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「科学」ってなに?・・

化学とか数学、物理学とかいう範囲はまだ明確な範囲があるきがします。 で・・「科学」ってなんですか??? 僕の思う「科学」は ・「自然の事象を観測し」「分析し」「理由付け」「予測する」手法のことだと思っています。 本当の定義もあるとは思いますが、 あなたの思う「科学」ってなに?ってことで募集。

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noname#12673
noname#12673
回答No.22

三度ハリセンボンでございます。 「科学」を「手法」とするならば、「手法」は今も昔も同じでしょうか? 自分は統計工学を専攻しています。手前味噌ながら、確率論に基づく統計的推論という「手法」は他の多くの分野で利用され、その発展に寄与してきました。でも、この統計的推論理論がフィッシャーによって確立されたのはたかだか一世紀ほど前です。 前提となる知識が違えば「手法」の実行結果も違ってくる。その通りだと思います。でも知識が「手法」を作り出すこともまた事実ではないでしょうか? 私は「科学」を「客観性のある知識の体系」としましたが、今も昔も変わらないのは「知識」でも「体系」でもなく、「現象(自然現象や社会現象など)に対する人間の関心」と「それに客観性を求める」ことではないか、と思います。科学的な態度というものでしょうか。 つまり、「科学」の本質は「科学的な態度」であり、それは昔も今も変わらない。そして「科学」の総体は、その時代の人間の知識や関心によって多少は変わっていくもの。これが私の回答かな。 その意味では、魔術や錬金術も科学である時代もあった。という解釈もできると思います。(もちろんSF作家が作り出す独創的な世界観は科学ではありません) 最後に・・・ 私はこういう議論は楽しいし、大好きです。でも楽しいお祭もいつかは終わるもの、その膜引きを決めるのは主催者の務めです。ご自身の思うとおりになさいませ。

acacia7
質問者

お礼

またまた有難うございます。 そうですねぇ・・「手法」の中身も変ってますねぇ。(^^;;;; 「知識」の中身もかわってますしねぇ・・ 確かに・・「科学的な態度」っていうやつが示したいんです!! うんうんうん。 ただ、ここで「科学」を使っちゃうと再帰しちゃうんで・・ 「事象を観測し」「論理的に」「分析し」「理由付け」「予測し」「事象を究明する態度」てな感じでいかがでしょう。 っていうか「僕定義」なんで僕が納得すれば済む話なんですが・・(笑) ということでいろいろと参加していただきありがとうございました。

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その他の回答 (21)

noname#3546
noname#3546
回答No.11

毎度です、某スレではお世話さま、ユウタです。 ちょっとだけ勉強した成果として、(? 頑張って自分の言葉で言うと、 すげー大雑把な言い方ですが「科学=統計」のイメージです。 acacia7さんの仰る観測が情報収集のイメージ。 分析・理由付け、が情報の整理のイメージ。 最後の予測は、そのまんま予測。 精神病理学とか、にも近い雰囲気です。 精神とは何か、質量は、材質は、色は、位置は、 とゆー様なコトより、それが病気っぽいゾ、 どーやら異常だゾ、とゆー概念とでも言いますか…。 いや、すんません。やっぱ阿呆です。(笑 自分の論がまとまりません。また今度。

acacia7
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 某スレはたのしかったです。(笑) 「科学」ってどんなものっていう扱いなんで、 たまたま「観測」とか「分析」とか「理由付け」とか「予測」 なんていう言葉を使っていますが、 似たようなステップがそれぞれの分野にあるんだと思います。 そして、それぞれ分野によっては違う言葉を使うかもしれません。 そういう意味では、「統計」も「精神病理学」も「科学」の一部なんだっていうことでしょう。

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noname#11476
noname#11476
回答No.10

