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大乗経典の成り立ちについて

les-minの回答

  • les-min
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回答No.6

#1・3です。  ご丁寧な御礼有り難うございました。たびたびにすみません。不勉強なもので、本当にネタが切れてきてますし、お詳しい方もおられるので気が引けますが・・・御礼に記していただいた点について。  「私の中では経典の製作者としては、学者的な、あるいは官僚的、書記官的なプロフェッショナルの方がイメージしやすいというのも本音ではあります。」  とされておられますが、自分も「製作集団」のイメージはほぼ同じです。たぶん(おそらく確実に)編集者や執筆者みたいな人達がいただろうと思います。加えてその集団の「核」に高次の宗教的実践者がいる、というイメージでしょうか。  宗教的実践者が経典の文言を記した、というよりも、実践者の内的体験を手がかりに、その周囲の学者や教養人たちが実際の文言を記し、推敲されていった、という感じでしょうか。  実際、代表的な経典は、まず中核になる部分ができ、その後徐々に整えられたと考えられています。  大乗仏教興隆時には、そういう聖俗複合で、多彩な人材が集まるグループがいくつもあったのだろうと想像しています。  お釈迦さまと同じ境地に至った実践者が複数いた、という旨の前回の回答内容は、あるいはそういう複数の教養人達が寄り集まったことによって見える「幻影」である可能性は確かにあるとは思ってはいます。  「釈尊と同じ境地に至った人物がいる」ということこそ大乗仏教のタテマエかもしれません。(それはそれでオチがついて良いですが。)  ただ、そうなると経典を製作した教養人たちの「熱情」や「動機」はどこから来たのか?という話になります。  上座部系仏教徒への不満、という動機は強いようでいて、それだけではちと弱いように思うわけです。もう一つ何か必要だと。仏教の普遍性・真理性を強く確信できる何か。それはやはり宗教的な確信だったのかな、と思うわけです。    論書に関して、自分はほんの数冊、現代語訳や訓読文にされたものを拾い読みした程度ですが、上座部系部派にしても、そして大乗仏教になるとさらに、この論述に対する強烈な熱情はいったいどこから湧いてくるのか??と不思議でした。  大乗経典は、論書以上のエネルギーを持って作成されたと思いますし、経典の持つ表現・世界観を考えると、何らかの宗教的体験がベースになっているように思えたわけです。  常に釈尊を通じた形で「法」を見ていた上座部系部派とは異なる図式(釈尊と法を分けた)となった大乗仏教も、常に釈尊を念頭においていたことは、仏滅後1000年ほどたって成立した密教経典「大日経」の有名な「三句の法門」を含む第一章「住心品」を知った時に感じました。  悟りを得た者の智慧とは何かという問いに「菩提心を因となし、悲(慈悲)を根本となし、方便を究竟となす」という答えが挙げられています。  大日経は、とうとう釈尊が説いた形にもなっておらず、法身大日如来が説いたという形になっており、本来人格のない「真理」大日如来が法を説くという、普遍性と方便性を強く意識した経典になっています。  そこで説かれる「覚者の智慧の内実」(三句の法門)は釈尊の求道と成道・転法輪の決意・説法の方法を下敷きにしたものになっており、その智慧のその内実は「実の如く自心を知る(如実知自心)」ことだとされていて、「自らを拠り所とせよ」「法を拠り所とせよ」と説かれている最初期の経典を思わせます。  常にお釈迦さまを意識しつつも、悟りの内実とその真理性・普遍性を探求し、ある時は「方便」と割り切り、ある時は真剣に「方便」たるべきものを目指して本来表現を超えた世界をそれでも表現しようとした熱情の結晶。  是非や評価はどうあれ、大乗経典とはそういうものだと思っています。    たびたびにごめんなさい。お邪魔しました。  

chongaa
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 週末に『バウッダ』読みました。 大変興味深く、No.2の方、les-minさんお二人が推薦して下さった理由がよく分かりました。 もともとは私の関心は主に仏教の思想にあります。 明確な思想発表の場が無かった近代以前のインド、アジア地域では、仏教は優れた思想家達が知力を競い合う、今日の大学や学会に近いような、そういう学問所的側面があったかと思います。もともとお釈迦様も実践的思想家のひとりであったわけですし…。 大乗経典の作成がそういう学問的エネルギー・情熱の発散場所となったという側面はないでしょうか? 一方で、仏教と単なる学問所の相違点は当然、宗教的実践と聖域(釈迦)の有無だと思います。仮に教団に思想的天才が出現したとしても、宗教的体験を得られなかった場合は、それでも盲目的に信じるか、思想的に妥協するか、教団を辞するしか選択肢がないと、そういうことはあったのではないでしょうか? それと、回答者さんも書かれているように、方便の必要性ということもあると思います。 教義を分かりやすく説くというだけでなく、現世利益や加持祈祷、組織としての現実問題からくる社会的、政治的要請への対応というのも時代が下るほど大きな問題となったかと思います。 それで、結局何が言いたいのかというと、経典というのは絶対なもの(というたてまえ)であるだけに教団内外からのすべての働きかけに対する拠り所とされる可能性があり、それだけに仏教を取り巻く二重構造や矛盾それぞれを飲み込んだ内容でなければならず、個人の責任で個別事情に即して書ける論書とは性質も重要性も全く異なり、いくら偉いお坊さんでも単独で、個人的見解のみで作成するようなことはやはり許されなかったのかなあと、そういう認識を持ちました。 宗教体験の実際については勿論分かりませんが、私の考えはやや懐疑的な傾向であるように自覚はしています。 それは必ずしも信仰の純粋さが損なわれるような形ではなく、les-minさんもあげていらっしゃるような共同幻影や、あくまで「理想」としての覚りであっても大乗仏教は成立しうると思います。 しかし、いずれにしても大乗仏教がある意味無節操な器量の大きさで聖俗・清濁受け入れたことが深みのある魅力と普遍性の獲得に寄与した側面はあるのではないかと思います。

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