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『多数決』と『審議拒否』について

noname#2804の回答

noname#2804
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回答No.2

 『多数決の原理』の裏には『少数意見の尊重・反映』というものが前提にあるはずです。ですから多数派は常に少数派を無視すべきでないというのが本筋でしょう。  ただ少数派は多数派に受け入れやすい対案を作るべきであって、それができないから無視されるというのも多数派の言い分になるかもしれません。  審議拒否は少数派の『最後の抵抗手段』なのでしょうが、格式ある議会で多数・少数派がそれぞれの役割をきちんと果たしていた時代ならともかく、現在の日本の状況(多数決の濫用)では何の意味もありません。国民代表としての役割を放棄しているといわれても仕方ないでしょう。

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