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なぜ科学技術が発展しているのに、労働時間は減らないの?

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回答No.25

地球とか人類とかまでテーマを広げて考えていいのだと思います。もうそうゆう時代に来ていると思います。昔の人も言っていたかも。 私の背景話ですが… 親と別世帯で暮らすことは、教育的に経済的にいいのか?生活レベルを維持するために共働きし、子供は託児所に、祖父母は老人ホームへ預けてしまう。それは教育的に経済的にいいのか?一方では失業者があふれているといい、一方では労働力が足りないから女性の社会進出を促進しなければいけないといい、一体どっちが本当なのか?共働きの片方が家庭に入ったらどうなるのか?ゆくゆくは夫だけの収入で生活できるようになりはしないか?もしそうなら、託児所や老人ホームのために働き始まったことは、実は他の誰かの私腹を肥やしているだけになってないか?本当は仕事やお金以外にももっと考えなければいけないことがあるのではないか?地域のためにやらなければいけないことがあるのではないか?協力し合える親族や仲間が近くにいれば、託児所も老人ホームもいらないし、現状でも夫だけの収入で大丈夫なのではないか?教育にお金を掛けることは必要か?大学まで行く必要がある人は本当はもっと少ないのではないか?大学のための学費や時間は無駄ではないか?社会全体としても高卒から労働力を得た方が得ではないか?いまや3Kといわれる仕事にまで大卒がどんどん入ってきている。その人生の歩みは本当にまともなのか?私の場合で言えば、大学で学んだことでためになったものは心理学とかの数科目程度です。それ以外は高校レベルに毛が生えたようなもの。何も4年間を費やして学ぶほどのものではなかったです。そしてそこで学んだことを活かした仕事に就いてもいません。人並み以上の職でもありません。むしろ高卒で就職した仲間の方がいいくらいです。なんと無駄の多い人生でしょう。高卒で働き始まった方がよほど社会のためになったかもしれません。 そんなある日、海外旅行をしてみました。たくさんの国と、都市部と農村部を見て回りました。そこで気付いたことは、農村部の人々はとてものんびり暮らしているのに対し、都市部の人々はせかせかして暮らしていることでした。ある片田舎の家にお邪魔したときは、地元の食事を振舞われ、彼らは地元の素晴らしさをうれしそうに話すのです。その家族の子供は建築系の大学に通っており、将来設計士になりたいそうです。父が大工でその後を継ぐということでした。父を尊敬し、地元のために生きようとしていました。しかもそれが過酷な生活の中で行われているわけではありません。とてもゆったりとした生活の中で営まれているのです。車やパソコンなど必要なものはあるし、どうしてこんな心の伴った豊かな生活ができるのか不思議でした。 日本に帰ってきてからは両親や祖父に質問してみました。昔はもっと大変だったのかと。ところが答えは、物がないだけで今みたいにせかせかした生活ではなかったというのです。競争はもちろんあったけれど、今のように他人よりも速く、多く、効率よくと絶え間なく要求されるような労働ではなかったといいます。更に、今のように仕事をしているのに将来が不安だという精神状態ではなかったといいます。 海外の片田舎の話も日本の昔の話も、それがすべてではないと思いますが、今の日本は全体的に心が病んでいるように思えてなりません。私の周りの親族も友人も皆不安を抱えています。仕事は大丈夫だろうか?子供は?教育は?親は?老後は?そして漠然と大丈夫だろうか?と、多くの不安を抱えているのです。あの海外の片田舎で会った家族の精神的に落ち着いて充実している笑顔を見せる者が、一人もいないのです。 私の経済に対する疑問が出てきたのは、こんなことがきっかけでした。 人は本来、もっと豊かに生きていけるのでは?それは楽して得られるものではないと思いますが、過酷を極める必要もないのだと思うのです。では何が原因でそれが可能にならないのか?ゆとり教育はゆとりにつながらないのでは?やらなければいけないことは利益の適正な分配ではなかったか?でも政治はその真逆の政策(大企業や経営陣側に有利な規制緩和)をしてきたのでは?利益はどこかに消えてないか?日本の特別会計は使い切っているのか?それとも溜め込んでいるのか?などと考えるに至った次第です。 更に、今日ではマーケティングは常識になりました。消費者を喚起させる力とそれにのせられる消費者意識に歯止めがきかなくなっていないか?豊かさは、もの作りに比例するのではなく、心作りに比例するのではないか?実はそんな力が経済学で導き出した計算より、飛躍的に豊かな生活を国民に導くかもしれませんね。私の未熟な脳の中身です。 個人的には、生命について、社会のあり方や宗教のあり方について、もちろん心理学や哲学からの見解も詳しい方がいたら聞きたいですね。

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