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超一流大に合格する人の脳はどうなってるんでしょうか?

旧帝国大、一橋、東工大、早慶などなど合格する人の脳みその構造はすごい質の良いものだと思うんです。さらになかでもそれらの医学部合格する人とかは頭の良さには大変おそれいります。 ですが、そういう頭のいい大学に行ってる人に限って、「脳の構造はみんな一緒。努力の違いだよ」とか言ってきます。私自身上記のような名誉ある大学に行けるほどの頭はもってなかったんで、いい大学は出てないんです。私は国家資格の試験も多く受けてるんですが、たくさん落ちてしまいます。まあ大学受験も不合格の嵐。なんてバカなんだって実感しました。 超一流大、もしくは難関資格(司法試験など)に受かる人の脳の構造はやはり頭が良いようにできているのでしょうか? 努力の差とはいい切れないって思うんです。司法試験なんて10年受け続けても受からない人もいれば、21の若さで一発合格できる人もいます。あきらかに勉強量では10年以上受け続けてる人のほうが努力しているのに・・・。 努力?忍耐力の差?それだったら一日10時間以上机にかじりついて問題集とにらみあっていられる選手権に勝ち進んでいける人たちが合格することになります。 す○た弁護士なんて司法試験の勉強に耐えられる忍耐力はあるのにもかかわらず、食欲だけはおさえられないという・・・そこの忍耐力はないんかい!って思います。 私の想像する合格する人 ・脳みその質がいい(記憶力がいい。しかも生まれつき。遺伝的に) ・運もいい ・勉強が楽しい ・おそるべき忍耐力がある (一日10時間以上つくえの上で問題集とにらみ合える) 私自身 ・あほ ・運も悪い(あと1点で落ちたりする) ・受験勉強は嫌い(読書は好き) ・忍耐力はなし(山登りとかちょっと歩いたらもう嫌になる) つまるところ、もっと知的になりたいと思ってます。 20代でございます。 どうにかしてもっと頭良くなりたいんです。そして国家試験にも受かりたいです。頭の悪い人が頭よくなるにはどうしたらいいかお聞きしたいって思ってます。支離滅裂な文章すいません。

noname#40359
noname#40359

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  • harepanda
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回答No.5

