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心の声の場所は?

・心の声の場所は? 質問があります。 医学・生物学などに詳しい方 ご回答を宜しくお願い致します。 私は、思考は、脳で行っていると思うのですが、 私たちが内部・体内で物事を声として考える 心の声というのはどこで行われているのでしょうか?。 私は、喉、咽喉で筋肉を声にならない程度に 微笑に運動させて 行っていると思うのですが。 このようなことにお詳しい方 ご回答宜しくお願い致します。 私は、物を考えるときに声として思い、考える この声の発生している場所を知りたいのです。 後、是非、是非ご回答いただきたいのですが、 そのような事を書いた書籍なども出来ればお教えください。 確かな資料作りに役立てたいと考えておりますので 宜しくお願い致します。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • ruehas
  • ベストアンサー率68% (816/1194)
回答No.5

こんにちは。 ANo.4です。回答をお読み頂き、ありがとうございます。 前回答では質問者さんが最も疑問と思われます点に説明が不足していたのではないかと思います。たいへん申し訳ないことであります。ですが、幸いにも補足を頂き、これで解決すべき問題が全てはっきりと致しました。 では、最初に最も重要な点に就きましてはっきりとさせておかなければならないのですが、質問者さんのお考えは、我々の脳内に響く「心の声」というのは咽頭などの発話器官によって発生した物理的振動が知覚されたものではないかということですが、まずですね、これはそういうことではないです。宜しいでしょうか、それは事実ではありません。 これに就きましては、今回は説明不足の無きよう責任を持ってきちんと説明をさせて頂きます。また、どうして心の声に合わせて咽頭の感覚や呼吸のリズムなどが変わってしまうのかというのもちゃんと説明を用意致しましたのでご安心下さい。 まず、「心の声」では咽頭や声帯などの言語運動は行われておらず、物理的な音声は何も発振されていません。では、音声が発生していないのにどうしてそれを聞くことができるのかといいますならば、それは「心の声」といいますのは外界から入力される音声信号ではなく、我々の脳内に保持されている「聴覚言語記憶の再生」であるからです。 では、もし仮に実際の発話器官を使わなければ心の声を聞くことができないとしますならば、我々は「過去に聴いた音楽の記憶」などを脳内に再生するとき、咽頭や声帯などを振動させ、ピアノやバイオリンの音を作り出さなければならないということになってしまいます。 そんな器用なことは誰もしていませんよね。つまり、我々はわざわざ物理的な音声を生み出さなくとも「心の声」や「過去の音楽」を聴くことは幾らでもできるわけです。それが何故かと言いますならば、このようなものは外部環境からの知覚入力ではなく、「内部記憶情報の再生」であるからです。 では、どうして我々は脳内で記憶などの「情報」を聴くことができるのでしょうか。果たして、我々が脳内でこのような「知覚情報」や「記憶情報」を聞くことを「認知」といいます。 「心の声」の場所であると申し上げました「側頭葉・聴覚言語野」といいますのは、我々の脳内では「聴覚言語情報を司る認知機関」であり、その機能は「言語専門の聴覚連合野」に当たります。 聴覚情報といいますのは大脳皮質に入力される過程で「音程」「音質」「音量」といった、それぞれの特徴に基づいて分類・選別されます。このようにして「知覚処理」された聴覚情報はその認知機関である「聴覚連合野」に送られるわけですが、「言語としての特徴を持つ」と知覚された情報はこれとは別の経路で「側頭葉・聴覚言語野」に送られ「聴覚言語」として認知されます。 我々動物にとって「音」といいますのは物理現象として外界に発生した空気振動が聴覚器官によって信号化され、聴覚野において知覚処理の成された「聴覚情報」です。我々の脳内で扱われる「感覚情報」といいますのは、その全てが身体内外に発生した何らかの化学・物理現象が感覚器官によって神経信号に変換され、それぞれの感覚野において知覚処理されたものです。