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上屋敷、中屋敷、下屋敷
江戸時代にかんする本を読んでいたら、大名が住まう「上屋敷」「中屋敷」「下屋敷」という語が出てきます。これらの意味がわかりません。なにをもって上中下なのでしょうか?北、南、という意味?
- eurekamazeltov
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「江戸お留守居役の日記ー寛永期の萩藩邸」という本によると、 萩藩主は下屋敷に暮らしています。 藩主の住む屋敷を「居屋敷」といい、幕府に届け出る必要があったということから考えると、<藩主は上屋敷に>というものでもなかったようです。萩藩では上屋敷はお留守居役に任されていました。 中屋敷は一般に隠居した藩主の屋敷です。
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- 6dou_rinne
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上屋敷というのは普通は藩主が住む屋敷です。当然1つしかありません。 中屋敷はないところもたくさんありますが、中屋敷、下屋敷というのは藩主の父が隠居して住む屋敷だったり、上屋敷が焼けたりしたときの予備の屋敷だったり、別荘だったり、倉庫だったりいろいろで藩によっては10いじょうもっていたようなところもあります。 たいてい上屋敷は江戸城に近いところにありますが、下屋敷は江戸市中にある場合もあれば郊外にある場合もあります。 これは江戸だけではなく各大名も地元に下屋敷をもっていたりすることもありました。(上屋敷に相当する屋敷はすべての大名がもっていましたが。)
- mat983
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http://www.uraken.net/rekishi/reki-nihon005.html 上屋敷とは? まず、この上中下の簡単な区別基準ですが、江戸城から見た距離を指します。つまり、江戸城に一番近いものが上屋敷となります。 そして。ここに大名とその家族が暮らしました。上屋敷の敷地は幕府から拝領したもの。 中屋敷とは? 中屋敷は、当然上屋敷と下屋敷の中間に位置する屋敷ですが、これも江戸城近く、外堀外苑に配置されました。後に嫡子が住んだり、ご隠居様が住む屋敷として機能していきますし、その他、下屋敷も含め、国元から参勤交代で殿様に従ってきた人達が居住。ちなみに彼らは勤番と呼ばれ、半年~1年の任期で滞在。単身赴任です! 下屋敷とは? 下屋敷には色々な機能があります。一つは、大名の別邸。 下屋敷には、上屋敷などの食料を運ぶために菜園が設けられたり、海岸に設置された下屋敷では荷揚げ場として利用されていたりもします。ちなみに「下屋敷」という言葉は、何も江戸だけではなく地方でも上級藩士が別邸として作ることもあります。ですから、いまも○○下屋敷跡という建物が残っていたり、地名に「下屋敷」というのを持つ市町村があります。
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