ANo4ことharepandaです。追加質問にお答えします。 > 1)大学院とのことですが、当然その分野に興味があると思うのですが、その研究・勉強は何時間続けても飽きないのでしょうか?「今日だけはもう勉強するのも嫌っていう日もあるんでしょうか?」。 やはり語学の壁は大きく、ドイツ語を何時間も読み続ける気力はないです。(おまけに、ラテン語というのがあるのです。論外)一番楽しいのは、脳内に溜め込んだ情報を元に、あれがこーなって、そこからこーなってと、概念の運動を脳内でやっている時ですね。それから、アウトプットを出す時、つまり、日本語で自分の意見を述べ、他人を説得している時が一番楽しいです。 > 私は勉強(受験)やる気が起きないんです。それはやはり回答者さんの言うように知的好奇心が問題集かたは感じられないからです。 ふつうの受験用問題集や学校の教科書は、知的好奇心を刺激するようなものではないと思いますよ。まあ、世の中には、パズルと同じ感覚で、難しい数学の問題集を持ちあるいている理系志望の高校生とかもいますが、そういう人は少数派でしょう。 > 例えば、簡単に言うと・・・ 「予算の先議権が衆議院にはある」ってのを覚えようとしてもこんなこと覚えてなにがおもしろいんだろう?やはり忍耐。ってなります。 背景とかおぼえたりしたらいいんでしょうけど・・・。 (でもそんな深く勉強している場合ではない) いやあ、私のように、ニュースマニアにとっては、たまらない話題ですよ。与野党逆転国会、下手なマンガやスポーツの試合を見ているより、よっぽど楽しいです。「じゃあ逆に、衆院と参院で、同じ権限を持っているのは何?」と思ってインターネット検索をかけたりします。すると、日銀総裁をはじめとする公職人事や、行政調査権といってデータの出し渋りをしている社会保険庁に強制的に情報提供を命令する権利は、衆参同格であることがわかってきます。これはこの先の展開が楽しみです。 そういう風に、日常、飛び込んでくる情報から、知的好奇心って広がっていくんですよね。私の知識の8割は、単に新聞と日常の情報収集から入手したものですよ。 でもね、おっしゃるとおり、テスト問題のひとつひとつについて、これだけの手間をかけていたら、「そんな深く勉強している場合ではない」ってことになりますよね。 > 2)こっちは余談なのですが、私はあほであることにかなりの知的コンプレックスがあります。大学もいいところ出てません。自分がもっと頭良かったら(一橋卒とかだったら人生幸せだっただろうなあ)って思ったりも(かなりの妄想ですいません。行けるはずはないんですが)。 そんなことはありません。あなたは知的コンプレックスを感じる必要などないです。本当に知性の低い人は、まともな日本語が書けませんから。なにしろ、ひらがなを全部書くことができない大学生がいる時代です。大学も格が落ちたものです。 あなたの文章を見ていると、自分と大差のない普通に知的な人だと感じます。むしろ、単純大量記憶とスピードだけを見る、多くの私立大学の入学試験のほうがアフォなのです。現に、私は慶応と上智に落ちてます。でも、一橋は通る自信がありました。この点では、一橋のような国立のほうが良問を出す傾向があり、自分の概念的な勉強スタイルに合うからです。それに、いったん企業に入社すれば、よほどの派閥のある会社でない限り、出身校がどこかなんて、気にしませんよ。 >「一流大卒=一流企業=幸せ」になれる構造があります。 一橋卒の人でも壮絶な人生送っている人とかいるんでしょうか? (ってこれをきいて優越感にひたりたいわけでもないです。ただ一橋のような雲の上の存在の人たちはどういう人生を歩まれているのか興味あるんです) 株式交換による企業買収が解禁された今、一流企業=幸せの法則はなりたちません。いつ、自分の会社がつぶれるか、また、運悪くバカ外資に買収されて社内が大混乱に陥るか分からない時代です。具体的に言えば、ブルドッグ買収で悪名の高いスティールパートナーズのような会社に狙われたら、会社文化存続の危機です。逆に、カーライルという投資ファンドがあって、ここは非常に良心的な会社です。カーライルは金と役員数名を出すだけで、経営判断は買収した会社の元の従業員に任せ、つぶれかけの会社を再建させて利益を上げるという会社です。最近ではキトーという会社がカーライルの管理下に入ってから再上場に成功しています。また、カーライルはウィルコムの親会社としても有名です。一時期、PHSは死んだと思われていたのが、見事、復活しましたね。 私はというと…ははは。就職超氷河期時代にあたり、哲学修士なんて妙な経歴で就職活動をしたおかげで、そこらじゅうの会社の役員から「そんなやつがビジネスで使い物になるか」と言われまくり、内定を取れたのは1社だけ。その会社は1年でつぶれ、クビ。さすがに同業他社の大手企業から出向で来ていた人事部長は、自分が採用した人間を1年でクビにするのがしのびなく、そこらじゅうの関連会社に採用枠を用意して、同期の多くはその斡旋で転職していきました。私にもひとつ、話が来ていたのですが、せっかくの英語力を生かしたいという理由でお断りし、同業外資系企業の日本法人立ち上げに参加しました。その後、数年間別れ別れでしたが、気がついたら私はサービス開発担当となっており、その人事部長が移った先の会社に部材を発注できる立場になっていて、挨拶にいったら、いたく喜んでもらえたものです。 一橋卒で壮絶な人生送っている人は、あまり聞いたことがありませんが、卒業できないで壮絶な人生を送っている人は結構いますね。知人にも、いつもエヴァンゲリオンの話をしている、いかにも危うそうなキャラクターの人物がいました。毎年、論文提出の時期が近づくと、うつ状態になるのです。「大丈夫だ、まだ1ヶ月もあるじゃないか!」「もう1ヶ月しかないんだよ!」友人が連絡をとろうとしたら、電話線のコネクターを引き抜きやがって音信不通になりました。それから、「自分は神の啓示を受けた、フリーメイソンに追われている」とか言ってる人もいました。

noname#40359
質問者

お礼

いろいろとアドバイスありがとうございます。 先日、NHKの爆笑問題が慶応キャンパスで討論するっていうのやってて、ある人が「慶応けって一橋に行きました」とか言ってて慶応BOYたちが「おお~」ってなってました。慶応よりすごいところなんだっていう羨望のまなざしでした。 私は田舎の方にある地方の国立(無名)を卒業してます。秋田大とか佐賀大とかそんな感じのです・・・。それから自分に自信なくしてしまいました。こじまよしおが出てきて「早稲田っす~」とか、くらたま(一橋)や眞鍋かおり(横国)とかいいなあって。どれもいけるはずなく。高校時代死ぬほど勉強きらいだったんです。読書量皆無。 最後に質問よろしいでしょうか? 1.「概念の運動について」 2.「成功哲学本について」 1.「概念の運動について」 回答者さんのアドバイスで一番興味深かったのですが >「概念の運動」というところについてなんですが・・・ 概念の運動とは具体的にどういうことなのでしょうか? 「脳内に溜め込んだ情報を元に、あれがこーなって、そこからこーなってと、概念の運動を脳内でやっている時ですね」とのことですが、そこに学びが楽しくなるような要素があると思われます。いまさら勉強したい気持ちになってきたんです(受験勉強はやる気なく、嫌ですけど・・・) 知的コンプレックス⇒知的になりたい! ほんとあほって損するんです。無知はおろかなりです。 2.「成功哲学本について」 哲学修士とかかれてましたが、その範囲内のことかわかりませんが、実は「成功哲学」の自己啓発書が私大好きなんです。カーネギなどの本です。しかし、どれも当たり前のことばかり書いてあるんです。「忍耐こそ大切なのである」・・・って知ってるわ!って(笑)で、成功哲学本を読みあさっているわりにはなにも変わらないんです(笑)。 ナポレオンヒルとかも読んだり、先日本屋で「自助論」とかいう成功哲学書を買おうとしたときに「待てよ?いつも成功哲学書買うけど、意味あるのかな?」って自問自答して(あほな私のわりにはついに考えられるようになった瞬間)、、、 ああいう本って変われるんでしょうか?部屋にあほみたいに性向哲学書あふれてます。自身はなにも変わってないのですが・・・。 何度もすいませんです。よかったら回答ください・・・。

