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私の父は私の母より若い

Ganbatteruyoの回答

回答No.14

Gです。 こんにちは!! 奇抜な回答を求めているのですか? では、奇抜でフィーリング英語から見れば当然な説明をしますね。 つまり、こちらの人がthanと言う単語がきたらどう思うか、感じるか、と言う当然ともいえる非常に学術的な理解になりますが、学校ではとても教えてくれないでしょうし、文法文法と言っているにもかかわらず、実は誰かが言ったことを丸暗記してそれを鵜呑みにしている、言い換えれば、オカルト式に洗脳されてしまっているだけのことなのです。 これをまず横の置いておきましょう。 そして、いまビジネス英語文法的に間違いとされているthanの用法が言語学的にこのフィーリングをはっきり出してくれるのです。 thanの単語が比較級以外で使われていることをまず知ってください。 何だと思いますか? A is different than Bと言う表現なのです。  試験文法的に間違っているかどうかはまったく関係なく言語学的に分析できる「学術的資料」のひとつなのです。 thanと言う単語が前置詞だと言うことはご存知ですね。 文法では常識のようになっています。 今わかったことではないですね。 ではどういうフィーリングでしょうか。 compared toと言うフィーリングなのです。 だから前置詞と言う分類方法が「正しく」されているわけです。 ですからMy father is younger than my motherという表現は、my father is younger compared to my motherと言う表現が立派に使われるわけですね。 A is different compared to Bと言うフィーリングが成り立つわけなのです。 つまり、A is different than Bと言う表現はこのthanと言う単語の持つフィーリングを実につけているから起こる表現なのですね。 different from のフィーリングとは少し違うわけです。 different fromはかえって「重複したフィーリングを続けることで誇張している」と考えるわけです。 お分かりでしょうか。 間違ったとされる表現がなぜ使われるのか考える、と言う表現の妥当性を考える言語学の一部が証明するthanが持つフィーリングがあるからこそこのdifferent thanと言う表現が頭からすらっと出てくる人がいるわけです。 言ってみれば、詩的表現といってもいいくらいのものなのですね。 (これはお分かりですよね) 単語の持つフィーリングを半一般的に表現から離れて表現する、と言う詩的表現方法のひとつなわけです。 ひしひしと忍び寄るあなたの愛 一般的な表現ではないですね。 しかし、フィーリングを大事にすると、ちゃんと全体的なフィーリングも感じ取れますね。 「ひしひしと忍び寄る」と言う表現は、ただの擬人法だけでは説明できないものを持っているわけです。 詩を作るためのthanの用法ではないですが、私の言っていることはお分かりですね。  そして、thanと言う前置詞とするのは何もこじつけでも参考書が書いてあるからと言うことが理由ではないのです。 フィーリングを出すための単語である以上、一般的な表現ではないからこそ感じ取れるフィーリングなのです。 つまり慣用句的な「覚えちゃいな」ではないわけです。 ちゃんと学術的な証明を持ってきて、なぜこの単語を使っているのか、つまりどんなフィーリングをこの単語は持っているのかを知ることで、thanの意味合いを知るわけです。 日本人の場合は、訳して、その訳の一部を引き出してきて、~より、の部分だ、としてしまうわけです。 これをお子さんがしたわけです。 よって、ご回答者の一部の方々は「日本語(の訳)と比較しすぎだ」と言うようなコメントが出てきてしまうのです。 この解説は私の考え方を知っているmyrtille55さんへもう少し本当の意味の「学術的」な説明方法を紹介させてもらったのです。 これは、英語の生きていると言う証明にもなる表現の変化を研究するための方法でもあるわけですが、実は、これはもっともっと深いところに科学的証明、と言う物が使われているのです。 つまり、今回の焦点でもある「比較」と言う人間が出来る科学的分析方法でもあるのです。 つまり、ほとんどの形容詞は実は「比較」なのですね。 彼女はかわいい、と言うのは、すでに比較しているのです。 つまり、基準となるものがこれを言う人の頭に出来上がっているわけです。 日本は小さい国だ、もそうですね。  そして、この形容詞の意味合いを「もっとはっきりさせるための表現方法」が比較級+compared toのthanなのです。 (ここでまた文法用語の「襲名作業にミスがあった」と言うことを証明してしまいましたね<g>) そしてそのはっきりさせると言う事は実は「条件をつける」と言うことにもなるわけです。 そこにConditional Propositionという観念が生まれてくるわけです。 どうですか、この追加的説明はmyrtille55さんのために書かせてもらったと言ってもいいでしょうか。 もちろんこの説明は中学生のレベルでは???ですね。 試験文法学者さんたちには理解できないことでしょう。 ではどうやって中学生にわかってもらえるか、ですね。 私はわかってもらう必要はない、と言い切ります。 必要なないのです。 日本語の表現を使う日本人がある日本語の表現方法の理由を知ろうともしませんね。 知る必要がないからです。 遊びたい、と言う表現は、違う日本語(英語ほど程遠いものではないですが少なくとも「違う」のですね)で書くと、遊ぶことを欲している、と言う表現だって使えますね。 これが、My father is younger than my mother.と言う日本語からかけ離れた表現方法と私の父は私の母より若いと言う普通の日本語表現とを比べようとしているわけです。 お子さんが言っているのは、遊ぶ事を欲している、の「遊」までは同じだけど,遊びたいには「事」もないし「をと言う助詞」もないし、欲しているなんてぜんぜん入っていない、おかしいよ、お父さん、説明してよ、と言っているのとまったく同じなのです。 日本語と日本語の表現同士を比較するにも、英語表現方法と日本語表現方法とを比較するにもいわゆる「一対一」ではないということを中学生はまず知ることで今回の疑問は生まれてこないのですね。 聞いたこともない説明は価値がないですか? 50年この説明がなされて一般的になるまで待ちますか?  それとも、今回の疑問と同じように、今まで出てこなかった疑問、英語の先生ですら感じていなかった疑問に、今まで言われてこなかった説明は4次元の世界でマッチすると思いませんか。  参考になりましたでしょうか。 理解しにくいところがあったり追加質問がありましたら締め切る前にまた書いてくださいね。

noname#47281
質問者

お礼

丁寧な回答いつもありがとうございます。 >奇抜な回答を求めているのですか? 奇抜というか、originalな回答が欲しかったでした。つまり、commonplaceでない回答です。

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