そして、我々が「何かを感じる」ということは、それは情報化された入力が担当の連合野において認知されるということです。 さて、我々の脳内で扱われている「音」といいますのはその全てが信号化された「聴覚情報」であります。そして、先に申し上げました通り、脳内で「情報を聞く」ということを「認知」といいます。ならば、我々が何かの音を聴くということは、それは物理情報に対して聴覚・知覚などの情報処理を行なうことではありません。我々が「音を聴く」ということは、処理された情報が聴覚連合野に入力され、認知されるということであります。 このように、聴覚・知覚処理だけでは聞こえてはいるが聴いたことにはなりません。何故かと申しますと、それは知覚処理だけで認知という作業が行われない限り、我々の大脳皮質においては如何なる情報も思考・記憶・言語化の対象にはならないからです。果たして、思考・言語化の対象にならないのですから、これでは心の声が聞こえてくるということはありません。ならば、逆に認知作業さえ行われるならば外界からの物理的刺激が実際に入力されなくとも「心の声」は聞こえるということになります。 では、外界に現象が発生していないのですから、その「認知を行うための情報」というのはいったい何処から入力されるのでしょうか。過去の音楽といいますのは今現在、外界に発生する現象ではなく、脳内の記憶層の方から聴覚連合野に対して入力された情報が認知されたものです。同様に、「心の声」とは言語運動によって作り出された実際の音声ではなく、言語記憶情報の想起が聴覚言語野で認知されることによって聞こえる、外部入力の伴わない聴覚言語情報ということになります。 このように、「心の声」といいますのは脳内に保持されている「言語記憶の再生」であり、側頭葉・聴覚言語野に対して言語記憶層からの入力が成されることによって聞こえています。 さて、ここで「言語化」というものを少し整理しておかなければなりませんが、まず、言語情報が言語野に入力され認知されるというのは、これは「言語認知」であり「言語化」ではありません。言語化といいますのは、例えば視覚情報や思考、感情など、飽くまで言語以外で取り扱われている情報に対し、それを言葉にして表象するということであります。ならば、言語野といいますのは言語以外の情報を扱うことはできないのですから、少なくとも言語化といいますのは言語野で行なわれている作業ではないということになります。そして更に、ここで行なわれる言語認知といいますのは飽くまで入力された言語情報がどの言語記憶と一致するのかということでありますから、言語中枢にはその言葉の意味を論理的に判定するという機能はありません。ならば、言葉の意味理解を必要とする言語化の作業には、その概念というものを扱う「概念中枢」なるものがどうしても必要となり、言語化とはそこで行なわれていることになります。 但し、この「概念中枢」といいますのは言葉の意味を扱うことのできない言語野の高次中枢として必ずや存在しなければならないというのは間違いのないことではあるのですが、それが脳内の何処にあり、どのような機能であるのかといったことは特定のできるものではありません。強いて申しましても、その解釈は海馬から前頭連合野などの広域に渡り論理的な情報を扱う新皮質の高次な思考能力といったあいまいなものでしかありません。 何れにしましても、言語化といいますのは言語中枢ではなく、このような「高次な概念中枢機能」によって行われており、入力された抽象的現象を言語によって表象化するためには、我々が保持するする無数の言語記憶情報の中からそれに対応する適切な情報が整然と選び出されなければなりません。このため、我々が何らかの思考を行うならば言語記憶層からはそのたびに言語化に必要な情報が次々と引っ張り出されてくるわけですから、聴覚言語野は必然的にこれに対する認知作業を延々と繰り返すことになります。これが、我々の脳内に聞こえる「心の声」の正体であります。 このように、「心の声」といいますのは我々が思考・言語化を行なうために脳内に想起される情報であり、実際の言語運動が伴うものではありません。