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  • harepanda
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回答No.8

ふたたびharepandaです。 > いろいろ聞けててほんとにためになりました。感謝しますありがとうございました。私も今後回答者さんのような知的な方に影響受けて成長していきたいです。 いえいえ、私の長ったるい文章にお付き合い頂き、ありがとうございました。私も楽しかったです。ただ、アランについては、私自身が読んだわけではないので、参考意見くらいに思っておいて下さい。キルケゴールとルソーは読みましたけど。 >「学歴コンプレックス」についてどう思われますか? 一橋大の人たちはそういう劣等感はないと思いますが、私はこ○まよしおがテレビに出てきて「早稲田~うぃ~」とか言いながら出てきたときに、劣等感を抱きます。こじ○よしおに劣等感抱いてて、あの人が出てくると、沈んでしまうという・・・(笑)。まあ早稲田なんていけないですけど。異常なまでの学歴の劣等感を抹消したいと思ってます。これが最後の最後の質問です。 自分は学歴にはコンプレックスはありませんが、容姿とか体力とか、別の面でコンプレックスがあります。人間、誰でも多少はコンプレックスはあるもので、学歴コンプレックスがあっても悪いわけではないと思います。自分自信がよく理解し、理性でコントロールできる範疇のコンプレックスであれば、気にかける必要はないと思います。 公務員志望の場合は、学歴コンプレックスの回避は難しいでしょうね。特に国家公務員の世界に入ってしまうと、露骨に学閥がありそうです。安倍内閣の「再チャレンジ」はなんだったんだろう?という世界です。自殺した松岡元大臣が、役所の中や政界で異常なまでの上昇志向を示したのも、学歴コンプレックスが原因といわれています。あまり、無茶はしないようにしてください。 > 学歴コンプレックスの治し方がもしあれば教えて欲しいです。 (すいません。テーマ違いですが)ほんとこれで締め切りにします。あと、忙しければ回答は結構でございます。最後に感じの悪い質問ですいませんでした。申し訳ないです。よかったら回答ください 一番よい治し方は、学閥のない企業に就職して、仕事で成果を出してみせることだと思いますが、公務員志望なんですよね。やっぱり、公務員であっても、仕事で実力を見せてやることが、王道なのではないでしょうか。私の会社なんか、外資なので、入ってしまったら後は平等の成果主義、高卒と私が並んで仕事をしてて、いい友達であったりするわけですよ。(ただし、外資は採用時には高学歴者を好みますが) もう一つの方法は、高学歴でもバカは多いという現実を知ることだと思います。菊川怜は東大卒ですが、TVに出ているコメントを聞く限り、「ああ、本当に受験勉強しかしなかったやつって、いるんだなあ。うすっぺらな人生を歩んできたんだろうな」という感想を持ちます。気の聞いたセリフが、何ひとつ出てこないのです。精神科医の和田秀樹に著書「バカとは何か」(幻冬舎新書)で、同じ東大卒の高田万由子と比べられ「(菊川は)テレビでバラエティ番組に出ていても(東大卒にしては)シャープさが感じられない」と書いてますが、まさにその通り。建築が専門のはずなのに、真相報道バンキシャの耐震強度偽装事件報道の時ですら、まともな発言がなかった人ですからね。せっかく、メインキャスターが、専門家ということで菊川に話をふっているのに…東大卒の菊川なんかより、高卒の山瀬まみのほうが、人を食った面白い発言をしますよ。山瀬のほうが、本当の意味で頭が良いのだと思います。まあ、山瀬は最近、NHKに出るようになって、以前の毒舌がトーンダウンしてしまったのが残念ですが。 工学博士ってバカが多いんです。日本で一番博士号を持っている人が多いのが医者で、次が工学博士とのことで、数が多ければバカも多いのも当然でしょう。疑似科学にのめりこんでいる危うい工学博士は多く、たとえば、「陽子の形が歪むとエイズになる。中性子の形が歪むとガンになる」と真顔で語り、自らが主催するセミナーで馬鹿馬鹿しい内容のSF小説を読ませ、「ここに書いてあることは、重大な事実である」と説法していたりします。素粒子学や物理学の大規模な学会では、疑似科学やオカルトにのめりこんだ人たちのセクションがあって、そこだけ異様な雰囲気を漂わせているそうです。 精神科医(博士)の川尻徹(故人)は、ヒトラーや山本五十六は死んでおらず、南極の地下基地に潜んでいて、ノストラダムスが予言したとおりの破滅を引き起こすべく、活動を続けていると主張していました。インタビューを行った雑誌社の記者は、こう思ったそうです。「ここは精神病院だ…目の前にいる人は、実は博士ではなくて、妄想に狂った患者なのではないだろうか?」もっともなことです。 学歴だけ高くても、人間としての深みがない人、常識が分からない人というは、いるものだと考えましょう。あなたのように、知的好奇心を持っている人というのは、自然に知的な人間なのだと思うべきです

noname#40359
質問者

お礼

ほんとにありがとうございました。知的好奇心が芽生えました。 お仕事中だったのにすいませんでした。一橋の人と話せる機会なんてめったにないんで、とても有意義な時間でした。感謝してます。

