促すように発動していると思われる。
知解行為の結果から取捨選択しその内容を みづからの意志
(おもむくところ)として判断し決定する。実行にも及ぶ。
○ 三一性:
これら記憶・知解および意志の三能力行為は 経験的・時間的な行為
を為し 他者のそれらと 社会的な関係をむすぶ。
このとき 時間的な隔たりを持って 三行為は けっきょくのところ
一体性を有すると考えられる。
社会形態(一般に国家)にあっては順番に 司法・立法および行政と
いう役割にそれぞれ 相当する。
○ 三位一体:
これは 《絶対》という表象しえぬものを 人間のことばという代理物で 仮りに表象し仮りに表現しようとしたもの。
・記憶能力が 父なる神。
・そこから生まれる知解行為が 子なる神。
・それら両者から発出するかのような意志行為が 聖霊なる神。
絶対の領域では とうぜんながら 三つのものは 一体である。
三つのそれぞれの個は全体と 全体は各個と 各個は各個と それぞ
れ 等しい。無限の半分も無限であり 三分の一もやはり無限である。
○ 霊:
《絶対》ないし《絶対者》のこと。
○ イエスはキリストである:
霊なる神が 肉(精神および身体)になった。という物語。
○ 人間:
このキリスト・イエスつまり 《かみ=ひと》 なる存在に似る存在
者であるが それは 霊なる神を分有するというかたちだとされる。
《絶対》によってあたかも指先でのように触れられている。または
その方向へ 〔こころの〕窓が開けられている。
それが 《分有する》という意味である。
○ 人間は神の似像(にすがた)である:
三位一体なる神のはなはだ不類似にしていくらかは類似する三一性を
そなえた人間。
この人間は 神にかたどって造られたと表現された。
一定の社会形態(国家)も 三権の分立かつ協業というかたちで一種
の三一性を有し 似姿の様相を呈している。
・光源としての父なる神 ∽ ひとの記憶行為 ∽ 司法
・発耀としての子なる神 ∽ ひとの知解行為 ∽ 立法
・明・暖としての聖霊なる神 ∽ ひとの意志行為 ∽ 行政
《光源・発耀・その明るさや暖かさ》は 《光》として 三位一体です。ひとの《記憶・知解・意志》あるいは社会としての《司法・立法・行政》は 時間的なずれを伴なった三一性を持つと考えられます。
これが 《ひとは 神のかたちに似せて造られた》という表現の意味だと思います。
《たましい》に関して 哲学としては このような分類と認識になると考えます。文学的にはいろんなかたち あるいは神秘思想としてのかたちもあるかと思いますが 触れません。どうでしょう?
* 《愛》は はなはだ抽象的な概念ですが 経験的な思考ないし行為として捉えるなら 《意志》の行為に当たると思われます。(鳩山由紀夫が 友愛と言うのも 的はずれではないのでしょう)。
投稿日時 - 2010-03-19 13:31:45