では、言語運動が成されていないにも拘らす、脳内に響くこの心の声に従って咽頭の感覚や呼吸のリズムといった、我々の身体に様々な変化が現れるのはどうしてでしょうか。 言語運動は「運動言語野」によって制御されています。 言語野には「感覚言語野」と「運動言語野」があります。 感覚言語野とは、これまでの「聴覚言語(言葉)」と、もうひとつ「視覚言語(文字)」を司る機能であり、「感覚器官からの入力に対する言語認知」というのがその役割であります。これに対しまして、「運動言語野」といいますのは脳内で言語化された情報を基に声帯や口の動きといったものを統合するための「運動神経系への出力を制御する機能」であり、これによって行われる「発話作業」と「筆記作業」を含めて「言語運動」といいます。 さて、先に申し上げました通り、この感覚言語野と運動言語野には、共に「意味理解によって言語化を行う機能」というものはありません。このため、そこには「概念中枢」という高次機能が必要となり、言語化はそちらで行なわれています。ですから、これまでご説明致しました通り、聴覚言語野といいますの「高次概念機能」によって言語化された結果を聞いているということになります。 では、言語運動を制御する「運動言語野」といいますのは、この高次機能によって言語化された情報を運動命令として出力しているわけです。ならば、心の声が言語化されると同時に咽頭や呼吸などが協調するのは、それは運動言語野によって司られる言語運動ではないか――、ということになります。 実は、私も最初はそう思いました。ですが、そうではありません。 では、このような心の声に伴う身体反応が「言語運動とは言えない」と結論付ける理由はふたつあります。 さて、我々の話し言葉には「抑揚」や「感情」といったものがあり、会話とは「知性」や「計画性」を持って行なわれるものです。ですが、このようなものは運動言語野によってコントロールされるものではありません。 何故かといいますと、まず言語野には意味理解というものができません。そして、高次概念中枢において行なわれる言語化とは、思考に基づき、論理的に矛盾の発生しない結果として構成されるものですが、そこには「状況に応じた計画性」や「抑揚や情動の判定」を行なうための情報は一切全く含まれていません。従いまして、このような要素によって我々の身体に発生する反応といいますのは、これらは全て運動言語野の言語運動として作られたものではないということになります。 では、このような要素は何処で作られているのかと言いますと、まず、抑揚や感情を決定するための「情動反応」といいますのは、大脳皮質の思考とは全く別に「大脳辺縁系」というところで行なわれています。ですから、我々の言葉に「感情や抑揚」が伴うためには、与えられた状況に応じて既に何らかの情動が発生しているか、あるいは、大脳皮質での思考・言語化の結果に対して大脳辺縁系での新たな判定が下されるか、どちらかが成されたあとでなければなりません。そして、この作業は言語運動とは全く別に並列回路で行なわれており、それを整理致しますと以下のようになります。 「言語化→運動言語野→前運動野→一次運動野→発話行動」 「大脳辺縁系の情動反応→一次運動野→情動行動」 この二つの経路は身体に対して運動命令を出力する「一次運動野」で合流し、果たして「運動言語野の発話行動」と「大脳辺縁系の情動行動」、この両者の融合したものが「感情のこもった話し方」ということになります。 では、会話の「効率や計画性」といったものは、これは大脳皮質の状況判断により「前運動野」においてプログラムされるものです。この結果が「一次運動野」を介して出力されることにより、我々は理性行動というものを実現します。 従いまして、 「計画的な会話:大脳皮質」 「感情のこもった会話:大脳辺縁系」 「正しい発話:運動言語野」 これらの要素は全くバラバラに作られたのち、運動命令を出力する一次運動野に集まってくるということになります。そして、これがどういうことかと申しますと、それぞれの回路ではそれぞれの行動や結果というものが任意に選択されているわけですから、別に運動言語野に発話命令が下されていなくとも反応は幾らでも発生してしまうということです。