  • harepanda
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回答No.7

ふたたびharepandaです。(いいのかなあ、本当は仕事中なのに) 長文に、お付き合いいただければ幸いです。 > 1.「概念の運動について」 回答者さんのアドバイスで一番興味深かったのですが >「概念の運動」というところについてなんですが・・・ 概念の運動とは具体的にどういうことなのでしょうか? 「脳内に溜め込んだ情報を元に、あれがこーなって、そこからこーなってと、概念の運動を脳内でやっている時ですね」とのことですが、そこに学びが楽しくなるような要素があると思われます。いまさら勉強したい気持ちになってきたんです(受験勉強はやる気なく、嫌ですけど・・・) たとえば、一見関係のなさそうなふたつの情報の間に、関連性を見つけたりすると、そこから思考が広がるし、知的好奇心が刺激されますよね。例えば、ラテン語(これには苦しめられた!)では、もともとVという文字はなく、Uから分かれて成立したので、ヴではなくウ(wu)と読むのが正しいのです。映画ジュラシックパークにヴェロキラプトルという恐竜が出てきますが、古代の動物ですので当然ラテン語の学名です。「おいおい、ヴェロキラプトルじゃなくて、ウェロキラプトルが正しい発音だろ!」っとか突っ込みを入れつつ、「最近は、なんでも英語風の発音にしちゃうなー、最近の学者はラテン語わかってねーなー」とか思いながら、内心で大爆笑するわけです。 逆に、同じ言葉を、違う意味で使っていたり、いつの間にか意味が入れ替わっていたりする現象が、文章を読んでいると見つかることがあって、これに気がつくのは楽しいものです。誰でも文章を書いているうちに、言葉の意味がずれていくことはありますから、そこに概念の運動を見て取ることができるのです。さらにいえば、哲学史みたいに気の長いタイムスパンで見ていると、言葉の意味の変化というものがあるのがむしろ当然です。これに気がつくのは、非常に楽しいものです。たとえば、ヨーロッパ圏では習慣のことを「第2の自然」とよく言います。アメリカ英語による映画で、日常会話で出てきたのも見たことがあります。この「自然」ほど西洋哲学史を通じて、意味や解釈が変わった概念はないと思います。自然とは、まあ、日常語としては、天然・自然環境のことをいうのですが、同時に「そんなの、自然なことだよ」という言い方があるように、物事の常識や本質を表すことがあります。日本語では分かりにくいのですが、人間は内なる自然(つまり肉体)を持っているという言い方も、西洋人はします。 多分、中学・高校の社会科の授業で、ルソーとホッブスの自然概念の違いについてとかいう話を聞いたと思いますが、これを単純暗記で覚えるのは相当に苦痛だと思います。しかし、ルソー(幸いなことに、まともな日本語訳で読みやすいです)を詳しく知っていると、物事が一気にわかりやすくなります。ルソーはこんなことを言ってます。「過去の人たちは、自然という概念についていろいろなことを言ってきた。だれそれは、こういった。だれそれは、別のことをいった。たくさんのひとが色々なことを言った。だが、本当の自然概念に正しくたどり着いた人は、誰もいない」。するどい指摘です。みんながよってたかって、自然概念を自己流に解釈していることを批判しているのです。ここまでわかってから社会科の教科書を読むと、ああ、そういうことだったのか!初めてわかるのです。自然法って、人間の本質(英語では自然と同じnatureです)とは何であるかをめぐる議論だったんだな、と。 ちなみに哲学者ヘーゲルは、自然法の経験的扱いに対する批判をした若い頃の論文で、同じ結論に到達しており、ヘーゲルの専門家はこれを特別視する傾向があるのですが、そんなもの、何年も前にルソーが到達した結論と同じだって!しかもルソーの文章の方が、分かり易くて鋭いよ!と突っ込みを入れると、ヘーゲル読みの人たちも、「スマソ、そういう認識は無かった」というわけです。ルソーとへーゲルが、同じ自然概念をめぐって概念操作をしているうちに、別々に同じ結論にたどりついたということですね。ヘーゲルにいたっては、「第2の自然とは、精神のことである」という拡大解釈に踏み込み、慣習と精神の両概念の関係が、曖昧になりかかってます(上記の通り、普通は第2の自然とは慣習の意味です)。ヘーゲルは、わざとそういう書き方をしてるんです。これが典型的な概念の運動です。こうなってくると、人間が主体で概念を操作しているのか、概念のほうが主体で、人間の脳はそれを媒介しているだけなのか、分からなくなってきます。概念に踊らされてみるのも、たまには楽しいものです。 > 2.「成功哲学本について」 哲学修士とかかれてましたが、その範囲内のことかわかりませんが、実は「成功哲学」の自己啓発書が私大好きなんです。カーネギなどの本です。しかし、どれも当たり前のことばかり書いてあるんです。「忍耐こそ大切なのである」・・・って知ってるわ!って(笑)で、成功哲学本を読みあさっているわりにはなにも変わらないんです(笑)。 ナポレオンヒルとかも読んだり、先日本屋で「自助論」とかいう成功哲学書を買おうとしたときに「待てよ?いつも成功哲学書買うけど、意味あるのかな?」って自問自答して(あほな私のわりにはついに考えられるようになった瞬間)、、、 ああいう本って変われるんでしょうか?部屋にあほみたいに性向哲学書あふれてます。自身はなにも変わってないのですが・・・。 あまりお奨めしないですね。そもそも成功って何?って感じです。マルチジャンキーの成功体験記と大差ないと思います(笑)。いっぱい成功して、金儲けして、マルチの破綻時には友情をぶち壊して、で?それで?それが成功だったの?という感じの人たちの議論と、あまり差が無いような気がするのです。わたしの憶測で言わせていただけば、多分、あなたはその種の本に満足していないだろうし、知的好奇心を刺激されることもないだろうと思います。 わたしの立場からおすすめできる本があるかと言われると… 私の専門外ですが、アランの「幸福論」という本があって、これは生きる知恵を与えてくれる分かり易い哲学書として有名です。本当に分かり易いのか、日本語の出来がよいのか、内容が優れているのかは知りません。とにかくまともな哲学者の間でも有名です。これなど挑戦してみてはいかがでしょうか。 逆転の発想で、「不幸とは何だろう」と考えてみたくなったら、キルケゴールをお奨めします。この人の文は、日本語にしても比較的よみやすく、恰好いいです。「今は君は幸せ者かもしれない。でも、どんな幸せ者でも、不幸者になってしまう可能性はあるんだ。そのプロセスを示してあげよう」というのが基本メッセージです。本格的な哲学書の範疇に入りますが、かろうじて常人でも理解できる範囲内にとどまっていると思います。あと、この人の文章を読むと、「概念の運動」とはどういうことなのか、何となく分かると思います。 ルソーも日本語訳の出来がいいです。ルソーといえば自然法やフランス革命にからめて紹介されることが多いので、政治哲学者というイメージがあるかもしれませんが、万能の人で、あの「むすんでひらいて」を作曲した人としても知られています。自伝「告白」あたりは面白いですよ。日本の白樺派の私小説スタイルに影響を与えた本で、露出狂であったことや、作ってしまった子を孤児院の前に捨てたことなどを、暴露してます。「なーんだ、ルソーって、こんなやつだったんだ!」というのが楽しめる一冊です。が、文学といえば昔話や英雄物語や勧善懲悪物語くらいしかなかった時代に、この「告白」のインパクトは大きかったようです。