私は辞書にある定義のとおりと思います。 自然や社会など世界の特定領域に関する法則的認識を目指す合理的知識の体系または探究の営み。実験や観察に基づく経験的実証性と論理的推論に基づく体系的整合性をその特徴とする。研究の対象と方法の違いに応じて自然科学・社会科学・人文科学などに分類される。狭義には自然科学を指す。 自分の言葉でこれ以上的確な定義はできかねますねぇ。

acacia7
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 そうそう、実際に辞書的な定義ってありますものね。 それをわざわざ「僕定義」する必要ないんですけどね。 ただ、討論のなかとかに出てきた文言のイメージを すべて、辞書的な定義でもてるかというとそうでもなさそうで、 イメージをもてないものを基準に判断なんぞできません。 ということで、今回はたまたま「科学」という文言の曖昧さが気になったので、 そのイメージの叩き台がこのスレッドだったわけです。 で、mickjey2さんに挙げていただいた定義も叩き台の材料として使わせていただくと・・ やっぱり科学って「特定分野」が対象なんですね。 rei00さんのコメントの「普遍性」がちょっと気になったのはその辺だったのですが、とりあえず、後ろ盾として認識できそうです。 「法則的認識」も「観測」「分析」「理由付け」の部分と符号しそうです。 「合理的」の部分は新規導入の「論理的」でどうにかなるかな・・ どうちがうかな・・ちょっと不明ですね。 「知識の体系」又は「探求の営み」っていうのは新しい部分ですけど、 経験則の塊という認識と「手法」という判断は持っていたので、然程違う意味はなさそうですね。 2文目は・・言い換えですよね・・ そうそうそう・・ちょっと「狭義には」に囚われてた部分があったみたいですね。 最初の「自然の事象を観測し」の部分の「自然の」がそれですね。 やっぱり広義と狭義の違いはあるんですね。 僕には辞書的な定義をパッとイメージできかねましたけど、あまり大きな間違えはなさそうなので安心しました。

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  • Singollo
  • ベストアンサー率28% (834/2935)
回答No.9

> 数学、理物等の定義はどうするんでしょう??? > 科学とは別領域っていう扱いですか? ほんと、どうしたらいいんでしょう? でも、『血液型性格判断』、『医学』、『天気予報』、『数学』と並べたとき、どこかに境界線を引くとしたら、どうしても、『血液型性格判断』、『医学』、『天気予報』 | 『数学』としたくなりませんか?

acacia7
質問者

お礼

え・・(・▽・? えぇぇ・・僕的にはもう一個境界を引かせて欲しいなぁ・・ どうしても一本となると・・うーん。 やっぱり『血液型性格判断』 | 『医学』、『天気予報』、『数学』だとおもいますよぉ。 血液型性格判断はまだ経験則の蓄積が足りないとおもうのですよぉ。 数学に関してはなか程の二つより大分右にはずれる気はしますけど・・・

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  • rei00
  • ベストアンサー率50% (1133/2260)
回答No.8

 化学者(ですので,一応「経験者」)の rei00 と申します。私が考える「科学」とは・・・・,acacia7 さんのものと殆ど同じです。つまり,次の一文ですね。 > ・「自然の事象を観測し」「分析し」「理由付け」 > 「予測する」手法のこと  ただ一点追加したい事があります。これらのいずれにおいても,「論理的」かつ「普遍的」である必要があると思います。  論理には様々あるでしょうし,ある種の条件の元で普遍的という場合もあるでしょうが,基本はそうだと思っています。  『あなたの思う「科学」って』ですので,自分の考えには「自信あり」です。皆さんに当てはまるかは「自信なし」ですが(って,「科学的」じゃないか)。

acacia7
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 そうですねぇ。論理的で普遍的っていうのは必要かもしれませんねぇ。 「論理的」の内容が定かでないというのも微妙に問題かもしれませんが、 もっと問題なのは「普遍的」についてで、本当に「普遍的」であることを 必要としているかというとそうでもない気がします。 というのは、科学は全体で「科学」一つというわけではなく、 多くの分野に分類できることはご同意頂けると思うのですが、 その分類を行った際に「この分野では」という暗黙の条件設定が切られ、 表に出て来ない場合があると思うのです。 ・・・・具体例がちょっとあげづらいんですが・・・・(--;;<ダメ過ぎ なにはともあれ、その分野の共通の知識として 「原因」と「結果」を結ぶ「法則」について大方の同意が得られた場合、 それはその分野における「科学的証明」がなされたものなのではないでしょうか。 という感じで「普遍的」の導入はちょっと微妙なので保留して・・ 僕定義を「事象を観測し」「論理的に」「分析し」「理由付け」「予測する」手法のこと とします。(笑) 多くの人の合意を得られるような知識の集積って「科学的」ですよね?(笑)