ならば、我々の身体に発生する様々な変化といいますのは、それは「心の声」を聞くことによって発生した「思考」や「情動」に伴って生み出される方の結果であり、運動言語野の言語運動とは全く無関係ということになるわけです。ですから、我々が小説などを楽しむとき、心の声が早くなったり強くなったりしますのは、これは言語運動ではなく、大脳辺縁系の情動反応であります。 次に、二つ目の理由としましては、言語運動も運動である限り、何らかの「動機付け」が成されなければ選択されることはないということです。 本能行動は除きますが、我々の脳内で「行動選択の動機付け」を行なうのは唯一「YES・NO/好き・嫌い」の判定を下すことのできる大脳辺縁系であります。大脳皮質には運動言語野に対して「発話命令」を下すことはできますが、発話命令を出すための「動機」を生み出すことはできません。意識行動・無意識行動の別なく、最終的には、それは全て大脳辺縁系の判定に委ねられます。 では、「心の声」といいますのは大脳皮質における思考・言語化によって生み出されるものです。そして、行動選択の動機とは大脳皮質の内的作業だけでは作り出すことはできません。ならば、この心の声の発生そのものが言語運動を選択するための動機となることは絶対にあり得ないということになります。 「話す相手がいる」 「話す必要がある」 「どうしても話したい」 何らかの理由によって外的要因と内的要因が両立しない限り、我々の脳内で行動選択の動機付けが成されることはありません。ですから、我々が心の声を用いて内的な思考を行う場合、そのような必要性は必ずや何か別の原因によって発生するものでなければならず、心の声が発生しているからといって、断じてそれは言語運動が行われているということにはならないわけです。 さて、行動選択の動機付けを行なうのは「大脳辺縁系の情動反応」であり、大脳皮質の内的作業だけでは動機は発生しません。ではここで、「独り言」といいますのは明らかな言語運動であるわけですが、これはいったいどのようにして選択されるのでしょうか。 果たして、このような無意識行動の動機付けを行なうのも大脳辺縁系であり、何らかの入力情報を基に発生した情動反応によって選択される情動行動という、それは「無意識行動」であります。ですから、「独り言」といいますのは大脳辺縁系の情動反応に従い、心の声として言語化された情報が無意識のうちに一次運動野から外に出力されてまった結果ということになります。 このように、それが運動言語野で扱うことのできない要素であるならば間違いなくそれは言語運動ではありません。そして、我々がそこで言語運動を行なっているかいないかは「選択の動機」のある無しによって明確に区分されます。では、最後に残されたのは咽頭の感覚や呼吸のタイミングのように、明らかに心の声と同調し、あたかもそれを誘導しているかのように感じられる動作・反応であります。 間違いなくこれは、我々が頭の中で心の声をスムースに扱うために必要な要素であると思います。さて、ここで結論を急ぎますと、それは厳密には言語運動ではありません。では何かと言いますならば、それは我々が心の声を扱うことによって習得した習慣的な「熟練運動」であります。そして、熟練運動といいますのは運動言語野とは言わずそれに関わる様々な機能の協調によって成り立つものであり、唯一、その選択にいちいち動機というものは必要とされません。 このように、言語運動の動機付けが成されていない状態で発生し、尚且つ「発話」そのもの関わる要素といいますのは、それは我々が頭の中で心の声を扱うために学習獲得した「熟練運動」ということになります。 以上、このように「心の声」といいますのは物理的に発生した現象ではなく、咽頭などの生体反応は必ずしも言語運動ではないというのが今回の内容であります。 結果は心ならずも質問者さんのお考えを否定することとなってしまいます。ですが、ご説明申し上げましたのは飽くまで実際の脳の構造に基づくものであり、何かご不明な点がありますならば必ずや検討をさせて頂きますので、上記に就きましては平にご了承のうえ、これを以ちまして「心の声の構造」というものにご了解を頂けますならばこの上なく幸いであります。