noname#40359
質問者

お礼

>多分、中学・高校の社会科の授業で、ルソーとホッブスの自然概念の違いについてとかいう話を聞いたと思いますが、これを単純暗記で覚えるのは相当に苦痛だと思います。 ・・・ 実は受けてた公務員採用試験においても「思想」「政治学」の範囲で登場してました。ルソー、ロック、ホッブスだったと思います。彼らがそれぞれどういうことをしたか要約された表みたいなのがテキストにのってあって、ホッブスは「リヴァイアサン」を書いて、戦争状態なんだなって覚えたり、実際試験でも「ホッブス」のところが「ロック」に入れ替わってあったり(正誤問題)、結局覚えるのが苦痛。ホッブスのなにが戦争状態かわけわからんかったんです(笑)。つまり回答者さんのおっしゃられてるように単純暗記で苦痛を味わってました(笑)。とにかく覚えるのですが、単純暗記(試験に出るところだけ)なので、私は受験勉強が苦手なんです。あほかもしれないですが「週間こどもニュース(NHK)」のように理解できる内容なら勉強やる気出ますし、あの番組おもしろいです。 ルソーやヘーゲルも公務員試験で単純暗記してるのですが、なにをされた人たちなのかわかりません。ですが、今まで過去の偉大なる哲学者たちの書って手にとったことすらありません。カーネギーとか以外で。 私のよく読む齋藤孝という明治大の教授が「ニーチェ」についてすごく絶賛してたので、いつか読んでやろうって思ってましたが・・・。難しそうで。概念のところの説明ありがとうございます。 >わたしの憶測で言わせていただけば、多分、あなたはその種の本に満足していないだろうし、知的好奇心を刺激されることもないだろうと思います。 ・・・当たってます(笑)見事に。 とりあえず、1000万部?売れている「成功哲学」を読んでみよう。 売れてるんだし・・・って。あほでした。 でも、読んでもなにも興味ないし、なんで読んでるのかわからないけど、みんな買って読んでるからってことで。 アランの「幸福論」ですね。おすすめされると読んでみたくなるんです。ありがとうございます。 でもほんとさすが一橋の人です。全然話してる内容が違います。 いろいろ聞けててほんとにためになりました。感謝しますありがとうございました。私も今後回答者さんのような知的な方に影響受けて成長していきたいです。

