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あなたの心の本音を聞いて差別意識はありますか?

人権擁護法案、言葉狩り、外国人、性、障害者、同和など、数えたらきりが無いほどの諸差別問題がありますね。家族、親族、友人、同僚などでそうした話をすると殆ど全ての人が「差別はいけない」という旨の意見を言うと思いますが果たしてその人たちは心の底から言っているのでしょうか?勿論"本音と建前"はあると思いますし立場などもあると思います。私個人の意見としては差別や偏見は「あって当然」と思います。ただそれを公然と言動に出さないだけで心の奥底にはあるのではないでしょうか?勿論差別や偏見が全く無い世の中であれば素晴らしいと思いますが人類が存在する限り事実上不可能な気がします。質問はズバリ、 「本音で差別意識はあるかないか?」 で教えてください。なお、理由や賛成意見、反対意見などが追記されていればうれしいです。よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • sakura-333
  • ベストアンサー率10% (933/8786)
回答No.7

外見も違えば、考えも違う人間の集まりなのだから、差別はあって当然だと思います。 「差別はいけない」というのは「差別はあっても平等に接するようにしましょう」という意味ではないでしょうか? 言動に出せば、当然争いが起きます。 相手の立場や考え方を理解しようとする姿勢が大切ですよと・・ 差別や偏見のない世界は、同時に個性も失われてしまう気がしますが。

duusan
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 「差別はあっても平等に接するようにしましょう」 特にこの一言に感じる物が大きかったです。"あって当然"と"差別(言動)して当然"は意味が全く異なりますよね、お恥ずかしい話ですがそんな事にあなたの回答を読むまで気づきませんでした。貴重なご意見ありがとうございました。

その他の回答 (6)

  • Devil-Ear
  • ベストアンサー率21% (739/3450)
回答No.6

私は差別をする人に対して結構な嫌悪感を抱きますので、それも差別というならヤハリ誰にでも差別する心はあると思います。

duusan
質問者

お礼

回答ありがとうございます。参考にさせていただきます。

noname#61653
noname#61653
回答No.5

自分とは違う者に対して違和感や畏怖を覚える感情は誰にでもあると思います。 実際、人権擁護の考え方や法律のなかった時代には不当な差別を受けてきた人達がそれは多くいました。 しかし人間の本当の本音は差別はあってはならない、という考えの方ではないでしょうか。 生まれてきてはいけない人間はいない、そう信じたいのが人間なのではないでしょうか。 しかし現実にはそれが立ちゆかず本音は理想に終わってしまっている事が多いでしょう。 中には堂々と差別意識をもった人もいます。 私は長くそれと闘ってきた友人がいます。その人は二重に差別の対象となる性質を持っている人です。 しかし私は出会った時からその友人に差別偏見の意識を持ったことがありません。 同情もしたことがありません。なぜなら差別をしている人間よりも立派に生きていて不自由もしていないからです。 その友人を通じて差別というものが現実に世の中に存在する事実を知りました。 差別をする人間を可哀相だと思いました。差別される側よりもです。 ズバリ、私には差別意識はないけれど偏見はあります。差別する人間を見下してしまうという偏見です。

duusan
質問者

お礼

回答ありがとうございます。理想論も現実論も併せた貴重なご意見、とても参考になります。

  • ketagri
  • ベストアンサー率32% (26/80)
回答No.4

>本音で差別意識はあるかないか? やっぱりあるんじゃないですかね。たぶん自分の中にも差別意識はあると思いますよ。誰だって優越感を感じたいし、わけのわからない嫌悪感とかもあるでしょうし。 差別する感情を根こそぎ無くそうするのは無理だと思います。それとは別に、社会的というか雰囲気みたいなもの、例えば出身地や生まれによってのみ判断されるとか、つまり特定の人がたいした根拠も無く貶められるのは解消すべきでしょう(行き過ぎはダメですが)。 すべてにおいて清廉潔白を求めるのは不可能です。が、何がきっかけで人間変わるかわからないし、とりあえず外面だけ取り繕うというのもアリだと思いますよ。要は自分の感情を受けいれて、どう対処すれば良いかを考えれば良いんじゃないでしょうか。 自分の本音に気づかないフリをして良い人を演じるのは、しょせん思考停止になってるだけかもしれませんね。

duusan
質問者

お礼

回答ありがとうございます。優越感と嫌悪感、やはり表裏一体ですね。 参考にさせていただきます。

noname#58692
noname#58692
回答No.3

賛成でも反対でもないです。 あるかないかと言われればありますよ。 差別は歴史的、社会的な必然と考えます。 「差別をいけない」という人は「差別をしなくてもいい(恵まれた)位置にいる人」だと思います。 ただ、差別が生命や生活を脅かすものは許されないし、解消すべきだと思います。 そのためには誰もが差別意識のあることを自覚するところから始めるべきだとも思ってます。 問題のないところに解決はないわけで、今は臭いものにふたをし、解決以前に問題をみない状況だからです。

duusan
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >ただ、差別が生命や生活を脅かすものは許されないし、解消すべきだと思います。 この部分が何と言いますか、心に響きました。参考にさせていただきます。

回答No.2

どちらかというと差別される側ではありますけど、私自身はバカは嫌いですから差別しますね。 こういう時代ですから知恵と知性を持ち合わせている人がやはり強いですね。

duusan
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 ご意見を参考にさせていただきます。

  • tky-ny
  • ベストアンサー率27% (275/1003)
回答No.1

少しご質問の内容から読み取れない部分があります。 ・差別はいけない、と口にする人も含め、全ての人間の心の中に必ず差別意識が「あって当然」 ・世の中一般的に、差別があり、一部の方が不当な扱いを受けるという現状・将来が「あって当然」 どちらを指しているのでしょう。 前者は、それぞれの人によって違うでしょう。本当に差別意識がない方もいると思います。 私は、自分自身の中にある、特定の団体や国籍の方に対するマイナスイメージが「差別」なのか、「嫌悪感」なのか(つまり、根拠があるかどうか)、自分でも分りかねるときがあります。よって、私の心の中にはないとは言い切れません。 後者は、あって当然という表現が正しいかどうかは別として、無くなることは現実的にはないと思います。無くすように努力していくことは必要だと考えますし、私もそれに寄与したいですが。

duusan
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 解りにくい書き方をしたようですね、聞きたかったのは前者です。 が、両者共にご意見を頂きましたのでお礼とさせて頂きました、貴重なご意見ありがとうございました。

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