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大塚史学と産業革命
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- Canecius
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一応歴史を学んでいる者ですが、イギリス史ではないので、「一般人、自信なし」として回答させていただきます。 大塚久雄のイギリス経済史においては、中世末から発達した農村におけるローカルな毛織物工業(いわゆるマニュファクテュア)を基軸としてイギリス資本主義は発展した、そしてそれが発展して国民経済を形作るにいたった…と、国内的要素を重視する傾向があります。 こうした資本主義の展開を支えるエートスとして、大塚久雄は独立自営のヨーマン的人間像を(イギリス)近代化の担い手の範型として重視した、と記憶しています(これはウェーバーの影響によるものでしょう)。 批判として古典的なものの一つが、大塚が過度に国内的要因を強調し、国際経済的な契機を軽視しているのではないか、というものです。大塚においては、国民経済が編成され、その総体が世界経済となってゆくという図式なのですが、国民経済の形成前/形成中に世界経済が存在し、国民経済の成立に影響を与えているのでは?という反論になるというわけです。綿織物産業の重視は、インドなどとの関係を重視するわけで、これは国際経済重視派の立場でしょう。 急ぎのようでしたが、間に合いましたでしょうか? 至らぬ回答ですいません。
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