noname#40359
質問者

補足

(お礼のほうから先に呼んでください) 最後に・・・やっぱり聞いておきたかったので。 私はどうやっても公務員採用試験(国2、国税、市役所など)には受かりませんでしたが、これからは学んで生きたいです。今回回答者さんに刺激を受けましたし、ますアランの幸福論をよんでみたいです。 これは大変失礼なこといってすいませんが、一橋大学院って聞いてもしかしたら大学は違うところかも?って思ってしまいました。すいません。これは大学院卒の人全員に対して思ってしまうんです。すいません、一橋は大学のほうにも合格されてたのですね。 私の異常なまでの学歴コンプレックスによるものです。もう病気です。 学歴ロンダリングという大学⇒大学院に変わる際に以前の大学名を隠すというものです。大学院卒の人はロンダリングしたのかも?って思うようになったり。私は学歴に対して異常なまでに敏感になってしまいました。親の影響もあってのことですが。さすがに京大や一橋にいけたとは微塵も思いませんが、立命館・明治大とかならもっと勉強したらいけたかな?(あつかましいですが)ってあって、それが今でも悔しくて勉強していかなきゃって思ってます。完全に狂ってたときは社会人大学院入学で、いいところ行って、最終学歴を隠そうとまでしてました(笑) これで最後の質問ですが(って何度もすいません。もし次回答くださったらもうこの質問は締め切るので・・・) 「学歴コンプレックス」についてどう思われますか? 一橋大の人たちはそういう劣等感はないと思いますが、私はこ○まよしおがテレビに出てきて「早稲田~うぃ~」とか言いながら出てきたときに、劣等感を抱きます。こじ○よしおに劣等感抱いてて、あの人が出てくると、沈んでしまうという・・・(笑)。まあ早稲田なんていけないですけど。異常なまでの学歴の劣等感を抹消したいと思ってます。これが最後の最後の質問です。 学歴コンプレックスの治し方がもしあれば教えて欲しいです。 (すいません。テーマ違いですが)ほんとこれで締め切りにします。あと、忙しければ回答は結構でございます。最後に感じの悪い質問ですいませんでした。申し訳ないです。よかったら回答ください

noname#49694
noname#49694
回答No.6

 たしかに脳の質はあるでしょうが、私が想像するに脳と努力の比率は3:7です。あなたはおそらく高校受験戦争のところだけ考えているのでよく見えてこないと思いますが、東大へ行くような人はもともと幼稚園からのお受験、難関私立小学校、中学校、高校を経過しているケースがほとんどです。つまり、生涯を通してクオリティの高い勉強をしてきているのです。公立一辺倒のわれわれ凡人には、到底ついていけるはずもありません。  このような問題を「文化資本」の問題といわれています。日本ではそれほど見えてこないですが、ようするに親が有能で大もうけすると、その子供にも質の良い教育がなされて、また有能になります。するとその子供も有能でお金をかせぐので、また孫も良い教育が施されて有能になります。このような循環構造を文化資本の格差といいます。  これはもともと存在したものです。過去、いわゆる貴族と呼ばれた人たちはこの状況にありました。今は経済的・文化的・政治的水準が底上げされているので、ある程度は万人に可能性がでてきています。  とはいえ、麻布高校、ラサール高校など有名高校を経過していない人はほとんど難関大学に入るのは大変です。  わたしが思うに結局、頭が良い人・何事もうまくやる人は「効率」を良く考える人だと思っています。効率というのを頭が良い人はかなり重視しています。効率はノウハウともいえます。どのようにすれば最短で、確実にできるのかをよく考えています。  私の知人に医学部志望で7浪中の人がいます。この人を見ていて本当に悲しくなってきます。彼は年上であるにもかかわらず、私のほうが先に大学を卒業してしまいました。しかし、彼の頭が悪いとは思いません。努力をしていないとも思いません。ただ効率が悪いのです。  効率が悪いというのは遊んでいるという意味ではありません。効率が悪いというのは、ある一定期間きちんと自分をコントロールして、勉強して確実さをつくれないということです。この人の場合、どうやら問題は精神面にあるようです。昨年はセンター試験で突如、緊張で倒れたらしく、保健室で受験するという何ともあわれなことになりました。  頭が悪い人はいつまでたっても効率のことを考えないのです。たとえ効率が悪くても、効率悪いことをもくもくとやります。時間数は同じでも、効率悪いことでは覚えも悪く、結果もついてきません。頭が良い人は失敗したら、まず自分の効率、やり方が正しいのかどうか、よくよく調べ考えなおします。  10時間以上机にかじりついているというのは、やはり幼き頃からそれを教練されていて、身体に馴染んでいるからです。いっぽうわれわれ凡人は幼き頃からさぼる、遊ぶほうに体がなれているので、フットワークがないのです。これは根本的には解決しえません。  ですからできることは効率を良くすることをいつも考える、ということくらいです。「いかに勉強しないで到達するか」を考えるのです。家での勉強の集中力が悪く、効率が悪いなら、家から出る癖をつけないといけません。図書館、マクドナルド、スタバなど。

noname#40359
質問者

お礼

ありがとうございます。やはり私も自分で効率悪いって思いました。むだに全力でいどんでて、でもやってる最中は無駄ってきづかない。なんてあほなんでしょう・・・。これからは今やってることは何の意味があるのか?どういうことにつながるのか?を検証しながらやっていきたいって思いました。