kei0214
質問者

お礼

大変親切なお答えありがとうございました。 脳内の各部位のご説明など 私のような素人には、 完全に理解できない部分も多々ありましたが、 ruehas様の親切なご説明のおかげで 私のような者でもその内容をほぼ理解することが 出来ました。 本当にありがとうございました。 私が、読書や思考などをしているときに 体内で感じる咽喉部での声のようなものが 「熟練運動」によるものだというところが特に 私が求めていた答えだったので、大変参考になりました。 本当にありがとうございます。 それでは、私は、咽喉部から60Hzから10kHzの電磁波?・ 電波?が発声のとき出されていると何かの本で知り、 内耳も300Hzから10kHzの電磁波?・電波?を知覚出来るという ことを知ったので、心の声は、咽喉部にあるのではないかと いう発想になっていたのですが、今回のruehas様のご回答で 納得のいく答えを得ることが出来ました。 後、私は、その咽喉部の電磁波?・電波?を自らの内耳で 知覚していないかどうかが気になるところですが、 また別のご質問という形で聞いてみたいと思います。 では、これにて失礼致します。 重ね重ねになりますが、 本当にありがとうございました。 追記: 他の方宛ですが、他に何かご意見があれば、 また宜しくお願い致します。

その他の回答 (4)

  • ruehas
  • ベストアンサー率68% (816/1194)
回答No.4

こんにちは。 そのような「心の声」が作られている場所は「大脳皮質・側頭葉・聴覚言語野」です。ウェルニケ野、感覚言語野などと呼ばれ、人類のほとんどで左脳側頭葉にあります。 「聴覚言語野」といいますのは、耳から入った音声のうち「言語情報」として選別された情報を認知する器官です。この認知が行われることによって、それは「聴覚言語記憶」として保存されます。そして、我々の脳内に聞こえる「心の声」といいますのは、この「聴覚言語記憶の再生」であります。 聴覚知覚処理の段階で言語情報として選別された音声は聴覚言語野によって認知されます。我々はこのとき、「言葉が聞こえた」と自覚します。では、これと全く同様に、聴覚言語記憶が再生されるときは、逆に記憶回路の方から聴覚言語野に情報が引き出されるわけですから「頭中で声が響いた」ということになります。 声帯や喉の筋肉を動かすのは「運動言語野」です。このとき運動言語野にはほとんど命令が行っていませんので、喉の感覚や呼吸のリズムといったものには若干の変化を覚えることはしばしばありますが、それがきちんとした言語運動として言葉を喋ってしまうということはほとんどありません。あるとすれば、それを「独り言」といいます。 我々の耳から入って来る音声といいますのは、「音質」や「音の大きさ・高さ」「音の方向」といった様々な情報が含まれています。ですが、只今申し上げました通り、聴覚言語野で扱うのは言語情報だけであり、それ以外の情報といいますのは聴覚知覚野で処理され、それは「聴覚記憶情報」として言語とは別の場所に記憶されます。 さて、我々が過去の記憶を再生し、その状況などを克明に思い出そうとするならば、例えば、そのときの声は友達の声であり、嬉しそうな口調だったとか、友達がどの方向に立っていたなどいった感覚記憶情報をそれなりに使わなければなりません。ですが、言語を使って何かを考えたりする場合は、生まれたときから学習している言語記憶だけを使えば良いわけです。ですから、この言語記憶情報には「音の質」や「音の方向」といった情報は一切含まれていませんので、誰とも分からぬ声が何処からともなく聞こえることになります。 これと全く同じに、「視覚言語記憶」というものを用いるならば瞼の裏に文字を思い浮かべることができます。 聴覚の特徴といいますのは「音の時間的変化」を捉えるということです。このため、「聴覚言語」といいますのは頭の中で文章などの論理的な思考を順序良く行うのに適しています。これに対しまして、視覚といいますのは複数の情報をローケーションでいっぺんに思い出すことができます。ですから、二桁の足し算なんかをする場合、良く目を瞑って数字を思い浮かべます。 このように、我々は何かを考えたり思い出したりするとき、聴覚言語や視覚言語を用途に応じて使い分けています。

kei0214
質問者

補足

ご回答大変ありがとうございました。 大変詳しく解説をしていただき、感謝しております。 そこで、もう少し詳しいご説明をお願いしたいのですが、 私は、ANO.3の回答者様にご回答していただいているように 人が体内で感じている心の声は、 脳内: 思考・感情 → 言語化 → 自己の記憶に基づいて音声化 → * 咽頭などの発生器官: * → 無意識科での筋肉の信号 → 咽頭での心の声発生 → 内耳での知覚? だと感じています。 ruehas様のお話では、これは、「独り言」ということに なるらしいのですが、人はやはり完全に脳内で普段聞いている 心の声の全てを発声し、知覚しているのでしょうか。 私の個人的な感じ方なのかもしれませんが、私は、心の声で 本を読むときや、何かを憶える為に何かを心の声でいう時など 私は、絶えず、喉の震動を感じ、そこから声がしているよな気がして ならないのです。 もちろん、ruehas様もそのようなことが若干ある (言語としてではなく、無意識下のただの微妙な喉の震動) とおっしゃっていたので、そのようなことがあるのかも しれないが、やはりそれは、勘違いだと思いますか?、 私は、納得いきません。 ですから、不躾で大変恐縮ですが、もし、また、 そのようなことにお詳しければ ご回答宜しくお願い致します。 失礼致します。