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  • nika
  • ベストアンサー率14% (66/470)
回答No.7

分類することに尽きると思います。 さまざまな事象、現象、抽象をカテゴリを定義して分類していくことが、科学といえます。 いままでにないカテゴリの発見、定義(勝手に定義できない)に出会えればノーベル賞というわけです。 それを周囲に理解してもらい、受け入れてもらうまでに先人の科学者たちは、苦労したわけです。 ガリレオしかり、アインシュタインしかり・・・ 分類し、認められてこそ科学なのかもしれない。

acacia7
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 うーん。分類することですかぁ。 生物学とかはまさに分類の極地ですよねぇ。 「僕定義」との関連だと「発見、定義」は「観測、分析、理由付け」に相当するみたいかな・・ 周囲に理解して受け入れてもらうまでが科学なんですねぇ。 おうちに帰るまでが遠足なんですねぇ。(ぉぃ)

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  • Singollo
  • ベストアンサー率28% (834/2935)
回答No.6

> 「僕定義」では「宗教」は「誰かわからない人 > が定義つけたさまざまな社会的なルールの塊」 > っていうのにしてますので 『俺定義』では『宗教』は『再現不能な経験則にもとづく信念に則った、(特定の人々にとっての)真理の体系』です で、こいつは、数学や理論物理などごく一部のジャンルを除く『科学』の大半にも当てはまっちゃうんだなぁ 大半の『科学』は実験と検証にもとづくわけですが、失敗した実験にミスリードされる危険性を除外するとしても、実験の再現可能性を完全に確信することは不可能(たまたま結果が揃った可能性が常に残る)である上、実験結果から導くことのできる多様な解釈からどのモデルを選択するかも、つまるところその『科学者』の信念に掛かっているわけです そしてそのモデルに合わない実験結果が出るまでは、そのモデルが『真理』としてまかり通り、また、新しい『真理』に取って代わられるときが来たとしても、それまでやってきたことが『科学』でなかったとは考えず、『科学』が進歩したと考えるわけですが、これは、本質的に、予言が実現しなかったときに教義の解釈を変更して存続しようとする『宗教』のレバートリーのひとつとみなすことが可能でしょう

acacia7
質問者

お礼

再びご回答ありがとうございます。 数学、理物等の定義はどうするんでしょう??? 科学とは別領域っていう扱いですか? 確かに科学って経験がものをいう世界ですものねぇ。 経験しなかったことは判断しようがないですねえ。

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  • aoneko
  • ベストアンサー率52% (65/125)
回答No.5