  • harepanda
  • ベストアンサー率30% (760/2474)
回答No.4

まあ、一橋の修士総代だから、話をする権利はあるかな、と。 「頭が良い」って単純な言葉ですが、すごく難しい現象で、いろんな要素があるんですよ。 1)覚えたことをいつまでも忘れない 2)単純な数字の羅列とかを平然と覚えられる 3)概念的記憶ができる(2)の人とは違い単純記憶はできない 4)観察力や洞察力がするどく、物事の本質を分かっている 5)クリエイティビティがある 6)数学的処理能力が高い、計算が速い 7)文章の理解力と作文力が高い、弁論がうまい 8)情報を溜め込める量が多い 9)状況に応じた議論ができる 10)教養に裏づけされた人間性や社会現象への理解が深い このうち、私に当てはまるのは、3,4,5,7,9および10です。1は条件つきであてはまります。概念的に理解したものはいつまでも忘れませんが、パスワードや数字は覚えられません。プロフィールにも書かせていただいたエピソードですが、わたしは3桁の足し算・引き算の暗算ができないんです。仲間が全員、暗算で計算を済ませていた頃、わたしは必死でホワイトボードで計算してました。繰り上がり、繰り下がりが2回続くと、もう頭の処理能力を超えるんです。そんなやつでも、文系大学の修士総代になれるということです。 上記の条件をすべて満たす人というのは少なくて、たいてい、どこかの分野が強い人がいて、それが環境にあった場合、強みを発揮するというのが「頭のよさ」という現象だと思います。わたしはたくさんの人と接してきましたが、頭のよさが様々な要素で成り立っている以上、すべての能力において自分より劣っているとか、全ての能力において自分より優れているという人は、ほとんど会うことがありません。だから、頭の良いひとは、「脳の構造はみんな一緒。努力の違いだよ」というのではないでしょうか。例えば私は海外留学経験ゼロですが、アメリカ人もびっくりの英語力を持ってます。理由は簡単。大学時代4年間を、新聞は英字、ニュースも英語という習慣を続けたからです。これは典型的な努力の成果ですよね。 結論を言えば、人間の能力なんか、大差ないと思っています。ただ、得意・不得意分野に差があるだけです。石原都知事が言ってますが、知能指数テストなんか何の意味もない、3回受けたら慣れて成績が上がった、とのことです。 これまで生きてきて、自分よりどの能力をとっても優れていると感じた人は一人だけで、大学院の先輩です。この人ですら、いつまでもポスドクで就職先がないのかと思って、わたしは博士課程進学をやめたのです。また、どの能力をとっても自分より劣っているという人も一人しか知りませんが、彼は自閉症なので、勘定に入れなくても良いと思います。 あなたが受験勉強は嫌いなのに読書は好きだというのは、本質的にはあなたは頭の良いひとの部類に入ると思いますけどね。読書量の多い人は、教養に裏付けられた人間や社会に対する洞察力が鍛えられています。もっと本を読めば、「知的になる」には十分ですよ。 ただ、国家試験を目指すとなると、「そのテストって、そもそも人間としての本当の頭の良さを測定できるものなの?どうよ?」って感じです。人間の能力のうち、単純・大量記憶能力と処理速度だけを測るようなテストなんじゃないですか?えてして、その手のテストって。これは、多分、私は合格できないと思います。もし、単純・大量記憶能力と処理速度だけを測るテストであれば、なんとか楽しみつつ、単純記憶ではなく、質問や問題設定の背後にある根本的な概念の本質をとらえる勉強法になるように工夫することが良いと思います。そうでないと、知的好奇心が続かないでしょ?簡単なことではありませんが、今は教えてGooみたいな便利なものもあるのですが、なぜそんな問題設定をするのか背景が分からないという興味をもって、知的好奇心を刺激されたら、どんどん、またカキコすればいいと思います。