回答No.3

>物を考えるときに声として思い、考える その前に思考が言語化されています。 思考や感情はまず言語化されます。言語化されたものが自己の記憶に基づいて音声化され、心の声として捉えられます。その後に質問者様が言われているように無意識下で筋肉に信号が送られることもあるでしょう。意識すればそれを声に出す事もできます。 しかし、思考を言語化するのは脳です。言語化されたものに音声を加えるのも脳です。それを発するのが発声器官となります。

kei0214
質問者

補足

ご回答大変ありがとうございます。 つきましては、補足をお願いしたいのですが、 心の声は、言語化され、それを自己の記憶を基に音声化されていると おっしゃっていますが、 その音声化されるという声は、もちろん体内での声 ということですよね?。 私が知りたいのは、体内で普段、知覚出来る声のことなので。 そして、発声するのが発生器官、つまり喉などの咽喉の部分だと おっしゃっていますが、 これは、無意識下に筋肉に信号を 送っている場合もあるとおっしゃっているので、 普段、私たちが、声として体内で知覚する声は、(私は喉辺りで) 脳から送られた信号で、喉の部分の筋肉が微妙に動き、 出された声を内耳などで知覚しているときに 感じる声だといってまちがえありませんか。 お答えください。 宜しくお願い致します。 後、脳は、思考し、言語化し、記憶を基に音声に変える 場所だとおっしゃっていましたが、 脳内で、音声化された信号というのは、 私たちが知覚している体内の言葉なのでしょうか。 私は、やはり体内の声は、hidebombbbさまがおっしゃているように 脳内で言語化された信号を自己の記憶(過去、耳などを通して 学習した声、、私は、体内の声もあると思います。)を 基に音声化され、そこまでは、 知覚出来ない信号としての器官を動かす信号で、後は、何度も いいますが、咽喉などの器官を無意識下に動かし続け、それを 内耳で聞き、普段体内で、知覚し、声に出していると 考えているので、脳内の範囲で言語化、音声化された言葉(信号) というのは、まだ、信号の域を出ておらず、 体内で知覚出来ないような気がする のですがどうでしょうか。 これも併せてご回答宜しくお願い致します。

  • donald777
  • ベストアンサー率48% (14/29)
回答No.2

僕は全然詳しくないのですが、 喉、咽喉で筋肉を声にならない程度に 微笑に運動させて行っている というのは違う気がします なぜなら僕が物事を考えるときは、 何故か自分の声ではなく別の人の声なのです 自分では出せないような声も頭でなら出せるし、 音楽も流せるでしょう?? 考えるときの声は誰かは特定できなくても、 どこかで聞いたような声であることが多く、 無意識に女の人の声で考えるときもあります ANo.1さんの言うように、 意識の記憶が関係してると思います

kei0214
質問者

お礼

ありがとうございます。 そのようなご意見も大変参考になりました。 しかし、私は、人間の言語の習得に 大きく影響を与えたのと同じように 人間の体内の声は、 喉で発生されているような気がするのです。 ですから、もちろん、 脳は、声などを想像して 考えることが出来るのだと思うのですが、 他の動物同様、 つまり、 喉などが人間と同じように 声を出すように発達していない 動物同様、 人間も脳自身は、普段私たちが、 音としての声を出すように 出している 体内の声、 思考するときに出す声 というのは出していないような 気がするのですがどうでしょうか。 また、何かご意見があれば宜しくお願い致します。

  • kamikazek
  • ベストアンサー率11% (284/2372)
回答No.1

自己の意識の記憶。ですよね。 その証拠を言います。 あなたはいま考えてることを、 あなたの15年前の声で 心の中で言うことができますか。 最近の自分の声でしか 心の中で言うことが できないのではないですか。 また 未来も同じく。 あなたの30年後の声が 出せますか・聞けますか。 心の声にどうして筋肉が必要なのかは わかりかねます。 つかわなくていい人もたくさんいますので。 人の臓器にこころはありません。

kei0214
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 大変喜んでおります。 しかし、 自己の意識の記憶... 大変申し訳ないのですが、 今回は、このことに関してのご質問では ありませんでした。 私が知りたいのは、精神的なことや脳機能的な 事ではなく、今、私たちが音としての声と同じように 喋り、言葉にしている体内的な声に関して どこから発生しているのか?。 そして、それは、電磁波なもので、 神経組織から発しているのか?、 筋肉組織から発しているのか?、 などを知りたいのです。 大変ご回答してくださったことに関しては 感謝しておりますが、 もしそのような分野にもお詳しければ ご回答宜しくお願い致します。 それでは、今回は本当にありがとうございました。 失礼致します。

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