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こんなミステリーを探しています。

質問をご覧ただきありがとうございます。ご回答いただく皆様よろしくお願いします。 さて本題ですが、京極堂シリーズのような日本古来の神話や民間信仰・思想・宗教、伝統文化などを題材にしている、もしくはその知識が沢山えられるようなミステリーを探しています。 京極堂シリーズは妖怪を中心とした民間信仰がメインだと思いますが、もう少し広く、例えば陰陽道(厳密には中国からの輸入だと思いますが)や日本書紀の神々、伝統宗教としての神道やそれらにまつわる歴史事項etcをテーマにしたものなど。 できればミステリーが自分では読みやすいのですが、その他のジャンル(このテのテーマと親和性が高そうなのはホラーとかですかね?)でも構いません。 本にお詳しい方回答をよろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

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  • loogaroo
  • ベストアンサー率62% (35/56)
回答No.3

高田崇史のQEDシリーズはいかがでしょうか? ミステリです。 今までに出たシリーズは以下のようになります。 「QED 百人一首の呪」  「QED 六歌仙の暗号」  「QED ベイカー街の問題」  「QED 東照宮の怨」  「QED 式の密室」  「QED 竹取伝説」  「QED 龍馬暗殺」  「QED ~ventus~ 鎌倉の闇」  「QED 鬼の城伝説」  「QED ~ventus~ 熊野の残照」  「QED 神器封殺」  「QED ~ventus~ 御霊将門」  「QED 河童伝説」  3作目の「ベーカー街の問題」7作目の「QED 龍馬暗殺」以外は、 タイトルからも想像できますように、日本古来の神話や民間信仰が題材となっております。 薀蓄は京極小説並みに山盛りです。 石黒耀の「昼は雲の柱」も、富士山噴火を扱った近未来シュミレーション小説なのですが、 その中で日本古来の神話を火山神話として読み解いております。 日本神話の新解釈としても興味深く読めると思います。 隆慶一郎の「花と火の帝」も、時代小説と申しますか、ファンタジーと申しますか、要は伝奇小説なのですが、 歴史学者の網野善彦に代表されます「非定住民・非農民・被差別民といったような、 正史に記録されにくいが確かに存在していた社会から、歴史を見直していく」というような考え方から、 天皇制を題材としておりまして、読み応えがあります。 ただ残念ながら著者死去により未完となっておりますのですけれど。 でも未完であっても素晴しさは曇らされていない作品であると思っております。

aruku-tako
質問者

お礼

まず、お礼が遅れてしまいまして本当に申し訳ありませんでした。そしてご回答をいただきありがとうございました。  ご紹介頂いたQEDシリーズはミステリーということもあり、私のイメージとぴったりの作品群のようです!他にも私が全然しらなかった作品を紹介していただき、loogarooさんの読書の幅の広さが伺いしれました。 ご回答いただきありがとうございました。お礼・締切りが遅れてしまい本当に申し訳ありませんでした。

その他の回答 (4)

回答No.5

荒俣宏の『帝都物語』はいかがでしょうか? 以下、フリー百科事典『ウィキペディア』より抜粋。 「著者の荒俣宏がこれまでに蓄積した博物学や神秘学を総動員しており、風水を本格的に扱ったおそらくは日本最初の小説と目される。 陰陽道、風水、奇門遁甲などの魔術用語を定着させた作品でもある。」

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9D%E9%83%BD%E7%89%A9%E8%AA%9E
aruku-tako
質問者

お礼

ご回答いただきありがとうございました。お礼が遅れてしまい申し訳ありませんでした。  そういえば、荒俣宏もこの種の知識をかなりもっていそうでな作家さんでしたね。作品は読んだことがありませんが、「帝都物語」は映画がなにかで映像化されていましたよね?チラっと観た記憶があります。 今回はお礼・締切りが遅れてしまい申し訳ありませんでした。ご回答いただき感謝しています。

  • koutyasky
  • ベストアンサー率52% (51/97)
回答No.4

高橋克彦さん「竜の棺」の他には、 高田崇史さんの「QEDシリーズ」 西風隆介さんの「神の系譜シリーズ」 篠田真由美さんの「龍の黙示録シリーズ」(最近出ているのは、ヨーロッパが舞台になっていますが) などもお勧めです。

aruku-tako
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。お礼の返事が大変遅くなってしまい申し訳ありませんでした。  高橋克彦氏、高田崇史氏の作品は他の方もおススメしてくださっていますし大変有名なんですね。自分の知識の無さがわかってしまいますね。他の二人の作家さんも作品を読んだことのない方々ばかりです。 折角回答していただいたのに、お礼・締切りが遅くなりましてすいませんでした。ご回答は参考になりました。

回答No.2

手軽に読むなら、鯨統一郎の短編集「邪馬台国はどこですか?」が文庫本であり、これは傑作!! 重量感がある長編なら、高橋克彦の「総門谷」あたり。滅茶苦茶面白かった。 どちらも古代史がメインで説得力があります。(ずいぶん前に読んだのでうろ覚えですが。リクエストと違う内容だったらゴメンナサイ)

aruku-tako
質問者

お礼

今回、折角のご回答にも関わらず、お礼が遅れてしまい大変申し訳ありませんでした。  「邪馬台国はどこですか?」は以前本屋さんで見かけて少し気になっていたのですが、今回改めてアマゾンのレビューをみたのですが少しイメージとは違ったもののかなり面白そうで興味が強く湧きました!  この質問で高橋克彦氏の名前を挙げられる方が多いようです。この手のジャンルでは代表的な作家さんなんですね。 ご回答本当にありがとうございました。御礼・締切りが遅れてしまい、すいませんでした。

  • jasko
  • ベストアンサー率24% (478/1966)
回答No.1

 伝奇SFとしては高橋克彦の作品群はかなり面白いものだと思います。「総門谷」と「竜の棺」は日本だけとは限りませんが、かなり広範な知識が得られて興味深いものです。「星封陣」もお勧めです。  また半村良の伝説シリーズもよいと思います。「石の血脈」あたりはいかがでしようか。

aruku-tako
質問者

お礼

折角ご回答頂いたのに、お礼が遅れてしまい、大変申し訳ありませんでした。  高橋克彦氏は名前も知っていたのですが、作品は読んだことがありませんでした。「炎立つ」のイメージがあったのですが伝記SFというジャンルも書かれるのですね。 半村良氏の名前は今回質問させていただいて初めて知りました。 最後に回答していただいて感謝するとともに、改めてお礼・締め切りが遅れてしまい本当にすいませんでした。

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