noname#40359
質問者

お礼

文章構成下手で読みづらかったらすいません。 一橋ってすごいですね。あそこは神の領域です。まあ私だったら10浪したって受からないでしょう。「修士総代」っていうものがどういうものなのか私にとっては知るよしもないです。 1~10のどれもないです。 逆に悪いところを分析してみると・・・ ★忍耐力がない(1時間机に向かっていると飽きる) ってことです。ここにつきます。 回答者さんがおっしゃられるように >「もし、単純・大量記憶能力と処理速度だけを測るテストであれば、なんとか楽しみつつ、単純記憶ではなく、質問や問題設定の背後にある根本的な概念の本質をとらえる勉強法になるように工夫することが良い」 まさにそのとおりです。この「単純・大量記憶能力と処理速度だけを測るテスト(国家試験といいましたが、具体的には公務員採用試験です)」なので、おもしろみもくそもありません。飽きるんです。 なので好きな読書にはまります(笑)。しかも難しいのではなく、斉藤孝さんの本、養老たけしさんとか、庶民でも理解できる本です。 追加質問 1)大学院とのことですが、当然その分野に興味があると思うのですが、その研究・勉強は何時間続けても飽きないのでしょうか?「今日だけはもう勉強するのも嫌っていう日もあるんでしょうか?」。 私は勉強(受験)やる気が起きないんです。それはやはり回答者さんの言うように知的好奇心が問題集かたは感じられないからです。 例えば、簡単に言うと・・・ 「予算の先議権が衆議院にはある」ってのを覚えようとしてもこんなこと覚えてなにがおもしろいんだろう?やはり忍耐。ってなります。 背景とかおぼえたりしたらいいんでしょうけど・・・。 (でもそんな深く勉強している場合ではない) 2)こっちは余談なのですが、私はあほであることにかなりの知的コンプレックスがあります。大学もいいところ出てません。自分がもっと頭良かったら(一橋卒とかだったら人生幸せだっただろうなあ)って思ったりも(かなりの妄想ですいません。行けるはずはないんですが)。 「一流大卒=一流企業=幸せ」になれる構造があります。 一橋卒の人でも壮絶な人生送っている人とかいるんでしょうか? (ってこれをきいて優越感にひたりたいわけでもないです。ただ一橋のような雲の上の存在の人たちはどういう人生を歩まれているのか興味あるんです)

  • green1957
  • ベストアンサー率32% (68/209)
回答No.3

解決につながる回答じゃなくて申し訳ありませんが。 keleyuewqqさんは、国家試験にも受かりたいと書いておられますが、何の国家試験に受かりたいのか、そのために今までどのような勉強をされてきたのか。 そういった具体的なことを書かれたうえで、その試験のための勉強方法などを尋ねられた方が、回答もしやすいと思うんです。 誰だって、大した努力もせずに一流大学や司法試験に合格するような頭は欲しいでしょうけど、無い物ねだりをしたって仕方がありません。 どだい純粋に頭が良くなる方法なんか無い訳ですし、まずは何の仕事がしたいかを決めて、そのために必要な資格に絞った勉強をする。 そうすれば、「だったらこういう勉強方法があるよ」とか、「この参考書が使いやすいよ」などのアドバイスを下さる人もいると思いますよ。 自分は受験勉強が嫌いで忍耐力が無いけど、頭が良くなって何かの試験に合格するにはどうすれば、なんて質問に答えられる人はいないと思いますから。

noname#40359
質問者

お礼

ありがとうございました

回答No.2

>・勉強が楽しい >・おそるべき忍耐力がある 「勉強が楽しい」なら「忍耐」する必要はないですよね。  特に長期間ひたすら勉強をする人は「忍耐」なんかしていないと思います。  それじゃ続かないですよ。  勉強が長続きした人は次のいずれかに該当すると思います。 A 勉強が面白い(知的好奇心が満たされる・ライバルとの競争が楽しい等) B 勉強は面白くないが、対価として得られるものに十分な価値を見出している C 勉強することに疑問を持っていない(家族環境とかによる)  あなたはおそらく疑問を持っています。Cにはなれないですね。  AなりBなりを目指すのはどうでしょうか(ABの中間もありだとおもいます)。  昔と比べるとスポーツトレーニングもずいぶん科学的になりました。  勉強のハウツー本もそれに連動して、以下に効率よく勉強するかをテーマにするものが多いですね。  ご質問に答える内容の本は本屋で山のように売ってます。  楽しくない勉強を楽しくする工夫とか(→Aになる)、  モチベーションを高いレベルに維持する工夫とか(→Bになる)。    さらっと立ち読みして、お好きなものを買ってください。  あ、ちなみに私も勉強苦手でしたが今はBタイプです。

noname#40359
質問者

お礼

ありがとうございました タイプをわけて分析しておく必要があるんですね 今の段階ではAではないです私。 もっと分析してみます

  • koko_u_
  • ベストアンサー率18% (459/2509)
回答No.1

思ったことをちょっとだけ。 生物というカテゴリで見れば、脳の構造はまったく同じです。しかし、個体ごとに向き不向きはあります。そうでなければ多様性が得られません。 国家試験に受かることと、頭が良くなることの間には若干の差異があるでしょう。後者の方が明らかに困難です。 結局の所、試験対策と呼ばれるようなアレコレを地味に積み重ねて、それでも合格しなければ、自分には向いていなかったと諦めるしかないと思います。 努力すれば必ず合格できるなどとは私には言えません。しかし努力以外にできることがないのもまた事実です。

noname#40359
質問者

お礼

ありがとうございました

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