その募集、乗った(笑 acacia7さんの定義がとてもわかりやすいです。 そこに乗っかる形で、わたしの思う「科学」の話をします。 大学に入ったときに初めてその疑問を抱きました。 一般教養の授業はすべて「人文科学」「社会科学」「自然科学」の三つに分けられていたからです。 化学も数学も物理学も、そして文学も哲学も倫理学も経済学も音楽も芸術学も、すべて「科学」であることを知って、そりゃもうびっくりしました。 じゃぁ「科学」の対義語って何だろう?と考えて、 それは「宗教」なんじゃないかと思うようになりました。 (ただし「宗教学」は信徒じゃなくても学べるので、「科学」です) なぜって、「宗教」は疑うことを決して許さないからです。 どの宗教も、信徒が勝手に教義を解釈することを禁じています。 その宗教の教義をちゃんと学んだ「指導者」がいて、彼の語ったことを信徒は従順に無垢に受け入れなければならないのです。 もしそこで自分の頭を使って考えた人が現れて、規制の教義を少し疑ってみて考えて、そして自分が正しいと思った教義の解釈を誰かが唱えはじめたら、 それは宗教改革となったり、新しい宗教が興ったりするわけです。 (そして彼は元の信徒たちから裏切り者、反逆者のレッテルを貼られます) しかし科学はあくまで「疑い、追究すること」を貫きます。 「本当はどうなんだろうか」「もっと違った考え方はあるだろうか」 とことん真理を追究するために、さっき自分の出したばかりの結果すら科学者は疑うのです。 そうでなければ、人類の文明はここまで発達しなかったはずです。 自説を疑わずにしがみつき、ただ他説を排する人の心は、 もはや科学心ではなく宗教心です。 ガリレオに地動説撤回を求めた宗教学者たちは、科学者ではなく宗教家でした。 しかし現代では、科学は宗教の檻から放たれ、どこまでも疑ってもよい自由を得ました。 (現代でも宗教家的な科学者もいるような気がしますが) ただし完全な自由ではないと思います。 たとえば脳死や臓器移植の問題の大部分は、 死者に対する私たちの思い(死者を敬う素朴な信仰心だと思います)が関わっていたりします。 しかし中国医学を疑い、民意に逆らい日本ではじめて人体解剖書を記した漢方医・山脇東洋、彼に多くの漢方医・蘭方医が続き日本の医学が発達したように、 いつかは(多くの規制が払われるはずですが)広く認められる日が来るのではないかと思っています。将来のことだからわからないけど。 科学とは「疑い、真理を追究すること」。かな。

acacia7
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 なるほどぉ・・宗教は疑えないんですねぇ。 確かに「僕定義」の「宗教」も「誰かわからない人が定義付けた」 なので、自分で定義付けしたルールを導入した瞬間に「宗教」じゃなくなっちゃいます。 でも、それでいて宗教って変質していきますよねぇ・・ どうやって変ってるんでしょうね。 解釈の部分だけなのかな。 >科学とは「疑い、真理を追究すること」。 なるほどぉ。頂いておきます。(笑)

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  • First_Noel
  • ベストアンサー率31% (508/1597)
回答No.4

acacia7さまの解釈ですと,おっしゃる意味は分かるのですが, 「自然の事象とは何か?」について不明確であるように思われます. 人文科学と言う言葉が存在するところを見ると,対象は人間の思考の結果 生じることも対象になると思います.例えば心理学とか. 私は, 「ある事象に対して一対一の解釈を与えるもの」 だと思っておりましたが,ちょっとここで勉強してみたいと思います. また来ますね..

acacia7
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 そうですね。No.3の話を見ても、 人文科学というのもあるので、 「自然の事象」というよりただの「事象」でいいかもしれないですね。 自分ではちょっと「科学」として「自然科学」をイメージしてた様です。 >「ある事象に対して一対一の解釈を与えるもの」 「僕定義」の「理由付け」にあたるところかもしれないですね。

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noname#2060
noname#2060
回答No.3

acacia7さんの言われるとおり、 人間が拘束される「時間」から少しでも自由になるため、万物の t秒後の状態を「予側する」ための手法。 「自然の事象を観測し」「分析し」「法則を見つけ」「予測する」 と、思ってます。 「自然科学」だけでなく「社会科学」「人文科学」も一緒と思います。

acacia7
質問者

お礼

どうも有難うございます。 自然科学と社会科学・・人文科学・・ですか・・ それぞれちょっとずつ観測対象が違うっていう事なんでしょうねぇ。 でも、どれも「科学」なんですねぇ。 たぶん。

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  • Wino
  • ベストアンサー率22% (60/271)
回答No.2

***科の学問のことをいうのでしよう 自然科学とか、宇宙科学とか言いますしぃ そうですね、予測・分析し公式などで理由付けする… その点、某大学のオオツキさんは、科学者ではありませんね (あたしは認めていません) すでに有る公式にあてはまらないと、分析しない(できない?)、予測は否定するだけで、理論を定義し、思考することをしません。 (なんか、とんちんかんなことに・・・)

acacia7
質問者

お礼

どもども有難うございます。 ・・・科の学問ですかぁ・・ じゃぁ・・経理科の学問は・・・ちょっと科学っぽくない気が・・(爆)

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